2-1 美少女の足元に、死んだマグロがいた
家に帰ったら、ママが入学祝いにちょっと豪華な夕食を用意してくれていた。
それを食べながらいつものようにパパのつまんない話を受け流し、中学二年になって反抗期真っ只中の弟、恒河と軽く口喧嘩をし、入浴して自分の部屋に戻って、友達とラインして――そしてやっと、本日起こった荒波のような出来事を振り返ることができた。
彼氏……できちゃった、んだよね?
それも、私なんかじゃ徳を積みに積んで百回生まれ変わっても手が届かないくらい、遥か彼方すぎる超ハイレベルなイケメンの。
しかも、彼に負けず劣らずすんごく綺麗な女の子ともお近付きになっちゃった。中身はそれぞれ違ってそれぞれデンジャラスなヤバみがファイヤースプラッシュしてたけど。
はぁぁ、二人のこと思い出したら今になってドキドキしてきた。あの時は訳わかんない状態のまんま振り回されてたけど……落ち着いて考えてみたら、とんでもないことだよね? あんな美形二人と、お知り合いになれた、なんて。
いやでも待てよ。何もかも夢だったのかも?
だってあんな常人飛び抜けた美男美女がこんな辺鄙な片田舎にいるはずないよ。いたとしても、あんな常識突き抜けた言動行動するわけないじゃん。夢にありがちな支離滅裂さ大爆発の大暴走だったし……あーあ、やっぱり夢かぁ。じゃあこれはどうしたものかな?
目の前には、宿題にされた履歴書。
小学校からずっと使っている木製のシンプルな勉強机の上に置かれたそれを見つめ、私はそっと空を仰いだ。ちなみに腰掛けているまあるいフォルムの赤いお洒落な椅子は、一年前に買い替えたもの。見た目は可愛いし座り心地も良いんだけど、背もたれがそんなに高くないから思いっきり寄りかかると首がギコッとなってしまうのが難点だったりする。
ギコらないように力を入れっ放しにしていた首が疲れたので、渋々姿勢を戻してペンを取った。
一応書くだけ書いとこう。高校生になったらアルバイトしてみたいと思ってたし、夢の置き土産だったならその時に使えばいい。
趣味の欄で少し悩んだものの、『読書』『映画鑑賞』と無難な文字を書き込んで、さっさと寝た。精神的にも肉体的にもひどく疲れていたようで、その夜は夢も見ず熟睡した。
そう、夢は見なかったし、昨日のあれこれは白昼夢だったはずなのだ。
だったらこれはナニ? 夢じゃないの?
いいや、夢だ。夢に決まってる。夢なら早く覚めて! ううん、覚めないで……ああ、やっぱり覚めてほしい!
「ねえ、那由多。恋人さん? ……達が迎えに来てる、みたい、なんだけど」
ダイニングテーブルの下、恒河と無言で足を蹴り合いながら朝食後のコーヒーを飲んでいたら、ママが頬を引きつらせながら告げた。
「コイビトサン? 何それ、メリーさん的な都市伝説かよ」
恒河がワックスでやたら時間をかけてセットした割に大してイケてもない髪を仰け反らせて鼻で笑う。
その都市伝説的なナニモノかに思い当たる節がなくもなかった私は、慌てて立ち上がった。
「いてえー! てめ那由多! 何しやがんだよブス!」
勢いで恒河の足を踏んづけてしまったみたいけど、そんなの構ってられない!
インターホンの前で顔を引き攣らせるママを通り過ぎ、廊下を駆け抜け、私はスリッパのまま玄関扉を開けた。
「おはよう、柊さん。あなたの恋人が迎えに来てるわよ。さあ、早く支度して。一緒に登校しましょ!」
朝の光を背に、春の花々も恥じ入るほど絢爛たる笑顔を浮かべるのは――城咲さん。
夢、じゃなかった。一日経った今見ても夢みたいだと思うし、現実離れした美しさにやっぱり夢なんじゃないかってまた疑いたくもなるけど、夢じゃない。
だって、ママにも認識できてたはずだもん! ママがわざわざ私を呼んだのは、モニターに映る姿と話す声を見て聞いたからに違いないもん!
とはいえ、目の前にしても本当に実在しているか不安で、もっとよく確認してみようと一歩踏み出しかけたその時――城咲さんのスカートから伸びる長い足の下に、奇妙で巨大な物体が転がっているのを見つけて、私の足は半端に上がったところで固まった。
「お、おはよう、城咲さん。アノ、ソレ、ナニ……? 私にはマグロに見えるんだけど」
恐る恐る尋ねると、城咲さんは器用に奇妙巨大物を蹴り上げ、自らの横に立たせた。
「ええ、マグロに擬態した留佳よ。なかなかリアルな寝袋でしょう? ご近所さんに怪しまれないように、死したマグロのフリをしてここで一晩明かさせたの。ごめんなさいね、何度も起こそうとしたんだけど寝袋の上からじゃ関節技が上手くキマらなくて、この通りまだおネムの最中なのよ」
「ごめん、早速話が混線してる。もっと初心者向けの説明をお願いできるかな」
「あら、あなた、あまり頭が良くないのね。わかったわ、親猛獣が子猛獣に狩りを教えるみたいに易しく説明してあげるわね。つまり昨日、あなたの後をつけて家を特定したの。留佳は朝が弱いから、ここで寝かせればちゃんと恋人らしくお迎えできるでしょ? 我ながらナイスアイディアだったと思うわ!」
ぐっと指を突き出して得意気に胸を張る城咲さんに、私は軽い目眩を覚えた。
いやはや、まさか後をつけられたとはねー。全然気付かなかったなー。立派なストーカー行為だねー。ついでに不法侵入だねー。
って、擬態するにしてもマグロの屍はないでしょ! 怪しまれないも何も、怪しさしかないよ! ご近所さんに見られたら、即通報されてたよ!
常識すっ外れて宇宙までぶっ飛んだような行為に物申すより脱力して頭を抱えていたら。
「……ええと、那由多? なかなか戻ってこないから様子を見に来たんだけど、大丈夫? そちらの方は学校のお友達、かしら?」
ママが、心配そうに玄関から顔を出して尋ねてきた。その下にはパパと恒河も首を連ねて、トーテムポールみたいになってる。
すると城咲さんは柊トーテムポールに向き直り、にっこりと微笑んだ。
「おはようございます、ご家族の皆様。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。こちらは柊那由多さんの恋人の有瀬留佳、私は留佳の幼馴染で付き添いの城咲明日香と申します。どうぞ今後ともよろしくお願いいたしますわね」
マグロを支えて丁寧にご挨拶する城咲さんを見て、私はついに膝から崩れ落ちた。
ああ、よりにもよってマグロを恋人として紹介されるなんて……。
どうしよう、パパもママも、完全に無の顔になっちゃってるよ……。恒河だけは笑い転げてるけど……。くそー、ここぞとばかりに姉の不幸を笑いやがって!
恒河め、覚えてなさいよ!
あんたが城咲さんに見惚れて顔を赤くしてたの、ちゃんと見てたんだからね! 言っとくけどこの人、外見は美しくても中身は想像を絶する変人なんだからね! 隣のマグロと同レベルなんだからね!




