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アオハル of the Dead End!  作者: 節トキ
LESSON 1 名前を覚えよう!

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5/12

1-1 この後めちゃくちゃ菓子食った


「ピーラギ」


 形良い唇が、耳障りの良い低音で奏でる。こちらを見つめる凛々しい切れ長の目に、つい怯みそうになったけれど必死に堪えた。

 おいこら、物憂げな表情でそこはかとない色気まで醸し出すんじゃない。心が揺らぐでしょうが。くっ……本当に顔がいいわね。


 でもだからといって、こっちも引くわけにはいかないの!


「人の苗字に自主規制音かぶせるのやめてもらえます? いくらなんでも失礼ですよ。柊です、ヒ・イ・ラ・ギ。とっとと覚えてください」


 もう何度目になるかわからない訂正をし、私は溜息をついた。そのついでに視線を逸らしたのは、彼の顔の良さに屈しないためだ。ほんと見れば見るほど顔がいいんだ。ほんとのほんと、顔はいいのにね。


 有瀬くんはさらりと漆黒の前髪を揺らして軽く首を傾げ、頬から流麗なラインを描く顎に手をやって暫し思案した。


「……下の名前なら覚えたぞ。にゃにゅちゃ」


「いくら何でも噛みすぎにもほどがあるのでは? 那由多よ、那由多!」


「にゃりゅひゃ」


「那由多!」


「ひゃでゅふぁ……じゃぎゅぐぁ みゅぐるぁ、にゃるりゃとぅほてぃぷん」


「どんどん離れてってるし! もう邪神の名前みたいになってるじゃないの!」


「うん、クトゥルフ神話は俺も好きだ。内容はよくわからないけど、雰囲気が何となく楽しい。出てくる神々が何かカッコイイ」


「好きも何も、私はクトゥルフに関してはアニメとかゲームとかで何となく聞きかじった程度の初心者以下だよ! ていうか有瀬くん、クトゥルフは噛まずに言えるんだね!? どういう理屈なの……ってって、そんな話をしてるんじゃない!」


 ああ、ダメだ。教え方も言葉遣いもどんどん雑になっていく。まあ同級生なんだから、わざわざ敬語を使う理由もないんだけどね。イケメンに敬意を払ってただけなんだけどね。今ではもう、その敬意も風前の灯火だわ。


 現在、我々は中庭から移動し、恋人としてのミッションに勤しんでいる。

 場所は北校舎三階の一年五組の教室。有瀬くんと城咲さんのクラスなんだそうだ。ついでに言うと、私は同じ校舎でも一階にある一年一組。離れていて残念に思うより、正直ホッとした気持ちの方が大きい。


 騒動の間に入学式後に行われるクラスでのオリエンテーションもとっくに終わったらしく、どの教室にも廊下にも人は全くいない。帰ったら運良く同じクラスになったオナチューの子にラインして、担任の先生がどんな人かとか明日のこととかいろいろ聞かなくちゃ。


 グラウンドから響く部活動中の生徒達の掛け声や歓声をBGMに、少しずつ暮れ行く陽光に照らされた室内で――私の目の前の椅子には有瀬くんが腰掛け、その奥の机にもたれるようにして城咲さんが佇んでいる。少し古びた教室がノスタルジックな雰囲気を作り、そこに並ぶ美形二人はまるで絵画のような美しさだ。


 が、いくら美しくたって、いつまでも絵画鑑賞し続けてはいられない。一枚の絵を目当てに美術館に通い詰めたり、一つの芸術品の虜になって全財産はたいて手に入れたりする人もいるけれど、あいにく私にはそこまでの熱意はないのだ。

 推しキャラをニラニラ眺めてても、お腹すいたらご飯食べたいしお腹痛くなったらトイレ行きたいし。


 さて私の浅い推し活についてはさておき、有瀬くんが城咲さんから課せられた、恋人としての最初のミッションは――私の名前を覚える、ということだった。


 聞いた時は何て簡単な! そんなんでいいの!? と喜んだけど、甘かった。ここまで面倒なことになるとは想像もしてなかった。


 彼の幼馴染だという城咲さんから教わった話によると、有瀬くんという人は、興味あること以外にはまるきり頭を使えないらしい。答えがはっきりしている理系科目は抜群に成績が良いけれど、察しろニュアンスが多分に含まれる文系は全くダメなんだって。わかるわかるー、そんな感じするするー。

 でも、柊那由多って単語くらい覚えてほしいよ……察しろニュアンスなんてどこにもないじゃん。そんなに興味ないのか、私に。でしょうね、知ってた。超絶美少女な城咲さんを見慣れているなら、私なんて空気通り越して無だもんね。ああ、疲れた。帰りたい。もう無理。


「疲れた。帰りたい。もう無理」


 心を読まれたかと思った……が、有瀬くんは本心でそう口にしただけのようで、椅子にもたれてそのままぐねーんと背中を反らした。

 お前が言うなだよ! そもそも誰のせいでこんなことしてると思ってるの!?


