過去 9
イフェイオンは悩んだ末にエニシダと話すことに決めた。
どうしても、もう一度話をしたかった。
例え、自分のことを忘れているとしても別にいいと思った。
ただ、あの頃のように話したいと思った。
建物の中は探し終え、庭に出ると満点の星空が視界に入り、あまりの美しさにイフェイオンの口から感嘆の声が漏れた。
この景色を彼女と見たい、そう思った。
イフェイオンは皇后自慢の庭園に足を踏み入れると美しい薔薇の花たちに歓迎された。
風が吹いてなくとも、甘く優雅な華やかな香りがした。
皇后が自慢するだけあって、この庭園は美しいが、イフェイオンには孤児院の周りに咲いていた花たちの方が好きだと思った。
庭園を抜けて暫く歩いていると前の方に噴水が見えた。
近づかなくても噴水の前に誰かがいるとイフェイオンは気配でわかった。
一歩、近づくたびにその人物がエニシダだとわかった。
後ろ姿しか見えないが確信した。
月は雲に隠れ、顔もドレスは真っ黒にしか見えないが、イフェイオンは自分の直感を信じた。
戦場とは違う、初めて体験する心臓の早まり方にイフェイオンは緊張した。
イフェイオンが何も言えずに、その場に立ち尽くしていると人の気配を感じたのか、エニシダが振り返った。
雲に隠れていた月がゆっくりと顔を出し、噴水の周りを照らし出した。
目が合った。
距離は少し離れていたが間違いなく目が合った。
イフェイオンは月の光が自分のところまで照らし始められ、導かれるようにエニシダに近づいた。
「久しぶり元気にしてたか?」「元気そうでよかった」「会いたかった」なんて話かけようか、悩んでいると、こちらに向かって走ってくる気配をイフェイオンは感じだが、エニシダから視線を外すことはできなかった。
「お姉様」
突然現れた令嬢はエニシダを見るなり、甘ったるい声を出した。
社交界に参加するからにはある程度の教養があるはずなのに、その一言で令嬢には教養がないとわかった。
その予想通り、令嬢はイフェイオンを見るなり勝手に「イフェイオン様」と呼んだ。
初対面にも関わらず、自分より階級が上の貴族に対して許可も得ずに名前も呼ぶのは暗黙のルールとして禁じられている。
貴族なら教えられなくても知っていて当然のことだとされている。
それを知らないとは随分と甘やかされているのだと思った。
その両親も貴族として未熟なのだと思わざる得ない。
注意をするのも馬鹿らしく、無視しようとしたら令嬢が近づいてこようとした。
「申し訳ありません。ルーデンドルフ公子様。妹のご無礼をお許しください」
すかさずその令嬢の腕をエニシダが掴み、代わりに謝罪した。
だが、その令嬢は自分が悪いことをしたとは微塵も思っていないのだろう。
心底不思議そうな顔をした。
「気にしてません。顔を上げてください」
例え妹のためだとしても、エニシダが自分に頭を下げている姿が苦しくて、今すぐにでも辞めてほしくて早口で言った。
「公子様の寛大なお心に感謝します」
貴族同士であり階級が違うのだから当然の態度だが、それが妙に寂しく感じた。
それに加えて妹に教養がない。
そんな彼女の前で、昔のような口調で話したらどうなるか簡単に想像できる。
エニシダの対応は間違いなく正しい。
それを寂しく思う自分がおかしいのだとイフェイオンは自分に言い聞かした。
「あ、イフェイオン様。私………」
妹は状況が全く把握できていないのか、許しをもらってすぐ同じ間違いをした。
エニシダが「アドリアナ」と強い口調で咎めるように注意するが、それを不快そうに睨みつけこちらに近づいてきた。
エニシダはそれを必死に止めようとしていたが、手を強く振り払われたせいか体がよろけ、転ばないように耐える方を優先して妹を止めることができなかった。
妹は邪魔者がいなくなり、嬉々とした表情で自己紹介をしようとしたが、イフェイオンはそれを無視して通り過ぎて、エニシダの元へと向かった。
「大丈夫か」
よろけた体を支えるため、イフェイオンは腰に腕を回して支えた。
その瞬間、あまりの腰の細さに驚いた。
貴族の女性は美しさに囚われ、腰の細さに囚われている。
細ければ、細いほどいい。
そんな美の基準の中で生きていると母親と妹のエリカの会話から知っていたが、これは酷すぎると心配になる細さだった。
「申し訳ありません。ありがとうございます」
エニシダは目を見開いた後、すぐに我に帰り慌ててイフェイオンから距離を取った。
イフェイオンは突然温もりが消え寂しく感じたが、すぐに我に帰って「気にしなくていい」と言った。
「イフェイオン様!どうして私を無視するのですか!?」
彼女の妹は暗くてもわかるくらい顔を赤くして、無礼な態度を取ってきた。
イフェイオンはとうとう我慢ができなかった。
今ここで妹の無礼を見過ごせば、この先もエニシダが彼女のために頭を下げ謝罪をすることになる。
それが、どうしてもイフェイオンには許すことができなかった。
「令嬢」
イフェイオンは冷たい声で妹に話しかけた。
妹は話しかけられたことがよっぽど嬉しかったのか、自分の置かれた状況に気づかず、うっとりとした表情でイフェイオンを見上げた。




