3-1
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「……!!」
ヨア・ゲーアハルトは、早足で廊下を歩いていた。
ヴァレクト・システムの本部建物は広く、長い廊下とそれにくっつくように各部屋が連なった構造で、現実世界での学校の校舎などに似ている。
それが5階部分まであり、ギルドに入団して間もない団員はどの部屋になにがあるのかの把握がまずこのギルドの任務となる。
「あ、ヨア隊長……」
「ごめん。急用なんだ」
団員達からの信頼の厚いヨアが本部を歩いていれば、親交のある者から声を次々とかけられていく。
しかし、いつになく真剣な表情を浮かべた彼の様子を見てただ事ではないと察した団員達は、その後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。
ヨアは、1階から階段を降り、地下フロアに降りるとその先にある一つの部屋を目指した。
「失礼します!」
無機質な鉄製の重いドアを開く。
薄暗い室内の光景がヨアの視界に入ってきて……。
そこには、自分のよく見知ったヴァレクト・システム団長と、椅子に拘束されている先ほどまで自分と戦闘を繰り広げていた者の素顔があった。
「ヨア……!」
「……おや、ヨアくん。ここにキミを呼んではいないのですが……?」
わざとらしく作った笑みを自分に向けるクラヴィスに、怒りを覚える。
そして、その怒りは隠されることなくギルドの団長に向けて発せられた。
「こんな……こんな拘束はないでしょう!? 彼はこの世界に入ってまだ数日の初心者です! もっと冷静に話し合うことが出来るはず……!」
紫髪を揺らし、机に拳を叩きつけるヨア。
クラヴィスは、その態度を見て笑みを消し、ヨアの方を見ないで淡々と言葉を紡ぐ。
「ヨアくん。キミには、彼の戦闘データをとってくるという任務と、そのうえで彼をここに連れてくるという任務を与えました。その結果はどうでしたか?」
「どう、って……。ボクは……」
「戦闘は膠着。業を煮やした団員が仕方なく、試作段階の【スタンチャージャー】を使用して彼を気絶させ、ここに連れてきてくれました。……シルバーフレームは、思ったより遙かに手強かったでしょう?」
「……それは……」
「キミにはその後、ノルムの村での彼の行動について村のNPCに聞き込みを行ってもらっておりましたが……随分早いお帰りでしたね? まあ、報告書を待っていますよ」
「ボクには彼と戦ったデータの報告義務があります! 聞き込みなら他の団員が今詳しく行っておりますし、ボクは――」
「ヨアくん」
クラヴィスの鋭い眼が、ヨアに向けられた。
その威圧感に思わず怯み、一歩後退してしまうヨア。
「キミがこの尋問室に訪れたのは……どういった判断でしょうか?」
「…………」
押し黙り、俯くヨア。
場を凍り付かせるような静寂が、薄暗い部屋を包んでいた。
その様子を見ていたユウは、吐き捨てるようにクラヴィスに言う。
「治安維持ギルド、っていうのは随分殺伐としているんだな」
「……部外者のキミにはそう映るかもしれませんね、ユウくん」
「随分アンタはこのゲームに入れ込んでいるんだな。現実世界じゃ相手にされないからこの世界では部下を作って見下して威圧するのが楽しみ、って感じか?」
ユウの皮肉に、クラヴィスはにやりと笑顔を見せた。
「……【ゲーム】? ……ユウくん。キミはこの世界を、単なるゲームだと思っているんですか?」
「……。ダイヴギアが見せている超リアルな仮想現実……。五感を共有し、痛みも感情もゲームとシンクロし、一体化する……。でもそれでも、ニューレアルはただのゲームだ」
「あははははは。……キミは本当に、この世界にログインしてまだ日が浅いのですね」
クラヴィスの笑みはヨアに対しても、そしてユウに対しても高圧的で、相手を懐柔しようとするものではない。
見下し、蔑むためのものだ。
クラヴィスはおもむろに、机の上にあるものを乗せた。
それは銀の皿と、そしてそこに置かれた、拳より少し大きいサイズの……パンであった。
どうやらクラヴィスの横にある椅子にあったものらしく、ユウからもヨアからも死角になっていたようだ。
「ユウくん。このゲーム、ニューレアルでは通貨により物資とのやりとりを行うのが基本となっています。このゲームでの通貨単位は【レード】というのですが、このテーブルに置かれたパン一つは、何レードになると思いますか?」
