第103話 ユーリーのお話③
池の畔に咲き乱れるアイリスの花を摘んでヌアの宮殿に飾った。
ヌアがこの花の香りが好きだと言っていたので、花が咲いているのに気が付いたときは、彼の部屋に飾るようにしている。
「ユーリー、ありがとう。とてもいい香りだ。」
ヌアに声をかけられた。
「ヌアに喜んでもらえて嬉しいよ。」
そう答えた。
僕たち神使は神と話をするときに、敬語は使わない。
彼らにとって僕たちは家族だから、敬語で話す必要はない。
そう言えば、ヌアに聞きたいことがあったんだけど…何だったっけ?
「この花は、どこに咲いていたんだ?」
ヌアが尋ねてきた。
「池の畔だよ…そうだ、池の畔で歌を歌っていた女の子…誰だっけ…」
僕がそう言うと、ヌアが僕の肩に手を掛けてほほ笑みながら言った。
「みんな歌がうまいからね、池の畔で歌を歌うものもいるだろう。きっと、気持ちがいいだろうな。」
「そうだね、いつでも綺麗な花が咲いていて、動物たちも集まってくる。池の畔で歌うのは気持ちがいいだろうね。」
僕がそう答えると、ヌアが言った。
「ユーリー、私のために一曲歌ってくれないかい?」
「もちろんだよ。そうだ、あっちで皆と一緒に歌うから、ヌアも行こうよ。」
そう言って僕はヌアの手を引いて、みんなのところに向かった。その時には、もう池の畔で歌を歌っていた女の子の事は忘れていた。
宮殿の広場に行けば誰か仲間がいるはず、そこで皆と一緒に歌を歌ってヌアに聴かせてあげようと思った。
広場に向かう途中で、両手に沢山のアイリスの花を抱えてこちらに向かって歩いてくるミンジーに会った。
「ミンジーも広場に行って一緒に歌を歌わない?」
そう声を掛けると、
「このお花をヌアの部屋に飾ってから行くわ。」
とミンジーが答えた。
「奇遇だね、僕もさっきアイリスの花をヌアの部屋に飾った所。でも、沢山ある方がヌアも嬉しいよね。」
そう言ってヌアに目をやると、ヌアは優しく微笑みながら答えた。
「ああ、沢山あればそれだけいい香りが部屋を包んでくれる。ミンジー、ありがとう。」
その言葉を聞いたミンジーは、黙って僕たちの横を通り過ぎて行った。そして、彼女は広場にはやってこなかった。
仲間の一人が、真っ赤な木苺を見つけたと言って、みんなを木苺摘みに誘った。
木苺は甘くて酸っぱい木の実だ。沢山食べたいものではないけど、あのさっぱりとした酸味が好きで、一つ二つ口にすることはある。
摘んだ木苺は砂糖と一緒に煮詰める。煮詰めたものはそのまま食べたり、お茶に入れたりして楽しむ。
摘んだ木苺を籠に入れて川に運んだ。手も、服も、木苺の汁で赤く染まっている。
川の水で木苺を洗いながら、自分たちの手や服も洗う。誰かが、僕の顔に水を掛けた。お返しに僕もそいつに水を掛け返した。そうやっているうちに、みんなで水の掛けっこ大会になった。
ずぶ濡れになった服を軽く絞った。水が服の裾から滴り落ちる。胸のあたりには、まだ木苺の汁のシミが残っていて、うっすらと赤く滲んでいる。僕は、もっと濃い赤い色の液体が滲む胸元を思い浮かべた。そう、あれは血、体内をめぐる血液が刃物で刺されて、服に滲んだ時の赤だ。思い浮かべながら、なぜか体が震えた。胸が心臓がギュッと締め付けられるような痛みを覚えた。
「ユーリー、どうしたの?寒いのかい?」
仲間の一人が声をかけた。
「ううん、なんでもない。」
「なら良かった。エデンの外では水に濡れると寒くなるんだって、誰かが言っていたよ…そうだ、君が言っていたんだ。」
「僕が…?、ああ、そうそう、水に濡れて震えている人を見たことがある。その人が寒い、寒いって言っていた。」
エデンの外に行くと、これが寒いってことかな?これが暑いってことかな?と感じる時がある。それに、人々が寒いとか暑いと言っているのを耳にすることもある。それに血を見ることがある。
血はエデンではほとんど見ることはない。指先を棘に刺してしまったときは、ほんの少しだけ血が出るけど、傷は直ぐに治ってしまう。
水で洗った木苺を鍋に入れた。そこに砂糖を加えて、薪に火をつけて、大きな木の棒で中をぐるぐる描き回す。しばらくすると辺り一帯に甘い香りが立ち込める。
疲れたものはその傍で眠り、煮詰めた木苺が好きなものは、ひたすら、木の棒で中の木苺をかき混ぜる。
僕はそこまで煮詰めた木苺が食べたい訳でもなかったので、鍋の近くに腰かけて、鍋の下で燃える炎を眺めていた。
赤く燃える炎を眺めているうちに、服に滲んだ血の色を思い出していた。これも僕の夢の記憶なのだろうか?それとも、エデン外に行ったときに実際に見た記憶なのだろうか?考えても思い出せないけど、自分の体が小刻みに震えているのを感じた。
そして、ヤガの言葉を思い出していた。『…お前は気づいているようだから。他の神使たちが気づいていない事を…一人で抱え続けるのは苦しいことだよ。』
どういう意味だろう?
鍋の周りで、仲間たちは歌い踊っている。
でも僕は、みんなと一緒に歌ったり踊ったりする気分にはなれなかった。ただひたすら燃える炎を眺めていた。
ふと、誰かの視線を感じて、顔を上げた。
大きな樹の下に一人でしゃがみこんだミンジーがこっちを見ている。僕と目が合うと、彼女は目を逸らした。
何だかミンジーの視線がいつもと違うような気がした。
いつだって目があえば微笑んでくれた。でも、今日は、何だか…何て言えばいいんだろう?…僕の事を…憎む?そう、憎むような目で僕を見ていたような気がする。
憎む?どういう感情だろう?そんなことを考えていたら、ふとある言葉が頭をよぎった。『皆殺しにしてやる。何が神の使いだ!クズ人形どもが!』そう、あの時の目だ、感情だ…憎む。ミンジーが僕の事を憎んでいる?なぜだろう?
考えても分からない。わからない…わからない…
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