過去 10
「あなたが社交界に出るのは早かったようだな。身分が上のもの、年上のものに対する礼儀が全くなっていない。社交界に出るならそれ相応の知識と教養を身につけるべきだ。それができないのなら、あなたはここに来る資格がない」
イフェイオンは妹にとって最悪な現実を淡々と伝えた。
できることなら丁寧な言葉ではなく、もっと乱暴な言葉を使いたかった。
エニシダの前でなければ、例え彼女の妹でも容赦しなかったであろう。
妹は顔を真っ赤にして目に涙を耐え、子鹿のようにプルプルと震え出した。
イフェイオンが妹から顔を背けるなり、とうとう耐えられなくなりその場から走り去って行った。
エニシダは妹の後ろ姿を一瞥した後、恥ずかしそうにもう一度謝罪の言葉を口にした。
「あなたは……」
悪くない。悪いのはあの令嬢だ、と言おうとしてやめた。
イフェイオンにとって妹は礼儀知らずの令嬢だが、エニシダにとっては家族であり、これ以上悪く言うのは彼女も批判することになる思ったからだ。
だが、エニシダからしてみればイフェイオンの心情など知らない。
名前を聞かれたと勘違いしても仕方ない。
エニシダは目を伏せた後、名を名乗った。
「大変失礼しました。自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません。お初にお目にかかります。私はオルテル家の長女、エニシダ・オルテルと申します。我が国の英雄であられる公子様にご挨拶申し上げます」
エニシダは国一の教育係を持つ皇女りよも完璧なお辞儀をした。
もしこのお辞儀をした者がエニシダでなければ、素晴らしいなと感嘆な声をあげただろう。
ここには二人だけで誰もいないのに他人行儀な話し方。
何より「お初にお目にかかります」という言葉がイフェイオンをどん底へと突き落とした。
イフェイオンはこれまでエニシダとの思い出のおかげで戦場で生き残ることができた。
それほど幸せで特別な思い出だった。
彼女もそう思ってたらいいな、と思っていたのに、初対面だと言われて傷ついた。
それ以上に忘れられていたことが悲しかった。
イフェイオンは頭では何か言わなければと思うのに、口を震わすだけで何も言えなかった。
国の英雄と褒められた今の自分の姿は客観的に見ても、ひどく情けない。
月が雲に隠れ、光が消えたおかげで自分と彼女のいるところが暗くなり、顔を隠してくれた。
無言が続き、ただ時だけが流れた。
はっきりと顔は見えないのに、なぜか視線を逸らすことができなかった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
そんなに見つめ合っていない気もすれば、長い間見つめ合っていた気もする。
そんなときにイフェイオンは後ろから声をかけられた。
その声は初めて聞く声で、後ろを振り返ると使用人の服装をしており、パーティー会場から自分を探しにきたのがわかった。
「陛下がお呼びでございます」
「……わかった。今行く」
陛下に呼ばれたのなら、例え何をしてでも駆けつけなければいけない。
「エニシダ嬢。また会おう」
話したいことは沢山あったが仕方ない。
忘れられたことは悲しいが、これからまた一から関係を作っていけば問題はない。
イフェイオンはそんな希望を込めて「また会おう」と言った。
「はい。またお会いしましょう」
エニシダが笑った。
大人になったのだから昔と笑い方は変わるだろうが、イフェイオンはその笑い方が少しだけ寂しく感じた。
イフェイオンはエニシダに背中を向け皇宮へと早足で向かった。
一刻も早くこの場から立ち去らなければ、陛下の元に行くことができないと思ったからだ。
一度後ろを振り向くと、エニシダは頭を下げたまま動かないでいた。
自分の姿が見えなくなるまで、その姿勢でいるつもりなのだろう。
そんな姿を見たら余計に早く立ち去らなければならないと思った。
イフェイオンは陛下に呼ばれ部屋に入ると、そこにはオルテル伯爵もいた。
大切な話で呼ばれたのはわかるが、イフェイオンは話に集中できなかった。
エニシダと別れて、急に心臓が異常な速さで動き出したからだ。
ずっと会いたいと思っていた。
それは命の恩人であり、大切な友人だからくる感情だと認識していたが、どうやら違ったみたいだった。
自分は彼女のことが好きなのだと理解した。
陛下には「顔が赤いが大丈夫か」と尋ねられたが大丈夫ではなかった。
でも、大丈夫です、と言うしかなかった。
一週間後には、魔族が出没したと報告があった場所に調査に出かけてくれと命じられた。
ようやく自分の気持ちを知ったのに、想いを伝えられないまま死んだらと想像するだけで怖くなった。
いや、それ以上に自分が死んで彼女が殺されたらと思う方が恐ろしかった。
絶対に誰にも殺させない。守ってみせると、改めてイフェイオンはこの日誓った。
だが、イフェイオンはこの誓いを守ることはできなかった。




