第104話 ユーリーのお話④
本当の記憶?それとも夢?自分でもよくわからない記憶が断片的に頭を過る。
皆と一緒にいても楽しいと思えない。歌いたいとも、踊りたいとも思わない。
気が付くと一人になれる場所にやってきて、そこに腰を下ろして、ただ空を眺めている。大きな地球が見える。地球ってどんなところなんだろう?
神たちが守護する地球。そのためだけに存在する神たち。
強大な力を持つ彼らが唯一出来ること、それは地球の守護である。
言い換えれば、他には何も出来ない。そもそも自分の望みというものを持つことが出来ないらしい。そんな神たちに唯一許された彼らのための存在、そして唯一の安らぎ。それが神使だそうだ。
その話を聞いた時、僕は何も感じなかった。でも、今は、神も僕たちも自由を奪われ、エデンに囚われた存在のような気がしてしまう。
そんなことないのに…十分幸せなはずなのに…これ以上何を望む必要があるんだろう?いや、ないはず。そう、僕はきっと疲れているんだ、湯で体を清めて、ぐっすり眠れば、きっと元通りになる。
そう思い、宮殿の湯殿に向かった。出来るだけ一人のんびりと湯に浸かりたかったので、人気がない湯屋を探した。
その中の一つでヌアが湯浴みをしていた。数名の神使たちが彼の髪を梳いていた。
『ここはやめておこう、他の湯殿に行ってみよう。』そう思って、その場を離れようとした時、手前の柱のところに隠れるようにして立っているミンジーが目に入った。何をしてるんだろう?と思い、彼女を見ていると、彼女はヌアの髪を梳いている神使たちを見ているようだった。
『何をしているの?』と声を掛けようと思ったけど、あの時の僕を見る彼女の視線を思い出し、声をかけるのを躊躇った。
そして、その場を離れようとした時、逆にミンジーから声を掛けられた。
「ユーリーも盗み見?」
「え?盗み見てはいないよ。人気がない湯殿を探しているだけ。」
「へえ、人気がない?ユーリーでもそんなこと考えるんだ。」
そう言って、ミンジーはちょっと嫌な笑い方をした…ような気がした。
「ミンジーはここで何をしているの?みんなと一緒にヌアの髪を梳かないの?」
「…私はいいの。髪を梳くなんて、大勢でする必要ないでしょう。」
「まあ、そうだけど。」
以前ならば、何人で髪を梳いていようが気にしたことなんてなかったと思うけど。ミンジーも僕と同じく疲れてるのかな?
「何かあったの?疲れてるんじゃないの?」
そう声をかけると、ミンジーは少し怒ったような表情になって
「何もない、私は大丈夫。」
そう言って、その場を去っていった。
すっかり、湯浴みをする気分じゃなくなってしまったので、また一人で、木陰に腰を掛けて考え事をした。『話したくなったらいつでもおいで、お前は気づいているようだから。他の神使たちが気づいていない事を…一人で抱え続けるのは苦しいことだよ。』ヤガの言葉が頭の中で何度も繰り返される。
彼女に話したからってどうなるものじゃない気がする。でも、彼女は何か知っている、やっぱり、彼女に話をすれば何か分かるかもしれない。そう思い、立ち上がって彼女の離宮に向かった。
彼女が住む離宮が見えていた。ここまで来てしまったことを少し後悔している。彼女に話をすることが良い解決方法だとは思えない。でも、ずっとこのまま、良くわからない記憶に振り回されるなんて、きっと耐えられない。重い足取りで進んだ。
入口の扉の前で立ち止まり、引き返そうかと暫し悩んだ。
そして、扉の叩き金を握って扉を叩いた。すると、直ぐに扉がゆっくりと開いた。
「いらっしゃい。そろそろやって来る頃だと思ってたよ、ユーリー。」
優しい口調でそう言って、僕を中に招き入れた。
奥の広間に通され、そこに腰を掛けた。
「話したいことがあるんだろう?なんでもいいんだ、お前が話したいことを話せばいいよ。」
そう言って、僕の言葉を待ちながらヤガは水たばこを吸った。
「…ありもしない記憶が頭を過るんだ。存在していない女の子の記憶が…」
そう話を切り出して、僕は、僕の空想の仲間であるラプナとヴォルディナの話をした。
その話を聞いたヤガや暫く考え事をしながら水たばこを吸っていたが、
「それは、本当の記憶だよ。その二人は存在していた。」
「…どういうこと?誰に聞いてもそんな子知らないって、みんなそう答えたんだ。」
悲し気な視線で彼女は僕を見つめた。
「可哀想に…でも、それはエデンに住む者の掟の様なものだから仕方がないのかもしれないね。」
そう言って、白い煙るを口から吐き出した。焦げついた苦い花の様な香りが辺りを漂った。
「でも、仕方がないことなんだよ。ヌアはお前たちを愛してる、心からね。だから、そうするしかなかったんだ。皆を苦しませないために、兄も苦しかっただろうね。」
どういう意味だろう?ヌアがラプナとヴォルディナに何かしたのだろうか?他の仲間たちにも何かしたのだろうか?
「彼女たちはもうエデンでは生きていけなかったんだろうね…だから、兄は…そして、彼女たちの記憶をお前たちから消去した。稀にあることだよ。ただ、みんなその事を忘れていつも通りに過ごしてるってだけの話だ。でも、お前の記憶は残ってしまったんだね。」
どういう意味?
「驚くのは無理もない。でも、兄を恨んじゃだめだよ。兄はお前たちを心から愛している。」
「…ヌアが彼女たちに何をしたの?…僕たちの記憶を消去したって…どういう意味?」
「…さあね、彼女たちの身に何があったかは私は知らない。でも、お前たちの記憶から彼女たちの記憶は消えた。ってことは、兄が消去したんだろうね。」
そう言うと、ヤガは深い深いため息をついた。
「罪深い兄を許してあげて欲しい、私は彼を愛してる。ユーリーわかるかい?愛してるっていう意味が?」
「…愛してる?好きってことだよね?」
そう答えると、ヤガはクスりと笑って
「全然違うよ。私にとって彼が全てだ。彼のためならば自分の身を犠牲にしたっていいと思える。」
「…犠牲にする?」
何のために?
「お前たちにはわからない感情かもしれない…いや、そうでもないか。中には理解しているものもいるかもしれないね。でも、そうなったら、このエデンでは暮らしていけない。」
「…理解しているもの?…誰かいるの?」
「いるかもしれないね…そうそう、自分を犠牲にしてもいいってくらい愛するってことは、その反面、憎しみも抱いてしまうものなんだよ。まだ、ユーリーには早すぎる話だけど。」
そう言って、またクスりと笑った。
「…憎しみ…」
「直ぐにわかるものじゃない、でも、いずれわかるだろう。この苦しみが生きている証ならば、お前も、遠くない未来にそれを実感するかもしれない。悪いことじゃない。人間ならば、ごく普通のことだから。」
「…」
「それと、一つ言っておかなければならないことがある。ヌアを本当に愛してるのは私だけ、ヌアを支えられるのは私だけ。お前たち神使ではなく、私なんだよ。そのことを兄もお前たちも理解しなくちゃならない。」
そう言うと、彼女は立ち上がり。
「落ち着くまで、ここでゆっくりしていけばいい。いつまでいてもいいんだよ。」
そう言って、彼女は立ち去って行った。
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