9-8 泣き虫、怒髪天
長い廊下を突き当たった先の和室に入ると、私達はやっと安堵の吐息をついた。
十畳ほどの室内には窓がなく、ガラス扉がついた棚が両側にそびえている。久月くん曰く、ここはご両親が趣味で撮影した写真をまとめて保管する専用の部屋とのことだ。
二人でアルバムを所定の位置に戻していたら、中学の卒アルを発見した。
片付けを終えると、久月くんに一緒に見ようとお誘いを受けたので隣に座り、二人で中を改める。すると、見知った顔が現れた。
「あっ、これ梨奈ちゃんだ。この時はまだギャルっぽくないね。どっちかっていうとヤンキー系だ。いひひ、からかってやろーっと」
三年生のクラス写真はほぼ今と変わらなかったけど、一年の入学式を撮影した写真の中に不貞腐れたような顔で写る友人を目敏く発見し、私はほくそ笑んだ。
「那由多ちゃん、佐川さんと仲良いんだ?」
久月くんも、梨奈ちゃんのことは知ってるらしい。
当然か。城咲さんに目を付けられるくらい、有瀬くんを追っかけ回してたみたいだもんね。
「うん、同じクラスなの。席も隣同士なんだ。茉絢と三人でよくつるんでるよ」
もう夏休みに入るけど、明後日買い物に行く約束してるんだよね。海の家でバイトしてたら新しい水着がほしくなったんだって。
茉絢と一緒に可愛いの選んであげるんだー。
「ふーん……佐川さんとねぇ。明日香ちゃんのおかしな野望達成のために利用される原因を作った張本人なのに、仲良くできるものなんだ?」
久月くんの言葉を耳にするや、私はびくりと大きく身を震わせた。
その拍子に、膝に乗せていたアルバムが、固い音を立てて畳に落ちる。
「あっ……ご、ごめ……ごめんなさ……」
大切なアルバムを落としてしまったこと、そして何より騙すような真似をしていたことを謝らなくてはならないのに、血の気が引いて言葉にならない。
せめて泣けば申し訳なさを表現できただろうに、この時ばかりは涙すら出てこなかった。
「どうして謝るの? 那由多ちゃんが謝る必要はないよ。明日香ちゃんから事情は聞いた。だから、那由多ちゃんは何も悪いことしてないってわかってるよ。むしろ被害者でしょ?」
隣から久月くんが笑う。
でもすぐに真顔になって姿勢を正し、畳に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。
「ごめん、那由多ちゃん。迷惑かけた。僕が忙しさにかまけて、明日香ちゃんからの連絡を放置したせいだ。明日香ちゃんの電話に気付いて、もっと早く事態を把握していたらこんなことになる前に止められたのに……何を言っても言い訳にしかならないけど、本当にごめんね」
「えっいえ、そんな、お構いなく。あ、あの頭下げないで、顔上げて。ほ、ほら、上を向いて歩けば涙は溢れないって歌もあるし? あっ、そうだ、今から二人で上向きで歩き回って、どっちが障害物にぶつからずに最長距離を進めるか競争でもする!?」
何とか久月くんを宥めようと、私は焦って訳のわからないことを吐き散らした。
こんな時に気の利いた言葉がパンパカ出るほど賢くないんだから仕方ないじゃん!
しかし久月くんはなかなか顔を上げてくれない。
それどころか、ぷるぷる震え始めたじゃないの……ど、どうしよう?
