【一話完結】 「ただの数字合わせ」と追放された俺、王国の魔力炉が止まったので今さら戻れと言われても遅い。
王国の魔力炉と国家予算を支えていた首席国家算術官レオンは、数字合わせしか能がないと財務卿に追放される。
彼の警告を無視して出力を引き上げた王宮は、魔力炉の緊急停止によって大混乱に。
レオンは国を救うため復旧に協力するが、王宮への復帰は選ばず、自分の仕事を理解してくれる小さな魔導商会で新たな一歩を踏み出す。
「おい、いつまでそんな地味な帳面を睨んでいる。今日で貴様はクビだ!」
王宮財務局の執務室に、財務卿ブラッドの怒鳴り声が響いた。
大理石の床に、歴代国王の肖像画。窓辺には異国の花が咲き、机には金細工の羽根ペンが並んでいる。その豪華な部屋のまん中で、私は帳面を持ったまま立っていた。
「……今、何とおっしゃいました」
「聞こえなかったのか。クビだと言ったんだ!」
ブラッドは私の机から分厚い帳面をひったくり、床に投げ捨てた。
バサバサッ。
何百枚もの計算記録が床に散らばる。
三年間、毎日書き足してきたものだった。魔力炉が消費する魔力量、各地区への配分、気温や湿度で変わる炉心の負荷。国家予算に載っていない債務や、過去の支出にまぎれた不自然な数字も、一つずつ調べて書き留めてある。
「ブラッド様、その帳面には大事な記録が――」
「大事? この落書きがか?」
鼻で笑われた。
「お前は毎日、数字を並べているだけだろう。予算を増やせば景気は良くなる。魔力炉の出力を上げれば国は豊かになる。そんな簡単なことも分からんのか」
「出力を上げるなら、燃料の供給量と冷却設備の処理能力も同時に見直さなければなりません。今の設備でこれ以上出力を上げるのは危険です」
「またそれか!」
ブラッドが机を叩いた。
「危険、危険、危険! お前の口からはそれしか出てこん。国を伸ばすには思い切った決断が要るんだ。細かい数字にびくびくして何もできん男は、財務局にいらん!」
室内の官僚たちがくすくす笑った。私の計算書を何度も参考にしてきた者もいたはずだが、誰も口を開かなかった。
「……分かりました」
私は床の帳面を拾い集めた。
「何だその態度は。もっと悔しがるかと思ったぞ」
「いえ。もう申し上げることはありません」
「結構。さっさと出ていけ。その陰気な顔は二度と見たくない」
最後の一冊を胸に抱え、部屋を出る前に振り返った。
「ブラッド様、一つだけお願いがあります」
「まだあるのか」
「中央魔力炉の出力は、私が出した上限値を守ってください。特に今夜から明朝にかけては、絶対に」
ブラッドはきょとんとして、それから大声で笑い出した。
「聞いたか? クビになった男が、まだ私に指図する気らしいぞ!」
笑い声が広がる。
「安心しろ。お前がいなくなれば財務局はもっと自由になる。数字合わせしか能のない男の忠告など、もういらん!」
私は何も言わずに扉を閉めた。三年勤めた王宮財務局との縁は、それで切れた。
彼らはまだ知らなかった。追い出した男が、ただの数字合わせではなかったことを。
私の名はレオン。中央魔力炉の運転収支と国家予算の全体を突き合わせられる、王国でただ一人の首席国家算術官だった。
そして今夜、彼らは自分たちの判断がどれほど高くつくかを知ることになる。
王宮の門を出ると、冷たい風が頬に当たった。
荷物を抱えたまま、しばらく立ち尽くした。行くあてはない。王宮勤めを始めてから、私の暮らしは職場と安宿の往復だけで、友人と呼べる相手は少なく、家族は遠い地方にいる。
不思議と後悔はなかった。あるとすれば、三年かけて整えた仕組みを途中で手放すことくらいだ。
荷物から小さなノートを出した。表紙には『中央魔力炉・運転記録』とある。最初のページには、この仕事を始めた日のメモが残っていた。
――理論上の最大出力と実際の安全出力に大きな開きがある。
――予算記録と燃料消費量が合わない。
――各地区の供給量を調整すれば、燃料を増やさずに供給不足を改善できるかもしれない。
王立算術学院を首席で出たばかりのころだ。私は数字の規則を探すのが好きだった。誰も気にしない端数や、何年も繰り返される小さな誤差、記録と現実のわずかなずれ。それを追っていくと、いつか仕組み全体が見えてくる。財務局に入ったのも、その力を国のために使いたかったからだ。
