『スルーフットで朝食を』
シオンの伯父と伯母に揃ってボンクラと呼ばれるシオンの元婚約者シャルルのあまりにも低すぎる評価にメドラウドは少し憐れむも。
清く気高く、淑女の鏡のようなシオンを貶める男に憐れみなど不要だなと思い直し。
私はレディ・シオンに仕えるメドラウドと申します、マダムと隙のない礼を取る。
アディシラは堅苦しい挨拶は無しさと片目を瞑り。先ずはお茶にしようじゃないか。珈琲とソウトゥティーグ。ベリーのパンケーキは好きかい?と朗らかに、豪快に笑った。
「このパンケーキはすごいな。とうもろこしという穀物だったか?このとうもろこしの粉で出来たパンケーキは主食にもなるしデザートにもなるのだな。」
目玉焼きにベーコンとチーズを乗せたモノも美味だったが、やはり私はたっぷり甘酸っぱいベリー入れて焼いたモノが好きだな。さっぱりしたベリーの甘さと香ばしいとうもろこし粉の生地が素朴ながらに味わい深くて···。
「ベリーを混ぜて焼いたモノは確かソウトゥテーグといったかな。ブルーベリーのジャムを追加で乗せるとまさに楽園の食べ物だな。」
「いい食べっぷりね!婿殿、此方のフルーツサラダもお食べよ。朝採れの新鮮なオレンジを使っていてね。」
うちの農園で採れるオレンジは甘いのが特徴よ。東国の蜜柑という小振りの珍しいオレンジを掛け合わせたモノで爽やかな酸味がありつつも果汁たっぷりでとにかく甘いよ。
「ソウトゥテーグもまだまだあるからさ!」
テーブルを挟んで歓談する美男美女を見たダグラスは絵になりすぎて嫉妬しそうだと呟き。そんなダグラスに姪のシオンは伯母様もメドラウド様も美男美女ですものねと苦笑し、メドラウドと語らう伯母のアディシラを眺め。
シオンは思わず自分の胸と伯母の胸を見比べた。もう少しわたくしにも胸があればと子供っぽい体つきなことに凹んだシオン。
メドラウドが仕えるに値する淑女になろうと決めたけれども、わたくしは淑女には程遠い気がしますわと膨らみの小さい胸に手を乗せた。
シオンの伯母アディシラはダグラスよりも上背が高く、めりはりのある身体をしていて美しい金髪に翠色の瞳と檜皮のような艶やかな褐色の肌を持っていた。
特徴的なのは頭部にある毛皮に包まれた耳。食後にミルと呼ばれる破砕器で煎った香ばしい豆を砕きながらアディシラは獣人は初めて見たかい?とメドラウドに笑う。
不躾にすまないと生真面目に謝るメドラウドにアディシラはアタシは気にしないさ。
だがエランは多種族国家だからね。ひとの視線を気にするヤツも居るってことは頭の片隅に置いといておくれと返し。アタシはね、コヨーテと狐の獣人なのさと屈託なく笑う。
コヨーテ?と首を微かに傾げたメドラウドにシオンは荒野に生息する大きな狼に似た犬です。
伯母様たちのご先祖様はコヨーテの精霊で。伯母様のように獣の精霊を先祖に持ち。獣の特徴が身体に現れた方々をエランでは獣人と呼ぶのですと説明した。
スルーフット領の方々はコヨーテの獣人ですと続けたシオンにダグラスは他にも熊や狐に蛇とかアメリゴには多くの獣人が居ると話し。
嫁さんは父親が狐の獣人でな。コヨーテと狐。両方の特徴を併せ持ってるとアディシラから渡された粉になった珈琲豆をネルフィルターに入れポットのお湯を落とすようにして注ぎ入れていく。
香ばしくもどこか甘やかな薫りが立ち上る。金属のマグカップを並々と満たす褐色の水。
先ずは一口飲んでみてくれと促されたメドラウドは素直に珈琲を口に含み。雷に打たれたような顔をしながらなにかを訴えるようにシオンを見た。
「毒ではありません。珈琲は苦いものなのですメドラウド様。」
断じて伯母様と伯父様は意地悪をしている訳ではないので安心してください。慣れると癖になる苦味なのですが、いきなりストレートはキツいですよね。
「ミルクと砂糖をいれましょうか。苦味が和らいで飲みやすくなりますから。」
シオンはクスクスと笑ってメドラウドのマグカップにミルクピッチャーを傾け、たっぷりとミルクを注いで角砂糖を三個落とす。
ティースプーンで混ぜられ、ベージュ色になった珈琲をメドラウドは怖々と口にして。ふわりと纏う空気を和らげながら、美味いと笑った。
