【一話完結】ただの水汲みと追放された俺、実は王国の魔力循環を支える天才技師でした。
「ただの水汲み」と追放された青年レオン。
だが三時間後、王立魔導研究所の魔力循環は停止した。
誰も知らなかった彼の技術が、王国の命運を握っていた。
「魔力が……止まった?」
第一王立魔導研究所。午前十時ちょうど、所長のフェルナンドは手にしていた書類を取り落とし、窓の外を見た。
中央塔の大魔導炉が、いま止まろうとしていた。炉心の魔石にはまだ七割の魔力が残っている。供給路にも異常はない。それなのに、魔力が流れない。
「なぜ循環しない!」
フェルナンドは髪をかきむしった。目の前で、研究所の魔道具が次々に光を失っていく。解析室の投影鏡が消え、錬金室の加熱炉が冷め、培養室の環境維持装置が静まった。警報音だけが建物に響いている。
「魔石は満タンなんだぞ。それでなぜ流れない」
机を殴りつけた拳が痛んだ。顔は紙のように白い。ここは王国の魔導技術の中心だ。止まれば王都の魔導灯が消え、王宮の結界が弱まり、城下の工房も動かなくなる。しかも研究所が管理する魔力循環網は、国中に張り巡らされている。ここが止まれば、国じゅうの魔道具が沈黙する。
「所長、循環路の要所をすべて点検しましたが、異常はありません」
息を切らした副官が駆け込んできた。フェルナンドは奥歯を噛んだ。
「……あいつだ。あいつを追い出したからだ」
今朝の光景が頭に浮かぶ。わずか三時間前、彼は一人の青年を研究所から追い出した。「ただの水汲み」と罵って。
青年の名はレオン。三年間、この研究所で魔力循環補助員として働いてきた。
仕事は単純に見えた。毎朝フロアを回り、循環路の要所に置かれた導魔水を補充する。導魔水は魔力を運ぶ特殊な液体で、魔石から引き出された魔力はこの水を通って各魔道具に届く。水が濁れば流れが滞り、減れば循環が止まる。だから周りは彼を「水汲み」と呼んだ。
ただ、その仕事は誰にでもできるものではなかった。
レオンは毎朝、百二十ある要所の水の状態を一つずつ確かめた。湿度、気温、魔石の出力、そこで使う魔道具の種類を見て、配合を細かく変える。解析室と錬金室では最適な粘度が違うし、培養室の水には魔力の活性を保つ添加物がいる。その量も季節で変わる。彼はそれを三年間、一日も欠かさず続けてきた。もう技術というより職人芸に近かった。
けれど、それを理解する者は研究所に一人もいなかった。
「おい水汲み、今日の導魔水はまだか」
「すみません、いま補充します」
「遅いんだよ。お前みたいな雑用係がいるから研究が進まないんだ」
いつもこんな調子だった。傍から見れば、彼がやっているのは水を足すことだけだ。配合を変えていることには、誰も気づかなかった。気づこうとする者もいなかった。
今朝、レオンがいつも通り補充をしていると、フェルナンドが声をかけてきた。
「おい、水汲み」
「はい」
「お前、今月でクビだ」
レオンは手を止めたが、驚きはしなかった。最近は人員削減の話が出ていて、対象になるのはいつも雑用係だった。
「……理由を伺ってもよろしいですか」
「理由? お前、自分が何をしてるか分かってるのか」
フェルナンドは鼻で笑った。
「ただの水汲みだ。誰にでもできる仕事に払う給料はもうない。荷物をまとめて出ていけ」
「……承知しました」
レオンは作業着を脱ぎ、ロッカーから私物を出した。入っていたのは一冊のノートだけだった。三年間、毎日つけてきた導魔水の配合記録だ。彼はそれを胸に抱え、研究所を出ていった。
それから三時間後、研究所は魔力循環が止まり、機能を失った。
レオンが去ると、フェルナンドはすぐ後任を決めようとした。
「誰か導魔水の補充をしろ。あの水汲みの仕事だ」
誰も手を挙げなかった。雑用だからだ。研究者たちは自分の研究にこそ価値があると思っていて、水汲みなど下働きだと考えていた。
