15-1 花瓶地獄で、先生は芸術を見失いかけた
「ねぇ、那由多」
「なぁに、梨奈ちゃん」
向かい合ってお互いの顔を真剣に見つめ、画用紙に水彩絵の具を含ませた筆を走らせながら、私と梨奈ちゃんは名前を呼び合った。
「前にさ、やばいライングループの話したよね」
「覚えてるよ。有瀬くんの非公式ファンクラブみたいなやつだよね」
梨奈ちゃんの筆を持つ手が止まる。
もしや完成したのかな? やばい、私も頑張らなきゃ。
「あのチームの総長的な地位にいる奴から連絡あってさ」
「なんかチームとか総長とか梨奈ちゃんが言うと、暴走族っぽいね。総長さんがどうした?」
あ、絵の具が足りない。出すのめんどいなー、いっか、この色で。
「誰が族だ、タイマンで勝負すっかゴルァ……ってのは置いといて、そいつが那由多に会いたいんだって」
「そうなんだ。絶対イヤ、二度と関わりなんて持とうとせずこれからも平行線で生きてってくださいって伝えといてくれると助かるな」
ん? うっかり肌を紫に塗っちゃってたよ。うーん、何色を足したら誤魔化せるかな? ありったけ試してみるか。
「今日の放課後連れてく約束してるから、よろしくね」
「もー勝手だなー。わかったよ、城咲さんにお願いして一緒に来てもらうね」
髪はやっぱり緑かな。メデューサの髪色って緑緑してるイメージあるよね。
筆にたっぷり緑の絵の具を取り、画用紙に叩き付けたところで――その腕を掴まれた。
「お願いします、神様仏様那由多様……城咲明日香はやめて……城咲明日香だけは勘弁してください……」
見ると梨奈ちゃんが私の腕に縋り付き、泣きながら許しを乞うてきた。
と言われましても。
「だって行きたくないもん。きっといじめられるもん。怖いもん泣いちゃうもん」
「あたしも付いてくから! 那由多に変な真似させないから!」
「えー、梨奈ちゃん、有瀬くんのことになると簡単に寝返りそうだからなー。担保がほしいところだなー」
梨奈ちゃんに腕を掴まれたままだったので、私は筆を反対の手に持ち替えて絵の具を叩き込み始めた。急がなきゃ時間内に仕上がらない。
「タンポ……って何? 湯たんぽからお湯抜いたやつ持ってくればいいの?」
おー、さすが梨奈ちゃん! 素敵な答えをありがとう!
返却されたテストの点数で少し落ち込んでたけど、おかげで元気出たよ。
「約束を果たせなかった時に奪われる代償だよ。大切なものじゃなきゃダメだからね。さあ、何を差し出す?」
よし、こんなもんか!
どんどん本人と似ても似つかなくなっく気がするけど、今日は梨奈ちゃんが途中でモデル放棄したしこのくらいは誤差ってことでいいよね。
「…………あ、有瀬くんの、観察日記を」
「乗った! 交渉成立!」
梨奈ちゃんと固く握手を交わし合ったところで、チャイムが鳴った。
完成した絵を提出すると、受け取った先生は今日も泣きそうな顔をしていた。
フフフ、さては私の目まぐるしい上達に感動してるな? まさに芸術家って感じのちょっと偏屈そうな雰囲気してるけど、先生も実は私と同じで涙脆いタイプなのかも。
最初にテーブルに置いた花瓶を描いた時は、死んだような目で『あなたは何を描いたのですか? 心象風景としての地獄絵図ですか?』って冷たく言われて泣いちゃったけど、選択芸術、梨奈ちゃんと一緒に美術にして良かった。
今日もすっごく楽しく描けたし、ちょっとずつ上達してるなーって実感できて、満足感と達成感が心地良い!
相手に指定されたのは、千極高校から程近いカラオケ店だった。
この辺りはあんまり安くないからほとんど来たことなかったんだけど、パーティールームを貸し切っているらしい。
もちろん、不安がないわけじゃない。でも、梨奈ちゃんがそばに付いてくれている。
もしもの時は、茉絢に預けた有瀬くん観察日記を城咲さんに流すことになってるから、簡単には逃げられないはずだ。
我ながら非道なことしてるなーって思ってるよ。
でも私だって、身の安全のために最善を尽くしたいの。まだ十六になって十日も経ってないんだから、死んでる暇なんかないのよ! やりたいこと、行きたいところ、食べたいもの、まだまだたくさんあるんだから!
