準備
文化祭の準備が始まると、学校中はどこもかしこも普段とは違う熱気に包まれていた。
「おい白石ー! こっちの看板のペンキ塗り、手伝ってくれ!」
「あ、うん! 今行く!」
クラスの教室では、田中が「メイド執事喫茶」の宣伝看板をノリノリで描いている。竹田はテキパキと机を放り投げて配置換えをしていて、クラスのみんなが文化祭に向けてひとつになっていた。
転校してきて1ヶ月。ずっと一人で孤独だった俺が、こうやってみんなと笑い合いながら準備をしている。それだけで胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……うわっ!?」
看板の枠を取り付けようと廊下の隅へ歩いていた時、俺は思わず息を呑んで足を止めた。
廊下の吹き抜け部分、天井近くの影。
そこに、真っ黒なモヤのようなあやかしが、ぬっと蠢きながらこちらを見下ろしていたのだ。
一瞬、背筋に冷や汗が流れる。幼い頃から俺を怯えさせてきた、気味の悪い怪異の視線。
(……大丈夫、害はなさそうだ。静かに通り過ぎよう……)
俺は「見えていないふり」をして、すっと目を逸らした。
病気のことや、この「見えてしまう」体質のせいで、昔から気味悪がられてずっと一人だった。……けれど今の俺には、あやかしを共有てできる強い陣という友達と、こうして新しく仲良くなれた友達たちがいる。
「どうした白石? ボーッとして」
「あ、ううん! なんでもない、竹田。ペンキ持って行くね!」
恐怖を押し殺して笑顔を作ると、竹田は「おう!」と眩しい笑顔を返してくれた。
***
放課後。クラスの準備が一区切りついたところで、俺は「先に帰るね」と竹田と田中にお願いし、急いでいつもの旧校舎裏へと向かった。
夕暮れのベンチには、案の定、退屈そうに空を仰ぐ陣の姿があった。
「陣! お待たせ!」
駆け寄ると、陣はめんどくさそうに視線だけをこちらに向けた。
「遅ぇぞ、白石。またあの二人に捕まってたのか」
「ふふ、竹田と田中ね? 準備がすごく盛り上がっててさ。……ほら、これ差し入れ!」
購買で買ってきた温かい缶ミルクティーを差し出すと、陣は「……別に要らねぇのに」と不機嫌そうに呟きながらも、手に受け取ってくれた。
隣に腰を下ろし、ふぅと息をつく。
夕日が旧校舎を茜色に染めていく。二人で並んで座るこの時間は、慌ただしい準備の時間とはまったく違う、ゆったりとした静けさに包まれていた。
「ねぇ、陣。文化祭の当日、本当に一緒にまわってくれるんだよね?」
「ああ? 一回言えば分かんだろ。約束は破らねぇよ」
「……ううん、すごく楽しみだから、何回も確認したくなっちゃって」
俺がふはっと笑うと、陣はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「……お前、体調は大丈夫なんだろうな。最近、また一段と顔色が白いぞ」
「え? あはは、準備でちょっと張り切りすぎちゃったかな。でも全然大丈夫! 当日は絶対、元気で楽しむからさ」
陣は俺の顔をじっと見つめたあと、どこか心配そうな、けれど愛おしむような優しい目で目を細めた。
「無理すんなよ。お前が倒れたりしたら……台無しだろ」
「うん。約束する」
陣が自分を心配してくれている。それだけで胸がギュッと締め付けられるほど嬉しかった。
この体質に悩まされ、いつ消えてしまうか分からない命を抱えた俺にとって、陣と過ごすこの夕闇の時間は、何よりも愛おしく、守りたい宝物だった。
——この時の俺はまだ知らなかった。
楽しみにしていた文化祭当日に、あまりにも残酷な現実が突きつけられることを。