だが現実は違った。帳簿上は購入済みの魔石が、実際には納められていない。修繕費として計上された金が、毎年特定の貴族の関連商会に流れている。炉の燃料消費量と予算上の購入量は、どう計算しても合わなかった。
調査をまとめて上司のブラッドに報告すると、返ってきたのは礼ではなかった。
『余計なことを調べるな』
最初はそれだけだった。やがて報告書は読まれなくなった。危険を指摘すれば臆病者と呼ばれ、支出の矛盾を示せば融通が利かないと笑われた。それでも続けたのは、誰かが数字を確かめなければ、いつか取り返しのつかないことになると分かっていたからだ。
中央魔力炉は王都の心臓だ。生まれた魔力は地下の供給網を通って、街灯や工房、病院、王宮の結界、国境の防壁へ送られる。だが炉は無限に力を出せるわけではない。出力を上げれば燃料が減り、炉心の温度が上がる。冷却が追いつかなければ圧力が高まり、供給路に無理がかかる。だから出力、供給量、冷却能力、各地区の需要を常に計算して、適切な範囲に収めておく必要があった。
その調整をしていたのが私の帳面だ。正確には、帳面の数値をもとにした運転計画と、私が決めた補正規則である。
最新の魔導端末は確かに便利だが、計算できるのは与えられた条件の範囲だけだ。季節による需要の変化、古い供給路のくせ、燃料の品質のばらつき、修繕を先送りされた設備の限界。そうしたものを一つずつ確かめ、矛盾のない条件にまとめなければ、正しい答えは出ない。
ブラッドたちにはそれが見えていなかった。彼らの目に映っていたのは、机で数字を書き続ける地味で融通の利かない男だけだ。
「……もう、私の仕事ではないか」
ノートを閉じた。忠告はしたし、記録も残した。聞く気のない相手に、これ以上できることはない。そう自分に言い聞かせて、王都の外れの宿に向かった。
その夜、王宮では祝賀会が開かれることになっていた。私の解雇を祝う宴だった。
「皆の者、グラスを掲げよ!」
王宮の大広間にブラッドの声が響いた。
黄金の燭台に照らされた会場には、貴族や高級官僚が集まっている。テーブルには豪華な料理が並び、楽団が華やかな曲を奏でていた。壁際の魔導端末には中央魔力炉の稼働状況が出ている。緑の表示。異常なし。ブラッドは満足げに笑った。
「本日、我々は財務局の改革を邪魔してきた最大の障害を排除した!」
拍手が起こる。
「レオンだ。あの男は予算を使うのを怖がり、設備投資に反対し、何をするにも計算が要ると言い張った。まるで数字が国を動かしているような顔でな!」
「まったくです!」
若い官僚のルイスがすかさず声を上げた。
「今は魔導端末がすべて計算してくれます。人間が帳面に数字を書き込む必要などありません!」
「そうだ!」ブラッドはグラスを掲げ直した。「明日から中央魔力炉の出力を引き上げる。供給が増えれば王都の産業は伸びる。我が一族の新都市計画にも、十分な魔力を回せるぞ!」
歓声が上がった。計画には巨大な邸宅や商業施設、貴族向けの娯楽区画が含まれている。表向きは経済活性化のための事業だが、資金の大半はブラッドの一族と縁の深い商会に流れる予定だった。
「ところで、レオンの帳面はどうした」
「不要な書類として処分しました」ルイスが得意げに答えた。「端末に同じ情報が入っているのでしょう?」
「ええ、少なくとも私が確認した範囲では」
「ならば問題ない。古い帳面に頼る時代は終わったのだ」
そのころ私は、王都の外れの小さな食堂で夕食をとっていた。主人は私が王宮を追われたことを知っていた。
「レオンさん、本当に辞めちまったのかい」
「ええ、今日付けで」
「もったいないねえ。あんたが毎晩遅くまで働いてたのは、近所じゃ有名だったのに」
「仕事が好きだっただけですよ」
スープを口に運ぶ。少し冷めていたが、気にならなかった。主人はしばらく私を見てから、声を落とした。
「王宮じゃ、あんたを追い出した祝いをやってるそうだよ」
「そうですか」
「悔しくないのかい?」
窓の外に目をやると、遠くに中央魔力炉の塔が見えた。先端はいつもどおり青白く光っている。
「悔しいかと言われれば、残念ではあります」
「だったら――」
「それより心配なことがあるんです」
懐からノートを出し、最後のページを開いた。昨日までの計算結果が書いてある。設備の状態、燃料の残り、冷却能力、今夜の気温と予想される需要。
「このまま出力を上げたら、安全限界を超えます」
「そんなに危ないのかい」
「通常なら、警告が出た時点で出力を下げれば済みます。でも修繕を先送りされた設備がいくつもあって、余裕がほとんどないんです」
