8-1 報酬減少RTA
じめじめした梅雨の鬱陶しさに辟易していたのも束の間、気付けば痛いほどの日射しとむせ返るような熱気に苛まれるようになった。
暑さは五月から感じていたけれど、熱の質が違う。
ついに蝉の声が聞こえてくると、私も認めざるを得なくなった。ああ、今年も烈火の如き夏がやってきたんだ、と。
「えっ、有瀬くん、文系に希望出したの!?」
「うん」
「何でまた……理数の成績、すごくいいじゃん。理数系なら有名大学だって余裕なのに」
「十円投げたら裏だったから」
答えを聞いて、私は溜息ついでにまだ熱いカフェラテをふーふーした。
コイン投げで将来決めちゃうのか……雑だなぁ。自分の将来より、目の前のパンケーキの方が重要みたいだもんなぁ。
ついこないだ入学したばかりのはずが、いつの間にかもう一学期が終わろうとしている。
千極高校では期末テスト以降は五時間目がなくお昼で帰宅となるので、しばらく真央さんのお弁当とはお別れだ。あの美味なる料理を二学期まで口にできないなんて、寂しいなぁ。
けれども、寂しさを紛らわせる楽しみだってちゃんとある。
今日は初めて、高校の制服でランチタイムのファミレスにやって来た。周りもセンコーの学生ばかりだ。あー、これぞ高校生って感じ! ウチの中学は寄り道禁止されてたから、こんなことできなかったもんねー。
「やだ……これが、キュン……?」
「ねー、萌えるよねー」
向かいの席では、茉絢と城咲さんが肩を並べてスマホで漫画を読んでいる。多分、『恋生き』の最新話が載ってる今月号の雑誌だろうな。
私も気になるっちゃー気になるけど、それより有瀬くんだよ。
「裏でも表でもいいけどさ、文系苦手なのにどうすんのよ。夏休み用に出された課題だって、全然進んでないんでしょー?」
「教えてくれ……ください……」
パンケーキを一口一口大切に慈しむように食べていた有瀬くんが、嚥下した合間に小さく零した。
「はあ? 私より城咲さんの方が適任じゃない。知ってると思うけど私、どの教科も下から数えた方が早いんだからね? お情けで在学させていただいてる、センコーの居候みたいなもんなんだからね?」
「でも明日香は教えるの下手だし」
「聞こえてるわよ、留佳! 私が下手なんじゃないわ! あなたが天才すぎて、教えてもその独自性が高すぎる頭脳に追い付けないのが悪いのよ!」
茉絢のスマホから顔を上げ、城咲さんがこちらを睨む。
ちょっとー、私何も言ってないのにー。その言い分じゃ、結局悪いのは自分じゃん。私に非なんてどこにもないじゃん。
「じゃあ茉絢だね。総合なら有瀬くんより順位が上だし、任せて安心安全オッケーだよ」
「パス。有瀬くんと話すとダイエット阻害されるもん。やっと入学時に戻したのに、また悪の道に誘われたら夏用に買ったワンピが着れなく……くっ、パンケーキぃ……私に見せつけるために、わざとゆっくり食べてるな、悪魔めぇ……」
茉絢が有瀬くんのパンケーキをガン見しながら恨みがましい声音を漏らす。
有瀬くんの名前は一応ちゃんと呼んでくれるようにはなったけど、彼の声を聞くと爆食い衝動が起きるんだって。あーあ、変な暗示にかかっちゃったなぁ。
「那由多、頼む。お前だけが頼りだ。パンケーキ、一口……半口……四分の一口……いや、クリームのとこだけやるから」
有瀬くんが、隣から死にそうな声で懇願してくる。
死にかけててもイケボはイケボ、縋るような眼差しも美麗ではあるけれど……言っている間にもどんどん報酬が減ってくどうなのよ? 普通逆でしょ。オイコラ、お願いしながらパクついてんじゃない! 報酬与える気さらさらないじゃん!
私だって課題はまだほぼ手付かずだし、茉絢に手伝ってもらうつもりだったのに……と、肩を落としかけて閃いた。
「そうだ、じゃあ皆で勉強会しようよ! 夏休み前まで、お昼ご飯の後に集まって、それぞれ教えたり教わったりしながら課題やるの。どう? 良くない?」
あ、あれ……? 何か皆、ぽかーんとしてるけど、ダメな感じ? 我ながら名案だと思ったのに。
しゅんとしょげかけたら、ぎゅっと手を握られた。茉絢だ。
「ナユ、すごいじゃん! ナイスアイディアすぎて別人にでも乗り移られたのかと思ったよ! わたしも城咲さんに教わりたかったんだー、昔から数学がどうにも苦手でさ。どうかお願いします!」
「ええ、本当に驚いて声を失ったわ。柊さんのくせにやるじゃない。吉良さん、私で良ければいくらでも教えるわよ。この際だから、私も留佳の頭脳に再チャレンジしてみるわ。どっちが上手く教えられるか、勝負よ、柊さん!」
「那由多、よくやった。褒美のミントだ」
どうやら皆、私からこんな名案が出るとは思いもよらなくて、固まってただけらしい。
あんた達の中で私ってどんな扱いなのよ。失礼な。
にしてもミントにまで報酬下がってたかぁ……。
「それで、問題は場所だよね。どこがいいかなぁ?」
「もちろんナユん家でしょ。言い出しっぺなんだし」
「え? 何でそうなんの? 茉絢の家とは近いけど、城咲さんと有瀬くんは家が遠いんだよ? 帰ってお昼食べてまた戻ってくるって大変じゃん。皆の中間地点にしようよ」
「柊さん家で大丈夫よ。知ってる場所だし、お弁当を持って行けばわざわざ戻らずに済むわ。どのみち家に帰ったところで、昼は自分で用意しなきゃならないもの。だったらこれまで通りお弁当にすれば問題ないわ」
「玄関があんなに寝心地良いんだから、家の中も居心地良いんだろうな。楽しみだ」
好き勝手言いたい放題の三人に押し負かされる形で、勉強会の開催地は私の家に決定した。
はぁぁ、部屋の掃除しとかなきゃ。ママにも伝えておかなくちゃ。
大して広くない自室を使うか、ママにお願いして客間を借りるか、どちらにすべきかと思案していたら。
「よ、よう、城咲。ひ、久しぶりだな」
不意に聞き覚えのない声が降ってきて、私達は全員でそちらを見上げた。
するとテーブルのそばに、制服のシャツを着崩した茶髪の男子が佇んでいるのが目に映る。
顔立ちは悪くない、と思う。キャーキャー騒がれる一歩手前って感じ。個人的には、吊り目寄りなのに鋭すぎない目元が好感度高い。同級生より後輩に人気が高そうなタイプだ。
見たことない人だけど、城咲さんの知り合いかな?
「どちら様?」
と思いきや、城咲さんは美しいお顔に警戒心を漲らせながら、冷ややかに尋ねた。
ええ……お知り合いではない……? じゃあ、こいつ、まさかストーカー……?
「八重樫だ」
「八重樫だよ! 八重樫伊吹!」
茶髪男子が名乗るよりも僅かに早く、有瀬くんが答えた――ことに、私はとてつもない衝撃を受けた。
ええ!? 有瀬くん、この人の名前、知ってるの言えるの覚えてるの!?
私の名前を記憶するだけで、あんなに苦労した有瀬くんが!?