結局引き受けたのは、見習いの少年カルロスだった。彼はレオンがしていたようにフロアを回り、水を注ぎ足していった。
「これでいいのかな」
首をかしげながらの作業だった。配合を変えるなんて、そもそも知らなかった。
最初の異変は一時間後に出た。解析室の投影鏡が像を結ばなくなったのだ。魔力は届いているのに、映像が歪む。
「この水、なんか変じゃないか」
研究者の一人がタンクをのぞき込んだ。水がうっすら白く濁っている。レオンがいた頃は、いつも澄んでいた。カルロスが足したのは、何の調整もしていないただの水だった。
「まあ、そのうち直るだろ」
そう言って、みんな放っておいた。直るはずもなく、濁りは魔力の流れを妨げ、魔道具の出力は不安定になっていった。
二時間後、錬金室で炉が暴走した。
「うわあっ」
轟音とともに加熱炉が火を噴いた。幸い怪我人は出なかったが、炉は大破し、修理には数百万ガルかかると見積もられた。
「なんで暴走した!」
フェルナンドが怒鳴り、原因はすぐ分かった。導魔水の粘度が適正値から大きくずれていたのだ。粘度が高いと魔力が滞り、炉心に溜まりすぎて限界を超えたところで一気に暴れ出す。レオンは毎日湿度と気温を測って粘度を合わせていた。カルロスはそのことを知らなかった。
「所長、これはもしかして……」
副官は言いかけてやめた。フェルナンドにも分かっていた。あの水汲みは、ただの水汲みではなかった。だが認めれば、自分がどれほど愚かだったかを突きつけられる。
「……そんなはずはない。あいつはただの水汲みだ」
自分に言い聞かせるように呟いた。
三時間後、研究所の魔道具はすべて止まった。
そのころレオンは、王都の通りを歩いていた。
胸には一冊のノートがある。三年分の記録であり、彼の技術そのものだった。
もともとレオンは王立魔導学院で魔導工学を学び、常に首席だった。とくに魔力循環理論では、教授たちも舌を巻くほどだった。彼には魔力の流れが見えた。生まれつきの才能だった。
卒業間近のある日、彼は知ってしまった。教授たちが、魔力循環の研究予算を横領していることを。告発しようとしたが、教授たちのほうが早かった。「魔力循環理論は無価値」と烙印を押され、彼は学院を追放された。
その後、彼は水汲みとして研究所に入り込んだ。理由は、研究を続けるためだ。学院で学んだ理論を実地で確かめたかった。三年間の水汲みで、データは山のように集まった。導魔水の配合が魔力循環にどう効くかを、すべて記録した。もう職人の勘ではなく、科学と呼べるものになっていた。
レオンは足を止めた。目の前に古びた工房がある。看板にはこうあった。
「魔導具修理・調整 何でも相談」
扉を叩くと、中から年寄りの声がした。
「誰だ」
白髪の老人が顔を出した。
「こんな時間にどうした」
「仕事を探しています。魔力循環の技術なら、お役に立てると思います」
老人はレオンをじっと見て、胸のノートに目を止めた。
「そのノート、見せてくれ」
渡すと、老人はぱらぱらとめくり、やがて目を見開いた。
「導魔水の配合記録か。三年分?」
「はい」
「この調整値は、全部実測なのか」
「はい。毎日湿度と気温を測って、魔石の出力を見て、配合を決めていました」
老人はしばらく黙り込み、それから小さく笑った。
「お前さん、化け物だな」
「化け物?」
「この理論は、うちの工房の技術よりずっと先を行ってる。魔力循環の本質を見抜いてるみたいだ」
老人はガルシアと名乗った。かつて王立魔導学院で教授をしていた男で、十数年前に予算横領を告発しようとして、逆に追い出されたのだという。
「お前さんも、学院を追われたな」
「……どうして分かるんです」
「目を見りゃ分かる。俺と同じ目をしてる」
ガルシアは笑った。
「よし、ここで働け。給料は安いが、技術は教えてやる」
「ありがとうございます」
レオンは深く頭を下げた。こうして彼は、ガルシアの工房で働き始めた。
そのころ王立魔導研究所は、かつてない危機に陥っていた。
