19-8 蛇腹禁止令
「ちょっとちょっと、有瀬くん。痛がってるじゃん、離してあげてよ、ほら。殴られてないから未遂だよ、未遂。問題ない問題ない。だから、ね?」
私は転がりながらも立ち上がり、遊佐さんを捕らえた有瀬くん腕にしがみついて説得した。
「問題なくない。那由多は何もしてないのに、こいつは殴ろうとしたんだろ? つまり、こいつは通り魔だ。二度とそんなことしないようにしとかねぇと危ない」
有瀬くんが真顔で言う。
いやいやいや、いきなり通り魔認定するとか極端すぎん!? 何て雑な思考なんだ!
「待って待って、いろいろ誤解がある! この人は通り魔じゃないの! 知り合いなの! ちょっとした勘違いがあっただけで、危ないことはもうないの! だからもう離してって、折れちゃうよ!」
「勘違いって何だ? わかるように説明してもらわないと安心できない」
「え、えぇ……」
わかるようにと言われても。
城咲さんまで絡んだ八重樫くんとのいざこざを、恋愛の概念のない赤子にどう説明しろと?
「ええっと……まず、紹介するね。この人は八重樫くんと久月くんのクラスメイトで……八重樫くんと同じ陸上部で……」
ギッと、耳慣れない音が鳴った。有瀬くんが掴んだ、遊佐さんの腕からだ。
ゾッとした。
遊佐さんがどんな顔をしているかなんて、とても見られなかった。
「や、やめて、有瀬くん。力、緩めて……お願いだから」
「八重樫と同じ陸上部で……それで何だ? 那由多、続き」
有瀬くんは無表情のまま、先を促す。
ダメだ、こんな調子で説明していたらとても遊佐さんの腕が保たない。
こ、こうなったら…………強硬手段を取るしかない!
思うが早いか、私は有瀬くんの背後に回り、地面を蹴って飛び上がった。そしておんぶするように背中に飛び乗る。
狙うは――左首! ついでにあの時の恨み、晴らさせてもらうよ!!
「ってぇ……何、那由多」
有瀬くんの身が揺らぐ。渾身の力で噛み付いた口を離し、私は叫んだ。
「遊佐さん、今だよ! 逃げて、早く! 無事逃げ切れたらもう私達に関わらないで! 次は助けられないからね!」
涙目で震えていた遊佐さんだったけれど、私の声を受けて僅かに緩んだ有瀬くんの戒めから一気に腕を引き抜き、蹌踉めきながらもすぐに駆け出した。
陸上部だけあって、逃げ足はとても早かった。
すぐに追いかけるんじゃないかと考えて、有瀬くんの首に腕を回して全体重をかけていたけれど、そこまでする必要はなかったようだ。
「首、苦しい……那由多、何してんだ。通り魔、逃がしてどうするんだ」
「通り魔じゃないっつってんでしょーがぁぁぁ! 少しは聞けよぉぉぉ、人の話を! 危うく有瀬くんの方が犯罪者になるとこだったんだからね!? バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないの!?」
ぐいぐい腕に力を込めて、私は怒鳴った。
「だって……また那由多が襲われたら困る」
「安心して、今後一切襲われないと断言できるから! あれは一時的な気の迷いってやつだったの! あの人はちょっと混乱してただけなの! 止めるだけで終わってたらヒーローだったのに、貴様はとっ捕まえて何しようとしてたんだよぉぉぉ!?」
「もう殴れないように、腕ボキボキにしとこうかと。蛇腹みたいに。今日那由多が言ってたの聞いて、面白いと思って覚えてた」
「蛇腹ぁぁぁ!? そんなこと私言った!? 言ったかな!? 言ったかも!? だからって面白がって参考にしないで! 金輪際人の腕を蛇腹にしようなんて思うなよ!? 絶対だよ!?」
