探究
アルエが部屋へ戻ると、ミグは寝ているようだった。浅黄色のごわごわを身体に被って、無害な寝顔を見せている。しかしアルエが横になろうとしたとき、目を覚ました。
「あー……おあえりなさい」
アルエは慌てて横になって首までを隠して、ミグに背を向けるように寝返りをうってしまった。返事はない。
「大丈夫ですか? 傷が痛むんですか?」
「……うん大丈夫。でも足の傷が開いたから、寝る」
「えっ、肩の傷が開いたんですか。じゃあソシェウさんを呼ばないと……」
「ソシェウはもういない!」
ミグはびくんと固まって、しばらく沈黙した。するとアルエが、絞り出すような、消え入りそうに小さな声で、独り言を零しているのが聞こえてきた。
「…………『信じて』なんて言う時に限って……嘘じゃなかったことなんて、一度もないじゃないかっ……」
ミグは、極力音をたてないようにして寝る体勢に戻った。両目をしっかり閉じるが、もう睡魔はなかなか訪れない様子だった。
アルエが目を覚ましたのは、朝と昼の間といったところだった。天候は、朝から持ち直し、雲の多い晴れにまで回復していた。
今からでも街へ発てばコフトの脚次第ではあるが、まず暗くなる前に着くことができる。ただ、暗いと走れないコフトにはそれはありがたいのだが、ミグを街に入れようとする場合には、到着時には暗くなっていた方が良さそうではある。
ミグはもう部屋にいなかった。
上体を起こして、本当に供え物みたいに置いてあった食事を、長い遠目での観察の後、近くで調べてみることにした。何らかの実か種の殻で出来た器は大きく、食事はそれひとつのようだった。
アルエはその横の、重い陶器に入った綺麗で冷たい水を飲んだ。息をついて上方を見る。
食事の中身は、根菜と豆と菜とを丸石かなにかでよくつぶしたもののようだった。恐らく火は通っていない。鮮やかな極彩色の花びらが、中央に数枚あしらわれていた。端には、それを使って口に運ぶと思わしき、上下にうねる細長い板状のものが刺さっていた。
最初アルエはそれを傷に塗るものと思ったらしく、眉間にしわを寄せ、包帯を緩めてつくった隙間から肩の傷口の具合を確認する――ソシェウの薬品の効果か早くも見事に癒着しているが、幼少期よりある縦線の痕に加え、昨日出来たその横の傷で、ちょうど十文字になってしまっていた。
傷の具合を確認した後、自分で包帯を巻き直した。それはほぼ一瞬で終わる。
薬は感染症を防ぐ効用だけならあと何日かはこのままで問題ないので、
「やはり量からみて、食べ物……」
そう結論づけて、アルエは髪でそのへらをとり、スープの要領で底のほうからすくいとろうとした。しかし団結力のあるその食物はなかなか一口分だけすくうのは難しく、アルエは先にへらで切って、そのブロック状にした部分をすくうことで、ようやく味見が叶った。
「甘い……ハチミツだ。うん……何でだろう、美味しいな……栄養面も見事だし」
アルエは研究の徒のように食事を完遂した。
その後、服を全て着たアルエは外へ出て、そこにミグがいたことには、別段反応を見せなかった。
「ミグ、準備が出来てるならもう行くよ……コフトは?」
「あ、昨夜彼らに預けたので、ちょっと聞いてきます」
ミグは近くにいた男性に駆け寄り、目を合わせて何か無音の会話を始めた。そしてちょうどアルエが歩いて追いついた時、
「ええっ!」
ミグが珍しく大声を上げた。アルエはそのことに驚くと同時に、不吉な予感によって全身に緊張を走らせた。
「なに、どうしたの? コフトになにかあったの?」
ミグは恐る恐るといった調子で、それを告げた。
「ええと……。食べちゃったそうです」
「えっ! 嘘! な……そんな!」
とそこでミグはなおもまた男性と視線を合わせ、
「え……え?」
さらに困っているようだった。男性の無表情な顔と、ミグのどこか脱力した表情を、アルエはただひたすらに交互に見る他はなかった。
「あの、アルエさん……食べちゃったというのは、冗談だそうです」
しかし遠慮がちなその声を聞いて、アルエの緊張と一切の表情が消失した。
息を合わせたように、その時に木々の向こうからコフトを連れた別の男性が現れた。
アルエは細く長く息を吐いて、温度のない声で言った。
「ミグ、是非とも通訳しておいて……。あなた達はせっかく良い人たちなんだから、悪い魔女に変なことを教わっても簡単には実行しない方がいいですよ。冗談は、全ての災いの元なのです」
