↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/31

【一話完結】AIがあればお前はいらないと解雇された俺。翌日の大会で通信網が全滅し、社長が泣きついてきてももう遅い。

AIに仕事を奪われ解雇された通信技術者・相馬直人。

しかし、彼の警告を無視した社長のせいで国内最大級のeスポーツ大会が通信障害に陥り、巨額の損失が発生。

現場を知り尽くしたベテランが、AIでは解決できない危機を救い、自分を切り捨てた会社に技術者の真価を突きつける。


「明日から来なくていい。君の仕事は、もうAIで十分だ」


 株式会社ネクサスライブの社長室で、俺は十五年使ってきた測定器を抱えたまま立っていた。


 目の前にいるのは社長の黒瀬隆司、三十八歳。海外の大学を出て、就任から二年で売上を三倍にしたと自分で言って回っている男だ。その黒瀬が、机の上の解雇通知を指で弾いた。


「電波の混み具合を調べて、空いている周波数を探して、無線機に番号を振る。そんな仕事に年収八百万円は払えない。最新の統合AIなら、君が一日かけることを三十秒で終わらせる」


「会場の電波は、三十秒では把握できません」


「それだよ」黒瀬は笑った。


「自分の仕事を難しく見せて、会社にしがみつく。古い技術屋はこれだから困る」


 壁の大型モニターには、明日開催される『ジャパン・クロスファイナル』の会場が映っていた。国内最大級のeスポーツ大会だ。観客一万二千人、選手百二十八人、中継スタッフ二百人、視聴者は国内外で二百万人。賞金総額は三億円、制作・配信契約は十八億円。この通信設計を、俺は十五年間担当してきた。


「明日の大会、通信系統の最終確認は?」


「AIが済ませた。異常なしだ」


「予備回線は?」


「クラウドが自動で確保している」


 黒瀬は立ち上がり、俺の肩を叩いた。「心配するな。君がいなくても大会は成功する。人件費が減る分、むしろ利益が出る」


 俺はそれ以上反論しなかった。モニターの隅に、小さな警告が出ているのが目に入ったからだ。


『同一帯域内の予測干渉率:上昇傾向』


 オルビスの報告書では「許容範囲」とされている数字だ。だが、あの会場でこれを見逃したらどうなるか、俺は知っていた。


「社長、一つだけ。明日の開場前に、東側コンコースの電波を測ってください。観客を入れる前に、最低三十分」


 黒瀬は露骨に顔をしかめた。「クビにした人間の指示を聞けと?」


「指示じゃありません。事故を防ぐための提案です」


「君はもうこの会社の人間じゃない」


 警備員が呼ばれた。部屋を出る俺の背中に、黒瀬の声が飛んでくる。


「明日は、君がいなくなって会社がどれだけ進化したか、よく見ておくといい!」


 俺は振り返らなかった。エレベーターの中で、退職処理完了の通知を確認し、小さくつぶやいた。


「……見ているだけで済めばいいが」


 ※


 俺は相馬直人、四十一歳。ネクサスライブは、企業イベントや大規模な競技大会の通信・配信設備を設計し、運用する会社だ。


 大会で喝采を浴びるのは、プロデューサーや演出責任者、そして社長だ。だが、スクリーンに映る選手や実況の声の裏では、無数の通信が同時に動いている。選手のゲーム端末、審判の無線機、舞台監督のインカム、配信スタッフの連絡回線、観客のスマートフォン、報道各社の無線設備。どれも電波を使うから、互いに邪魔をしない設計が要る。


 電波は道路と違って、線を引いて分けることができない。機器を別々に用意しても、同じ周波数帯を使えば混信する。壁や人の密集、金属製の舞台装置でも状況は変わる。机上の計算で問題がなくても、本番で崩れることはある。だから俺は測定器を持って会場を歩き、同じ場所を何度も往復した。通信が弱い場所はどこか、どの機器がどの時間帯に干渉するか、観客が入るとどう変わるか。それを積み重ねて、通信が止まらない配置と運用手順を作る。十五年間、全国大会の本番を通信障害で止めたことは一度もない。


