2-2
――
始まりの街、ルフィルドからそう遠く離れていない場所。
徒歩で数時間ほど歩くと、バーチャル世界とはいえ、目を奪うほどの美しい自然の木々や山々が視界に映りはじめる。
小さな森を抜けると現れるのは、山間の村。
木々を伐採し、開拓をしたであろうその村は木造の家が建ち並び、牧歌的な光景が広がっている。
ルフィルドに木材を届けたり、育てた野菜、飼育した動物の肉やミルク、加工食品を直送する事がこの村に住む住人の生業であった。
名を『ノルムの村』という。
村を流れる時間は、ルフィルドとは明らかに違っていた。
大通りを行き交う人々の喧騒もなければ、商人達の威勢の良い呼び声もない。
聞こえてくるのは、風に揺れる木々の葉擦れの音。畑で働く農夫達の穏やかな会話。遠くで鳴く鳥の声。そして、家畜たちがのんびりと草を食む音だった。
畑の脇では子ども達が木の枝を剣代わりにして遊び、軒先では老人達が椅子に腰掛けながら談笑している。
誰もが急ぐことなく、誰もが今日という一日を当たり前のように生きていた。その全ての人間が、このゲームのNPCであるとは俄には信じられない話である。
プレイヤーが冒険のために訪れる場所ではなく、誰かが確かに暮らしている場所として、この村はある。
ゲームのために作られた村ではなく、最初からそこにあった故郷のように。
ノルムの村には、そんな温かな空気が流れていた。
ニューレアルにログインをしたプレイヤーがルフィルドの街の外を冒険し、大多数がこの村に行き着く。
最も近い村であり、物流も盛ん。そしてなにより、バーチャルとは思えぬ雄大で豊かな自然と、NPCの生活をする姿を見てプレイヤー達はこの世界の広大さを知るのだ。
だが、あくまで小さなコミュニティであるこの村に滞在をするプレイヤーは、滅多に存在しない。
「おっ、帰ってきたな」
「おかえりー! ユウー!」
「ははは、今日もバグルをやっつけてきたのか?」
村の入り口。
木で出来た小さな門を開けて入ってきた一ノ瀬悠に、NPCは明るく声をかけた。悠は少し照れくさそうに頭を掻いて周囲の人々に笑顔を見せる。
「あ、うん。今日は二匹……」
「ふへー、やるなぁ!! おかげで助かってるよ。本当にここ最近、バグルの目撃情報が後を絶たないからなぁ……」
「前はそんなことなかったのにねぇ。ユウがいなかったらどうなっていたか……。本当に助かるわぁ」
髭をたくわえた農夫や、エプロンを着た恰幅のいい主婦が、ユウの周りに集まりながら声をかけていった。
そんな中、ユウの周りに数人の子どもが集まり、一際大きく明るい声をかける。
「ユウにーちゃん!! 今日も変身したの!? 変身!!」
「あ……ああ。もちろん……!!」
「うわー、見たかったなー!! もうちょっと村の近くで戦ってくれたらいいのにー!!」
「イヴァレックス!! めっちゃかっこいいもんねー!!装醒ー!!」
「ね、ね!にいちゃん!! 今度、変身するとこもう一回見せてよー!!」
「あ、あははは……」
子ども達の勢いに愛想笑いを返すことしか出来ないユウ。
そこへ、大きな女性の声が割って入る。
「こらー!!がきんちょども!!ユウは疲れてるんだからちょっとは気を遣いなさいっ!!」
ユウと子ども達が歩くあぜ道の正面に、エプロン姿の若い女性が一人立っていた。
赤髪のポニーテールと同じ、大きな赤い瞳。可愛らしい顔立ちだが、いかにも勝ち気な性格が表情に滲み出ている。
「げ、リラねーちゃんだ……」
「まったく……。ユウは見世物じゃなくて、この村を守ってくれている英雄で、一人の人間なの。無敵のヒーローなんかじゃないんだから」
「へーへー。ったく、うるさいなぁ……」
「なんか言った!?」
一人の生意気そうな男児が呟いた言葉を、リルと呼ばれた女性は聞き逃さず、頭に怒りマークをつけて睨み付けた。
「うわー!! リラが怒ったー!! 逃げろー!!」
「ユウにーちゃんばいばーい!! 今度また変身してねー!!」
それをきっかけにユウを取り巻いていた数人の子ども達は蜘蛛の子を散らすように自分達の家に逃げていった。
呆気にとられてその様子を見ていたユウのところへ、リラが近づいてくる。
「……ふう。ユウ、今日もお疲れ! いっぱい戦ってきてくれたんでしょ?」
「あ、う、うん」
「ウチおいでよ。勿論、お代はいらないからさ。いっぱい食べてって、ね?」
「いや、悪いよ。いつもいつも……」
「なーに遠慮してんのよ。さっきもいったけど、アンタはこの村を守ってくれてる英雄なんだから。感謝してるのはこっちなの」
「でも……」
「……あー、もう。いいからっ!! ほら、いくよっ!!」
「わ、わ、わ……」
遠慮がちなユウの手を、リラは突然握って駆け出す。
そんな二人の様子を、周りの村人達は微笑ましく見ているのだった。
「あの二人付き合ってるらしいぞ」
「いや、まだ告白してねえって」
