10-1 マグロは静かに死に続けていた
目の前には、興奮で頬を上気させた美猛牛、城咲さんと今日も今日とてぼんやり顔の有瀬くんが座っている。
城咲さんに倣って有瀬くんにも二つ名を付けるとしたら、やる気なさすぎて猛牛のなすがままにされたマタドールってところか。
私の隣には期待で眼鏡まで輝かせた茉絢、反対隣には茉絢と同じく、可愛い顔をワクワクと弾ませた久月くん。その隣にいる引き顔の八重樫くんだけが、私と同じ気持ちなようだ。
七月末日。我々は城咲さんの招集を受け、再び久月邸の和室に集結する運びとなった。
「ほ、本当に撮影したの……? 」
恐る恐る、私はテーブルに置かれたカメラを指差して尋ねた。
中には何と、有瀬くんの一晩の寝姿が記録されたデータが入っている、というのだ!
「ええ。真央の目をかいくぐるのが大変で、ちょっと遅くなってしまったけれどね」
城咲さんが満面の笑顔で胸を張る。
あれ? 私服になってわかったけど、この人ってばなかなかの胸をお持ちじゃない? シャツワンピの胸元を押し上げるバスト、推定Dはあるよね? 超絶美人で巨乳とかズルすぎない?
それにしても今日は長い髪をゆるく編んでバレッタで留めたヘアスタイルは細い首筋があらわになって色っぽいし、色つきリップで赤みとツヤを増した唇はエロっぽいし……何だか美しさに色気が追加されてませんか?
普段に増して美貌に磨きがかかってるんですが、もしや…………まさかの事後!?
「よく寝たからよく撮れてると思う。早く観よう」
Tシャツにデニムというシンプルスタイルでも、隣の城咲さんを軽く凌ぐ存在感を放つ美貌の主が気怠げに言う。
私は身を乗り出し、その首に掴み掛かった。
「バカバカ! のんきにあくびしてる場合じゃないでしょ!? 寝てる間に、男子シングルス選手権の参加権限をを失ってしまったかもしれないんだよ!? そんな危険かつ悲壮かつ卑猥なシーンをお披露目する気!? 私達、皆まだ十八になってないんだからね!? ちょっとは弁えて自主規制してよ!」
「那由多ちゃん……何を想像してんの……」
「ナユ……落ち着けって……寝てたら立つもんも立たねーよ……」
久月くんは笑いを堪えながら、茉絢は冷え冷えとした目で猛り狂う私を鎮める。八重樫くんはそんな二人から距離を置いて一人、恐怖に満ちた目を茉絢に向けていた。
ほら、私だけじゃないでしょーが! 人は誰しも心の中に化物と猛牛を飼っているんだよ!
「危険なのか?」
「大丈夫だと思うわよ?」
私にTシャツの襟首を掴まれたまま、有瀬くんは城咲さんに尋ね、城咲さんは有瀬くんに平然とした顔で答えた。
あっ、これヤッてない感じだ……。
「お、お騒がせしてすみませんでした……続きをどうぞ……」
私はすっと有瀬くんから手を離し、俯いてすとんと座った。
アホな勘違いしてしまった。恥ずか死しそう。私など消滅してしまえ。
「本当はあの日帰ってすぐにでも撮影に取り掛かりたかったんだけど、真央にずっと監視されてて、迂闊に動けなかったのよね。小さい頃から、一緒にお風呂に入るのも禁止されてたのよ。紅くんには許してたのに、私ばかり何でもダメダメって……あの野郎、本当に時代錯誤よね。今時、男女平等って言葉も知らないのかしら? 今回の動画撮影も、志貴の協力がなければ叶わなかったわ」
動画の準備を久月くんに丸投げして、城咲さんは本日の動画公開に至るまでの苦労話を聞かせてくれた。
う、うーん、時代錯誤とか男女平等とかの問題ではないんじゃないかな? 真央さんは幼い頃から城咲さんが危険なやらかしをしそうだと判断してたのでは? 幼稚園時代の写真でもべったりすぎるほどくっついてて、有瀬くん圧縮されそうになってたし。
ていうか、志貴さんまで巻き込んでたの……まあ、あの人なら嬉々として食い付くだろうね。
「そういえば有瀬くんと城咲さんが出会ったのって、幼稚園の時なんだっけ。どんな出会いだったの?」
私が問いかけると、城咲さんは目を輝かせてこちらを見た。
「柊さん、聞いてくれるのね!? あの頃、私は引っ越してきたばかりで……」
「はいはい、その話は後でね。まずは動画の確認するよ」
データを接続し終わった久月くんが、城咲さんの頭を掴んでぐりんと回し、テレビのモニターの方に向ける。髪が乱れる、首が折れると城咲さんに文句を言われても涼しい顔でスルーだ。
あの色っぽ美し綺麗な城咲さんを、こんなに適当にあしらうとは……この扱いは幼馴染ならではだなぁ。私にはとても無理だよ。
勢いとはいえ久月くんに幼馴染成り代わり宣言しちゃった私、本当に身の程知らずでした……忘れてくれてるといいな……。
「じゃあ、スタートするよ? 準備はいい?」
久月くんの声に皆で一斉に頷き、ついに動画再生が開始した。
有瀬くんのベッドは、部屋の出入り口を塞ぐようにして置かれるという、大変個性的かつ特殊な配置法が採用されている。画質はかなり良く、部屋の中のデコボコもしっかりと映し出されていた。
茉絢だけが何だこれ状態で首を傾げていたけど、説明は後だ。カメラは例の懸垂マシンに取り付けたらしい。
数分経って、有瀬くんらしき物体がもそもそと部屋に入ってきた。
そして部屋の電気を常夜灯に変え、ベッドに転がるとそれきり動かなくなった。
「…………マグロ、だな」
「…………マグロ、だね」
八重樫くんの呟きを受けて、茉絢が繰り返す。
薄暗いオレンジに染まった画面には、イケメンなどどこにもいなかった。マグロしかいなかった。マグロは死んだように静止している。身じろぎ一つしない。
倍速にし、私達はマグロを観察し続けた。
マグロは音も立てず、寝返りすることもなく、ずっと同じ位置に横たわっていた。
やがて窓のカーテンの隙間から朝陽が差し、ゆっくりと室内を明るく照らし始めた。
マグロにも光が届く。
そこでやっと、これは静止画ではなく動画だったのだと思い出す。
時間の経過を示すカウンターは間違っていなかった。時はしっかり過ぎていた。
徐々に輪郭を鮮やかにするマグロは、およそ六時間もの間、打ち捨てられたように、しかし朽ちることなくそこにいた。
扉の開く音がする。
そうだ、この動画は音声も録音していたんだったと、また一つ記憶を取り戻す。
ここで久月くんがそっと定速に戻した。するとマグロの乗ったベッドを飛び越えて近付いてきた人物が、こちらに手を伸ばす。
志貴さんだ。
「チャンネル登録、よろしくっ!」
ウィンクした志貴さんがそう言って、画面は暗転した。