「王宮の連中は知らないのか」
「報告書は出しました。読んでもらえたかは分かりませんが」
ノートを閉じる。
「今夜、何も起きなければいいんですが」
ほとんど祈りだった。国が痛手を負うことなど望んでいない。ブラッドに謝ってほしいわけでもない。ただ、私が守ってきたものが、私がいなくなった途端に壊れるのだけは避けたかった。
だが王宮では、すでに危険な決定が下されようとしていた。
午後十一時四十分。中央魔力炉の制御室では、出力引き上げの準備が進んでいた。
「燃料供給量、設定値の変更を確認」
「冷却系統、異常なし」
「第一供給路、圧力正常」
技師たちの報告を聞きながら、ルイスは端末の前に立っていた。ブラッドの側近で、今回の増強計画の実務を任されている。
「よし、予定どおり進めろ」
「ルイス様、算術官レオンの運転計画では、今夜の出力増強は見送りになっています」
年配の技師がおそるおそる言った。
「またその話か」ルイスは露骨に顔をしかめた。「彼はもう職員ではない。新しい設定値は財務卿の承認済みだ。何か問題でも?」
「いえ、ただ炉心の温度変化が――」
「温度は許容範囲内だろう」
「今のところは、そうですが……」
「なら問題ない。指示どおりやれ」
技師は唇を結んで操作盤に向き直った。
午後十一時五十五分、出力が一段階引き上げられた。塔の先端がいつもより強く光り、王都の魔導灯が明るくなって、工房の設備が力強く動き出す。端末は緑のままだった。
「見ろ、何の問題もない」ルイスは笑った。「帳面などなくても端末は正常に動いている。これで証明されたな」
技師たちは答えなかった。炉心の温度がじわじわ上がっているのは、全員が気づいていた。ただ、その上昇がどこまで許されるのか、正確な値を知っている者はいなかった。
以前はレオンが、温度、圧力、燃料の品質、外気温、各地の需要を突き合わせて毎日その値を更新し、端末はそれを使って自動補正をかけていた。ところが補正に必要な条件の一部は、レオンの帳面にしか残っていなかった。端末は入力されていない条件を考慮できない。それでも設定された範囲内なら通常運転は続けられるから、ランプは緑のままだった。まだ限界を超えていなかっただけだ。
午前零時。大広間のブラッドは、新しい出力設定が順調だとの報告を受けていた。
「素晴らしい。これで我が国の発展は加速するぞ! 明日の朝には王都の商会にも発表しよう!」
貴族たちはもう、新都市計画の利益の分け前を話し始めていた。誰もが自分の取り分を考えていた。
そのとき、大広間の床がかすかに揺れた。グラスの酒が波打つ。
「……何だ?」
遠くから、低い唸りが聞こえた。
ゴォォォォ……。
中央魔力炉の音だった。普段の稼働音よりずっと低く、重い。壁の端末が一瞬明滅し、緑のランプが赤に変わって、警報が鳴り響いた。
『警告。中央魔力炉、第一供給路の圧力が許容値を超過』
『警告。冷却系統の負荷が上限に接近』
『警告。運転補正値に不整合を検出』
大広間が凍りついた。
「何が起きている!」
顔面蒼白のルイスが駆け込んできた。
「ブラッド様、大変です! 炉の圧力が急上昇しています! 出力を下げようとしても自動制御が応答しません!」
「手動に切り替えろ!」
「それが、切り替えられないんです!」
ルイスは震える指で端末の表示を示した。赤い文字が点滅している。
『運転補正係数が未設定です。安全な出力制御を実行できません』
「補正係数……?」
ブラッドの顔から血の気が引いた。レオンが毎日のように口にしていた言葉だった。
「そんな馬鹿な!」
制御室に乗り込んだブラッドは、操作盤を叩いた。
「出力を下げろ! 今すぐだ!」
「下げようとしているんです!」主任技師が声を張り上げた。「ですが今の圧力と流量に合う補正値がありません。どの供給路をどれだけ絞れば安全に止められるのか、計算できないんです!」
「端末が計算するんじゃなかったのか!」
「端末は与えられた条件の範囲で計算するだけです。その条件そのものが欠けているんです!」
「ならレオンの帳面を探せ!」
ルイスの肩がびくりと跳ねた。
「そ、それが……」
「何だ!」
「廃棄書類と一緒に処分したと聞いています」
誰も口をきかなかった。ブラッドがゆっくりルイスを振り返る。
「……今、何と言った」
「レオンの帳面は、不要な書類として処分したと……」
ゴンッ!
