幕間『不思議の国のアリス①』
私、あなたをみてこれは奇跡だと思ったのよ。美しいひと。花のようなひと。存在そのものが宝石のようなあなた。
私はあなたをみて心に決めたの。今度こそあなたのなにもかもを手にいれてみせるんだって────
「シャルルよ、我が愛しき息子よ。賢明なお前なら私が言いたいことは既に分かっていような。」
「ええ、いよいよアリスを女神セレスの乙女として大々的にお披露目するのですね。民たちもアリスを一目見ればあの女は偽者だったのだと理解する筈。早急にパレードの段取りを詰めて、」
「シャルル殿下。陛下はこう仰せなのですよ。真に女神セレスの乙女なのか疑わしい。それ故に身の証を立てさせよと。」
「·········は?」
ログレス王国。その王宮にて、謁見の間には玉座に据わる王とその息子たちが居た。自信に満ち溢れた。ともすれば傲慢さを持ち、不遜に笑う王太子シャルル。
その後ろに控え、沈黙を貫く銀灰の髪に薄紫の瞳を持った青年は静かに己が父とその傍らに侍る宮廷魔術師を観察していた。
青年はシャルルの異母弟のクレティアンだ。ログレス王国の現国王には側妃が居た。
五年前、壮健そのものであった側妃が急逝。加えて、側妃の兄だった宰相カイウス・ぺルルが国賊として投獄されたことでクレティアンは最大の後見を欠くことになった。
側妃の名はヘルツェロイデ・ぺルル。宰相カイウスの血を分けた妹だ。本来、連座でクレティアンも廃嫡ないし蟄居を命じられる筈だった。
だがとある疑惑が持ち上がったが為に離宮での謹慎を解かれてこの謁見の間に呼びつけられた。
国王の、父の言葉にクレティアンはやはりかと嘆息し。如何に己の恋人が清らかで素晴らしい女性であるのか、女神セレスの乙女としての正統性を抗弁する兄のシャルルに胸中で笑い。
本当に清らかな乙女は婚約者が居る相手を籠絡などするまいよ。兄の頭には海綿でも詰まっているのか。いや海綿すら入っていないことが証明されたなと叔父のカイウス譲りの毒舌を呟く。
清らかな乙女というのは私の従姉妹であるシオン殿のことを言うのだとクレティアンは苦々しく思う。
クレティアンの従姉妹に当たるシオンは女神セレスの乙女に選ばれるのが当然な、清廉で素直な気質の少女だった。幼い頃から交流があったシオンはクレティアンにとっては姉同然。
クレティアンが前世と呼ぶべき記憶のせいで精神的に不安定な時、支えになってくれたシオンをクレティアンは慕っていた。
女神セレスの乙女となったことで兄のシャルルの婚約者に選ばれた時は本当の姉になるのだと嬉しく思うと同時に不安も抱いた。
兄は尊大だ。それでいて根は異様なまでに卑屈で己より優れた容姿と恵まれた才覚を持つ者をとかく憎んで蔑み、攻撃的になるという悪癖があったからだ。
シオンが王宮に召しあげられ、初めて顔をあわせた日にクレティアンも居合わせたが。シャルルはシオンにもやはり悪癖を発揮した。
珍らかな銀雪に似た灰色の髪にアステルを思わせる美しい花紫の瞳、人形めいた愛らしく整った顔立ちのシオンは本来なら女領主となるべく育てられただけあって聡明だった。
会話しただけでその聡明で豊かな知識を持ち合わせていることは直ぐに分かる。
叔父のカイウスに似ず毒舌ではなく。罵倒の語彙も少なく、悪態をついても頓珍漢になるところなどクレティアンからすれば愛らしい。
もし叔父やクレティアンのようにシオンが毒舌かつサディスティクな性格だった場合、道を盛大に誤る者が増えただろう。クレティアンは天の采配を本心から讃えた。
だがクレティアンからしたら好感しかないシオンの長所はシャルルからしたら短所だった。
顔をあわせれば辺境の田舎娘、芋臭令嬢、高慢ちきの知ったか女、灰かぶりだの。家族から引き離されて王宮に召しあげられて心細い想いをしているいたいけな少女にシャルルは心無い言葉を浴びせた。
