同じ世界から
通信具から声が消れると、小部屋の中が急に静かになった。
自分以外にも、この世界へ来たVAのプレイヤーがいる。《星骸炉心》を攻略したあとに現れた者が、ほかにもいるらしい。そして、元の世界へ帰った者はいない。
知りたかったことはいくつか分かった。けれど、分かったからといって安心できる内容ばかりではなかった。
「終わったか」
扉の外で待っていたガルドが入ってくる。
「はい」
「聞きたいことは聞けたか」
「……少しだけです」
「なら十分だ。全部一晩で分かると思うな」
その通りだった。聞きたいことはいくらでもある。けれど、今日一日で起きたことすら、まだ整理しきれていない。一晩ですべて理解しろという方が無理なのだろう。
「明日は日が昇ってから出る。街道の中継所まで、うちの者を二人つける」
「ヴィルサの人とは、そこで?」
「ああ。向こうから迎えが来るそうだ」
ガルドは通信具を確かめながら答えた。
「来るのは、お前と同じ来訪者らしい」
「……来訪者?」
思わず聞き返す。
「詳しいことは知らん。俺に聞くより、本人に聞いた方が早いだろ」
それだけ言うと、ガルドは通信具を止めた。
明日、自分以外の来訪者に会う。同じVAを知っている人間。その事実だけは、通信で聞くよりもずっと現実味があった。
その夜は巡視詰所で食事を取り、空いている寝室を借りることになった。
簡素な寝台へ横になっても、すぐには眠れなかった。天井を見上げながら、通信で聞いたことを何度も思い返す。
自分だけではない。それでも、ここへ来た理由も、帰る方法も分からない。その事実は何も変わっていなかった。
考えても答えは出ない。やがて身体の疲れの方が勝ち、いつの間にか意識が落ちていた。
翌朝。
目を覚まして最初に困ったのは、髪だった。
「……長い」
寝台から身体を起こすと、淡い色の髪が肩から胸元へ流れ落ちる。
ゲーム画面では何度も見ていた。キャラクターを作ったとき、自分で選んだ髪型だ。けれど、自分の頭から生えているとなると話が違う。
指を通してみる。寝ている間に少し乱れた程度なのだろうが、それでも長い髪をどう扱えばいいのか分からない。昨日までは、ここまで意識する余裕すらなかった。
とりあえず手櫛で整えながら部屋を出ると、廊下の先でリネットと鉢合わせた。右腕と脇腹にはまだ包帯が巻かれている。
「おはようございます、タマキさん」
「おはようございます」
リネットはそう返したあと、自分の顔を見て、それから髪へ視線を移した。
「……髪、ほどけてますよ」
「やっぱり分かりますか?」
「分かります」
少し笑われた。
昨日使っていたリボンは外して、今は手に持っている。結び直そうとはしたが、鏡もない状態で長い髪をいつもの形へ戻すのは、思っていた以上に難しかった。
「自分でやったことがなくて」
口にしてから、妙な言い方だったと気づく。この髪型を選んだのは自分だ。それなのに、自分の髪を結った経験は一度もない。
リネットは特に気にした様子もなく、首を傾げた。
「よければ、やりましょうか?」
「でも、腕……」
「このくらいなら大丈夫です」
そう言って右腕を少し上げようとし、すぐに顔をしかめる。
「大丈夫じゃないですよね」
「……左手なら」
「僕も手伝います」
詰所の洗い場を借りることにした。
顔を洗い、寝癖を水で整えてから、リネットに言われた通り左右の上側の髪を取り分ける。
「その辺りです。もう少しだけ後ろへ」
「こうですか?」
「はい。そのまま押さえていてください」
言われるまま、両手で取り分けた毛束を押さえる。リネットは左手を中心にその毛束を後ろでまとめ、昨日使っていた黒紺の細いリボンを結んでいく。
右手を使えない分、少し時間はかかった。それでも最後には、取り分けた髪が後ろでまとまった。
洗い場の水面を覗き込む。揺れる自分の顔の横に、黒紺のリボンが見えた。