ブラッドの拳が操作盤に叩きつけられた。
「誰が許可した!」
「わ、私です。ですが端末に記録があると思って……!」
「馬鹿者が!」
そのとき制御室全体が激しく揺れ、天井から粉塵が落ちて、警報がさらに高くなった。
『警告。炉心温度、危険域に接近』
『警告。第二冷却系統、処理能力不足』
『緊急停止シーケンスを開始できません』
「このままでは炉心がもちません!」主任技師が叫んだ。「圧力を逃がすために、供給量を一時的に減らす必要があります!」
「なら減らせ!」
「どの地区を止めるか優先順位を決めないと、圧力が別の供給路に集中して、連鎖的に壊れる恐れがあります!」
ブラッドは言葉を失った。出力を上げれば供給が増える。彼が考えていたのはそれだけだった。だが魔力は、蛇口をひねれば増える水とは違う。供給路にはそれぞれ許容負荷があり、地区ごとに必要な量も違う。冷却系統の一部は老朽化していて、修繕は予算削減で先送りになっていた。それらをすべて踏まえて全体の釣り合いを保つのが、レオンの仕事だった。
「……あの男は、何をしていたんだ」
かすれた声が漏れた。
「毎日、数字を見ていただけではなかったのか」
「違います」主任技師が厳しい顔で答えた。「レオン殿は、我々が気づいていなかった設備の負荷まで計算していました。修繕を先送りした供給路の限界値も、何度も報告していたはずです」
「ではなぜ私に言わなかった!」
「……何度も報告されていました」
ブラッドは黙り込んだ。自分の机に届いた報告書。目を通さずに突き返した書類。数字ばかりで退屈だと、読むのさえ避けた警告。それらが頭によみがえった。
ゴォォォォン!
また轟音が響いた。窓の向こうで、塔が赤く明滅している。
「だめです、第一供給路の圧力が限界を超えます!」
「緊急遮断弁を作動させろ!」
「遮断すれば隣の供給路に圧力が集中します! 補正なしでは、どこが先に壊れるか分かりません!」
「ではどうすればいい!」
誰も答えられなかった。そのとき端末に新しい表示が出た。
『緊急安全モードへの移行条件を確認』
『手動承認を待機』
「……まだ手はあります」主任技師が画面を見つめた。
「本当か!」
「ただし供給網を段階的にすべて止めることになります。魔導灯も工房も病院の設備も、一時的に魔力が途絶えます。国境の防壁も例外ではありません」
「構わん、やれ!」
「しかしこの操作には、首席国家算術官の承認が必要です」
ブラッドは固まった。
「……レオンか」
「はい。安全モードの最終承認権限は、彼に設定されています」
震える手で承認者名を見る。そこにははっきり書かれていた。
『最終運転承認者:レオン・アルバート』
「呼べ……」
「え?」
「レオンを呼び戻せ!」声が制御室に響いた。「すぐに使者を出せ! 金はいくらでも払う! 頭を下げてでも連れてこい!」
だが、事態は待ってくれなかった。警報は王都全域に鳴り響き始め、午前二時十三分、緊急安全モードが自動で起動した。
王都の魔導灯が一斉に消えた。工房の炉が止まり、王宮の結界が弱まり、国境の防壁も出力を落とす。街を覆っていた魔力の流れが、少しずつ、しかし確実に止まっていった。
王国を守る最後の安全装置だった。万一に備えて、レオンが組み込んでおいたものだ。炉の破壊を防ぐために供給を全部切り離し、炉心の圧力が下がるまで設備を安全な状態に保つ。その機能自体は生きていた。ただ、供給を再開するには正しい順序と補正値が要る。それを分かっている人間は、もう王宮にいなかった。
「……終わった」
暗くなった制御室で、ブラッドはつぶやいた。目の前では、赤い警告表示だけが不気味に光っていた。
翌朝、私は宿の食堂で焼きたてのパンを食べていた。窓の外では、王都の人々が不安そうに空を見上げている。魔導灯は消えたまま、工房の煙突から煙は上がらず、遠くの魔力炉も昨夜までの輝きを失っていた。
