サクラ・バートリッチの秘密
《天海聖暦750年》
南の隣国『ビルト王国』では政情不安と深刻な食糧不足が発生していた。病弱なステファン・ビルト国王は国政から離れた。強硬な武闘派の貴族組織と軍がバックのシャーク第一王子派と温厚な人柄で庶民に人気な穏健派と呼ばれるマルク第二王子派の意見が対立していた。
対立するマルク第二王子の意見を無視した武闘派がグリンジ王国の農地を奪おうと度々ゲリラ部隊で攻めてきて国境付近で戦が起きた。グリンジ王国では、50年も続いたビルト王国との漁業権を巡る紛争で国が存亡の危機に陥ったあの苦い経験をまた繰り返すことになるのかと大問題となった。
そんな中、マルク第二王子からグリンジ国王宛ての親書が届いた。
内容を抜粋要略すると
◦我が国が貴国に対して大変失礼な行為を行ったこと、深くお詫び申し上げます
◦そんな状況で、厚かましいお願いをさせていただきますことをお許しください
◦我が国の食糧不足はとても深刻で、国民の半数は餓死寸前の状態です
◦原因は農業や畜産の政策失敗と魚介類の漁獲量の減少が重なったものです
◦兄のシャーク王子は貴国からの食糧支援をお願いする進言を拒否しました
◦私の全財産を担保に穀物などの食糧支援をお願いします
◦プライドの高い兄の手前、表向きは金で売った事にしてください
◦食糧不足の根本的な解決をする為に農業技術支援をお願いします
◦その為に、農業技術研修生の受け入れをお願いします
この内容にグルンジ王国議会は紛糾した。
「まったく虫のいい話だ」
「話にならん、無視しろ」
「国境付近の軍隊の数を増やせ」
こんな意見が大勢を占める中、アントーニ公爵家が反対意見を出した。
「マルク第二王子の願いを聞いてあげましょう」
グリンジ王国も深刻な食糧不足に陥り大変な時期があった。今のビルト王国の辛さは我々国民も他人事ではない。食糧の問題は戦ではなく食糧で解決する。強い思いを伝えて議会をまとめた。
まず、〔マルク王子購入食糧〕と書いた旗を立てた荷馬車で国境から堂々とビルト王国へ食糧を運び入れる。当然、国境にはマルク王子に来てもらう。それで食糧を売ってくれたグリンジ王国に攻め入る口実がなくなる。次に農業技術研修生の受け入れは、相手側の自然環境を調査してから研修生に教える内容を決める。その為にも優秀な調査員を隣国の農地に派遣する。これらは、アントーニ公爵家のリーナとジャン・リュックの新婚夫婦が考えた案だ。
ビルト王国への食糧支援は、天海聖暦750年に3回、751年に2回行われた。国内情勢が落ち着いたとのマルク王子からの報告を受け、751年末に調査団を派遣した。
調査団の団長に選ばれたのはガーリー・バートリッチだ。シマモト・ヨシオが設立した植物研究所の最も優秀な研究員だ。ガーリーの妻アリスも同じ優秀な研究員だ。アリスの同行を最初は断ったガーリーだったが、熱意に負けて5人の調査メンバーの1人に加えた。
1ヶ月に及んだ調査は順調だった。アリスは、農業に適した良い土地が多くて驚いた。特にビルト王国の南部に広がる平坦な土地は水が豊富でグリンジ王国のどの農地よりも素晴らしい環境、そして広大だ。農業の知識と技術を習得すれば、先は明るい。
少し小高い丘から広がる大地をアリスが感動して眺めている横で、団長のガーリーがマルク王子にこれまでの調査結果を説明していた。
「こんな素晴らしい農業に適したところは見たことがありません」
暖かい気候と、肥沃な土地、豊富な水源、我々の技術を活かせば、ビルト王国の農業は飛躍的に発展する。例えば、米は二毛作も可能。小麦、とうもろこし、芋に葉物野菜もかなりの収穫が見込まれる。2日前に本国に送った報告内容と同じ説明をした。
「ありがとう、こんなにも明るい未来を想像できるとは嬉しい」
「帰国しましたら、研修内容を詰め、こちらに派遣する現地指導者も探しておきます」
