13-9 民家に現れた熊「お腹が空いてただけなんです」
今日はいつもより一時間ほど早く終了したので、真央さんが自分の食事ついでに私にも奢ってくれるそうだ。
そこまで甘えていいのかなぁと遠慮する気持ちはあったけど、有無を言わさず連行されたからお断りしようにもできる状況ではなかった。
繁華街を通り過ぎて、暗いビルが立ち並ぶ一角に、隠れ家的なそのお店はあった。
「わぁい、焼肉なんて何ヶ月ぶりだろ!」
「好きに頼め。家の人には伝えたんだろうな?」
「はい、今夜こそ夕飯いらないって言っときました!」
最奥にある広い個室スペースに真央さんと腰を落ち着けると、私は鼻歌混じりに手渡されたタブレットを受け取ってメニューを開いた。
するとノックと共に扉が開き、見るからに格闘技やってました感満載の厳ついオッサンがのそりと顔を出す。
「えらい若いの連れてるけど、真央ちゃんの愛人? ダメだよー、さすがに自分とこの生徒さんに手を出しちゃ」
厳ついオッサンはレモンの輪切りが入った水とおしぼりを並べながら、笑い混じりに尋ねた。
「中坊に手出しするほど腐ってねぇわ。これでもれっきとした高校生で、息子と同い年だ。ついでに言うと、息子の彼女だ」
二人の砕けた物言いから窺うに、お友達同士らしい。一応、軽く会釈だけしておいた。
ふーん、ここ真央さんのお友達のお店なんだ。格闘家の人って、何故か焼肉店やりがちだよね。お肉大好きな人が多いからかな?
「へえ、あんなに小さくて可愛かった息子さん、いつの間にか彼女作っちゃうような年齢になってたんだ。時が過ぎるのは早いねぇ。そろそろまた連れてきてよ。もう時効でしょ?」
「断る。お前、どうせまたウザ絡みするだろ。今じゃ俺よりでけぇんだから、次は腕食われるくらいじゃ済まねえぞ」
ん? 何か今、不穏な会話が聞こえたような?
「あはは、そりゃ怖いや。あの時に比べて俺も大分衰えたし、腕二本でも満足してくれないかもねー。じゃ、ごゆっくり」
「あ、あのっ、待ってください!」
思わず、私は厳ついオッサンを呼び止めた。
「…………カルビ二皿とハラミ二皿とライス大、先に注文していいですか……?」
勇気を出して言ったのに、何故か真央さんは額を押さえて溜息を吐き、オッサンは大笑いしていた。
何よ何よ、焼肉屋で焼肉を注文して何が悪いっていうの!?
厳ついオッサンはこのお店の店主で、店名と同じ、柳家さんというらしい。真央さんの同期で、格闘界から退いた後にこのお店を始めたそうな。
で、オープンして間もない頃に真央さんが家族揃って初めて来店した時に、息子が柳家さんの腕の肉を噛み千切ったんだってさ。
その理由、『とてもお腹が空いているのに、自分を抱っこしたおじさんがいつまでも離してくれなくて、ご飯も出てこないから、そばにあったお肉を食べようとした』――以上。
気持ちはわからなくもないけどさぁ……動機が雑すぎん?
民家に迷い込んで家人と遭遇した熊の言い分じゃん。
ちょこっとグロな話だったけど、真央さんがあまり詳細を語らなかったおかげで、食欲が失せるというほどではなかった。
カルビ美味しい。追加しよ。
「まぁ……何というか、そういうバカなガキだったんだよ。病院で診てもらった方が、とかいう奴もいたが、志貴が猛反発したんだ。周りに比べて成長が遅いだけだって、この子は表現が不器用なだけで、ちゃんと感情も痛みも持っているって……実際その通りだったんだが」
「真央さん、そのお肉いらないんですか? いらないんですね、もらいますね」
網の上のお肉をトングで取って、ひょいぱくと食べる。
「お前、人の話聞いてんのか?」
「聞いてますよ。聞きながら食べてるんですよ。真央さんも食べなきゃ、いつまでも空腹解消されませんよ? 腹が減っては戦も話もできませんよ?」
私が言うと、真央さんはようやくお肉に箸を付け始めた。
突っ込んで聞く気はない、とは言ったけれど、語って聞かされるなら話は別だ。ちゃんと聞かなくては、失礼になる。
真央さんの話によると、留佳と名付けた息子は赤子の頃からとにかく感情の起伏が薄く、赤子から乳児、乳児から幼児になっても物心がついているのかも定かじゃないほどぼんやりした子だったらしい。
だからといってなすがままされるがままというわけではなく、我慢の限界を超えれば大人の腕だって噛み千切るし、同年の女の子に拳を叩き込むし、下手をすると人を殺しかけたことだってあるという。
真央さんがちょっと変だと気付いたのは、我が子が三歳の時。
暇を持て余して家を抜け出した彼が一人で遊んでいた公園で、悪戯目的で近付いてきた変質者を滑り台から突き落とした事件がきっかけだった。
その理由、『帰りが遅くなると父に怒られて、面倒臭いことになるから』――以上。
変質者は落ち方が悪かったようで、滑り台の階段に体のあちこちをぶつけて何箇所か骨折して失神した状態で発見されたものの、運良く死ななかったらしい。けれど、怒り狂った志貴さんが殺しそうな勢いだった……とか何とか。
「ウチの子が可愛すぎるからだっつって、あれから外に出す時は常にマスクを着用させるようになったんだ。過保護なんだよ、あいつは」
真央さんはうんざり顔してるけど、志貴さんグッジョブだよ。有瀬くん、ちっちゃい頃も超綺麗だったし、ほっといたら今頃百人くらいに誘拐されてたんじゃないかな。
常にぼんやりしていて、しかし急にとんでもないことをやらかす――何故息子がこうなのか、真央さんと志貴さんは二人で何度も我が子と対話を試み、懸命にその心を覗こうと奮闘した。
そこで得られたのは、意外なようで当然のような結論だった。
「あいつ、自分のことにほとんど興味がなかった。生理的欲求しか持ってねぇ、獣の子みたいなもんだ。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか寂しいとか好きとか嫌いとか、そういうもんをちっとも理解してなかった。で、志貴は教えたんだ、まずは手始めに恐怖ってやつを」
「あー、閻魔さん……」
真央さんが頷く。
なるほどね……一番最初に叩き込まれた恐怖が閻魔さんだったのか。そりゃ人に伝染すほどのトラウマにもなりますわ。
危機回避にも繋がる恐怖を教えられたことは、大きかった。おかげでぼんやりしてばかりの息子も、痛いところがあったり怪我をしたり、具合が悪かったりしたら、自己申告できるようになった。
しかし、ここから次が続かなかった。