循環が止まって三時間。研究所は沈黙し、王都の魔導灯は消え、王宮の結界は弱まっていた。循環網から魔力を受けていた各地の魔道具も、順番に止まり始めている。
「所長、王都の魔導灯は復旧できますか」
「無理だ。魔力が流れないんだ」
「王宮から結界の強化を求められています」
「無理だと言ってるだろう」
フェルナンドは机に突っ伏した。今朝まで彼は、王国の魔導技術を率いる所長だった。いまは国を危機に陥れた張本人になりかけている。
「あいつさえいれば……」
悔やんでも遅い。追い出したのは自分だ。そして、ただの水汲みだと思っていた男が、研究所の心臓を支えていたのだ。
「所長、一つ提案があります」
副官がおずおずと手を挙げた。
「何だ」
「レオンを呼び戻してはどうでしょう」
「あんな雑用係をか」
「ですが、彼がいた間、研究所は一度もトラブルを起こしませんでした。去った途端にこの有様です」
フェルナンドは黙った。副官の言う通りだった。導魔水の不具合など、これまで一度もなかった。偶然のはずがない。誰も見ていないところで、あの男が研究所を支えていたのだ。
「……分かった。呼び戻せ」
渋々そう言った。
だが、レオンは戻らなかった。
「お断りします」
研究所の使者に、彼ははっきりそう言った。
「何を言ってる。所長がお呼びなんだぞ」
「私はもうあそこで働いていません。ただの水汲みですから」
淡々とした答えに、使者は顔を赤くして怒鳴った。
「雑用係の分際で何を偉そうに。所長の命令だぞ、従え」
「私はもう、あなたがたの研究所の人間ではありません。従う義務はないはずです」
レオンは工房の扉を閉めた。使者は呆然と立ち尽くした。
レオンが戻らないと聞いて、フェルナンドは激怒した。
「所長の命令に逆らっただと。たかが水汲みが」
「はい。もうあなたがたの研究所の人間ではない、と」
「ふざけるな。なんでそんな奴に頭を下げなきゃならん」
机を殴ったが、怒りはすぐに焦りに変わった。研究所は止まったまま、王都の魔導灯も消えたまま、王宮の結界は弱まり続け、各地の魔道具が順に沈黙していく。
「くそ、くそ……」
また髪をかきむしったところへ、副官が血相を変えて飛び込んできた。
「所長、大変です。王宮が非常事態を宣言しました」
「何だと」
「それに、隣国との国境の魔導防壁が止まりました。国境の守りがなくなっています」
フェルナンドはその場に崩れ落ちた。魔導防壁は王国最重要の防衛施設だ。それが止まれば、国は丸裸になる。いま隣国に攻め込まれたら――。
「どうすればいいんだ……」
震える手で机にすがった。そこへ、副官が一枚の書類を差し出した。
「レオンの身元調査の結果です」
目を通すうちに、フェルナンドの顔から血の気が引いていった。
「レオン・アルバート。元王立魔導学院首席。魔力循環理論で学院史上最高の評価を受ける。卒業間近、教授陣による研究予算横領を告発しようとして、逆に学院を追放される。その後、行方不明」
「学院史上、最高……」
書類が手から滑り落ちた。
「俺は、そんな男を、ただの水汲みと呼んだのか」
レオンは水汲みなどではなかった。王国で最高の魔力循環技師だった。その彼を追い出したせいで、研究所は、いや王国は、取り返しのつかない状況に陥っている。
「呼べ……何としても連れ戻せ」
絞り出すような声だった。
「ですが所長、先ほど断られました」
「何度でも行け。土下座してでも連れてこい」
フェルナンドは叫んだ。
レオンはガルシアの工房で、魔導具の修理をしていた。
「おいレオン、研究所の連中がさっきから何度も来てるぞ」
ガルシアが苦笑いする。
「知っています」
「追い返してやろうか」
「いえ、放っておいてください。そのうち諦めますよ」
レオンは手を止めずに答えた。
だが、彼らは諦めなかった。
「レオン様、お願いです。研究所に戻ってください」
「王国の危機なんです。あなたの力が必要です」