四章 凱旋
午後に入り、弱い雨が降り出している。
遠く見えた時から、なぜか、跳ね橋がずっと下ろされていた。
そしてそれは目前まで近づいた今も変わっていない。アルエが橋に足で触れ、その強度を確かめると、間もなくミグが乗るコフトを引き始めた。
跳ね橋小屋へと続く橋は登りの傾斜なうえ、雨が流れて滑りやすくなっているので常にアルエが先導し、最後はコフトを引き上げるかたちで上りきった。
小屋の内部は、石を組上げた重厚なつくりではあるが構造としてはほとんどがらんどうで、通行者には建物というよりも通路といった赴きである。
コフトがやや頭を下げなければならない程度の大きさの扉をくぐって外へ出ると、街にはまったく人の姿がなかった。まるで昨日から平穏を取り戻していないかのように、どの家もあの火事の時そのままに、窓や戸を閉め切っている。
「これは、ミグに嘘のつき方を教えたのも無駄になりそうだね」
「無駄になって多いに結構です」
アルエはコフトを引き、ミグはその背で、荒野を戻る間に時間をかけて練習した〝あどけない子供の表情〟を披露していたが、街がこの有様では馴染むどころか浮いていた。
アルエはフードを下ろし、やや目を細めた。
「私の家に帰るだけだ、堂々と行こう。でも、雨が強くなりそうだから急ごうか」
ミグに手綱を渡すと、道を示すために先に走り出した。
足下が悪いため、アルエはずいぶん加減して走った。人通りの少ない道を選び、突発的な遭遇の確率を減らした。その分時間はかかったが、誰にも姿を見られることはなく目的の家の裏手に着いた。
コフトは小屋に入れ、二人は裏口から家に入った。その際、アルエが扉に長時間膝をあて、内部の安全の確認と、罠の解除を行っていた。
それから手分けして、ミグは暖炉に火を入れ、アルエは食料を探して集める。
「やっぱり、もう干しぶどうはないなあ。ちゃんと昨日までで食べ尽くしちゃったから」
それでもそれ以外の基本的な保存食は、二人が三日は満腹で過ごせるくらいの量が見つかっていた。
「まあ、食料は問題ないか……」
アルエは垂れ幕をどけて通り、部屋に入った。薪の焚き付けを見ていたミグが振り返り、アルエはその光景を珍しそうに寸時眺めた後、口を開いた。
「じゃあ、ひとまず君の家と鐘塔の家に行ってくるよ」
「わかりました。兄がいればいいのですが……」
「望みは薄いね……でもこの家の方が安全だよ。単純な力では開けられないように厳重に戸締まりをしていくから。あ、水は汲んで置くね。朝までには戻るよ」
「ありがとうございます。いってらっしゃい」
ミグに耳慣れない挨拶をされ、アルエは戸惑いながらもなんとか小さく頷いて部屋を出て行った。
ロディの家はやはり空振りに終わり、アルエは早くも試練に専念することにした。
鐘塔に登り、人々が路上で話している内容から、まずはいったいこの街に何が起きているのかということを探ろうというのが最初の策だった。が、雨あしが強くなっていくこともあり、その情報収集の方法は難しいものとなってきていた。
それでもアルエはひとまず塔に上ろうと、灰色の湿った空気を裂き、鐘塔の家に向かった。塔の出入り口に足で触れると、その動きが止まった。
「上に……、小さいな。子供か……?」
しばらく思案するように鐘を見上げるが、やがて、
「まあ、鐘突きだと名乗ってどかせばいいか」
そうつぶやくと小さな戸をくぐって中へ入った。内壁に沿った階段が四面で一周したあと、木製の急角度な階段梯子をのぼり、鐘が吊るしてある空間へ出る。
フードに包まれた頭が上がって来るのを、少女は待ちきれないといった笑顔で見守っていた。アルエはそんな、今にも飛び跳ねだしそうな少女に不機嫌な眼差しを送り、
「ここは危ないからすぐ降りなさい」
と冷や水を浴びせ、ゆっくりとした動きで床に立ち上がった。それらは威圧するための言動だったが、少女にはまったく通じなかった。
「危なくないわよ、それにもう自分じゃ降りられないもの」
アルエは厄介な問題にぶち当たった表情でその子供を見下ろした。どうやら歳はアルエより少し若いくらいで、しかし体格は小さめだ。耳の後ろで断たれた髪は短く、特に目元にだけは可愛げと柔らかさがあった。小さい鼻に引っ張り上げられた顔立ちは、知性はあれども、いつも澄ましているような印象を与える。
