幕間『不思議の国のアリス②』
クレティアンの説明を促す眼差しに男装の騎士エニードが、シオン様が投獄された監獄の看守が売れば金になると密かに所持していたので少々言葉を交わし、快く渡して頂きましたと語り。
エニードから話を継いで大柄で熊を思わせる騎士エレックがシオン様は国王と宮廷魔術師ザラールに勇者召喚を強要されて異世界人を召喚。
その後にこの異世界人と共に脱獄をはかって行方不明となったものとみられますとクレティアンに報告した。
クレティアンはあの抜け目のないザラールのことだ。既にシオン殿の居場所は掴んでいるだろう。間諜を放ち、ザラールの身辺を探らせろと従者たちに告げた。
クレティアンはシオンの髪に触れ、奥歯を軋むほどに噛み締める。幼き日にクレティアンが異なる世界でアルトゥル王に仕える円卓の騎士。
ペルスヴァルとして生きた前世の記憶が蘇り、自分はペルスヴァルなのか。クレティアンなのか。前世と今世の自己の境界が曖昧になり酷く不安定となり人格に歪みが生まれたとき。
その苦しみを、悩みを吐き出せたのは従姉妹のシオンだけだった。シオンは前世のペルスヴァルも今世のクレティアンも自分には大事な存在だと。
二重人格のようになりかけていたクレティアンをあるがままに受け入れてくれたからこそクレティアンの精神は落ち着き、現在のクレティアンという独立した個を得た。
ペルスヴァルの記憶を持ちながらも、己はクレティアンという新たな人間なのだと思えたのはシオンが居てこそだ。故にクレティアンにとってシオンは恩人でもあった。
だからこそクレティアンはシオンを苦しめた兄のシャルルも、シオンを貶めた挙げ句に利用した父と宮廷魔術師のザラールを赦しはしない。
まして事の発端、元凶たる異世界人の少女アリスもクレティアンからすれば嫌悪の対象だった。クレティアンはエニードが差し出した任意で使い魔の見ているものを映す魔術道具に眉を跳ね上げた。
ちょうど、兄のシャルルが異世界人の娘アリスに王命によって魔王討伐をすること。アリスも同行し聖女であると。女神セレスの乙女だと証明するように命じられたことを告げているところだったが様子が可笑しい───。
「なぜ、俺が魔王討伐などせねばならん!!」
そも、あの女が逃げ出さなければこんなことにはならなかった!芋臭令嬢め、灰かぶりめ!!
「つくづく俺を苛立たせてくれる女だな、アレは!! ヘルツェロイデ殿とは似ても似つかない不出来な贋作の癖に──ッ!! 」
シャルルは癇癪を起こして手当たり次第にモノを壊すなかアリスはうっそりと笑った。躾がなってない犬のように感情を昂らせ、がなるシャルルをその腕で抱き締め。アリスは優しく微笑みながら慰める。
ええ、ええ。わかってるわ。貴方は特別な人。誰よりも優秀で神様に選ばれた素晴らしい人だものと。彼女、アリスは腕に抱き締めるシャルルに甘く、甘く囁き。
魔王討伐を。否、シオンを探し出すように唆す。貴方を窮地に追いやったあのひとを見つけ出して捕まえて。私の為にと。
言葉巧みにシャルルをその気にさせてアリスは笑う、嘲笑う。
蔑みながらも、貶めながらも。その実はシオンに醜い所有欲を拗らせていたシャルルにお前にあのひとは勿体ないわと慈母の笑みの下で酷薄に嗤った。
『おねえさま、おねえさま、なぜですか紫苑おねえさま──!!私を愛していると仰有ったではありませんか···!!』
『有栖。ええ、わたくしは確かに貴女を愛しています。義妹として。家族として。けれどもそれだけですわ。わたくしは貴女が望む形の愛は与えてはあげられない───。』
有栖には最愛の義姉が居る。
紫苑という美しいひとが。
有栖は妾腹の無戸籍の子供だった。親の愛を知らず、四畳半の狭い部屋で辛うじて息をしているだけのぼろぼろの有栖を見つけ出して掬い上げてくれた。女神のように清らかな義姉の紫苑。
日本人には珍らかな銀灰色の髪、花紫の瞳をした美しいひとであった紫苑は血の繋がりが本当にあるのかすら不確かな義妹に惜しみ無く、様々なモノを与えてくれた。
清潔な服、温かな寝具、頬が溶け落ちそうな美味な食事。
そして優しい抱擁を。
産みの母親に与えられなかったモノを紫苑が有栖に与えた時から有栖の世界は紫苑を中心に回っていた。
有栖は義姉の紫苑を愛していた。紫苑を一番に愛しているのは自分だと自負してもいた。
だが最愛の姉の視線は有栖だけをみてくれなかった。
多くの人間に愛され、多くの人間を心から愛する紫苑を有栖は自分だけで独り占めにしたかった。
だから有栖は嫌悪する両親譲りの恵まれた美貌と身体を使い、紫苑と関わりがある人間を自分の取り巻きに変えていくことにした。
紫苑の友人、紫苑の家庭教師、紫苑の恋人、紫苑の幼馴染み、紫苑の憧れの人。そのすべてを有栖は自分の虜にした。
紫苑は孤立させれば自分だけを見てくれると信じて。
だが紫苑は有栖を見ようとはしなかった、見てくれなかった。奪えるモノはすべて奪ったのに紫苑は有栖が欲する唯一のモノだけはくれなかった!
『愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して、私を愛してよ紫苑おねえさま───!あなたがこんなにも好きなの。あなたのすべてが私は欲しいの。あなたが愛してくれるなら私はなんだって捧げます!!だから、』
『有栖、わたくしは貴女に家族以上の情は持てない。わたくしは貴女に恋慕を抱くことはありませんわ。貴女はわたくしを盲目的に慕っている。けれども貴女は正しく貴女を見て愛してくれるひとを見つけるべきだわ。』
『いや、いや。そんな言葉が聞きたい訳じゃないの。私は紫苑おねえさまに愛されたいのよ!!』
けれども、どんなに泣き縋っても紫苑は有栖を愛してくれなかったばかりか。有栖を置いて死んでしまったのだ。
有栖の取り巻きが嫉妬し暴走して、有栖と紫苑が通う学園の屋上から紫苑を突き落とした。だから有栖は紫苑を追って屋上から飛び降りた。紫苑の居ない世界で生きる意味なんて有栖にはなかったから。
そして有栖はとある女神によって異世界アヴァロンに招かれたのだ。
既視感はそこかしこに散らばっていた。このあとに起きることを識っていると。それはシャルルを見て確信に変わった。此処は義姉の紫苑によく似たキャラクターが出ているからプレイしていた乙女ゲームの世界だと。
有栖は主人公のアリスとして振る舞いつつ、注意深く周囲を。シャルルを観察した。そんな有栖にシャルルは婚約者の愚痴を溢す。シオンという名の女神セレスの乙女が如何に野暮ったく詰まらない女か。
アリスは逸る想いでシャルルを言葉巧みに誘導して、シャルルが気に入らないという婚約者と会う機会を作らせた。そして出逢ったのだ。愛しい義姉と生き写しの少女シオンと。
清らかで無垢で慈愛をもって周囲と接するシオンを見て有栖は確信した。シオンは義姉の紫苑だと。紫苑の生まれ変わりに違いないと!!
「ああ、アリス。お前だけだ。俺のことをまことに分かってくれるのは···!」
「私はシャルル殿下の味方よ。貴方を一番に理解してあげられるのは私だけ。どうか私の為にあのひとを。シオン・ぺルルを必ず捕まえてね───」
アリスは最愛の義姉を真似て微笑み。産みの母親を思わせるから腹の底では激しく嫌悪し、毛嫌いする男に甘く蠱惑的に囁く。それだけで男は、シャルルは有栖の思い通りに動いてくれる。
シャルルが意気揚々と有栖の許から立ち去る。堪えきれないとばかりに有栖はクスクスと笑いだした。
「ああ、今度こそおねえさまを手にいれたい!」
でもおねえさまはきっと今のままでは私のことなど愛さない。だから私はおねえさまを取り巻くすべてを奪い尽くす。
「穢し貶め、あらゆる尊厳を剥ぎ取りなにもかも無くしたぼろぼろのおねえさまに手を差し伸べるの!」
私がおねえさまに救われて恋に落ちた時のように。そうすればおねえさまは私を盲目的に愛さずにはいられなくなる···!
おねえさま、待っていてね。私があなたからすべてを奪い尽くし空っぽになったあなたに私の愛を詰め込むのよ!あなたの世界が私を中心に回るの!!私の世界があなたを中心に回るように!!
「ああ、なんて素敵な未来かしら···!!私を此の世界に連れてきてくれた女神様、貴女に心から感謝します!!貴女が望むままに必ずや此の世界に不和をもたらすことを私は誓います!!」
私は女神の乙女、忠実なる信徒なのですもの───!!
ウサギを追ってアリスは不思議の国へ。トランプ兵とアリスは踊る、アリスは歌う、アリスは嗤う。
愛しき者のすべてを己の愛というペンキで塗り替える日を、穢し尽くせる日を夢見て愚かで憐れなトランプ兵を見えない糸で操りながら────。




