あやかし
「陣って……本当にすごいんだね」
旧校舎の裏手、いつものベンチ。
先ほどの激しい恐怖が嘘のように静まり返った場所で、俺はまだ少し震える声で呟いた。
あんなに大きくて不気味なあやかしを、陣は一瞬で消し去ってしまったのだ。
助けてくれた陣の横顔を見上げると、彼はポケットに手を突っ込んだまま、どこか不機嫌そうに空を見上げていた。
「……ふん、俺が負けると思うか?それよりお前、怪我は」
「あ、うん。服が少し破けただけで大丈夫。……ねぇ、陣」
破れた袖口を抑えながら、ずっと胸の中にあった疑問を口にした。
「あやかしって、一体なんなんだろう。どうして……あんな姿をして、俺を襲ってくるのかな」
幼い頃から俺を怯えさせ、コンプレックスの元凶となってきた気味の悪い存在。
ずっと怖くて目を逸らしてきたけれど。あやかしを退ける圧倒的な力を持つ陣なら、その答えを知っているような気がしたのだ。
陣は、宵の隣のベンチにドカッと腰かけた。
その眼光はいつもより柔らかく、けれどどこか遠くを見ているようで、寂しそうに見えた。
「ふぅ。……あやかしってのはな」
低く静かな声が、風に乗って耳に届く。
「『人の置き去りにされた心』だ」
「……え?」
思ってもみなかった言葉に、目を丸くした。
「怒り、悲しみ、孤独、寂しさ……人間が処理しきれずに捨てていった強すぎる感情が、長い時間をかけて形を持ったものが『あやかし』になる。あいつらは、誰にも気づかれなかった感情の成れの果てなんだよ」
陣は淡々と語る。その言葉一つひとつに、妙な重みがあった。
「あいつらが人間を襲うのはな、生きた人間の強い感情や命の匂いを吸い取って、自分を満たしたいからだ。……誰にも拾われなかったから、羨ましくて、欲しくてたまらねぇんだよ」
「……誰にも、拾われなかった感情……」
あんなに恐ろしかった怪異の正体。
それは、誰にも届かずに消えていった誰かの寂しさの形だったのだ。
自分も病気のことや「見える」体質のことを誰にも言えず、ずっと一人で孤独を抱えてきた。
そう思うと、あんなに不気味だったあやかしたちが、少しだけ切ない存在に思えてくる。
「ねぇ、陣は、なんでそんなに詳しいの?」
ふと浮かんだ疑問をそのまま口にだす。
すると、陣の身体が一瞬だけ、ピクリと強ばった。
彼はすぐにフンと鼻を鳴らすと、視線を俺から逸らし、乱暴に頭を掻きむしった。
「……ただの知識だよ。退治する相手のことくらい、知っといた方が都合がいいだろ」
「でも——」
「ほら、無駄話してねぇでさっさと起きろ。風が冷たくなってきただろ、帰るぞ」
陣はそれ以上俺に追及させないように、強引に立ち上がると、さっさと背を向けて歩き出してしまった。
あからさまなはぐらかしだった。けれど、その背中はどこか風に消えてしまいそうなほど小さく、寂しそうに見えた。
俺はそれ以上追うことができず、ただその背中を見つめていた。
陣もまた、同じように深い孤独を知っているのだと、そう強く感じていた。
「見える仲間」ができたこと。あやかしの理由を知れたこと。
俺の中で、陣への愛おしさと親近感がさらに深まっていくのを感じていた。
——でも、この時の俺はまだ知らなかった。
陣があやかしの成り立ちを知っている、その本当の意味を。
そして、『誰にも拾われなかった孤独』という言葉が、誰のことよりも、目の前にいる彼自身を指していたのだということを。