「わかった、那由多が嫌なことはしない。それよりバイトの時間、大丈夫か? もう五時過ぎてる」
え……? そ、そういえば、周り、えらい暗くなってる……。
慌てて私は有瀬くんの背中から降りて、コートのポケットに入っていたスマホを取り出した。
「うわあ、まじだ! 行かなきゃ! って茉絢と久月くんは!?」
「ジム行くって。俺が通り魔捕まえてる間に、さっさと二人で帰ってった」
「いつの間にーー!? だから通り魔じゃないって言ってるでしょ! 私達も行くよ、有瀬くん!」
荷物も一緒に持ってきてくれていたようなので、そこだけはグッジョブして、私は有瀬くんの背中を押して慌ただしく競技場を出た。
噛み付いた首はそんなに出血していないようだったけれど、一応ティッシュを渡しておいた。ついでに一応の一応、謝った。
有瀬くんは特に気にしてないみたいで、那由多も噛めるんだな、などと意味不明なことを言っていた。普通に噛めるわ。食事は全て飲んでると思ってたのか、お前は。
遊佐さんのことは気になるけど……気にしたところでどうしようもない。もし怪我していたら、八重樫くんを通じて治療費を支払う、くらいしか思い付かないや。
本当にこんなのと関わらせてごめん。でも、これに懲りて、八つ当たりで無関係の人を殴ろうとするのはもうやめてくれる、と信じてる! 少しはプラスになることもあった、と信じたい!
「さっきみたいに背中に乗ってくれたら走って連れてくぞ?」
「連れてかなくて結構! いいから歩く!」
「首、噛み付いたけど、那由多も親と挨拶に来るのか? 責任取りますって」
「行かないよ! 二人の責任なんだから、わざわざそんなことしなくていいの!」
「那由多はクリスマスプレゼントに何がほしいんだ?」
「クリスマスプレゼントは……え?」
アホみたいな流れに不意打ちでまともな話題をぶっ込まれ、私は唖然とした。
おいおい、ここで持ってくる話じゃないでしょ。会話も雑だなぁ。
クリスマスプレゼントかぁ……正直、ゴミ以外なら何でもいいんだけどな。急ぎ足で歩きながら考えて、不意に思い付いた。
「そうだ、有瀬くんがクリスマスに恋人にあげたいって思うものがいいかな。誕プレもめちゃくちゃ嬉しかったし、有瀬くんが考えてくれたものなら何でも喜んで受け取るよ!」
「……一番難しいやつだ」
有瀬くんが呟いて、流麗な顔を苦悩に歪める。
フフフ、精々悩めばいいわ。私はもう決まってるから余裕だし!
「あ」
近道の住宅街を抜ける途中、有瀬くんが小さく声を上げた。それから、天に差し伸べるように腕と指を伸ばす。
「柊」
「え?」
どうやら私の苗字を呼んだんじゃなく、民家の塀を飾るクリスマスリースを指し示しているらしい。
そこには尖った葉の隙間から覗く、目にも鮮やかな赤い小さな玉があった。クリスマスホーリー、セイヨウヒイラギの実だ。
「柊の家の子だから、那由多はあれの仲間だ。大分前に覚えた」
出会って間もないあの頃、私の名前を頭に刻み込む際に、城咲さんによって辞書やら植物図鑑やらで知識を叩き込まれたらしい。
なるほど、だからシャーペンの色が赤だったんだ。謎が一つ解けた。
何だか妙に嬉しくて、ニヤニヤが止まらない。
あのシャーペン、もったいなすぎて家でしか使ってないけど、一生大事にしよう。
この先どれだけ泣こうが喚こうが、遊佐さんみたいに八つ当たりして逆ギレかまそうが腕を蛇腹にされようが、有瀬くんとの思い出が辛くなりすぎて何もかも捨て去りたくなる時が来ようが、あれだけは守り抜こう。
何の特徴も持たないどこにでもいるありふれた平凡な私に、好きな人がテーマカラーという個性を見出してくれた証だから。




