19-12 そうよ、私は腹に獣を飼った地獄帰りの鼻チューバカ
有瀬くんがコンビニを出て離れたのを影から見届けると、私はダストピットの扉を叩いた。
「城咲さん、いる? 何とか説得して帰したよ。友達優先できたから、話そ?」
声をかけるも、しかし返事はない。
まさかどこかへ行ってしまったんじゃ、と慌てて扉を開くと、果たして城咲さんはちゃんといた。が、立ったまま口を押さえて震えている。
もしかして具合が悪くなった!?
こんな寒い中、長時間ゴミ置き場なんかにいたせいだ!
「城咲さん、大丈夫!? 吐きそう? 座る? 動けそうなら一旦コンビニ行こ? 有瀬くんならもういないから大丈」
「ぶふぁーー!!!!」
肩を抱いて、何はなくともまずこんな場所から出さねばとそっと体を押した瞬間、城咲さんは私の語尾に上手い具合に音を被せて盛大に噴いた。
「あっははははは! 何、あの荒ぶる獣みたいな腹の音!? あの留佳をドン引きさせるなんて、すごすぎない!? おまけに鼻チューって……ね、猫のやつじゃないの……ぶふぁっははははは! 二人して真面目に何してるのよ、バカすぎて逆にレアよ! しかも柊さん、あの地獄帰りみたいなコート着てるし! 着せられてるし! やだもう、お腹痛い息できない死んじゃう死んじゃう、笑いたくないのに止まらないぃぃぃっはははははっははっはぁぁぁ!」
城咲さんの笑いの発作が収まるまで、私ははらはら涙を零してそっと佇み続けた。
見てたのかよ……聞いてたのかよ……。
盗撮も盗聴もお手の物だとは知ってたけどさ……。
ああ、そうだよ……どうせ私は腹に荒ぶる獣を飼ってる地獄帰りのレアな鼻チューバカだよ……。
コンビニに鍵を返した後は、二人で我が家に向かった。
真央さんに許可をいただいて、本日限定で城咲さんを柊家で預かることになったんだよね。
今日は金曜日、明日は学校が休みだから、午前九時に出勤する私のバイト時間に合わせて一緒に駅まで連れて行くという話でまとまった――のだけれども、おかげでラインの通知音が止まらない。有瀬くんから送られてくる、鬼ラインのせいだ。
家に帰って真央さんに事情を聞いたらしく、『明日香ばっかりズルい』『俺も行きたい』『恋人なのに置いてった』『鼻チューじゃ割に合わない』などと子どもじみたトークが続々届いてうんざりしたよ。だけど無視すると後がさらに大変になるとわかってるから、一つ一つ返信しなくちゃならない。
あーもー、面倒臭いなー。おちおちご飯も食べてらんないじゃん。お留守番の子どもだって、これよりおとなしくしてるよ。
「柊さん家のお風呂、すごく落ち着くわね。シャンプー、同じのに変えてみようかな。家のより髪の調子良いかも」
「ええー、単に狭いからってだけじゃない? どのシャンプーかな? オレンジのボトルはママので、私のはバイオレットっぽいやつなんだけど」
「バイオレットの方よ。香りも好み。真似していい? あ、おかわりいただいていいですか?」
「ええ、もちろんよ。たくさん食べてね、明日香ちゃん」
「オソロとか超いいじゃん。じゃ明日一緒に買いに行こ。バイト六時で終わるから。ねーママ、私もー」
「あんたは食べすぎよ、ちょっと控えなさい。幼児みたいなぽよんぽよんのお腹して、恥ずかしくないの? ママは恥ずかしいわよ」
ひどい、娘差別だ! 城咲さんとは全然対応が違うじゃないの!
電車で帰宅後、私と城咲さんはそれぞれ入浴して一緒に夕飯も食べた。有瀬家から連絡があったと思うけれど、私からも改めて伝えておいたのもあって、ママはよく食べる城咲さんでも足りる分の量をちゃんと用意しておいてくれた。
バイト代が入ったら、ママにもお礼に何かプレゼントしよう。
城咲さんは礼儀正しいながらも気さくに私の家族と接してくれて、早くも実の娘より可愛がられている。
パパは言葉少なだったけれど、こっちが本当の娘だったらなーという声が聞こえてきそうな優しい目で城咲さんを眺めていた。
残念だけど、ウチの両親の遺伝子じゃどう頑張ってもこんな美しい子は生まれないと思うの。パパにもプレゼント贈るから、私と恒河で我慢しといてほしいな。
弟の恒河は美しすぎる城咲さんの到来に恐れ慄き、さっさと部屋に引き上げてしまった。
年頃の男子だからね、見惚れてるところを家族に見られたくなかったんだろう。
私もあの年齢の頃にいきなり我が家にイケメンが降臨してお泊まりすることになったら、鑑賞するより気恥ずかしさが勝って、尻尾巻いて逃亡すると思うわ。今じゃ、誰かさんたちのおかげでかなり耐性ついたけどねー。
客間を用意しようとしたママに丁寧にお断りを入れて、城咲さんは私の部屋に布団を敷いて一緒に寝ることを選んだ。
「城咲さん、八重樫くんと久月くんにはちゃんと言っといたからね」
「……ありがとう、助かるわ」
歯磨きして部屋に戻った私達は、それぞれベッドと布団に腰掛けると、やっと本日の課題である女子トークを開始した。
「八重樫くんには、私からも連絡して謝罪したわ。私の勝手で、あんなこと、したから……」
唇を覆うように口を押さえて、城咲さんが絞り出すように声を漏らす。
「私もビックリしたけどね。でも遊佐さん、ひどいこと言ったもん。気持ちはわからなくもないよ。私なら、ビンタしてたかも」
なるべく刺激しないよう、私は敢えてさらりと受け流した。
そのまま仰向けに寝転がって、天井に遊佐さんの姿を思い描く。でも浮かぶのは、最後に見た怯え切った表情ばかりだった。
腕、大丈夫だったかな? 勢いで関わるななんて言っちゃったけど、必要なら治療費は出すつもりだし、その点に関しては遠慮せず連絡してほしいな……。
「ひどいことなんて言われていないわ。何もかも図星だったもの」
城咲さんの静かな声音に、そちらを向く。
「私は八重樫くんを利用しているの。八重樫くんだけじゃない、柊さんも利用している。あの人の言う通り、クズなのよ」
「……そうなのかもね」
私は小さく告げて、身を起こした。
城咲さんの瞳が揺らぐ。
遊佐さんに指摘されて、改めて己の所業を振り返って後悔しているのかもしれない。だけど、そんなの今更だ。
「何も知らない人には、そう見えるのかもしれない。でも私も八重樫くんも、城咲さんをクズだなんて思ってないよ。当事者がいいって言ってるんだから、無関係の他人の言葉に振り回される必要なんかなくない? 仰る通りクズですが何か? って開き直っとけばいいんだよ」
ふっと城咲さんが軽く噴き出す。
「そうね、開き直れば良かったんだわ。なのにあんな安い挑発に乗って……本当にバカなことした。八重樫くんには本当に申し訳なくて、合わせる顔がないわ」
「八重樫くんにも開き直ればいいじゃん。避けたら逆に傷付くよ。八重樫くん、城咲さんのことが本当に大好きなんだから。城咲さんが誰を見てるのか、ずっと知ってて、なのにずっと好きなんだよ?」
「え……?」
え?
城咲さん、何でぽかんとしてんの? 何か驚いてない?
いやいや、まさかと思うけど!