「レオンさん、大変なことになってるよ」
宿の主人が新聞を持ってきた。
『中央魔力炉、緊急停止』
『王都全域で魔導設備が停止 王宮、原因究明を急ぐ』
『国境防壁の出力低下により、周辺地域に警戒態勢』
記事に目を通して、息を吐いた。
「……安全装置が動いたんですね」
「安全装置?」
「ええ。炉心の爆発だけは避けられたようです」
主人は胸をなで下ろした。
「そりゃよかった」
「ただ、復旧には時間がかかると思います」
パンを皿に戻す。昨夜、眠る前に王宮から連絡が来ていないか確かめたが、何もなかった。予想どおりだ。忠告を無視し、仕事を軽く見て、帳面まで捨てた人たちが、今ごろやっと問題の大きさに気づいたのだろう。
それでも、すぐ王宮に向かう気にはならなかった。助けたくないわけではない。ただ今の王宮には、私が戻るより先にやることがある。被害状況の確認、炉心の圧力の安定、供給網の切り離し。そのうえで、誰がどんな判断をしたのか記録を調べなければならない。私一人が戻っても全部は解決しないし、そもそももう職員ではなかった。
そのとき宿の扉が乱暴に開いた。
「レオン・アルバートはいるか!」
王宮の紋章をつけた使者が、息を切らして立っていた。
「私ですが」
「すぐ王宮に来てくれ。中央魔力炉が止まった。貴殿の知識が必要だ!」
私は食べ終えて、口元を拭いた。
「申し訳ありませんが、お断りします」
「……何?」
「王都中の魔導設備が止まっているのだぞ! 国家の危機だ!」
「承知しています」
「ならなぜ来ない!」
「私は昨日、財務局をクビになりました。もう王宮の職員ではありません」
「だが貴殿がいなければ復旧できんのだ!」
「それなら、昨日までに私の仕事を理解しておくべきでした」
使者の顔が赤くなった。
「国家算術官だったのだろう! 国に尽くす義務があるはずだ!」
「国に尽くすことと、私を解雇した上司の命令に何でも従うことは、別の話です」
「なっ……」
「出力増強の危険性は何度も報告しました。修繕が必要な設備のことも、予算の不正も、全部書面で出しています。それを無視したのは財務局です」
使者は黙った。
「それでも王都の人たちは困っているんだぞ!」
「ですから、復旧に必要な資料は用意します」
「では――」
「ただし、私が王宮に戻ることは条件に入れないでください」
私はノートを取り出した。
「安全な復旧手順と必要な補正値をまとめてお渡しします。実際の操作は、設備の状態を確認できる技師と、責任を持って判断できる方が行ってください」
使者はしばらく私を見つめ、やがて頭を下げた。
「……分かった。王宮に伝える」
彼が去ると、主人がぽつりと言った。
「あんた、優しいんだねえ」
「そうでしょうか」
「自分を追い出した連中なのに、国を助けようとしてる」
少し考えてから答えた。
「あの人たちを助けたいわけじゃないんです」
窓の外では、灯りの消えた街で商店の主人たちが困った顔で話し込んでいる。病院では魔力で動く治療設備が止まっているかもしれない。国境の兵士は、防壁を失って警戒を強めているだろう。
「この国には、私の仕事なんて知らない人が大勢います。その人たちまで同じ目に遭うことはないでしょう」
主人は黙ってうなずいた。私はノートを開き、復旧に必要な計算を始めた。誰かに認めてもらうためじゃない。できることをやる。それだけだった。
その日の午後、王宮で緊急会議が開かれた。ブラッドは国王の前に立ち、青い顔で報告した。
「中央魔力炉は安全停止の状態です。炉心の爆発は避けられましたが、供給網の復旧には時間が要ります」
「なぜこうなった」国王の声は低かった。「事前に危険を把握していた者はいなかったのか」
ブラッドは言葉に詰まった。
「……前首席国家算術官のレオンが、出力増強に反対しておりました」
「ではなぜその忠告を聞かなかった」