 だが会社が大きくなるほど、この仕事は評価されなくなった。事故が起きなければ、何もしていないように見える。障害がなければ、予備回線は要らなかったように見える。問題を未然に消す仕事は、数字にしにくい。派手な新システムなら、導入しただけで成果として報告できる。黒瀬はそういう考え方をする男だった。


 俺は何度も説明した。AIによる周波数割り当ては便利で、大量の機器を整理するなら人間より速い。ただ、AIの計算結果と、現場で通信が成立するかどうかは別の話だ。会場の外から来る電波もあるし、設営中に増える機器もある。障害が起きたとき、どの系統を切り離してどれを残すか。そこまで決めておかなければ、優秀なシステムでも全部が一斉に混乱する。


 黒瀬の答えはいつも同じだった。


「例外を考えていたら、何も自動化できない」


 俺は言った。


「例外が起きるから、備えるんです」


 彼は鼻で笑った。


 半年前、黒瀬は海外製の統合通信AI『オルビス』を導入した。機器情報を入力すれば最適な周波数割り当てを作り、負荷を予測して、混雑時には自動で再配置する。異常があればクラウド上で予備回線へ切り替える。よくできた仕組みだったが、黒瀬はそれを万能だと思い込んだ。俺の測定結果を「古い現場データ」と呼び、予備系統の一部を廃止した。予備機材の維持費が年間四千二百万円かかる、というのが理由だった。


 役員会で、黒瀬はこう説明した。


「相馬の部署を縮小すれば、年間六千万円以上のコストが削減できます。AIの分析精度はもう人間を上回っている」


 俺は資料を開いた。


「その中には、独立した予備回線の費用も含まれています。切り離せば、同じ原因で主回線と予備回線が同時に使えなくなる恐れがあります」


「二つ同時に止まる確率なんて、どれほどだ?」


「確率ではなく、共通の障害要因があるかどうかの問題です」


「つまり君は、起きるかどうかも分からない事故のために六千万円使えと言うんだな」


 黒瀬は役員たちの前で笑った。「聞いたか。この男は、会社が成長するのが怖いんだ」


 それから半年、俺の部署は縮小され、測定器の更新予算は削られ、現場調査の時間は半分になった。それでも、機材が追加されれば配置図を直し、舞台装置が入れば周辺を測った。黒瀬はそれを「余計な手間」と呼んだ。


 そして大会前日の今日、俺は解雇された。理由は「経営方針への協調性不足」。皮肉な話で、最後に担当していたのは、翌日の大会を無事に終わらせるための仕事だった。


 ※


 会社を出て、会場の最寄り駅に向かった。改札を通る直前にスマートフォンが震えた。現場統括の水野からだった。


「東側の測定、やっぱりやらないんですか」


「俺はもう会社の人間じゃない。現場に入る権限もない」


「でも、あそこ昨日からおかしいんです。オルビスの画面は正常なのに、インカムが一瞬だけ途切れることがあって」


「どの機器だ」


「舞台監督用と配信スタッフ用です。東側コンコースから、ステージ裏にかけてです」


 予想どおりの場所だった。あの一帯には大型の映像機器と、新設した無線中継装置が集まっている。そのうえ今回は、東側にスポンサーの体験ブースが入る。来場者が撮った映像をその場で配信するサービスだが、ブースの機器は最終配置が前日まで決まっていなかった。俺が測定を求めた理由の一つだ。


「オルビスの監視画面に、管理していない機器の電波は出るか」


「いえ、登録された機器だけです」


「なら現場で測定器を使え。東側コンコースの入口、ステージ裏、体験ブースの三か所、各二十分は欲しい」


「社長から、追加作業は禁止だと言われてまして……」


「無理にやらなくていい。俺は指示できる立場じゃない」


 少し黙ってから、水野が言った。


「……できる範囲で確認します」


 通話が切れた。俺は駅のベンチに座った。会社のために忠告を続ける義理は、もうない。それでも、明日の大会には何年も練習してようやく全国の舞台に立つ選手がいる。準備してきた運営スタッフも、楽しみにしている観客もいる。経営陣の判断ミスのつけを、彼らに回したくなかった。