そんな村人達の微笑ましい会話を背に受けながら。
笑顔があった。
喜びがあった。
安心があった。
この村は、生きていた。
そしてこの村にもし―― バグルなんていう凶悪なモンスターが入り込んでしまったら。
この村は……ここに生きる、ここにしかない命は、どうなってしまうのだろうか。
ユウの頭に、そんな不安が常にあった。
――
「……あー、おいしー……!」
思わず、そんな台詞が口から零れる。
五感を共有するメタバース空間。味覚への刺激、というものは特に現実世界との境界を曖昧にする安心感を得ることができる。
ここは、リルが看板娘を務めるノルムの村の小さな食堂だ。
他の家と同じく全体を木材で建築した食堂は、置かれているテーブルや椅子まで手作りの木製。
昼時の今は村の農業や林業に従事する者達の腹を満たす場になっており、がやがやとした賑わいと暖かな料理の良い香りが食堂を包んでいた。
そんな中、ユウは外の景色が見える窓際の席でミートソースパスタに舌鼓を打っていた。ミートソースに絡んだパスタと、大きめの挽肉の食感が実に美味である。
「ふふ、そうやって素直に言ってくれるのホント嬉しいわね。はい、コレ冷たいお茶」
「あ、ありがとう、リラ」
「今日はお客さん少ないと思ってたんだけどなー。お父さんも昼寝しちゃってるし、起こすのも可哀想だしなぁ……」
「手伝おうか?」
「ううん、いいの。お母さんもいるし。ゆっくりしてて。こっちのことは気にしないでいいから、じゃあね」
そう言ってリラはユウのテーブルにコップを置くと、笑顔で手を振って颯爽と厨房の方へ歩いていってしまった。
ユウは、その姿をぼーっと見つめながらパスタをフォークで巻いている。
「……惚れたのかー?」
肩から聞こえた耳馴染みのある声にユウはびくっ、と身体を震わせた。
「な、なんだよラゼ。相変わらず、人前になるとどっか行っちゃうんだから……」
「うるせーな、人間嫌いなんだよ。……うまそーなモン食ってるな」
「……ほら」
いつのまにか自分の肩に乗っている小さな生物に、ユウはフォークで巻き取ったパスタを差し出す。
ラゼは笑顔でそれを頬張ると、口にミートソースをいっぱいにつけながら咀嚼をした。
「んで、惚れたのかよ、ユウ。リラにさ」
「……そ、そんなワケないじゃん。俺、まだこの村に来て四日目だよ。いくらなんでも、そんなすぐに惚れ込むなんて……」
「だろーな。第一、この村の住人は全員NPCだ。プレイヤー同士の恋愛ならいざ知らず、いくらなんでもNPCに恋するなんてのはなぁ」
「……。別に、どっちでもいいだろ、そんなの……」
ふてくされたように窓の外を見ながら再びパスタを巻き取るユウに、ラゼが釘を刺すように言葉を続ける。
「あとなぁ。これは何度も言っているが、こんな序盤の村なんかに居座ってるプレイヤーはお前くらいだぞ、ユウ。大抵のプレイヤーはこの村の滞在をチュートリアルくらいにしか思ってねーんだからな」
「……う」
「ルフィルドの街と違う、牧歌的な村の風景や自然の景観なんかをプレイヤーに味わわせるための村だ。二日といればこんな村飽きちまって次の場所へと旅だっちまう。それが、お前に関しては今日で四日目。日が経つごとにこの村にどんどん馴染んでいって……お前、このままいけばノルムの村に永住しかねないだろ」
「……うう」
……実際、もうしばらくはこの村に留まろうとしていたユウであった。
そんな思いを察知していたラゼは溜息交じりに続ける。
「ニューレアルは別に、目的のあるゲームじゃねー。好きに過ごせばいいさ。ただ、こんな村に留まり続けることが本当にこの世界を楽しむ事に繋がってるのかって話なんだよ」
「……別に、楽しみ方は人それぞれだろ。俺は、別に……」
「お前のその力を、この村のためだけに使うのが良いことだと思っているのか?」
「…………」
そう言われてユウは少し黙り込むが、やがてはっきりと告げた。
「【バグル】の発生が顕著になってきている。だからこの村を守るのが……俺が、この世界でやるべき事だと思う。プレイヤーが見捨てた、この村で」
ラゼは、ユウの肩から呆れたような表情でその言葉を聞いていた。
だがユウは、続けてしっかりとした意思を声に出していった。
「このゲームのNPCは、生きているんだ。笑って、怒って、誰かを心配して、自分の言葉で話してる。……バグルが発生している今、俺がこの村を守らなくちゃ」
「……。プレイヤーはこのゲームで死ぬようなダメージを負ったとしても、復活ができる。だがNPCは二度と復活しねー。死んだら終わり……このゲームの中だけで存在できる、一つの命だ。……だがなユウ。それでも肩入れしすぎることはねーんだぞ」
「……だから、守らなくちゃいけないんだよ。誰も守らないなら俺が……!」
この世界でしか生きられない命がある。
だったら。
守る理由なんて、それで十分だ。ユウの決心は日に日に固まっていった。
――




