『寝物語の王子さま』
両手を組み、身体を流れる脈打つ力が抜けるのに比例して強く明滅する召喚陣は間違いなく異世界から勇者を喚ぶだろう。
だからシオンは願った。
もしも、勇者が自分の思い描いた通りのひとを呼ぶものだったならば良いのにと。心の片隅で。小さく、小さく。悪意に潰された泣きそうな声で切々と!!
(···助けて。此処からわたくしを連れ出して下さい、モードレッド様。)
強く風が吹いた。漆黒の焔が召喚陣の輪郭をなぞるように走り。眩い閃光となって弾けた。シオンが絶望しながら床に座り込んで見上げた先に居たのは焔の残滓を纏った狼の如き騎士だった。
鎧越しでさえも分かる鍛えられて堅牢となった巌のような体躯。背丈は高く、またシオンが抱き着いて腕を回しても指の先が触れることなどなさそうな太い胴回り。
凄惨な傷が物語る甲冑は精巧な造りをしていて騎士が一目で高貴な出だと示していた。
シオンは震えながら顔を上げ、騎士の顔をよくよくと見た。秀麗というより精悍という言葉がよく似合う、彫りの深い顔立ちをしている。
髪は短く整えられ、前髪は後ろに撫で付けられている。瞳は満月のように美しい金色で。その瞳を見詰めたまま何故か目が離せなかった。
知らない筈のひと。だというのにもうずっと前から知っていたような、不思議な既視感があった。
『お前たちのような悪党に聞かせるには私の名は些かばかり勿体ないのだが───。美しく可憐な淑女に名乗らないのは騎士の名折れと我が友、アグラヴェインは言うだろう。』
故に聞け。我が名はメドラウド!!ブリタニアの王、ウェールズの赫き竜たるアルトゥル王が一子!!古き預言にあって簒奪の王となることを定められた呪いの子である!人は謳った。
『簒奪の王モードレッドと!!』
『······モードレッド?アーサー王の息子で反骨の騎士の一人の?』
国王に、宮廷魔術師のザラールたちに雄々しく名乗りを上げた騎士にシオンは震えた。
夢を見ているのだと思った。拷問の痛みに、苦しさに耐えきれなかった疲弊した心が辛い現実から逃避して紡いだ夢だと。
だってシオンにあまりにも都合が良すぎる。
憧れの騎士が、正義の味方がシオンを助けてくれるだなんて夢でなければなんだというのか。けれどもモードレッドに、メドラウドに抱き上げられて。肌で感じた温もりが現実だと雄弁に語るからシオンはそこで初めて夢ではないと悟ったのだ。
シオンは浮き足だっていた。なにせ目の前に居るのは憧れ続けた円卓の騎士モードレッド。否、メドラウド。聞きたいことも。話したいことも沢山あった。
けれどもメドラウドが時おり見せる暗い翳りが気にかかり、根掘り葉掘り話をねだるのはなんだか躊躇われた。メドラウドの壮絶な半生。その一端に触れた今、どこまで踏み込むべきなのかシオンは分からずにいる。
両肩を軽く叩かれ、切り揃えてみたよとアディシラに促され鏡を見る。肩に掛かる長さでざんばらにされていた髪が綺麗に切り揃えられていた。毛先は軽く、頭の動きにあわせてさらりと髪が流れる。
シオンはそこで気付いたのだけれども見るに耐えない姿をメドラウドに晒していたのかと恥ずかしくなって涙目になった。
淑女失格だわと縮こまって嘆くシオンにアディシラはあの騎士様はあんたがどんな姿でも気にしないと思うけれどねぇとシオンの横髪を編み、頭の後ろでメドラウドの瞳と同じ色のリボンで結んでやりながら微笑む。
シオンがそれはつまり常にみっともないからなにをしたってわたくしの評価は変わらないってことですね···と鬱々と嘆くシオンにアディシラは苦笑してあの騎士様はあんたのみてくれを見て忠誠を誓った訳じゃないんだろう。
あんたの中身を見て、あんたになら忠誠を誓っても良いと思った訳さねと振り向いたシオンの両頬を手で挟み。あの騎士様はあんたがあんたであればそれで良いんだよ。
ようはね。清く、気高く純粋なあんたを騎士様は気に入ったのさとアディシラはシオンの頬を揉みながら笑う。
でも、好きなひとには可愛い姿を見せたい乙女心よねぇと頷くアディシラにシオンのまろい頬は一瞬で真っ赤に染まる。はくはくと言葉にならない叫びをあげるシオンに違うのかい?とアディシラに問われ。