 昔の同僚で、今は別の会社で大規模イベント向けの通信機器を扱っている宮原に電話した。


「明日の会場周辺に、測定器を持った技術者を出せるか」


『二人なら出せます。ただ、正式な依頼と入場許可が要ります』


「依頼元は俺が探す」


 電話を切ってから考えた。明日障害が起きたら、オルビスはどう動くか。登録された機器を見て、負荷の高い系統を再配置するだろう。だが原因が未登録の機器の電波だったら、何を根拠に判断するのか。しかも主回線と予備回線が同じ中継装置を通り、同じ管理サーバーの指示を受けていたら、それは独立した予備とは言えない。黒瀬は「クラウド側で冗長化している」と返すだけだった。クラウドの処理を二重にしても、会場の電波環境が二重になるわけではない。


 そこへ水野からメッセージが届いた。


『社長に測定を止められました。明日は予定どおり進めるそうです』


 俺は大きく息を吐いた。忠告はした。聞かなかったのは向こうだ。そう自分に言い聞かせて、家に帰った。


 ※


 翌朝八時、会場では開場準備が進んでいた。巨大スクリーンに大会のロゴが映り、ステージの照明が動く。選手は控室で機材を確認し、スタッフはインカムで連絡を取り合っている。


 九時、ネクサスライブ本社。黒瀬は役員を集めていた。


「準備状況は」


「オルビスの診断はすべて正常です」と技術部長が答えた。「主回線、予備回線、映像配信、審判連絡系統、全部つながっています」


「いいね」黒瀬は満足げにうなずいた。「これで、相馬の部署がどれだけ無駄だったか、はっきりする」


 役員の一人が遠慮がちに口を開いた。


「ただ、相馬さんが言っていた、管理していない機器の電波の件は……」


「まだその話か」黒瀬は不機嫌になった。


「電波なんてどこにでも飛んでる。だからAIがあるんだ」


「現場から、短い通信途絶の報告も上がっていますが」


「一秒もない瞬断だろう。そんなものを気にしていたら何も運営できん」


 観客の入場が始まった。一万人を超える人々が客席に流れ込み、スマートフォンが起動し、無線機器が通信を始める。東側コンコースではスポンサーの体験ブースが動き出した。担当者は用意された無線機器をすべて起動したが、そのどれも会場の管理システムには登録されていなかった。


 十時二十分、舞台裏にいた水野は、インカムの音声が一瞬切れたのに気づいた。監視画面のオルビスは緑色。異常なしの表示だった。


 十一時、配信スタッフの端末で映像の送信が一度遅れた。再起動すると直った。十一時半には、審判の無線機に短い雑音が入った。責任者が予備機に交換させたが、予備機も同じ場所で雑音を拾い、原因は分からないままだった。それでも大会は始まった。


 正午、予選第一試合。観客席から歓声が上がり、映像は滑らかに流れ、実況の声もはっきり聞こえた。


 本社のモニターを見ていた黒瀬は笑った。


「問題ないじゃないか。相馬がいなくても何も変わらん。今日の成功を実績にして、来週、全社員に新しい組織体制を発表する。勘と経験でやっていた仕事は、全部システムに置き換える」


 役員たちは拍手した。


 その頃、東側コンコースでは電波の混雑が限界に近づいていた。未登録の機器が出す電波、観客の端末が生む通信量、舞台設備の制御信号。それらが重なって、複数の系統で遅延が増え始めている。オルビスが計算していたのは、登録済みの機器の負荷だけだった。原因の一部が管理対象の外にあることを、AIは知らなかった。