ゲームで何度も見ていた、いつものタマキの髪型だった。
「これで大丈夫です」
「ありがとうございます」
「でも、覚えた方がいいですよ」
「……そうですよね」
これから毎朝誰かに頼むわけにもいかない。少しずつ覚えるしかなさそうだった。
朝食を終える頃には、詰所もすっかり動き始めていた。中庭では巡視員が装備を確認し、荷物を積んでいる。
リネットも町まで送ってもらうことになっており、中継所までは同じ道を進むらしい。
「準備はできたか」
ガルドがこちらを見る。
「はい」
「お世話になりました」
頭を下げると、ガルドは少しだけ眉を上げた。
「まだ一日しかいないだろ」
「それでもです」
目を覚ましてから、何も分からない自分を拾い、食事と寝床を用意し、ヴィルサへ連絡してくれた。短い時間だったとしても、助けられたことに変わりはない。
「……そうか」
ガルドはそれだけ答えた。
「なら、気をつけて行け」
詰所を出て、街道を進む。
昨日は周囲を見る余裕などほとんどなかったが、明るい中で歩いてみると、道は思っていたよりきちんと整備されていた。轍の跡が何本も残り、時折、荷車や馬車とすれ違う。
見た目だけなら、ファンタジーゲームの街道そのものだ。けれど、荷車を引く家畜の息遣いも、車輪が土を踏む音も、道端に生えた草の匂いも、画面越しだった頃とはまるで違う。
「タマキさん」
隣を歩いていたリネットが声をかけてくる。
「はい?」
「昨日の話、どうでした?」
「ヴィルサとの通信ですか」
「はい」
少し考えてから答える。
「分からないことが増えた気もします」
「増えたんですか?」
「他にも僕と同じような人がいるって分かったので。その人たちがどうしてここへ来たのかとか、今どうしてるのかとか」
「なるほど……」
リネットは納得したように頷く。
「でも、会えるんですよね?」
「今日、迎えに来る人も来訪者だそうです」
「なら、聞けるじゃないですか」
簡単に言われて、少しだけ笑ってしまった。
「そうですね」
何を聞けばいいのか。聞きたいことは多い。
VAでは何をしていた人なのか。いつここへ来たのか。この世界でどうやって暮らしているのか。
そして――帰る方法について、本当に何も分かっていないのか。
頭の中で質問ばかりが増えていく。
しばらく街道を進むと、前方に建物が見えてきた。街道沿いに設けられた中継所らしい。
詰所ほど大きくはないが、荷車を止められる空間があり、軒先では何人かが休んでいる。
「ここだ」
同行していた巡視員の一人が言った。
中継所へ近づくにつれ、人の姿がはっきりしてくる。その中に、一人だけこちらを見ている男がいた。
黒に近い灰色の長髪を、襟足でひとつにまとめた男だった。細いスクエア眼鏡をかけ、服装は暗色で飾り気がない。
目が合うと、男は壁から背を離し、巡視員の前まで歩いてきた。
「巡視隊だな。ここまで助かった」
「ああ。ヴィルサの迎えか?」
「そうだ。ここからは俺が引き継ぐ」
巡視員へ答えてから、男はこちらへ視線を向けた。一度、顔を確認するように見てから口を開く。
「君がタマキか」
「はい」
名前を呼ばれ、少し身構える。
男はその様子を見て、わずかに眉を上げた。
「まあ、初対面ならそんなものか」
気にした様子もなく、軽く手を上げる。
「ヴィルサのレイズだ。迎えに来た」
「レイズさん……」
「ああ」
「あなたも、来訪者なんですか?」
「ああ。俺もそうだ」
通信越しではない。
自分と同じ世界から来た人間が、目の前にいる。
分かっていたはずなのに、実際にそう言われると、何を返せばいいのか分からなかった。
「……本当に、いるんですね」
思わず漏れた言葉に、レイズは少しだけ目を細めた。
「いる。君だけじゃない」
その一言が、昨日通信で聞いたどの説明よりも、はっきりと胸へ落ちてきた。