「あはは!気に入ってくれて良かったよ。うちのひとも実は珈琲がものすごく苦手でねぇ。」
ミルクを入れないと飲めやしないのに、発掘現場に遊びに行った時に見学の礼に珈琲を淹れたら無理してストレートで飲んでいたの。あんまりにも辛そうだから無理しないでミルクを入れたらって言ったらね。
苦いのは得意じゃないけどアタシの好きなモノを自分も好きになりたいから珈琲の苦さは克服したいって照れながら言われてアタシは思ったのさ。
「このひとだけは絶対に逃がすもんか、必ずモノにするわ。このひとはアタシの男よって。」
「出逢って三日目でプロポーズされたし、夜這いされたので男として責任を取りました···。」
ギラリと目を底光りさせて、背後に雄々しく舌舐めずりする雌のコヨーテと狐の幻影を背負ったアディシラにメドラウドはダグラスの言っていた言葉に納得した。
自分の意志を通すには実力行使だと。成る程、これが実力主義というモノかと。シオンは獣人社会は女性があらゆる意味で強いのですと苦笑した。
「狩りは女の仕事だからねぇ。良いオンナは自分で獲物を見つけるし、旦那も自分で捕まえるもんさ。そーいう意味ではシオンも良いオンナだ。なにせ、こーんなに格好良くて強そうなオトコを見つけてこれたんだし!」
ちょうど珈琲を口に含んだところだったシオンは微笑みを湛えたまま珈琲を噴き出した。気管支に入ったらしく噎せるシオンの背中をすかさず擦るメドラウドにアディシラは甲斐甲斐しいオトコなんて最高じゃないかとますます微笑み。
シオンは絞り出すように、わたくしとメドラウド様はそういうアレじゃないですわよ伯母様···!!と顔を真っ赤にして主張するけれども。
アディシラは。ああ、今は婚約期間ってことかいと返し。シオンはぶわりと毛を膨らませる。
違っ、ちがいます。わたくしたちは主従です!それ以上の関係にはならないし。な、なれないというか···!と狼狽するシオンにメドラウドは生真面目にレディ・シオンには私より相応しい方がいらっしゃると苦笑を溢した。
アディシラがシオンじゃ不服ってことかしらと問うとメドラウドはまさかと否定したけれども。
私は──。私は誰とも添い遂げられぬ身だと目を伏せて微笑み。もし、仮に恋人と呼べるものが出来たとしたら。間違いなくその恋人は初夜で死ぬことになるだろうと諦めを滲ませた寂しい横顔を見せたメドラウドにシオンは息を飲んだ。
アディシラはスパッとあんたの体躯じゃ、奥さんを抱き壊しちまうってことかいと聞き。メドラウドは僅かに目を泳がせて。それもあるにはあるのだが···。私の体液は猛毒なのだとアディシラたちに打ち明けた。
シオンは召喚した時にメドラウドが言っていた言葉を思い出した。ダグラスがなんでまたそうなったと問うと幼少期から毒の耐性を付ける為に、母であるモルゴースは多種多様な微弱な毒を食事に盛り、少しずつ強い毒に慣れさせた。
その結果、私の体液は一滴でも体内に入れば死に至らしめる猛毒と化したとメドラウドは語る。
唾液すら猛毒なので初夜が恋人の命日になりかねない。というか口付けすらまともに出来ないのだと眉を下げて。恋人は勿論のこと、この身体では妻など持てよう筈がないのだとメドラウドは苦笑した。
(身体に流れる血は一滴で人を殺める猛毒ならば汗や唾液も···。)
それを聞いてメドラウド様には恋人は居ないのだと安心してしまったわたくしはひとでなしだわ。何時からこんなにも悪どい女になってしまったの。
(あの異世界人の少女が言うように、わたくしは確かに悪役令嬢かもしれない。)
シオンは乱雑に切られた髪をアディシラに鋏で切り揃えて貰いながらぼんやりと鏡台に映る自分から目を下に逸らし、メドラウドの半生に想いを馳せる。
シオンにとってメドラウド。モードレッドは英雄だった。弱気ものを助け、強大な敵に剣と勇気だけで立ち向かう正義の味方にシオンは焦がれたのだ。
シオンが寝物語に父や母にねだるのは何時も恐ろしい竜に勇猛果敢に戦いを挑む、円卓の騎士であるモードレッドの冒険譚だった。
寝物語を聞いて寝かしつけられる歳でなくなっても、シオンの心には円卓の騎士モードレッドへの憧れが焼き付いていた。
自然、騎士というものに憧れを持ち。一時は母のような女騎士を目指していたこともある。もっとも、女神セレスの乙女に選ばれ。王太子シャルルの婚約者となり。