「それは……」
「彼の報告書はどこにある」
官僚たちが顔を見合わせ、やがて監査官の一人が口を開いた。
「陛下、レオン殿の報告書の一部が、財務局で廃棄されていたことが分かりました」
「廃棄だと?」
「はい。さらに、魔力炉の修繕費に不自然な支出が見つかりました。計上額と実際の使用額が合いません」
会議室に緊張が走った。
「詳しく説明せよ」
監査官は書類を広げた。過去三年の予算記録。修繕費の計上額。実際に納入された部品の数。燃料の購入量と炉の稼働記録。それらを突き合わせると、矛盾がいくつも浮かんだ。帳簿上は買ったことになっている魔石が、倉庫にない。修繕費の一部が、ブラッドの一族と関係のある商会に流れている。出力増強計画に合わせて、必要な修繕を先送りした記録まで出てきた。
「レオン殿はこうした食い違いを繰り返し指摘していました。記録を再計算した結果、指摘はすべて正しいものでした」
ブラッドの額から汗が落ちた。
「ま、待ってください。予算の配分には、いろいろ事情が……」
「事情があれば修繕費を流用してよいという理屈にはならん」国王が厳しい目を向けた。「しかも貴殿は、危険を指摘した職員を解雇し、その直後に出力を上げた。説明せよ」
「国の発展を考えてのことで……」
「その結果、王都の魔導設備は止まった」
ブラッドは何も言い返せなかった。
会議はその後も続き、財務局の関係者への聴取が行われて、関連する予算の執行は止められた。ブラッドは職務を停止され、ルイスら担当者も調査の対象になった。責任がどこまで及ぶかは、これからの調査で決まる。
ただ、一つだけはっきりしていた。今回の危機は、単なる機械の故障ではない。小さな警告を無視し、必要な修繕を先送りして、数字の裏にある現実から目を背け続けた結果だ。そして誰よりも早くそれを見抜いていたのは、彼らが「ただの数字合わせ」と笑った男だった。
夕方、王宮から二度目の使者が来た。今度は国王直属の監査官が一緒だった。
「レオン殿、陛下から正式な依頼を預かっております」
差し出された封書には、魔力炉の復旧計画の監修と、財務記録の調査への協力を求める旨が書かれていた。報酬も、調査に必要な資料へのアクセス権も、きちんと明記されている。
「分かりました。協力します」
監査官はほっとしたように息をついた。
「ありがとうございます。王宮としても、今回の件は重く受け止めております」
「ただ、条件が一つあります」
「何でしょう」
「技術的な警告を出した職員が、都合の悪いことを言ったというだけで排除されない仕組みを作ってください」
監査官は真剣な顔でうなずいた。
「その点も、調査と改革の対象にします」
ようやく、数字を数字として見るところから話を始められそうだった。
中央魔力炉の復旧には十日かかった。私が王宮に戻って働いたわけではない。監査官や技師たちと組んで、必要な計算書と運転手順を作った。
炉心の圧力を安全な範囲に抑えながら、供給網を地区ごとに切り離す。損傷した設備を洗い出し、修繕の優先順位を決める。病院や防衛施設のような重要な設備から順に供給を戻し、最後に炉の出力を通常運転へ戻す。一つずつ、確実に。派手な魔法はいらなかった。必要なのは正確な記録と、根拠のある計算と、現場の技師たちの経験だった。
最終日、私は制御室で技師たちと最後の確認をしていた。
「第一供給路、圧力正常」
「第二冷却系統、安定」
「各地区の供給量、設定値との誤差は許容範囲内です」
主任技師がほっとした顔でうなずいた。
「これで通常運転に戻せます」
「はい。出力は一段階ずつ上げてください。段階ごとに温度と圧力を確認します」
操作盤の光が少しずつ戻っていく。やがて塔が青白く輝き、王都の魔導灯が一つ、また一つと点いた。工房が動き出し、王宮の結界も元の強さに戻り、国境の防壁にも魔力が届く。
「復旧完了です!」
