花の咲く場所
村を出て、どれくらい歩いただろう。
どこに向かっているのか、当面の目的地すら俺は知らない。ただ、前を歩く静かな背中を、見失わないように必死に追いかけているだけだった。
「あの……」
土煙の舞う道を歩きながら、何度か声をかけようとして、そのたびに口をつぐんだ。
なんて呼べばいいのか分からないからだ。
あの人は、俺が後ろで勝手に戸惑って歩調を乱していても、振り返りもしない。ただ、一定の歩調だけは崩れなかった。
さらに数時間ほど歩いた頃、荒涼とした風景がふいに途切れた。
視界が開けた先に広がっていたのは、一面の花畑だった。くすんだ灰色の世界の中で、そこだけが異常なほど鮮やかに赤や青の色を揺らしている。
「綺麗ですね」
俺は、自分でも驚くほど明るい声を出した。
「これなら……世界も、悪くないかも」
昨日見た焼け跡に意識を持っていかれないように、俺は必死に目の前の花へ希望を探した。
だが、あの人は花畑を一瞥しただけで、立ち止まりもせずに言った。
「昔の激戦地で、大量の死体の養分を吸って繁殖する固有種だ」
冷や水を浴びせられたような事実だった。
足元に広がる美しい絨毯が、数え切れないほどの死体の上に成り立っている。
俺は両手で強く拳を握り、息を吸い込んで、無理やり口角を吊り上げた。
「……じゃあ、亡くなった人たちが、今生きてる人たちに見せるために咲かせてくれたんですね」
頭の悪い子供の強がりだ。
それでも、あの人は振り返らなかった。否定も、肯定もしない。
ただ、俺を置いていくように進んでいたその足が、ほんの少しだけ遅くなった気がした。
花畑を抜け、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ頃、俺は思い切って口を開いた。
「あの……なんて呼べば、いいですか」
あの人は足を止めず、少しの間を置いてから答えた。
「ラエル」
それだけだった。由来も、意味も説明はない。
「……ラエル、師匠?」
「師匠はいらない」
「じゃあ、ラエルさん?」
「好きにして」
相変わらず平坦な声だった。
俺は口の中で「ラエル」と何度か繰り返してみる。普通の名前じゃない響きだと思いながらも、それ以上は聞かなかった。
日が落ち始め、街道沿いの荒野で野宿の準備に入った時のことだ。
ラエルさんが手元の空間をわずかに歪ませたかと思うと、どこからともなく鉄の鍋や調理器具が現れた。
「それも、魔法ですか?」
「私の能力だ」
ラエルさんは淡々と火の支度を始める。
「能力……?」
「誰もが一つだけ持って生まれる才能のようなものだ。見つけられるかは自分次第。気づかないまま一生を終える者もいる」
「へえ……! 早く見つけたいな。でも、能力を使わなくても魔法は使えますもんね!」
「ああ。まずは属性の相性を試そう」
ラエルさんが俺の隣にしゃがみ込み、俺の手のひらに自分の手を重ねた。
ひんやりとした体温と一緒に、得体の知れないエネルギーが体の中に流れ込んでくるのが分かる。
「水、風、土……」
ラエルさんが小さく呟きながら魔力の波長を変えていくが、俺の手のひらからは微風が起きたり、砂粒が数個浮かんだりする程度で、どれも微妙な結果だった。
「残るは、炎か」
ラエルさんがそう言って魔力の質を変えようとした、その瞬間だった。
頭の中で、「熱」のイメージが勝手に弾けた。
ラエルさんが説明するより早く、俺の視線の先にあった薪が、ボワッと爆発的な勢いで燃え上がったのだ。
「うわっ!?」
顔を焼くような熱気に、俺は思わず後ろに尻餅をついた。
ただの火じゃない。パチパチと音を立てて荒れ狂っている。
「け、消さないと!」
慌てる俺の横で、ラエルさんが指先から水を放った。
シュッ、と鋭い音がして水が炎に直撃する。だが――火は消えなかった。水は触れた瞬間に蒸発し、勢いを失っただけだった。
「……随分早く分かったじゃないか」
ラエルさんは驚く様子もなく、むしろ観察するような目で俺を見た。
「落ち着け。顕現する工程を省略するだけだ」
「む、無理です! どうやれば――」
「手を出せ」
ラエルさんの手が、震える俺の手を包み込んだ。
冷たい魔力が腕を遡り、頭の中で暴れていた熱のイメージを静かに押さえ込んでいく。呼応するように、荒れ狂っていた炎がすっと勢いを失い、やがて完全に消えた。
後に残ったのは、半分炭になった薪と、静かな夜の空気だけだった。
「魔力とイメージの連結は悪くない。だが、制御が雑だ」
そう言って手を離すと、ラエルさんは何事もなかったように鍋の準備へ戻っていく。
その背中を見つめながら、俺はまだ速いままの鼓動を押さえた。
ラエルさんの名前を、心の中でもう一度だけ呼ぶ。