違っ。違わなくはないですけど。わたくしがメドラウド様に抱く想いは。お、推しに対する憧れです!!と狼狽するシオンを見たアディシラは本当にそれだけかしらと化粧道具を用意して、なにか言いたげにする唇に薄く口紅を乗せる。
「シオン。今のあんたは誰が見たって恋をしている顔だよ。あんたはあの騎士様が好きなんだ。でなきゃ自分は誰とも触れあえないって告げた騎士様にこんな泣きそうな顔をするもんですか!」
「え、」
「自覚してなかったんだね。心底惚れた相手と添えないかもしれないだなんて。そりゃ、泣きたくもなるだろうさ。ましてあんたにとってはあの騎士様は初恋だろうし。」
「おば、伯母様っ。わたくしは別にメドラウド様と。こ、恋人になりたいだなんて。そんなたいそれたことは思っていません···!!み、身分が違いすぎますし!!」
本当なら、本当なら。メドラウド様は人に仕える立場ではなく、仕えられる立場の方なのです。そんなメドラウド様が騎士として仕え、忠誠を誓ってくだされた。
「それ以上のことを望むのはあまりにも不遜が過ぎるというものですわ、伯母様っ!!」
「シオン。それはもう好きだって認めたようなものさ。ねぇ、シオン。あんたはもっと我が儘におなりよ。」
あんたは女神セレスの乙女として。王太子の婚約者としてやりたいことも、欲しいものもぜんぶ諦めながら今日まで生きてきたんだ。
「だけど、シオン。あんたはもうなにひとつ諦める必要はない。自分の心のままに、望むままに。自由に生きても良いんだよ。」
「伯母様···」
「まずは押し倒すところから始めようか。」
「伯母様ァ!?」
「あぁ、汗や唾液なんかも毒なんだったね。だったらさ、解毒薬を前もって飲んどけばなんだかイケそうじゃないかい?」
「そーいう問題じゃありませんわ伯母様ァ!!」
アディシラに発破を掛けられて数ヵ月後。スルーフット領での暮らしにも慣れてきたシオン。長期間に渡る拷問で疲弊して傷付いた身体も徐々に癒え、当初は歩くことも出来なかったが。
伯母のアディシラの領主の仕事を手伝い、領内の視察について回り。女神セレスの乙女として領内に点在する女神セレスの祠に豊穣を願って祈りを捧げられるぐらいには元気になった。
メドラウドはというと鎧は脱ぎダグラスと共にスルーフット領内にある古い遺跡の発掘作業をしたり、領内の農園で力仕事をしている。
基本的にひとの口に入るものには触れず、更には厚手の皮の手袋を着用して。常に触れたモノはメドラウド自身が魔法を使い洗浄していて、作物の収穫以外のところで行われる細々とした作業の即戦力として重宝されていた。領民の年若い娘はよく働き、よく食べ。
更には物腰も柔らかでありつつも、どこか不器用さが感じられるメドラウドに色めきたっているらしく。積極的なものはメドラウドにアプローチを始めたと聞く。けれどもメドラウドはアプローチだとは気付かず。
スルーフットの人々は親切な人間が多いなと新参の自分に対する気遣いだと思っているものだから大変悩ましい。
遠回しにアレはアプローチだと伝えるべきか。でもメドラウドに伝えてそのままその相手をメドラウドが好きになったらどうしよう。
いやいや、わたくしとメドラウド様はただの主従ですわ。主とは言えメドラウド様の交遊関係。まして私生活に口出しする権利などありません。
でも、メドラウド様はわたくしの騎士なのにとアディシラ特製のふっくら焼きたてパンケーキを親の仇のように睨んでいるシオンにダグラスは無精髭を擦って。今日は二人とも仕事は休みだなとアディシラに目配せし。
アディシラはこのところ働き詰めだろ、たまには二人で羽を伸ばして来なさいなと魔法のような手際でシオンを着飾り。メドラウドと共に玄関を潜らせた。パタンと後ろで閉じた両開きの扉。
シオンとメドラウドは顔を見合わせて、ややあってシオンはおずおずと一緒に女神セレスの祠に行ってくれますかとメドラウドに問い。
メドラウドは喜んでと微笑んでシオンの右手を掬って口付けたがシオンはそこで気付いたのだ。肌に唇が触れていないことに。
その気遣いにシオンはなんだか無性に泣き喚きたくなった。
ああ、このひとは何時もこうやって周りの人間を自分の毒から守ってきたのだと察してしまったから。