 午後五時五十分。決勝まで、あと十分。


 ※


 午後六時、決勝の開始を告げる映像が巨大スクリーンに流れた。世界各国の配信プラットフォームでも中継が始まった。本社で腕を組んでいた黒瀬は言った。


「見ろ。完璧だ」


 その瞬間、舞台監督のインカムに雑音が走った。


『照明、次のキュー……』


 声が途切れた。同時に配信スタッフの連絡回線が沈黙し、審判の無線機が一斉にノイズを吐いた。巨大スクリーンの映像が一瞬止まり、オルビスの管理画面が黄色に変わった。


『通信遅延を検知。自動再配置を開始します』


「一時的な混雑です。自動で回復します」と技術部長が答えた。


 だが十秒後、表示は赤になった。


『複数系統で通信品質が基準値を下回っています』


 さらに五秒で、審判用の通信が途絶えた。舞台監督の指示は届かず、配信スタッフは映像の切り替えを確認できない。選手の端末では遅延が跳ね上がり、画面が固まってキャラクターが動かなくなった。巨大スクリーンが暗転し、観客席にざわめきが広がる。数秒後、画面に告知が出た。


 『通信設備の確認のため、試合を一時中断いたします』


 黒瀬は立ち上がった。


「復旧させろ!」


「オルビスが再配置を実行しています」


「なら、何で戻らない!」


「分かりません。再配置先でも遅延が出ています」


 主回線が不安定になったとき、AIは予備回線に切り替えた。だが予備回線も、同じ中継装置群を通っていた。会場の電波環境が悪化した時点で、二つの回線は同時にやられたのだ。おまけにAIは通信先を何度も切り替え、そのたびに機器の接続が不安定になった。管理画面には新しい警告が流れ続けた。


『再配置中』


『接続再確立中』


『再配置中』


『接続再確立中』


 同じところをぐるぐる回っているだけだった。


「手動で戻せ!」黒瀬は技術部長の肩をつかんだ。


「どの系統が干渉しているか特定しなければ戻せません」


「なら特定しろ!」


「現場の測定データがありません。相馬さんの測定記録は、先月の組織再編でオルビスの参照元から外されています。今回の配置は、AIの計算結果だけで組みました」


 黒瀬の顔から血の気が引いた。それでもまだ、彼は信じていた。システムが優秀なら、必ず復旧する。自分の判断が間違っているはずがない。


「オルビスのサポートに連絡しろ!」


 返ってきたのは淡々とした回答だった。


『管理対象外の干渉源については、現地での測定が必要です』


「そんなものはAIで予測できるはずだ!」黒瀬は受話器を奪い取った。


『予測と実測は別です。登録されていない機器の位置や出力が分からない場合、原因の特定には限界があります』


 黒瀬は言葉に詰まった。選手は席を立ち、審判は再開の判断ができない。配信画面の隅に、赤い文字が出た。


『LIVE PAUSED』


 大会は完全に止まった。


 ※


 自宅で配信を見ていた俺は、画面が暗転した瞬間に立ち上がった。予想していた事態だったが、実際に見ると背筋が冷えた。複数の系統が同時に不安定になり、オルビスが自動再配置を繰り返している。このままでは復旧に時間がかかる。


 水野から電話が来た。


「相馬さん、インカムも審判回線も止まりました。オルビスが何度も切り替えていて、どこを戻せばいいのか……」


「測定器は」


「倉庫に予備が一台あります」


「それを持って、東側コンコースの入口と体験ブースの周り、次に舞台裏の中継装置の近くを測れ。数字だけじゃなく、時刻と場所も記録してくれ。勝手に設定は変えるな。まず原因を切り分ける」


 次に宮原に電話した。


『こちらは二人、待機させてます。ただ、入場許可がないと中には入れません』


「会場の外からでも測れる場所はある。周辺から当たってくれ」


 水野から測定値が届いた。東側コンコースの入口で、特定の周波数帯のノイズが増えている。体験ブースの周辺では、さらに強い干渉が出ていた。


「やっぱり、あそこか」


 原因が分かっても、それだけでは復旧しない。混んでいる帯域を避けて通信を組み直す必要があり、しかも試合中の選手用通信は止められない。優先順位を決めて、順番に戻していくしかなかった。