調査団とマルク王子が農作予定地を眺めている背後に、剣を持った一団が迫っていた。
「シャーク王子のご命令だ、覚悟しろ」と叫び斬りかかって来た。マルク王子の護衛兵が剣で簡単に制圧したが、低木の影に隠れていた一団が槍で襲って来た。これも護衛兵が制圧したが、かなり強そうな2人が残った。1人は王子の方に護衛兵を跳ね除け向かった。王子は心臓めがけて差し込まれた槍先を左のわきの下で挟み、相手の胸に剣を刺して難を逃れた。
もう1人はアリスの方に向かっていった。それに気が付いたガーリーは「アリス危ない!」と叫びながらアリスを庇うように抱きついた。しかし、賊が突いた槍はガーリーとアリスを同時に貫いてしまった。2人は抱き合ったまま果てた。
「なんてことだ……」
賊は護衛兵がすぐに取り押さえた。尋問する為に殺さないように指示した。我が国の為に派遣してくれた優秀な研究員を守る事が出来なかった。これは両国間で大問題になる。戦争になる可能性もある。自分の命をかける覚悟でグリンジ王国に向かわねばならない。その前にやるべきことがある。
捕らえた賊を尋問した。帰国の準備の為に現地の視察説明に同行せずに無事だった3人の調査員を証人として立ち会わせた。ビルト王国に伝わる赤トカゲとハキダシ草から作る自白薬を水に溶かして飲ませた。
「抹殺命令を出したのは誰だ、シャーク王子か?」
「違う、シャドー・スパイダー・コヴェンの幹部の指示だ」
「うっ あの蜘蛛、SSCの奴らか。こいつの尻を確認しろ」
「ああ、ありました。蜘蛛の入れ墨がありました」
「何故、兄のシャーク王子の名前を出した」
「暗殺に失敗しても、兄弟対立を煽れるからだ」
この自白内容を得て兄のシャーク王子と会った。兄は弟のマルクとの会談前に、信頼していた過激派の貴族リーダー2名と将軍補佐1名を自白薬を使って尋問をしていた。その3人はいずれもSSCと繋がっていた。『第二王子が王の座を狙っている、国の混乱を企てている、隣国のグリンジ王国がビルト王国の農業の知識人を誘拐している』これらの嘘をSSCの指示でシャーク王子に流していた。マルクが国民の為に隣国から大量の食糧を運んでいる姿勢を見て弟を誤解していたと気づき始めたところだった。
「マルク、悪かった。全て私が悪い、騙されていた」
「悪いのは、SSCです。巧妙な罠です」
「しかし、グリンジ王国の視察員の件、大変な事になったな。全て私が責任をとろう」
「いえ、守れなかったのは私の甘さが原因です」
兄には、第一王子として、次期国王として、他の裏切り者をあぶり出し、国内をまとめることで責任を取ってもらうことを約束させた。
ガーリーとアリスの遺体は豪華な棺に納められ、国王の葬儀に使われるような立派な荷車に乗せられた。3人の調査員は豪華な馬車を用意した。馬に乗ったマルク第二王子を先頭にした一行は国境を通過し田舎道を抜け、ついにグリンジ王国の湾岸都市である王都ラグールに入った。街頭で一行を眺めていた人々は、先頭の馬に乗ったみすぼらしい庶民の服を来た男が王子とは誰も思わなかった。
1人の護衛も付けずに王城へ通された。議会中のグリンジ国王に兄のシャーク第一王子の親書を渡してもらうようにお願いした。控えの間で待てと言われたがなかなかお呼びがかからない。窓の外はすっかり日が暮れ、待ちくたびれたころに迎えが来た。案内された議会室は、焦げ茶の巨大な楕円型テーブルが1つ、そこに王族・公爵が座る椅子が20程配置されていた。国王の真向かいの椅子に座るように指示された。緊張と恐怖で身体が震えた。
「ワシがグルンジ王国、第17代国王のバール・ファン・グルムじゃ」
「わわ 私は、ビルト王国第二王子マルク・ビルトでございます」
「ところでその服装はなんじゃ」
「はい、私なりのケジメです」
