17-10 猛牛、本気出す
千極高校体育祭のリレーは、クラスから男女一人ずつ、全学年計三十六人の選ばれし者達で競われる。
コースを六つ使い、五人が百メートルを、アンカーのみ二百メートルを走る。男女の順番は、好きに決めていいらしい。
「ねえ、城咲さん」
「なあに、有瀬さん」
隣から含み笑いで答えた城咲さんを、私はシトラスの香るブカブカのジャージの中からキッと睨んだ。
「いい加減おちょくるのやめてよね! 有瀬くんのネーム入ったジャージ着てても、中身は柊那由多だよ! 私だってプレデターになっても城咲さんって呼んでたでしょ!」
「プレデターって呼んでくれても良かったのに」
「城咲さん、もしかしてハロウィンでプレデターやったの? えー、いいなぁ、わたしも見たかったよー」
反対隣から茉絢が声を上げる。
「あっ、写真あるわよ。吉良さんのラインにも送りましょうか?」
どうやら早速ラインを交換したらしく、城咲さんはウキウキを抑え切れないといった声で告げた。
茉絢も私と同じで、とっくに友達認定されてると思ってみたいけど、この人はいちいち宣言しないと理解してくれないんだよね。あんなに少女漫画とか乙女ゲーとかで語り合った仲なのに、自分のこと何だと認識してたんだろう? って茉絢も首傾げてたわ。
「やったあ、ありがとー! おお、本当にプレデターだ。すげー、この中身が城咲さんとは思えない。あ、めちゃ見覚えのあるナユがおる……うわ、やたら完成度高い殺人鬼がさらっと混じってるじゃん。何これ、クリスタルレイクで捕獲してきたの? いや、本物よりちっちゃいから新種か。日本にもいるんだね、こんな見るからに百人は軽く屠ってそうな奴」
茉絢の真央さんへの率直な感想に、私と城咲さんは揃って苦笑いで濁した。
あんたが悪魔と呼んでる奴の父ですよ……とは言わないでおこう。ますます有瀬くんが人外扱いされることが目に見えてる。
ちなみに梨奈ちゃんは城咲さんが現れるより先に気配を察知して、最前列一番奥の席に避難した。
梨奈ちゃんと城咲さんの関係もどうにかしたいんだよなぁ。有瀬くんの存在がある限り不可能に近いけど、完全に不可能ってことはないと思うんだよね。だって二人共、私とは仲良くできてるもん。
ある程度歩み寄って、互いを侵害しないラインさえ守れば……って今は考える時じゃないや。
「それより城咲さん、有瀬くん見た?」
「見たわよ。タスキ掛けて待機してるから、アンカーになったみたいね」
見てたのかよ! じゃあ何かコメントしてよ! 華麗にスルーしないでよ!
「何よ、その顔。留佳ならどこ走ったって可愛いんだから問題ないでしょ。プレッシャーを感じるタイプでもないし、自由に伸び伸び可愛く走るわよ。さっきは失敗したけれど、二百メートルなら写真にうまく収められるチャンスが巡ってくるかもしれないわ。全力疾走する留佳だけは、これまで一度も撮影できたことないのよね」
「あー……運動嫌いって言ってたもんね。長年一緒にいた城咲さんも滅多にお目にかかれないくらい、貴重な機会なんだ……っと」
第一走者が位置につく。私は口を閉じ、息を飲んで開始を待った。
「私こそ柊さんに聞きたいわ。どうやってあの留佳を動かしたのよ? キスの約束でもした?」
「キッ!? しないよ! そんな約束するわけないでしょ!!」
私の叫びに重なり、号砲が鳴り響く。
んもー、城咲さんのせいで大事なスタートシーンを見逃しちゃったじゃないの!
「じゃあ一体何なのよ?」
「一位になった数だけコンビニで何でも買ってあげるって言っただけ! ほらっ、観戦に集中しよ! リレーの勝負は一瞬なんだよ!」
城咲さんを早口で諭すと、私は視線をトラックに戻した。
「……ああ、なるほど。家で眺めてたアレ……それは気合入るのも無理ないわね」
城咲さんが何やらぼそりと呟いたけど、構っていられない。
あああ、一進一退の攻防だ……!
白組がギリ優勢か? いや、紅組が競り勝ってる? ああっ、またトップが入れ替わった! くうううう、目が離せない!
こちらが声援を送れば、あちらも声援を返す。応援し合う声にはやがて境目がなくなり、後半には紅白が一体となったエールがグラウンドを包み込んでいた。
ギリギリの鬩ぎ合いが続く中、アンカーまであと僅かというところでそれは起こった。
白組走者の一人がバトンパスをミスして、落としてしまったのだ。
私も思わず息を飲んだ。
湧いていた場内に、一瞬、静寂が落ちる。
痛恨のバトンミス。
本人もそれがわかっているんだろう。わかっているからこそ、焦っているんだろう。拾う手が震えているようで、なかなかバトンを掴めない。
「頑張れー!」
「大丈夫だー!」
「落ち着いて、いけるいける!」
白組だけじゃなく、紅組からも激励の声が飛ぶ。
自分を応援する新たな盛り上がりに背を押されて三年生らしい女子生徒さんは何とかバトンを拾った。しかし動揺のあまり足が動かず、走るのもやっとという状態だった。
その先輩女子さんをテイクオーバーゾーンギリギリの位置で待っていたのは、有瀬くんだった。
相変わらずぼさっと突っ立ってる。いくら有瀬くんでも、この流れにはちょっとビビってるかも……と固唾を飲んで見守っていたら、先輩女子がついにテイクオーバーゾーン付近にやってきた。
有瀬くんが無造作に手を伸ばす。すると先輩女子は、顔を歪めた。
ここからじゃよく見えないけれど、多分申し訳なさに耐え兼ねて泣き出したんだろう。バトンを持つ手を伸ばした先輩女子に向けて、有瀬くんの口がそっと動いた。
もちろん声は聞こえなかった。でも何となく、わかった。大丈夫、って言ったんだと思う。いつもみたいに。
バトンを手にするや、有瀬くんはやや前傾姿勢になって猛然と突進開始した。走る、じゃなくて突進だ。
いやいや待って待って、もう最後尾に追いついたし!
やっぱあいつ猛牛だよ! 間違いなく先祖に牛がいるよ! 多分父方の方に!
……なんてアホなことを考えてる内に、二人抜き、三人抜き、四人抜き、五人抜き、ついにトップに立ってこちら側のトラックに駆けてきて――少しスピードを落として、私に向けてバトンを持っていない方の手で人差し指を立てて見せた。そりゃそうだよね、ここまでくれば一位確定だよね、とつい笑ってしまった。
「サービスでもう一個追加するよ!」
その声が届いたのか、世にも美しい猛牛は再び速度を上げて怒涛の勢いでゴールテープを切った。堂々の一等賞だった。
こうして白組は優勝した。
さらに閉会式では体育祭大会MVPとして、有瀬留佳の名が呼ばれた。
が、当の本人は腹減ったお菓子寄越せ疲れた寝たいと言うばかりで、壇上に向かうことを拒否した。
仕方なくMVP特典でご褒美をさらにもう一個追加することを約束して、無理矢理行かせたよ。記念のメダルなのに、すっごく面倒臭そうに受け取ってたよね。何であんなのに授与したんだよ、もったいない。
まぁ確かに、参加した種目ではどれもこれもとんでもない活躍っぷりだったけどね……。