 水野にもう一度電話した。


「選手用の通信を最優先にする。審判回線は独立した帯域に移す。配信映像は画質を落として、通信量を減らす。自動再配置は止められるか」


「管理者権限がいります。社長の承認も必要だと聞いています」


「権限を持っているのは」


「社長と技術部長です」


 俺は目を閉じた。黒瀬は簡単には認めないだろう。認めれば、自分のシステムが失敗したと言うことになる。


「技術部長に伝えてくれ。自動再配置を止めないと、復旧はさらに遅れる」


 電話を切ると、紙に復旧手順を書き出した。順番を一つ間違えれば、通信はもっと混乱する。それでも、まだ間に合うはずだった。設備が壊れたわけではない。原因を特定して優先順位を決め、手動で組み直せば戻せる。


 そのとき、黒瀬から着信があった。昨日、俺を解雇した男だ。三度目の呼び出し音で通話ボタンを押した。


「相馬です」


『相馬! 今すぐ会場に来い! 君ならできるんだろう!』


「まず、自動再配置を停止してください」


『それはできん! 制御を止めたら全部不安定になる!』


「もう不安定です。原因を特定しないまま再配置を繰り返せば、復旧は遅れるだけです」


『理屈はいい! とにかく戻せ!』


 俺は静かに答えた。


「昨日、俺は忠告しました。東側コンコースを測ってほしいと。予備回線の構成を見直してほしいと」


『今そんな話をしている場合か!』


「ええ。だから今は、原因を切り分けるんです」


『……君が来て指揮しろ』


「俺は昨日、解雇されました。後ではなく、今、正式に業務を依頼してください。入場許可と、必要な操作権限も。権限がなければ、行っても何もできません」


 黒瀬は何か言いかけて、黙った。長い沈黙のあと、絞り出すように言った。


『……少し、待て』


 通話が切れた。


 ※


 午後七時。中断から一時間が過ぎていた。オルビスの自動再配置は止まっていなかった。黒瀬が停止を承認していないからだ。


「もう少し待てば、システムが最適な構成を見つける」黒瀬は技術部長に言った。「手動でいじって悪化させたらどうする」


「ですが現場では、相馬さんの手順で復旧できる可能性が……」


 一度は相馬に頭を下げかけた黒瀬だったが、時間が経つにつれ、意地が先に立っていた。


「あいつに頼れと言うのか。昨日クビにしたばかりの人間を、今さら呼び戻して何と言えばいい」


 技術部長は黙った。


 そのとき、オルビスの表示が変わった。


『通信品質:一部回復』


「ほら見ろ! システムが自力で回復させたじゃないか!」


 確かに一部の通信は改善していた。だが、原因が消えたわけではない。オルビスが混雑した帯域から一部の機器を切り離した結果、たまたま負荷が下がっただけだ。審判回線はまだ不安定で、選手用の通信にも遅延が残っていた。それでも黒瀬は、復旧したと判断した。