調査隊に派遣していただいた貴国の大切な研究員を守れなかったのは私の責任、自分の甘さのせいだ。王子として失格、私に立派な衣装は似合わない。貧相な服装でこの場にいる無礼を詫び、自分の命と引き換えにビルト王国の支援を続けて欲しいと嘆願した。
「対立していると聞いたが、仲が良い兄弟じゃ」
兄のシャーク第一王子からの親書には、SSCの画策に騙された私の責任、弟には責任は無い。自分の命を含めて全ての責任をとる。弟の希望した支援を継続して欲しいと書いてあった。
「これからビルト王国を守っていく立場の王子達が、軽々しく自分の命で責任を取るなどと言うてはならぬ」
「……」
「心配するな、支援の継続をさせてもらうぞ」
「しかしそれでは我が国は責任も取らず、貴国にはメリットが無く申し訳ありません」
「グルンジ側にも責任はある」
刺激をしない事を優先して、グルンジ王国の護衛兵を付けずに護衛はマルク王子に丸投げして送り出したのは判断ミスだった。
「それから、責任と補償はしっかりしてもらう」
バール国王が右手を上げると、3人の男女が議会室に入って来た。ビルト王国へ派遣された調査団で無事だった研究員達だ。それぞれ得意の専門分野がある。
「そなたと同行した調査員だ、彼らから詳しい報告を聞いていて遅くなった」
「とんでもありません」
「説明せよ」
土壌改良が専門のゲオが見つけたのは、南の広大な農地予定地の少し西側の土地の地質の良さだ、そこの土をほんの少し農地に撒いただけで土壌改良になる。
肥料の専門家のサリルは、湿気が多い広大な林の中に落ち葉や獣の糞や虫の死骸が何百年に渡り堆積して堆肥になっている場所を見つけた。この堆肥を少量、普通の肥料に混ぜただけで植物の生育に凄い効果を発揮する。これらを利用することで、農地の年内の転作、二毛作、三毛作が可能になる。
ダリは水質研究の専門家だが鉱物の研究者でもある。10年前にグルンジ王国の南側の火山近くで青紫に光る拳大の鉱石が発見された。この鉱石を粉末にして刃物を作る材料に少量混ぜるだけで抜群の切れ味の刃物類に仕上がる。凄い鉱石だと分かったが発見されたのはその鉱石1個のみだった。ダリは、青紫鉱石はビルト王国側の火山近くにあると考えていた。考察通り、山一面の岩肌が青紫鉱石で光っている場所を見つけた。
「これらの土、堆肥、青紫鉱石を必要量だけ10年間無償提供することが支援の条件じゃ」
知識不足で利用していなかった物資を提供することなど問題では無かった。こちら側に引け目を感じさせないために考え出された支援策だと思った。マルク王子は感謝の思いで目頭が熱くなった。
「ありがとうございます。正式な調印は、兄が国内を落ち着かせてからになります」
「それで依存はない。SSCの裏に誰がいるのか知らないが、阻止出来て良かったな」
「はい」
ボロボロの庶民服を着て、詫びの気持ちを示すパフォーマンスをした自分が恥ずかしくなった。酷い茶番劇を演じてしまった。
◦◦◦◦◦◦
アントーニ公爵邸に来客があった。
「リーナ様、アリス・バートリッチの母親と名乗る方が訪ねてきました」
「すぐ通しなさい、こちらに案内して」
ビルト王国で亡くなったガーリー・バートリッチは、リーナの推薦で派遣された。調査隊のメンバーはガーリーに一任した。妻のアリスも一緒に同行していたが、夫婦同時に凶器の刃に倒れたと聞いてショックだった。派遣した責任も感じていた。
「私はアリスの母親のセリラ・カルミンと申します」
赤子を抱いたその女性の名前を聞いたことがある。
「あなた、もしかしてシマモト先生の研究所にいらしたセリラさん?」
「そうです、救世主シマモト様の研究所でお世話になっておりました」
「先生が一番優秀な弟子が家庭の都合で退職されたと残念がっていたのを覚えています」
------------