制御室が沸いた。私は息を吐いた。ひとまず危機は去った。だが仕事は終わっていない。今回の事故で見えた設備の問題を整理し、必要な修繕費を出し、予算の執行状況を洗い直さなければならない。それも監査官たちと進めた。
調査の結果、ブラッドは財務卿を解任された。不正な支出と危険性の報告をめぐる責任については、正式な調査と法的手続きが始まった。ルイスも書類の処理について事情を聞かれることになった。かつて私を笑っていた官僚たちは、今では私の計算書を何度も見返している。
誰かに仕返しがしたくてやったわけではない。ただ、何が起きたのかを明らかにして、同じ失敗を繰り返さないために記録を整理し、証拠を出し、計算を続けただけだ。
すべてが片づくと、国王から正式な辞令が届いた。
『レオン・アルバートを特別顧問に任命し、国家算術制度の再整備を委嘱する』
待遇は申し分なかった。以前より高い報酬、資料へのアクセス権、技術的な判断を不当に妨げられないための制度上の保障。私は読み終えて、丁寧に封筒へ戻し、辞退の返事を書いた。理由は簡単だ。もう一度あの職場に戻りたいとは思えなかった。
数日後、王都の外れにある小さな商会を訪ねた。魔導設備の設計と修繕を専門にしているところだ。建物は大きくない。立派な門も豪華な執務室もなく、机には設計図が広がり、棚には古い部品が並び、窓辺には工具が置いてある。
商会長は私の計算書を一時間かけて読み、最後のページを閉じて言った。
「面白い。君の計算は、数字だけで終わっていないね」
「といいますと?」
「数字の先に、実際に動く設備が見えてる。どこに負荷がかかって、何を直せば長持ちするのか、分かるんだろう」
商会長は笑った。
「うちにはそういう人間が必要なんだ。ぜひ一緒にやってほしい」
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
こうして新しい職場が決まった。王国の財務を一手に握る立場ではないし、大きな権限もない。それでも、私の計算を必要としてくれる人たちがいて、書いた数字の意味をちゃんと理解しようとしてくれる。それで十分だった。
一か月後、私は商会の窓辺で新しい帳面を開いていた。表紙には『魔導設備・運転記録』とある。以前と同じように、毎日の数値を書き込んでいく。設備の稼働時間、魔力の消費量、温度と圧力の変化、修繕に要る部品とその費用。相変わらず地味な仕事だが、地味だからこそ見落としてはいけないものがある。
「レオン、昼飯にしよう!」商会長が声をかけてきた。
「あと少しで終わります」
「また数字か。君は本当に好きだねえ」
「ええ、好きなんです」
笑いながら最後の計算を終えた。窓の外には王都の街並みが広がり、魔導灯は今日も明るい。人々は、魔力炉が止まった夜のことを少しずつ忘れ始めていた。それでいいと思う。街の灯りが消えないこと、病院の設備が動くこと、工房が仕事を続けられること、国境の防壁が暮らしを守ること。そういうものは、誰かが毎日、目立たない仕事を積み重ねているから成り立つ。
帳面の最後に一行書き足した。
『本日、異常なし』
万年筆を置く。かつてブラッドは、私の仕事を「ただの数字合わせ」と呼んだ。確かに私は数字を合わせている。帳簿と現実を、理論と設備を、必要な予算と使える資源を。その先には、必ず人の暮らしがある。だから今日も計算する。褒められたいからでも、地位がほしいからでもない。この仕事に誇りを持っているからだ。
「レオン、冷めるぞ!」
「今行きます!」
帳面を閉じて立ち上がった。窓の外では、魔導灯が昼の光の中でも静かに点っている。
王宮の豪華な執務室に、もう私の席はない。それで構わない。自分の仕事を自分で選べるようになったのだから。
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