「大会を再開しろ!」


 午後七時十五分、選手が再び席に着いた。客席から拍手が起きた。黒瀬はようやく笑みを取り戻した。


 彼は広報担当者に指示した。


「復旧の発表を出せ。AIが自動で障害を検知し、最適な構成に再配置した。人手を介さず回復した、と」


「ですが現場ではまだ……」


「結果がすべてだ。試合は再開した。それが事実だろう」


『ネクサスライブ、AIによる自律復旧に成功。大規模大会の通信障害を独自技術で解決』


 黒瀬は満足してうなずいた。これで自分の判断は正しかったと証明できる。相馬の忠告は大げさで、予備回線の維持費は無駄で、人間の経験などいらなかったのだと。


 送信した直後、会場のモニターが再び暗転した。今度は長かった。実況の声が途切れ、選手の画面が止まり、審判回線が完全に沈黙した。オルビスの画面に赤い警告が並ぶ。


『複数系統の通信断』


『自動復旧に失敗』


『制御系統の応答なし』


 黒瀬の笑顔が固まった。


「さっき切り離した機器の再接続に失敗しています!」技術部長が叫んだ。


「一部の回線が戻ったので、AIが正常化したと判断して再配置を続けたんです。その結果、審判回線と舞台制御の接続まで不安定になっています!」


 緑の表示は、もうどこにもなかった。黒瀬の喉が小さく鳴った。


「……相馬に電話しろ」


 今度は、誰も反論しなかった。


 ※


 午後七時三十分、配信画面に再び中断の告知が出た。今度は復旧の見通しも立たなかった。スポンサー各社からは電話が相次いだ。


「決勝は今日中に再開できますか」


「海外向けの配信契約はどうなるんです」


「広告枠の補償は、誰が負担するんですか」


 誰も答えられなかった。


 本社の会議室で、黒瀬は技術部長に詰め寄った。


「相馬は何と言っている」


「東側の体験ブースが原因の一部だと。管理対象外の無線機器が、会場の通信に干渉している可能性が高いそうです。ただ、主回線と予備回線が同じ中継装置群を使っているので、干渉が両方に及んでいます。自動再配置を止めて、手動で系統を組み直す必要があります」


「なぜ最初からそうしなかった!」


「停止には、社長の承認が必要でした」


 黒瀬は口を閉じた。止めなかったのは自分だ。現場の警告も無視した。それでもまだ、認めたくなかった。


「……相馬を出せ」


 電話がつながった。


「相馬、頼む。会場に来てくれ」


『まず自動再配置を停止してください。技術部長と現場責任者に操作権限を渡してください。俺が着くまでの間にも、障害は進みます』


 黒瀬は唇を噛んだ。電話の向こうにいるのは、昨日まで自分の部下だった男だ。「時代遅れ」と切り捨てた技術者の言葉を聞かなければ、何も進まない。


「……分かった。承認する」


 技術部長がすぐに操作を始め、自動再配置が止まった。会場の通信系統は、ようやく落ち着いた状態で調べられるようになった。


 水野の測定値から、干渉源が絞られていった。東側の体験ブースでは、複数の無線機器が同じ帯域を使っていて、一部は管理システムに登録されていなかった。宮原の技術者が会場の外周から測った結果も届いたが、外から来る強い電波は見つからなかった。原因は会場の中にあった。


 障害の原因は一つではなかった。未登録の機器を想定していない設計、予備回線の独立性を削ったコスト削減、省略された現場測定、自動再配置を止めなかった判断。それらが重なって、大会を止めていた。


 午後八時、俺は会場に着いた。入場許可を受け、測定器を持ってステージ裏へ向かうと、水野が駆け寄ってきた。


「測定値を見せてくれ」


 原因はほぼ特定できていた。


「体験ブースの機器を止める。選手用の通信を先に確保して、審判回線は別の帯域に移す。配信は低いビットレートで再開して、段階的に戻す」


 まず体験ブースの無線機器を止め、次に選手用の通信系統を組み直し、審判回線と舞台制御の通信を確かめ、最後に配信の帯域を調整した。どれも地味な作業だ。画面に演出が出るわけでも、誰かが拍手するわけでもない。ただ、通信が一本ずつ戻っていく。


 午後九時四十分、選手用の通信が安定した。十時に審判回線が戻り、十時二十分、最低限の画質で配信が再開された。巨大スクリーンに選手の姿が映ると、客席から歓声が上がった。


 本社のモニターで、黒瀬はそれを見ていた。安堵と疲れが顔に出ていた。大会は救われた。これで取り戻せる。そう信じたかった。だが翌朝、彼は本当の損失を知ることになる。


 ※


 翌朝九時、本社の会議室。徹夜明けの黒瀬は顔色が悪く、目の下に濃い隈ができていた。大会は夜遅くに再開したものの、決勝の進行は大幅に遅れ、海外向け配信の一部は中止になった。スポンサーの広告枠も予定どおり提供できず、選手と観客への補償も検討しなければならない。


 技術部長が資料を開いた。


「現時点の損害見込みです。配信契約の違約金が約四億八千万円、スポンサーへの広告補償が約三億二千万円、会場の延長費用や機材の再調整で約一億四千万円。直接損失は約九億四千万円です。さらに海外配信事業者との契約見直しで、最大六億円の損失が見込まれます」