唐突な質問に答える気にならず、ユウは少し首を捻って反応してみせる。
クラヴィスは苦笑して、その答えを言う。
「だいたいこのパン1つで10レード、というところでしょうか。……面白いでしょう? ゲーム内で必要となるのは武器やスキンのはずなのに、食べ物にまで値段がついている。何故だと思いますか?」
「何故、って、それは……」
「そう。……【味】を現実世界と仮想世界で共有できるからなのですよ。五感を共有するこのゲームでは、こんな仮想空間の中のパンにも価値が産まれるのです。……ですがね、それだけではないんですよ」
「それだけじゃない……?」
「このパンを食するとね。……実際に食べた満足感すら、味わえるのです」
「……あ」
その時、気付いた。
自分は数日前、団子屋の親父が差し出してくれた団子を食しているのだ。
あの時に感じた味。そして、匂い。だがそれだけではなく……腹を満たすような満足感も、確かに感じたのだ。
「現実世界における食事の満足感は、胃の膨張や食物の成分による血糖値の変化、ホルモン分泌などが同時多発的に起きることで得られます。……ダイヴギアは、その複雑な身体変化すら、シミュレートできるのですよ。仮想的な胃の膨張信号を脳に与え、血糖値が変動したという疑似信号を流し、満腹中枢を刺激し……まるで本当のパンを食べたような味に加えて、満足感すら得てしまうのです」
「……」
「そして、ここは仮想世界。……現実世界では存在しないような未知なる食材や魔法による新たな調理法……。美食家でなくとも、その【体験】に価値を感じ、金銭取引が行われる理由が分かるでしょう?」
ユウは、目の前のパンをじっ、と見つめている。
油断をすれば、ここが仮想世界だという事を忘れてしまうそうな、あり得ないリアリティ。
いや、実際に自分はもうすでに、ここを殆ど現実のものだとして受け入れてしまっているのかもしれない。
しかし、現実では食べ物を実際に食しているわけではない。
長くこの世界にいて、もしその疑似的な満腹感に浸り続けていたら、飢えてしまっている事すら忘れ、そして――。
その恐ろしい考えを頭からユウは振り払った。
そしてそんなユウの思考を見通したようにクラヴィスは笑う。
「ふふふふ。安心してください。ダイヴギアにはそういった人間の体調変化を読み取り、強制的にゲームからログアウトさせる機能がついております。健康的なその人のバイタルデータに戻るまでは、このゲームに再度ログインすることはできません」
「……な、なんだ……良かった……」
「……ふふふ。……では、次の質問です。先ほどこのパンは【10レード】程度と私は言いましたが……では、1レードは日本円にして幾らくらいだと思いますか?」
「……? え、ええっと……。……っていうか、ゲーム内通貨なんだろ?そもそも日本円に換算するのがおかしいんじゃ……」
ユウのその言葉に返答したのは、ヨアであった。
「リアルマネートレード。……RMTが、この世界では合法的に行われている。現実世界で金銭取引をし、それをこの仮想世界に持ち込むことができるんだよ」
「え……?」
「つまり、現実で富豪であればあるほど……。金を持っていれば持っているだけ、この世界では様々な取引を行い、武器を揃えたり、豪勢な食事をしたり、仲間や部下を集めたりすることに有利になるわけだ」
「そ……そんな……」
それじゃあ、まるで……。
ユウが口から出そうとした言葉を代弁するように、クラヴィスが言う。
「現実世界と同じ、なんですよ。……先ほどの答え。1レードは、10円程度……。このパン一つが、現実の日本通貨、約100円で取引をされております。……面白いでしょう?」
クラヴィスは、パンを指で軽く叩いた。
「食べても、現実の身体には何も残らない。それでも人間は、満たされたと信じる」
そしてにやり、と笑う。
「……これが、この世界です。単なるゲーム、と呼ぶにはあまりにも……現実世界と通いすぎているのですよ。物に価値があり、その対価の金銭が現実世界と交換可能であれば……このニューレアルを制する者は、現実世界を制する、と言っても過言ではないのです」
ユウの全身を、寒気のようなものが走った。
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