「ダメよ」


 怒りに任せて私が怒鳴るより先に、城咲さんの清く美しく強き声が飛ぶ。すると有瀬くんはむにゅーんと体を起こして背後を振り返り、後ろにいた彼女に向かって訴え始めた。


「明日香、もういいだろ。お菓子食べたい。名前なんて何だっていい。お菓子くれ。我が恋人って呼び合えば皆、あーあの二人は恋人同士なんだなって理解するだろ。だからお菓子寄越せ」


 この事態を引き起こした張本人のくせに適当極まりない。お互いを我が恋人って呼び合う恋人なんか、どこにもいないと思う。胡散臭さしかないじゃないの。というかお菓子ほしがりすぎだろ。子どもか。


 はぁ、と吐息を一つ落とすと、見守りに徹していた城咲さんがやっと動き出してくれた。するりと優美な所作で、椅子と椅子とを突き合わせていた我々の間に入り込む。

 長く艷やかな黒髪を白魚のような手でさらりと肩に流し、腰を屈めて私と有瀬くんに美しき顔を寄せてきたのだけれど――やば、至近距離でも粗がどこにも全く一切見当たらない! ふわぁ、いい匂いまでするぅ……くっ、そろそろ美形慣れしてきたと思ってたのに、不覚にもまたドキドキしちゃったじゃないの!


「あのねえ、留佳。恋人の名前を覚えるのは必要不可欠、最低限の礼儀よ。それともやっぱり無責任に投げ出して逃げる? ここから逃げられても、閻魔様からは逃げられないわよ? どう足掻いても、生きていればいつかは必ず死ぬ。死して行き着く先は、必ず絶対間違いなく閻魔ランドなのよ? しっかり覚えるまでお菓子はあげないから……あ、ペロリンキャンディーは柊さんが食べたんだったわね。ごめんなさい、お菓子はもうないの。柊さんのせいよ、諦めて」


 城咲さんがまたもや閻魔様の名を出して煽る。有瀬くんはたちまち眉を寄せてキッと睨んだ――挑発を仕掛けた城咲さんではなく、何故か菓子泥棒扱いされた私を。


「おい、我が恋人。もう一度名前を言え。今度こそ覚える。あとペロリンキャンディー返せ。あれは俺のだ」


 挙句に命令口調ときた。


 もうほんとやだ。超絶イケメンに我が恋人呼びされてもこんなに嬉しくないなんて、知らなかったし知りたくもなかったよ。早くお家に帰ってキュンキュンする少女漫画読んで心のお洗濯したい。萌えるアニメか泣けるドラマかハッピーな映画観たい。でも、この人が私の名前を覚えるまでは帰れない。


「柊、那由多。苗字が柊、名前が那由多よ」


「ああ、そうだ。誕生日とか血液型とかも教えてくれるかな? これに記入してくれればいいわ。宿題として留佳に叩き込むついでに、姓名判断四柱推命占星術数秘術風水いろいろやってみたいから」


 有瀬くんを差し置いて城咲さんが私に押し付けてきたのは、何とプロフィール帳と履歴書だった。

 もう諦めの境地に達して、渋々プロフ帳を埋めていると。


「ビーラグチャウマ……ヒーラゴニャウカ……ヒーラギナユタ」


 天井に向けてブツブツ呟いていた有瀬くんの声に、私は思わずペンを持つ手を止めて顔を上げた。


 言えた……? 言ったよね、今! 私の名前を!


 城咲さんを見ると、彼女も目を見開いてわなわな震えている。


「す、すごいわ、留佳! やっと辿り着いたのね! そう、この人は柊那由多よ! 柊那由多なのよ!」


 感極まって、私も涙目になって有瀬くんに向き直った。


「そうだよ、有瀬くん! 私は柊那由多! 柊那由多だよ!」


「ヒーラギナユタ、ヒーラギナユタ、ヒーラギナユタ。柊那由多。覚えた。我が恋人は柊那由多。柊那由多が我が恋人だ、そうなんだな」


 有瀬くんも私達二人に大きく頷いてみせる。


 それだけで私の胸は大きな感動に包まれた。熱い涙が頬を伝う。ああ、何という達成感!


 私だけじゃなく城咲さんも同じ気持ちだったようで、二人で手を取り合って万歳三唱した。すぐに有瀬くんも仲間入りして、結局三人で万歳三百唱くらいした。有瀬くんは途中から例のムキムキ運動になってたけど。うん、本当に踊り足りなかったんだね……。


 入学式の日の放課後の教室で、万歳を叫び続けた私達――誰かに見られていたら、ドン引きされたと思う。誰もいなくて本当に良かった。


 ちなみに書き終えられなかった履歴書は、翌日までの宿題にされた。帰る前に近くのコンビニに寄って、ペロリンキャンディーを購入してちゃんと返しといたよ。有瀬くんはその間にカゴいっぱいに詰めたお菓子を買ってた。自分へのご褒美のつもりなのかな……あんまり表情筋が働かないタイプみたいだけど、大量のお菓子を抱えてる姿はちょっと嬉しそうに見えた。このイケメンは、お菓子がお好きらしい。



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