 黒瀬の指が止まった。


「……合計は」


「最大で十五億四千万円です」


 資料を持つ手が震えた。


「待て。大会は再開しただろう」


「契約上の配信時間と広告枠は、すでに失われています。後から映像を流しても、生中継の価値は戻りません」


「AIが自動で復旧したと、広報が発表したはずだ」


 広報責任者が目を伏せた。


「その発表は訂正しました。実際は、現場の測定と手動での再構成で復旧しています」


「誰が決めた!」


「俺です」と営業担当の役員が答えた。


「復旧の経緯を隠せば、契約違反に加えて説明責任の問題になります」


 黒瀬は役員たちを見回した。誰も目を合わせない。昨日まで彼の判断を褒めていた顔ぶれだった。


「……相馬を呼び戻せ」


「本人の意思を確認する必要があります」


「そんなことは分かっている!」黒瀬は机を叩いた。


「いいから連絡しろ!」


 扉が開き、水野が入ってきた。


「技術部で今回の原因分析をまとめました。相馬さんが半年前から指摘していた問題が、いくつも確認されています。予備回線の独立性、未登録機器への対策、現地測定、自動再配置の停止手順。どれも改善を求めていた項目です」


 並べられた資料には、過去の提案書と承認記録が残っていた。予備回線の削減、測定予算の縮小、現場測定の縮小、障害時の手動介入権限の制限。そのすべてに黒瀬の承認印があった。


「……これは、当時の経営判断だ」


「はい。だから原因分析に含めています。相馬さんは必要な対策を具体的に出していました。採らなかったのは会社です」


 黒瀬の額に汗が浮かんだ。


「……まだ会社が潰れるわけじゃない。十五億なら資金繰りで何とかなる」


 財務担当の役員が静かに言った。


「社長、それだけではありません。主要スポンサー三社が来年度の契約を保留しています。合わせて年間二十四億円です。海外配信事業者からも、独占配信契約を見直すと通知がありました。加えて監査役会が、今回のリスク管理体制について臨時監査を行うと決めました」


 黒瀬は椅子に手をついた。失ったのは十五億円だけではない。会社の信用、スポンサーとの関係、技術部門の信頼。そして、自分の判断が正しかったと示すための材料も、全部なくなった。一昨日「人間の仕事はAIで十分だ」と言った男が、今はそのAIが止まり、人間が復旧させたという記録を突きつけられている。しかも手順を知っていたのは、自分が解雇した男だった。


「……相馬が、最初から正しかったというのか」


 誰も答えなかった。


 黒瀬は一昨日の自分の言葉を思い出した。——君がいなくても大会は成功する。人件費が減る分、むしろ利益が出る。


 顔を両手で覆うと、指の間から冷や汗が落ちた。


「……どうすればいい。どうすれば戻せる」


「契約は簡単には戻りません」と営業担当の役員が答えた。


「まず原因を公表して、責任の所在を明らかにするべきです」


 黒瀬はゆっくり顔を上げた。もう、自信に満ちた社長の顔ではなかった。


 ※


 その日の午後、黒瀬から正式な連絡が届いた。復職の提案、年収は以前の二倍、役職は技術統括責任者。現場測定の予算は俺の裁量で決められ、予備機材も独立した回線も確保する。以前、俺が何度も求めた条件だった。最後に一文が添えられていた。


『会社の再建には君の力が必要だ。どうか、これまでのことは水に流してほしい』


 しばらく、その文面を眺めた。十五年、障害が起きないように現場を歩き、誰にも気づかれない仕事を続けてきた。それでも黒瀬は俺を時代遅れと呼び、予算を削り、提案を退け、最後には解雇した。そして困ったときにだけ、俺の価値を思い出した。


 返信を書いた。


『復職は辞退します。今回の障害については、正式な業務契約の範囲で技術支援をします。経営判断の責任までは引き受けません』


 数分後、黒瀬から電話が来た。


「相馬……」弱々しい声だった。


「頼む。会社にはまだ君が必要なんだ」


「必要なのは俺ではなく、現場の技術を尊重する仕組みです。今回の障害は、誰か一人が頑張れば防げた問題ではありません。予備回線を削り、現場測定を省き、警告を無視した結果です」