「まさか先に嘘をつかれるなんてね……。君、自分で降りられなくなるような所にのぼる歳じゃないでしょう。それともネコにでも憧れたのかな?」
とアルエにからかわれると、彼女は生意気に目を細め、しかし嬉しそうに口角を上げながら早口で話した。
「挨拶としてはまあまあよね。ネコ呼ばわりは良かったわ、まあ、あなたの正体を思えばより必然性が高い語彙の選択と言えるわね。それで、私がネコならあなたはさしずめカラスといったところでしょうけど、あなたは今日も飛ぶのかしら?」
アルエは長い呼吸の後、微笑をつくり低い声を放った。
「君、私に用があってここにいるみたいだね。この家の子供?」
「ここからは尋問みたいね、でも安心して、私は立場をわきまえてるから、下手に駆け引きをするつもりもない。私は、あなたが来る少し前からこの家でずっと暮らしてきた。これでどう?」
「どうと聞かれてもね。じゃあ、その手に持っているのものは何?」
少女はその場にしゃがむと、片手に抱えていた古いスケッチブックを床の上に開いた。
「もっと後に証拠として見せたかったんだけど、まあしかたないか。これはね、押し花よ。この家に新しい子供が増える度に私が作ってきたの。新しい子供が来た、その日にすぐ作るの。いい? その点が重要なのよ」
「ああそう、なかなか話が見えないけど」
「焦らないで。いい? 今私は、あなたが魔女で人さらいだという証拠を突きつけているのよ。……あ、アルエ、あなたもしかしてまだ私のこと思い出してないんじゃないでしょうね」
「思い出してないしそもそも覚えたこともないよ」
少女は絶句したが、すぐに立ち直るといっそう早口でまくしたてた。
「ま、まあしかたないわね。私の記憶力が特異なのだから、魔女のそれを凌ぐくらいに……そうよ。私には選ばれるだけの理由がある……。いい? この押し花は、ひとりに対して一輪、そして紙には日付とその子の名前を書いてるの。ほら、そろそろ白状してくれてもいいのよ」
「白状するって、何を白状したらいいの? いい加減論点をはっきりさせてくれないかな」
「とぼけるなんて無粋なことしないでよね、でも、すぐに記憶を消そうとしないその姿勢は評価できる。私が言いたいのはね、この押し花の中の何人かは、この家にいないということよ、少なくとも四人……あなたを除いて、四人ね」
アルエの表情が険しくなり、ようやく真剣な声を出し始めた。
「それは、それぞれいつのこと?」
少女はアルエの反応に意表を突かれたのか目を円くして、しかし言われるまま素早く紙をめくっていった。
「ほぼ集中しているわ、九年前の冬に二人、次の秋、冬とひとりずつ。ほら、この四枚よ、名前は書かれてないけど日付は同じように入ってる。ね? わかったでしょう、言い逃れはできないわよ、いくら皆と私の記憶を消しても、こうした確固たる証拠が残ってるのよ。私のように特にきちんとした人間の頭脳と精神は、小細工では誤摩化しきれないの。だから、この優秀な私をさらってくれない? 私きっと、良い魔女になる素質があると思うのよ、どうかしら」
「ああ、一気に本題まで言っちゃって、焦り過ぎだよ。まあそれはさておき、記憶についてもっと詳しく教えて欲しいんだけど」
「……記憶についてというより、記憶との食い違いね。押し花を作っていて、どうしてこれには日付が入っているのかと不思議に思って、それに気づくのは大体その日付の一週間後くらいなんだけど……それでその日について、皆にそれとなく聞いてみるんだけど、誰も子供は来てないと言うの。私の押し花の隠し場所を知っている様子もないし、とにかく変でしょう? それで気づいたの。時期がね、アルエ、あなたが失踪した直後から始まって続発しているから、これはきっと連続失踪事件で、犯人は人の記憶を消す魔力を魔女……つまりあなたか、あなたをさらった人物か、とにかくあなたと深く関係する何者かなのよ。私が思うには、あなたに関する記憶だけを残した意図は、こうして事件の真相に辿り着く人物が現れるのを誘発するためよ。そして現れた人物が有望なら使い、無用なら記憶を消す。と……どう? 私の推理は? 核心を捉えているでしょう」
挑みかかるような視線をアルエに向け、演説を締めくくった。アルエは弛緩した表情で、なにやら思案している様子だったが、忍び笑いのような気配を乗せた声を漂わせた。
「その……記憶を操作する魔女というのは、絵本か何かで読んだの?」