「だ、大丈夫? あ、良かったら飴ちゃん食べる? えーと他は……ダメだ、飴ちゃんしかないや。ガムの君とかグミ御前とかおチョコ夫人の方が良かったかな?」
「ぶふっ!」
いきなり久月くんが噴き出した。そしてその勢いのまま、激しく笑い出す。
「ご、ごめん、何とか耐えてたんだけど、おチョコ夫人は無理だった……! さすがだね、那由多ちゃん! あの各務真央を倒しただけあるよ!」
褒められたのか貶されたのか、何がさすがなのかもわからなかったけど、とにかく黙った方が良いということだけは判断できたので、私は口を閉じて久月くんの笑いの発作が収まるのを待った。
「那由多ちゃんって、面白いね。それに優しい。あんなに迷惑かけてる二人を拒絶せず受け入れてくれてるんだもん。申し訳なさもあるけど、感謝でいっぱいだよ」
笑い止むと、久月くんはまた可愛いの髄が詰まった柔らかな笑みに戻った。
「うーん、そうだね。泣かされまくってはいるけど、私、眼球強いから大丈夫だよ」
「でも……那由多ちゃんには、何のメリットもないじゃない」
投げかけられたその一言に、私は再び固まった。
「留佳はうっかりついた嘘を帳消しにして、昔から恐怖の対象だった閻魔さんに申し開きができる。明日香ちゃんはあらゆる意味で朴念仁の留佳に、恋人としての立ち居振る舞いを教えることで恋愛概念の育成を図ることができる。ずっと留佳に近付く子達を蹴散らしてきたのに、わざわざここで他人を投入したのは、誰よりも彼のそばにいた自負があること、だからこそ距離が近すぎる自分では彼の心を新たに動かすのは難しいと判断したからだろうね。那由多ちゃんを利用して自分への恋愛感情が芽生える……というより、知らない間にずっと胸にあったんだと察知してくれることに期待してるんじゃないかな?」
真っ白になった頭では、久月くんが何を言っているのか、ほとんど理解できなかった。でもきっと、城咲さんが私に告げた通りのことを詳らかに聞かせてくれたんだろう。
ここで久月くんは一呼吸置き、私を真っ直ぐに見据えた。
「だけど、那由多ちゃんは? 那由多ちゃんには何もプラスになることないよね? イケメンの彼氏は自慢になるだろうけど、それ以上に弊害があるんじゃない? 留佳はあんな顔立ちしてるから、妬む子も多いと思う。何より、那由多ちゃんに好きな人ができた時に困るでしょ?」
メリットがあるかとかプラスになるかだとか、そんなの考えたこともなかった。
私はただ流されるままに、二人と一緒にいて、それで――。また、胸が痛んだ。やだ、どうして泣きそうになってるんだろ……胸が痛くて苦しい。
これも罪悪感のせい?
だけど、久月くんは私は悪くないって言ってくれた。じゃあ何でこんなに彼の言葉が突き刺さるの?
もしかしてこの苦しさは……未来にできるかもしれない、私の好きな人への罪悪感……?
苦痛の原因を特定した私は、こみ上げる嗚咽を飲み込んで立ち上がった。そして潤みかけた目に力を込め、睨み下ろすようにして久月くんに向ける。
「確かに、城咲さんはアホほど変だし、有瀬くんはバカみたいに雑だし、正直疲れることも多いよ。何でこんな思いしてるんだって嫌になる時もある」
久月くんが肩を竦める。その姿が、私に火を点けた。
「だけど、迷惑だなんて思ったことないよ! 二人といると疲れる以上に楽しいよ! 久月くん、失礼すぎない!? 何もプラスになることないだなんて、有瀬くんと城咲さんを何だと思ってるの!? 腐れ縁だから、仕方なく一緒にいるだけ!? 久月くんはあの二人と一緒にいて、楽しいって思ったことないわけ!? だったら私が代わる! 私が久月くんの代わりに、あの二人と長い時間を過ごして幼馴染になるよ! 久月くんにとっては迷惑な存在なのかもしれないけど、だからって私まで同じように感じてるって決めつけないでよね! 余計なお世話なんだよ!」
途中で泣くかと思ったけど、涙より腹の底から湧く怒りが勝った。
そうだよ、未来に出会うかもしれない、顔も知らない好きな人に罪悪感なんて抱いてやる必要ない。二人のことを理解してくれない人なんて、私は好きにならない。
出会ってまだ三ヶ月ちょっとでも、有瀬くんも城咲さんも私には大切な人達なんだ。
二人をないがしろにする奴は、たとえ幼馴染だろうと許すもんか!