その度にクレティアンは間に割って入って叔父譲りの毒舌でもってシャルルを言い負かしていたが、友好国モデナにあるガルガーノ学園に留学を命じられ。
味方のない王宮にシオンを残していくことに不安を残しつつも王命であったことから。三年間、クレティアンは乳兄弟と従者だけを連れてモデナ国で勉学に励むことになった。
シオンが心配だったので手紙を何度も送ったが返事はなく、シオンの性格からして手紙が届いているなら返事は出す筈だと疑念を抱きながら。
突如モデナからログレスに呼び戻されたと思えば叔父のカイウスと叔母アンドリヴィテが国賊として投獄されている上に、シオンも女神セレスの乙女を偽証した大罪人だとして投獄されるも脱獄して行方不明だと言う。
クレティアンもカイウスに荷担していた疑いが持ち上がったとして謹慎された訳だが。
シャルルの言う真の女神セレスの乙女である異世界人の娘、アリスに疑いを持つ声が聞こえ始めている。シオンの行方不明を機にログレス王国の各地で作物の不作に見舞われている。
種は芽吹かず、実っても作物は枯れるか腐り。飛蝗も飛び、どうにか収穫したものも喰われ。更には水源も枯れ細り、家畜も次々に死んでいくという。
まるで女神セレスに見放されたかのように大地は荒廃し、民衆は困窮していく。これを女神セレスの怒りだとして。その理由は国に。シャルルにあると見た。シオンが女神セレスの乙女であることは広く民衆に知られていた。
加えてブロセリアンド学園でシャルルが真の女神セレスの乙女だと標榜して、異世界人のアリスという娘に侍り。更にはシオンを様々な微罪で断罪したことも。
シャルルがアリスに傾倒しシオンと婚約を破棄していたことも何者かの采配によるものかすべて知られていた。
故に民衆はこう思った。
婚約を破棄されたシオンがやはり女神セレスの乙女であり。異世界人の娘こそ女神セレスの乙女。聖女を語る大罪人なのだと。
民衆はシオンの両親、叔父カイウスと叔母アンドリヴィテが投獄されていることも把握していて辣腕を奮っていたカイウスの復権と釈放を求めて王都カムロドゥノンで暴動を起こしている。
王家の威信は下がる一方だ。シャルルを王太子とすることについても懐疑的な声が上がって来ている。
そんな最中に兄のシャルルより民衆に人気があるクレティアンを廃嫡すれば民衆はより王家に疑念を抱くだろう。
だからこそ謹慎が解かれた訳だが異世界人の娘が女神セレスの乙女であることを証明しろと告げた父。
というよりも父を裏で操る宮廷魔術師のザラールにクレティアンは鋭く薄紫の瞳を眇めた。
落ち窪んだ目だけを向けたクレティアンの父にザラールは頷き。王は女神セレスの乙女であると証明すると共に王家の威信回復の為に魔王の討伐をシャルル殿下、及びクレティアン殿下に命じますと口許に弧を描く。
「魔王の討伐を──、」
「おお、勇敢なるシャルル殿下よ。貴方こそが今代の勇者であられる。聖女アリスと共に西の最果てにて座す魔王なる者を倒し、我が国に平和をもたらすのです──!!」
「ゆ、勇者はあの芋臭い灰かぶりが喚び、」
「シャルル。」
「ち、父上ッ!!」
「···これは王命であるぞ。余の命令に逆らうか。シャルルよ。余はどちらでも良いのだ。王になるものがどちらであっても、どうでもいい。この言葉の意味。お前ならば正しく理解しよう。」
「ッ直ぐにでも出立致します。必ずや王命を果たしてご覧にいれます。」
「クレティアン。お前は如何致す。」
「私は兄上の足を引っ張りかねないので別行動を取らせて頂こうかと。」
クレティアンは無感動に空虚な目を向けた父に微笑み、謁見の間を後にした。
王宮の端にある元は側妃であるクレティアンの母に与えられた離宮でクレティアンは従者のエレックとエニードが集めた情報を聞き、執務机に置かれた険しい顔で乱雑に切られた己と同じ銀灰色の髪束に歯噛みした。