誰とも触れあえないだなんて、呪いみたいだと。メドラウドが差し出した皮手袋に包まれた手を握り締め、いっそ本当に呪いであったならば良かったのにとシオンは思う。
シオンは女神セレスの加護の影響で呪いは効かないのだ。呪いであれば触れることが出来るのにと歯痒く思いながらシオンはメドラウドのエスコートで、スルーフット領に点在している女神セレスの祠に向かった。
「ダグ、進捗はどう?領内の古老衆に思い付く限りの解毒薬を作って貰ったけれど。これ、あの子らの役に立つかしら。」
「あー···。正直進捗は芳しくはないな。古老のじいさまとばあさまたちの薬学の知識は案外侮れない。参考になる。助かるよアディ。お、がらがら蛇の膏薬か。塗らずにいっそ飲ませるか。」
メドラウドとシオンが女神セレスの祠を巡りに行き、夫婦二人きりになったダグラスとアディシラは屋敷の書庫で調べものをしていた。
二人が調べているのはメドラウドの毒を無毒化する為の手懸かりだ。姪シオンの為。そして大事な姪の命を救ってくれたメドラウドの為に。二人は様々な医学書や薬学書を集め。時には民間療法の聞き取りをしていた。
ダグラスは古びた羊皮紙を険しい顔付きで眺めていた。アディシラがスルーフットの古老たちが作った禍々しい煙を吐き出す薬瓶をそっと棚に置いてから。ダグラスの肩から羊皮紙を覗きこんだ。
「···ん。アルビオン文字だね。どこかの遺跡の壁画の写しってところかい?モチーフはクロコダイルのようだけど。より、巨大だね。隣に描かれている人間が小さく見える。まるで、」
「怪獣みたいなコイツはバジリスクっていう伝説の魔物だ。この壁画は現存するアルビオン帝国の遺跡で最古のもんだ。」
壁画の写しによれば身体に流れる血は猛毒で。川に落ちたほんの一滴の血で川の水を飲んだ一万人が死んだって話だ。
「まるでメドラウドみたいだろ。奴さんの話を聞いてこの壁画の写しのことを思い出したんだ。」
「···ダグ。このバジリスクって魔物の毒は無毒化することは出来たのかい?」
「この壁画には続きがある。アルビオン文字を解読すると《──聖なる乙女が招きし聖獣ユニコーンの角を削りて魔獣バジリスクの毒に苦しむ一万人を救わん》ようはユニコーンの角にはバジリスクの猛毒を無毒化する力が、効能がある──!」
問題はバジリスクもユニコーンも。今では超希少生物ってことだとダグラスは掛けていた眼鏡を外し、眉間をほぐす。どちらも居ることには居るんだね?と聞くアディシラにダグラスは壁画のある遺跡とその周辺には確実に居る。
少なくとも百年前には棲息してることは把握されてる。問題は遺跡があった場所は現在魔王の支配下にあるということだとダグラスは古い地図と現在把握されている魔王の支配下にある地域が記載された現在の地図出す。
二枚の地図を見比べてアディシラは一般人は立ち入ることも出来ないし。バジリスクにもユニコーンにも近づけないって訳だねと嘆息を溢す。
そう、一般人ならば。
「······ダグ。あの子らなら行けてしまえるんじゃないかしら?」
「危険だぞ。なにせ魔王の膝元。本拠地だ。」
「でも唯一の手懸かりが此処にある。」
「今も棲息しているか分からない。」
「ダグラス──。あんたはなにを迷っているんだい。」
あんたにはあの子らを助けられる手段があって。その筋道も頭のなかに出来てるんだろ。なにも躊躇う必要はない。留守ならアタシに任せておくれ。
「三人がいつ帰って来ても良いようにベリーたっぷりの美味しいソウトゥティーグを沢山焼いて用意しとくからさ。」
「アディシラ。」
「ダグ。諦めるにしてもね。理由ってヤツは居るんだよ。やれるだけのことをやって。頑張るだけ頑張ったんだーって思えなきゃ。積もり積もった後悔で心が根ぐさりしちまうんだ。」
徒労かもしれない。けれども、その徒労はあの子らには前に進む為に必要なんだ。それにね、バジリスクもユニコーンも居ないだなんて決まってないわ。行くだけ行って。探してきたら良い。
「となると旅支度をしなくちゃね。旅慣れた道先案内人も居るわ。ダグ、貴方の知識であの子らを導いておあげよ。まあ、アタシがなにか言わなくたってダグはそのつもりだったんでしょ?」




