烏丸 陣
あいつからは、生の匂いがほとんどしない。
初めて転校生の白石 宵を見た時、陣は直感的にそう悟った。
この世界に生を受け、呼吸をし、心臓を動かしている"人"が当たり前に発している生きている証。宵のそれは、風前の灯火のように今にも消えてしまいそうなほど薄かった。
(……)
重い持病でもあるのか、それとも深い傷を負っているのか。
問い詰めるのは容易かったが、宵自身がそれを必死に隠そうとしているのが分かったから、陣はあえて何も聞かなかった。
***
——ただの、いつものような、気まぐれのはずだった。
どれくらい前からだろう。いつも一人で過ごしてきた。
学校の人間たちは、陣のすぐ横を通り過ぎても誰も目を合わせない。そんな世界に、陣はすっかり慣れきっていたのだ。
なのに。
『あ、ごめんなさい。誰かいるとは思わなくて』
あの初日。
自分をまっすぐに見つめ、驚いたように目を丸くした少年。
宵だけが立ち止まり、驚いた顔で自分を見ていた。
息をのんだ陣は興味本位で歩み寄り、宵の隣にドカッと腰を下ろしたのだ。
『俺は、白石 宵。……君は?』
一人の人間として自分を見つめる素直な瞳。
毒気を抜かれ、渋々「烏丸 陣」と名乗った時の、あの嬉しそうな顔。
あやかしが見えることに歓喜し、『友達ができて凄く嬉しい』と笑い、ダサいマスコットを「お揃い」だと言って強引に手に握らせてきた。
そして今日、巨大なあやかしから助けた時、涙目になりながら夢中で俺の名を叫んだのだ。
『ありがとう……! 助けてくれて、本当にありがとう、陣……!』
『陣』と、呼び捨てで呼ばれた瞬間。
胸の奥が焼き切れるような、甘くて恐ろしい衝撃が走った。
誰も俺を見ない、誰も俺を呼ばない静寂の世界で。
あいつが俺を「陣」と呼び、「友達」だと笑ってくれた。それだけで、世界が一気に色づいて見えたのだ。
(……馬鹿かよ、俺は)
『どうしてあやかしに詳しいの?』と尋ねられた時、戸惑った。
あいつのまっすぐな優しさが眩しい。
あいつと過ごす『秘密の時間』が、たまらなく愛おしい。
けれど——愛おしくなればなるほど、胸の奥が激しく痛む。
(頼むから、俺の前から、いなくなるなよ……宵)
あいつの「生の匂い」は相変わらず薄いままだ。
もしあいつの病気か傷か、はたまた違うナニカが悪化して、この世界から消えてしまったら。
俺を「陣」と呼んでくれる唯一の存在がなくなってしまったら——俺はまた、あの息もできないような孤独に逆戻りだ。
「チッ……あいつ、ちゃんと無事に家に着いたか……?」
宵と別れ、一人になった渡り廊下。
茜色に染まる夕暮れの中を、陣は重い足取りで歩く。
斜めに差し込む強い夕日が、廊下の床を真っ赤に染め上げていた。
壁や床には、窓枠の格子や飾られた花瓶の黒いシルエットがハッキリと伸びている。
だが——。
ゆっくりと歩く陣の足元には、
いくら強い夕日を浴びても、そこにあるはずの"影"が、落ちていなかった。
夕空を見上げる陣の瞳に、寂しげな陰りが落ちる。
「俺の秘密に気づかれたら……お前は友達だとまた呼んでくれるのだろうか。。。」
届かない問いかけは、赤く染まる静かな廊下に、虚しく消えていった。