「分かっている」


「本当にですか」


 黒瀬は答えなかった。


「俺が戻っても、判断の仕組みを変えなければ、また誰かが同じ目に遭います。現場の意見を聞くこと。AIを使うなら、AIに判断できない範囲も理解すること。失敗したとき、誰が何を決めたのかを隠さないことです」


 黒瀬が息を吐いた。


「……君は、俺を許さないのか」


 少し考えてから答えた。


「許すかどうかは、俺が決めることじゃありません。俺は自分の仕事を続けるだけです」


 電話を切ると、窓の外で夕日が街を赤く染めていた。机の上の測定器を手に取る。十五年使った道具で、表面には小さな傷がいくつもあった。大会前の張りつめた空気、夜中まで続いた測定、思いがけない干渉源を見つけたときの安堵。傷を指でなぞると、その一つ一つを思い出せた。


 電源を入れると、画面に数値が出た。いつもと変わらない数字だ。だが俺には、それが何を意味するのか分かる。それで十分だった。


 ※


 三か月後、俺は小さな技術会社を立ち上げていた。名前はフィールドリンク。大規模イベントの通信環境を独立した立場で調べ、AIの分析結果を検証し、現地で測定し、障害時の復旧手順まで整える。地味だが、必要な仕事だ。


 最初の依頼は、地方都市で開かれる国際ロボット競技会だった。主催者は、以前ネクサスライブと取引していた企業の担当者だった。


「機器の構成は最新なんですが、現場で本当に使えるか、第三者の目で見てほしいんです」


 測定器を持って会場を歩くと、設計上は問題がないはずの場所でわずかな干渉が見つかった。原因は会場の外に置かれた映像送信装置だった。主催者はすぐに配置を変え、大会は予定どおり成功した。


 終了後、担当者が言った。


「相馬さんのおかげで、何も起きずに済みました」


「何も起きなかったなら、それが一番です」


 仕事は少しずつ増えた。大規模な展示会、国際会議、スポーツ大会。通信が止まれば多くの人に影響が出る現場ばかりだった。


 その頃のネクサスライブでは、経営体制の見直しが進んでいた。黒瀬は社長の座には残ったものの、設備投資とリスク管理の権限は取締役会に移された。主要スポンサー三社との契約は更新されず、海外配信事業者との独占契約も終わった。年間二十四億円の契約を失った会社は、大規模イベント事業の一部を縮小せざるを得なかった。監査では過去の設備削減が問題とされ、約十五億円の損失が正式に計上された。黒瀬の「AIによる全面自動化計画」は、事実上の凍結になった。


 黒瀬は、社員を大声で叱ることがなくなったという。会議では発言の前に資料を何度も見返すらしい。それでも失った信用は戻らず、取引先の担当者は彼の名前を聞くと慎重な顔をする。


 黒瀬は何度も俺に連絡してきたが、復職は断った。技術支援が必要なときは正式に契約を結び、仕事として応じた。ある日、最後のメールが届いた。


『君の言っていたことが、ようやく分かった。何も起きないことは、何もしていないことではなかったんだな』


 しばらく考えて、短く返した。


『気づいたなら、これからの判断に生かしてください』


 それで終わりにした。過去は取り戻せない。だが、同じ失敗を繰り返さないことはできる。


 次の現場にも、まだ誰も気づいていない小さな問題があるかもしれない。だから今日も、俺は測定器を持って歩く。目に見えない電波を調べ、数字を読み、通信が止まらないよう備える。誰かが安心して仕事をし、選手が全力を出し、観客が歓声を上げる。その当たり前を支えるために、この仕事を続けていく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後までお読みいただきありがとうございました!


少しでも「面白かった」「スカッとした」と思っていただけたら、

ぜひ下の【☆☆☆☆☆】から【評価】&【ブックマーク登録】をお願いします!


応援頂きますよう、よろしくお願いします!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。