11-11 心臓とママに殺されかかった夜
「じゃーな、柊。あんまり生き急ぐなよ? 命あっての桃達だかんな!」
改札機を通ろうとしたところで、八重樫くんが手を振って言う。
命あっての物種……って言いたかったのかな。バンコー生なのに、ほんとに頭悪いんだ。下には下がいるもんなんだね。
ほんの少しだけ、生きる勇気をもらえた気がするよ。
久月くんは八重樫くんに白けた目を向けてから、こちらを見て微笑んだ。
「今日買ったスリッパ置いとくから、また遊びに来てね。それから……留佳のこと、任せたよ、那由多ちゃん」
「任された。言ったからには実行あるのみだからね。久月くんが安心して眠れるよう、この柊那由多、精一杯尽力します」
「言ったな? 嘘ついたら、どうなるかわかってるよね?」
「ううう嘘ついてないし!? 盛っただけだし!?」
慌てて私は首を激しく横に振って濁した。
また髪がボサッてしまったけど、もう帰るだけだからどうでもいいや。
「那由多、どれに乗るんだ? 五分後のやつか? 十五分後のやつか?」
有瀬くんの声に振り向くと、何と奴は手にしたスマホを改札機に翳そうとしていた。
「いやいやいや、何で有瀬くんまで来る気になってんの!? ダメだよ、帰り遅くなっちゃうじゃん!」
「何でって、恋人だから」
こいつ、恋人って言っとけばどんな無茶苦茶も通用すると思ってない? 思ってるよね?
全く、恋人って単語を都合良く雑に使うんじゃないよ!
「恋人なら恋人のお願いを聞くものだと思うけど? 恋人としては今日は早く帰って、真央さんに『軍資金をありがとうございます、おかげで今日は楽しく過ごせました』って伝えてほしいなー? はてさて、有瀬くんにできるかなぁー? 恋人ならできて当然なんだけどなー?」
「で、できる。恋人だから」
私のお安すぎて投げ売りワゴンセールな挑発に、有瀬くんはあっさり乗った。即落ちじゃん。恋人って言葉、確かに便利だな? よしよし、これからはこの手を使おう。
簡単に乗せられたくせに、今になって納得いってないように首を傾げてる有瀬くんが何だか可愛く見えて、私の胸にちょっとしたイタズラ心が芽生えた。
芽生えると試したくなってうずうずしてどうしようもなくなったので、実行することに決めた。
八重樫くんにからかわれても久月くんに笑われても、今なら改札通って電車乗っちゃえば即逃亡できるし!
「有瀬くん、有瀬くん、ちょっと屈んで」
「何だ、お菓子でもくれるのか?」
素直に言うことを聞いて届く位置にまで来た有瀬くんの頬に、私は城咲さんの真似をして素早くキスをした――までは良かったんだけど。
ぽかーんとした顔で見つめ返されるのは、予想内だった。
でもすぐに、有瀬くんの目の色がすっと変わったのに気付く。
「え」
逃亡する暇どころか逃亡しようと考える余裕もなく、乱暴に頭と肩を掴まれる。かと思ったら、こっちも頬にキスを返された。
え……? ええ……?
「何でそんな不思議そうな顔してるんだ。自分から仕掛けてきたのに」
え、えぇぇ……でも……。
「反対側もやっとくか? 次は俺からいくか?」
いやいやいやいや! 何でこうなるの!? 違うでしょー!?
「や、やらないよ! わざわざいらっしゃらなくて結構だよ! じゃあまたね、有瀬くん! ブエナスノーチェス!!」
思わぬ仕返しを食らって固まった体を動かし、私は慌ただしく挨拶すると、転びかけながらも改札を通り抜け、何とか五分後の電車に乗ることに成功した。
そして空いていた席に抜けかけた腰をすとんと下ろして、顔を覆う。
びっ………………くりしたぁぁぁぁ!!
いやいや、おかしいでしょ……城咲さんには返却しなかったじゃん? なすがままにされてたじゃん? 何やってんだこいつみたいな顔でぼけーっとしてるだけで良かったじゃん? それが有瀬くんじゃん?
なのに予想外も予想外、想定外すぎる行動に出るんじゃないよ! 反応に困るんだよ!
しかも何なの、あの目……捕食直前の肉食獣みたいで超ビビったんですけど?
普段から雑だってことを差し引いても、掴み掛かってきた手はやたら荒々しかったし、ものっすごい強く唇押し付けてきたし……冗談抜きで頬肉食い千切られるかと思ったんですけど!?
ああ、たこ焼プリンにでも見えてたのかな!? 城咲さんと違ってムッチムチだもんね!!
下瞼をペロリされたことはあったけど、あの時とは全然違う。どうしてこんなことに?
うん、私のせいだな! 私がやらかしたからだな!
うぁぁ……変なイタズラ心なんて抱くんじゃなかった……実行するんじゃなかったぁぁぁ……。
まだドキドキしてる。ドキドキどころじゃない、バクバクも超えてバッカンバッカン叫んでる。
ああ、そうだよ、心臓さん。私はバカだよ、そんなに全力で教えてくれなくてもわかってるよ。
きっと真っ赤になってるんだろう、掌に伝わる顔面の皮膚が熱い。
ビックリしたら血の気が引くものなのに、こんなに顔の毛細血管が拡張してるのは、心臓がめちゃくちゃに私を叱っているせいに違いない。
ごめんなさい、心から反省してます。だからどうか鎮まってください。どうか肋骨突き破って飛び出そうとしないでください。
顔見て叱りたいお気持ちはお察ししますが、目の前に現れられたら、私、間違いなく死んじゃいますから……。
両手で顔を覆ったまま、私は己の心臓に向けて、浅はかな行動を激しく懺悔した。それはもう深く自分の世界に入り込んで、心臓さんと対話した。
おかげで電車を乗り過ごして、帰宅時間が大幅に遅れてママに今度は耳から殺されるかと思うほど叱られた。