「土下座してお詫びします。どうか」
使者たちは工房の前に膝をつき、頭を地面にすりつけた。それでもレオンは応じなかった。
「……レオン様、どうか」
使者の一人が泣きながら訴えた。
「私はただの水汲みです。あなたがたの研究所には必要ないでしょう」
そう言って、レオンは工房に戻っていった。
その間にも、研究所では事態が悪化していた。循環網の要所三か所で、導魔水が固まり始めていた。どれだけ人を集めても、手の打ちようがなかった。
フェルナンドは窓辺に立ち、暗い王都を見下ろしていた。誰も彼に声をかけない。かつて「所長」と呼んで頭を下げていた者たちは、遠巻きに彼を眺めているだけだった。
結局、レオンが研究所に戻ることはなかった。
だが事態は、思わぬ形で収まった。レオンがガルシアの工房で、ある魔道具を完成させたのだ。
「これで、魔力循環網を制御できます」
「魔力循環制御装置」。導魔水の配合を自動で最適化する装置だ。レオンの三年分の記録と、ガルシアの技術が合わさって形になった。
「これを王宮に納めれば、循環網は復旧する」
ガルシアが感嘆の息をもらす。
「とんでもないものを作ったな」
「これがあれば、もう水汲みは要りません。誰でも最適な配合で魔力を回せます」
「だが、これはお前さんが三年かけて築いた技術だぞ」
「ええ。でも私はもう、研究所の人間ではありませんから」
レオンは少し笑った。
「王宮に納めましょう。私はこれからも、この工房で働きます」
ガルシアはしばらく彼を見つめ、ふっと笑った。
「そうか。なら俺も、お前さんを支えよう」
二人は装置を王宮に納めた。王宮はその性能に驚き、すぐに国中の循環網へ導入すると決めた。
装置が入ると、循環網は復旧した。王都の魔導灯が戻り、王宮の結界が強まり、国境の魔導防壁も動き出した。王国は危機を脱した。
レオンの功績は王宮に認められた。
「レオン・アルバート殿。貴殿の功績に対し、王国は『特級魔力循環技師』の称号を授与する」
使者の言葉に、レオンは静かに頭を下げた。
一方の王立魔導研究所は、循環網の管理権を王宮に取り上げられ、フェルナンドは所長を解任された。
研究所を去る日、彼に声をかける者はいなかった。フェルナンドは一人で、黙って門を出た。
その後の彼を知る者は、誰もいない。
一年が過ぎた。
レオンは今日もガルシアの工房で、魔道具の修理をしている。
「おいレオン、王宮から新しい魔導炉の設計依頼が来てるぞ」
「見せてください」
書類に目を通して、レオンは言った。
「この設計、循環の効率が悪いですね。ここをこう変えれば……」
「お前さんが直すと、毎回見違えるな」
ガルシアは感心したように言い、ふと首をひねった。
「ところでお前さん、もう水汲みじゃないんだぞ」
「ええ、知っています」
「なら、なんでいつも水の配合を気にしてるんだ」
レオンは小さく笑った。
「習慣です」
そう言って、また作業に戻った。
王都の通りでは、新しい魔導灯が今夜も明るく光っている。
「この魔導灯、昔はよく消えたよな」
「ああ。でもいつの間にか、まったく消えなくなった」
「なんでだろうな」
「さあな。でもありがたいことだ」
人々はそんな話をしながら、明るい通りを歩いていく。
レオンは工房の窓から、その様子を眺めていた。
「……いい街だ」
そう呟いて、また手元に目を戻す。胸のポケットには、あのノートがある。三年分の記録で、これからも書き足されていく。
「ただの水汲み」は、もういない。ここにいるのは、王国で最高の魔力循環技師だ。
それでも彼は、今日も静かに水の配合を整える。それが彼の仕事だからだ。
その仕事が、王国を支えている。誰にも気づかれないところで。誰にも感謝されないところで。
それでも彼は、今日も水を汲む。自分で選んだ道だから。
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