シマモト・ヨシオは、救世主として感謝され勲章を授与され伯爵の地位を与えられた。大豪邸の建設は辞退し、郊外の森林地帯に植物研究所を建てた。その一角に別荘のような作りの部屋を作った。隣には研究員の宿泊設備も建てた。研究に没頭したいシマモトにとって居心地が良かった。研究が進むにつれ研究所が手狭になり、別な場所に第二、第三の研究所を建て、研究所間を渡り歩いて研究を楽しんでいた。
植物の研究に興味があったセリラは16歳で第一植物研究所の門を叩いた。19歳で先輩の研究員より先に第一研究所の所長となった。彼女の研究成果は凄まじく、シマモトから君は天才だと驚かれた。シマモトは女性研究員の憧れだった。シマモトに恋のアタックする女性も現れた。しかし、シマモトは転生前に最愛の妻を亡くしてからは恋愛感情を無くしていた。いや封印していた。女性の間では、もしアタックに成功しても救世主のシマモト様を独占してはいけないとの不文律まで出来ていた。
所長となったセリラとシマモトは夜遅くまで一緒に研究をする時間が増えた。その時間はとても楽しく、2人が男女の関係になるのは自然の流れだった。所長になって2年間、セリラはとても幸せだった。
至福の時は突然終わりを告げる。「家庭の都合で、研究所を退所します」と涙を流しながらシマモトに伝えた。理由を話して欲しい、何でも支援するからと引き止められたが、逃げるように研究所を去った。
この時セリラはシマモトの子供を妊娠していた。シマモトからこの世界で転生者が子供を持つのは不安で作る気持ちは無いと聞いていた。しかし、セリラは愛するシマモトと別れても彼の子供を産みたかった。密かに子供を産み、研究成果が認められて得た多額の報奨金を使いラグール郊外の小さな一軒家を購入し1人で子育てをした。残った報奨金が多額で生活に困る事は無かった。
------------
「あなたとシマモト先生の子供が成長したアリス・バートリッチなのね」
「私に似て、植物が大好きで夫のガーリーと競って研究をしていました」
「あんな悲しい事になって申し訳ない。ガーリーを視察団に推薦したのは私なの」
「誰の責任でもありません。お願いがあります」
アリスが突然亡くなり、怖くなったセリラはここを訪ねた。それは救世主シマモトの血筋を絶やしてしまうのではと心配になった。正直にシマモトに話さなかった後悔が湧いてきた。無断で救世主の子供を産んだ私はどう断罪されても構わない。しかし、この子の保護をお願いしたい一心で訴えに来たのだ。
「その子は、もしかして…」
「アリスとガーリーの子供です。この子を保護してください」
救世主の孫となると、リーナの一存では済まない。セリラを公爵邸で待たせ、国王に相談する為に登城した。驚いた国王だったがリーナの強い願いで、セリラを罪に問わない判断が下された。しかし公にできないので、王家とアントーニ公爵家の秘密にし、その子は、長女マリーを産んだばかりのリーナが一緒に育てることが条件とされた。秘密の漏洩を防ぐために祖母にあたるセリラも侍女としてアントーニ公爵家に使えることになった。
「ありがとうございます。感謝しきれません」
王城から戻ったリーナから聞かされた国王の決断にセリラは涙して喜んだ。
「ところで赤ちゃんの名前は?」
隣国へ出発する前に娘夫婦が赤子の面倒を見てもらうためにセリラの家にやって来た。名前を聞いたが… 危険が伴う視察と覚悟していて、「帰ってから名前を付けてあげるの、それが無事に帰って来るおまじないなの」とアリスが言った。「花の名前を幾つか考えているわ」これが娘の残した最後の言葉だった。
「リーナ様、名前を付けてください」
「あなたが付けなくていいの?」
「これから、母親代わりになっていただくリーナ様にお願いいたします」
「分かったわ、花の名前ね」
しばらく赤子をあやしていると、にっこりと笑った頬が薄いピンク色に染まった。
「決めましたわ! サクラ、サクラにします」