「違うわよ! あ……そうやって、騙されないわよ私は。素直に認めたらどう? 私だってね、覚悟した上でここにいるんだから。あなたも誠意を持って答える義務があるわ」
「そうそう、ここで待ち伏せしてたみたいだけど、それはどうして?」
「あなた……ある意味では立派に魔女に染まりきっているのかもね。昨日、あなた、ここから飛んだでしょう? それを見てたの。そう、私は見てたのよ! 煙が薄かったときから真っ先にあの火事に気づいた私は、窓からずっと聖者街の方向を睨んでいた。そしたら驚いたわ、あの白い肌は間違いなくあなただって、私だけがその一瞬で思い当たったわ……まあ、あなたがいた当時から、今日までこの家に暮らしているのは私だけなんだけどね、皆養子や働きに出ちゃって……。まあとにかく、だからここで待っていればまたあなたが来る可能性は高いと思ったの」
「ふうん。あ、今日は、この街はどうしたの? なんだか昨日がそのまま続いているみたいにどの家も閉め切ってるんだけど、あなたは何か知ってる?」
「えっ、なんで知らないの……あ、わかった。もしかして家の中に籠っていたか、街の外に出ていたとか?」
「よくわかったね。そう、だから教えて」
「私には簡単すぎる推理よ。まあ、そのふたつの可能性しかないんだけどね。で、いい? 昨日聖者がこの街から追い出されたのは知ってるわね? それで昨夜、一般街で殺人事件がいくつも起きたの、いいや、それは事件というよりもっと野蛮な犯行……言わば襲撃ね。でも歴史的な大事件よ、なにしろ、蛮族が攻めて来たんだから」
アルエは笑みをつくり、まだ余裕のある態度を装っていた。
「蛮族が……へえ、どれくらいの数が目撃されているの?」
「それはよくわからないけど、被害はすごい数よ。街の南部、土壁街を中心に十数軒、一晩で五十人以上もやられたって。噂では他の町や村も襲撃されているらしいわ。蛮族の人数は、でもそれほど多くないかも知れない。この街には五人から十人くらいだと私は推理してる……希望も多分に込めているけどね」
「蛮族の姿形については、何か目撃情報はある?」
少女は、質問を一方的に受け続けたためか、不満げな目をちらちらと向けるようになっていたが、アルエのどことなく真剣な眼光を見ると文句を言い出せないようだった。
「伝承のような巨人ではなく、小柄だって。それで、バゥに乗っていたって。そうそう、バゥの生産者のおじさんが昨日の午後この家に来て、バゥが逃げてきてないかって聞いてた。というのも以前その東部の牧場からこの家までバゥが迷い込んだことがあったの、それで今回もそうじゃないかってことで来たそうよ。それで私思うんだけど、蛮族がバゥを盗んだんじゃないかな。そう、それで、羽根を身につけていたっていうし、蛮族はやっぱり鳥類が好きなのよ。まあ、ここじゃ伝え聞きした程度だし、詳しく知りたいなら現場に行ってみたら? 私も連れて行ってくれれば役に立つと思うけど」
「そう、色々と情報ありがとう。ところで君、この家で孤立しているでしょう」
「えっ? な、なによ突然、何を言うのよ」
「こんな所にいてまだ誰にもばれずに家が騒ぎになってないってことは、君が普段から個室にいるか、同室者と仲が良いか。だけどもうひとつの条件について考えるともっと単純ね……それはつまり、昨日私がこの家に来ていることを知らないということ、これについて考えれば、すぐわかるね」
「え、えっ? 今何て言ったの、この家に、来たって?」
「部屋に籠っていたのでは理屈に合わない。君が昨日、空を飛んで行く私を追って外に出ている間、その間に来客があったと家に帰ってから誰かに聞かなかったのかな?」
「それは……聞いたわ! 聞いた、皆言っていた、でもロディさんの一家でしょう? あとは……目つきの悪い小男がいたとか言っていたくらいで、あ、まさか、まさかその小男っていうのが……」
アルエは少しだけ身体を揺らし、凄絶に整った笑みを見せた。
「というわけで、君は魔女になれないね、不合格」
少女はわななきながらも、押し花の貼られた紙をかき抱いて主張する。
「そんな、簡単に決めないでよ、こうして真実に迫ったのですから――」
「その押し花は君の勘違いだよ。他の人にはあまり魔女について話さないほうがいいよ。ろくな事にならない」
アルエは四方に大きく開いた窓枠に足を掛けると、もう少女へ振り返ることもなく、夕方の暗い曇天の中へ飛び立った。




