過去
ああ。誰か、誰でもいい。
これが嘘だと、夢だと誰か言ってくれ。
イフェイオンは横になっているエニシダを見つけて瞬間、泣き崩れた。
震える手を伸ばし、そっと指先に触れると氷のように冷たく、頭の中でどれだけ否定したくても死んでいると、その冷たさから嫌でも現実を突きつけられた。
イフェイオンは冷たくなったエニシダを抱きしめ、身分を忘れて泣きじゃくった。
何度も心の中で謝り、これまでの自分の行いを後悔をした。
こんなことになるくらいなら、もっと必死になって捜すべきだった。
それ以前に呪われたと知ったときに、引き止めるべきだった。
いや、それよりも前に会うたびにきちんと想いを伝えるべきだった。
婚約が決まったときに、自分の気持ちを伝えておくべきだったのだ。
例え、そのときは受け入れてもらえなくても努力をすればいいだけのこと。
そうしていれば何も伝えられないまま別れることなどなかった。
エニシダも一人で死ぬことはなかったかもしれない。
ありもしない、もしの世界も想像するだけで自分がどれだけ愚かな存在だったのかと突きつけられる。
エニシダはどんな表情で最後を迎えたのか知りたいのに、涙のせいで見ることができなかった。
体中の水分がなくなるくらい、イフェイオンは長い時間、泣き続けた。
太陽が三回登った頃にようやく涙は枯れた。
それでもまだ、イフェイオンはエニシダが死んだという現実を受け入れることができなかった。
涙が出なくなった頃には感情が抜け落ちたかのように、何も感じなくなっていた。
目の前の景色も美しいと思えなくなった。
色鮮やかな美しいと思っていた世界も、今では味気なく何にも感じなくなっていた。
これからどうやって生きていくのかわからなくなっていたイフェイオンは、このままここで死ぬのもありだと思った。
いっそのこと本当に死んでしまおうか、と剣を抜こうとしたが、自分が死んだ後にエニシダをきちんと埋葬してくれる人がいるだろうかと考えると、いい人物が思い当たらなかった。
家族は当てにならないし、友達もいない。
そもそも他の人に任せたくなかった。
自分の手で最後くらいは、きちんとあの世に送り届けてあげたいと思った。
エニシダを埋葬するなら、普通なら家族の近くの墓にするだろうが、彼女もその家族も互いに近くに墓を立てたくないだろう。
イフェイオンは今にも倒れそうなほどの頼りない背中を丸めながら、エニシダを抱えて国に帰還して、初めて会ったあの場所で彼女を埋葬することに決めた。
もしかしたら、エニシダはここにずっといたいのかもしれない、とその考えが頭をよぎったが、昔彼女が言った「もし死んだら、私はここで埋葬されたいな」という言葉を思い出して、そんなはずはないと否定した。
イフェイオンはエニシダと初めて会った日を鮮明に思い出すことができる。
彼女を好きになった瞬間のことも、昨日のことに思い出すことができた。
※※※
「この程度の腕前のままでは、初陣がイフェイオン様の墓場となることでしょう」
イフェイオンの手から簡単に剣を落とすと、男は呆れたようにため息を吐いた。
イフェイオンは剣を五歳から始めて今年で五年になるが、一向に剣の腕が上がらない。
男にはその原因がわかっていた。
イフェイオン本人のやる気がないせいだと。
男もできることなら無理強いはしたくない。
心優しい少年であるイフェイオンに人の命を奪う剣の道は向いていないとわかっていたが、ルーデンドルフ家に産まれてきた以上、彼はこの道を進む以外の生き方を許されない。
イフェイオンに残された時間は後三年。
それまでの間に、彼をあの地獄の中で生き残れるほど強くできるのか不安だった。
だが、やるしかない。
できなければ、イフェイオンは死んでしまうのだから。
どうにかして、やる気を出させようと模索するがどれも効果はなかった。
最近、イフェイオンの双子の妹であるエリカに友達ができたらしい。
その友達は侯爵家の娘だとか。
その娘と恋にでも落ちて、強くなるきっかけにでもならないかとあり得なくもない想像をしていたその日から、三ヶ月経ったころにはイフェイオンはいつもと違い、剣に対してのやる気度が変わっていた。
「……いや、まさか、本当に?あの小生意気なイフェイオンが?恋したのか?」
男は首を軽く横に振り、そんなはずはないと否定する。
だが、イフェイオンのいつもと違う顔つきに、どこか遠いところを見て、恋しそうな瞳をしているのを見た瞬間、男は「まじか」と思わずにはいられなかった。
そして同時に、人を変えるのに一番効果的なのは、やっぱり恋だよな、と改めて思った。