未来の王妃、国母になることが決まってからは淑女らしからぬことはするなと周囲に剣を握ることは許して貰えなかった。
思えばシャルルの婚約者になってからは制限ばかりの日々だった。王妃教育は過酷で余暇はまったくなく。言葉や仕草、着るものから食べるもので細かく制限され。
更には両親から引き離されて召しあげられた王宮でシャルルに同調して灰被りと嘲笑う人々の悪意の籠った視線に耐えていたシオンに心休まる時は殆どなかった。
唯一、シオンが安息を得られるのは眠る前の読書の時間だけ。実家から持ち出した円卓の騎士たちの、モードレッドの物語を読む時だけがシオンに与えられた安寧だった。
救われていたのだ、モードレッドに。
同時に夢を描いた。この暗く、狭く。冷たい場所から、人々から。モードレッドのような騎士が助け出してくれないかと。
夢は夢だ。叶うことはないと分かっていた。それでもシャルルに冷たくあしらわれ、虐待のような王妃教育に心挫けそうな時。
シオンの曲がりそうな背中を真っ直ぐに伸ばしてくれたのはどんな敵にも怯まずに果敢に戦うモードレッドの勇姿だった。
婚約者のシャルルは円卓の騎士に、モードレッドに憧れを抱き続けるシオンを嘲った。虚構の存在にすがるなど馬鹿げていると。だがシオンはそう思わない。
確かに絵物語の存在は文字によって形作られた虚構だ。けれども、文字は頭のなかで実像を結び。心のなかで息づき、動き出す。シオンの心のなかで確かに虚構の存在である円卓の騎士たちは、モードレッドは血が通った人間として生きていたのだ。
シオンが憧れを捨てない限りモードレッドは存在する。心のなかでシオンを鼓舞し続ける。
異世界から迷いこんだアリスという少女が王宮に保護され、シャルルを虜にした時も。
ブロセリアンド学園に特待生として入学したアリスの所有物を壊し、物置に閉じ込め。男子生徒に襲わせ、怪我を負わせたとやってもいない悪事で断罪され悪役令嬢と嗤われた時も。
両親と共に国家転覆を謀る国賊の汚名を着せられ投獄され、来る日も来る日も拷問を受けてもシオンが身の潔白を訴え続けられたのも。心にモードレッドが居たからだ。
絵物語のモードレッドは冒険譚のなかで時に敵に捕らわれ、掲げる正義を貶められることがある。それでもモードレッドは挫けなかった。例え、どれだけ悪に貶められたとしても自分が正しいことは他ならぬ自分自身が知っている。
そして盟友が、愛する父が自分を信じてくれている。理不尽に抗い、戦う理由はそれだけで十分だと心を奮い立たせるのだ。だからシオンはモードレッドのように理不尽に必死に抗った。
背中を鞭打たれ、皮膚が裂け。肉が抉れて血を流そうと。爪を剥がれ、僅かな食事に毒を盛られて内臓が爛れるような苦しみを味あわされても。
耐えて、耐えて。両親の釈放と領地の返還を対価に勇者召喚の実行を命じられた時も戦っていた。冷たい悪意にたったひとりでシオンは抗っていた──!!
けれども本当は誰かに助けて欲しかった。
悪意が怖い、痛め付けられた身体が痛い。父と母に会いたい。伯父に抱き締めて欲しい。
伯母の作るベリーが沢山入った甘いパンケーキが食べたい。柔かな干し草のベッドで眠りたい。
この石造りの凍える程に冷たい牢獄から出たい。
『死ぬのはこわい!!死にたくない──ッ!!』
シャルルも国王も、勇者召喚を唆した宮廷魔術師のザラールも事が済めばシオンをきっと殺すだろう。或いは更なる勇者を、異世界人を召喚させる為にシオンを使い潰す筈だ。
(いや、いや、いや!!こんなこと本当はしたくない──!!)
召喚される人間にだって家族が居るのに。友が、父母が、或いは恋人が居る!まして生まれ育った世界を、故郷を捨てさせ。救済という名の下に剣を持ったことすらない人間に。
(生き物を殺したこともないような人間に、勇者というだけで魔王を殺せと強制することのなんと罪深くも醜いことか──ッ!!)
それでもシオンは天秤に掛けられた両親の命の為に勇者召喚に力を貸すしかなかった。
手枷を嵌められ、震えながら召喚陣を描いた。シオンは祈った。名も知らぬ、貴方よ。どうか此処に来ないで──!!と。