「お久ー、五十鈴。連れてきたよ」
「梨奈っち、久しぶり」
広いパーティールームの中で待ち受けていたのは、目をギラつかせた大人数の女子…………ではなく、たった一人の同年代っぽい女の子だった。
カットソーにデニムっていう私服だからどこの高校かわからないけど、あのライングループの首謀者なら私達と同い年、なんだよね?
「はじめまして、峯岸五十鈴です」
女の子はソファーから立ち上がり、深々と頭を下げた。
「どうも、柊那由多です……はじめまして」
平凡な自分らしく凡庸な挨拶をして、私もお辞儀を返した。
峯岸さんと名乗った女の子は、何というのか親近感を覚える雰囲気があった。
お手入れしやすい長さのロングヘアは私の目指すところで、ちょっとだけ私より目鼻口が大きく、ちょっとだけ私より肉付きが良く、身長は私より少し低いくらい。癒やし系とはまた違った落ち着きを感じる。
もしかしなくても、これは……。
「柊さんって、初対面って感じしないね。ワタシに似てる気がするからかな」
「あっ、私も思ったー。峯岸さんに会った瞬間、どことなくほっとするなーって感じてたの。ねえ、最近ドラマ観てる?」
「あー、観てないねー。何か惹かれるのがなくてさ。似たりよったりじゃない? CMだけでお腹いっぱいになっちゃった。一応全部一話だけはチラ見したんだけどね」
「わかりみ。『部下に恋しちゃいけませんか?』とか、『年下男子とOL、時々LOVE』とキャストもダダ被りじゃんねー。だったら『年時』の続編作ってくれたらいいのに」
「全ワタシが全同意。映画は? ワタシ『100回目の恋物語』観に行きたいんだけど、時間取れなくてさー。最後に映画館で観たのは『ライムグリーンの憂鬱』……ってもう二年も映画観に行ってないのかぁ」
「それならオンチケで観たらいいじゃん? 私は金欠だから大体レンタル待ちだよ。あ、せっかくカラオケにいるんだし、恋愛ソング歌わない?」
「いいねいいね。じゃあミニラルルル60の『ハピハピ☆パラパラ☆パラダイス』の練習させてもらっていい? あれ歌もいいけどダンスも可愛いんだよねー。動画観まくってるけど、見てるだけでキュンキュンして、恋したーいってアガる!」
「ミニロクいいよね! メンバー全員可愛すぎるし、私も全曲好き! 私は最近、砂鳥優の『君にバニラ』にハマって無限リピして超聴いてる。メンズサイドの愛しみこもった歌詞にギュッてなるんだよねー。むしろギュッてされたい」
「おい、お前ら、あたしの存在忘れてるよね? いきなり意気投合しとるやないかい。あたし、いらんかったやろがい。てか五十鈴、とっとと用件済ませぇや」
二人でタブレットのリモコンを手にしたところで、梨奈ちゃんがやや般若化した状態で割り込んできた。
そうだ、楽しく歌ってる場合じゃなかったんだ!
「…………梨奈っち。申し訳ないけど、ちょっと席外してほしい。柊さんと二人で話したい」
いきなり真顔になった峯岸さんが、固い声音で告げる。
「え、でも那由多……」
「大丈夫だよ」
戸惑う梨奈ちゃんに、私は笑って答えた。そして立ち上がってそばに寄り、耳元に囁く。
「例のブツは返却するよ。茉絢にも伝えとくから、取りに行って。茉絢の家は知ってるよね? ほら、早く行かなきゃ。大事なものなんでしょ?」
梨奈ちゃんはそれからも数分迷っていたけれど、ついに諦めて後ろ髪を引かれるようにして出て行った。
何だかんだで友達思いなんだ、とわかると不覚にも涙が出そうになった。
こうして、パーティールームには私と峯岸さんの二人きりになった。




