笠音琴子は時を詠む
朝。
教卓の真正面、教師からもっとも監視しやすいと思われている位置にある自分の席で、僕――郁先幸多は昨日のことを思い返していた。
笠音琴子。
隣の席の同級生。
深夜の住宅街に現れて、マックで倍ビッグマックを即座に食い尽くして放った言葉が、「正体不明のなくし物の正体を一緒に探してほしい」なんて意味不明な哲学的な何か。
……いや、本当に何なんだあの人。
なんで僕の家の近くにいたんだ。なんで僕のことを妙に知ってるんだ。なんで女子高生のくせにあんな社会人みたいな雰囲気なんだ。
あと非常に食欲が旺盛だ。いっぱい食べる君が好きってやつだね。
考えれば考えるほど謎が増えていく。
そんなことをぼんやり考えていると、
「おはよう、郁先くん」
いつの間にか隣に笠音さんが座っていた。
うわ、びっくりした。
しかも朝から距離が近い。心臓に悪い。
「ドーモ、笠音=サン。オハヨウゴザイマス」
久しぶりに女子とまともに会話したせいで、口から忍殺語が飛び出しちゃったじゃないか。
「……なんで忍殺語なのよ」
「えっ、通じるんですか」
「有名なネットミームでしょう?」
……この人、思ったよりネット側の人間かもしれない。
仲良くできるかもしれない、そう思った瞬間。
笠音さんが、不意にこちらへ身を寄せてきた。
「ーーーッ!?」
近い近い近い。
シャンプーの匂いするんだけど。えっ!?なんで? 女子って全員こうなの?
反射的に目を閉じてしまう。
「放課後、付き合ってくれるわよね?」
耳元で囁かれた。
終わった。男子高校生としての理性が。てか完全に挙動不審だった……。
ていうか僕、異性への耐性が極端に低すぎるンゴ〜。
◇
放課後。
僕たちは学校の図書館にいた。
静かな館内。夕日。閉館前特有のゆるい空気。
なんか青春っぽい。
いや、話してる内容は全然青春じゃないけど。
「それで」
向かいに座る笠音さんを見る。
「結局、その“正体不明のなくし物”って何なんですか」
「私にも分からないの」
「分からないのに探せるものってことですか?」
「知らないわよ」
断言された。
この人、勢いで生きてない?
「ただ、“なくす”ことだけは分かってるのよ」
「予言みたいな感じで?」
「予言というより、予見かしら」
「違いが分からないんですが」
「……説明が難しいのよね」
珍しく困ったように視線を逸らす。
数秒考えてから、笠音さんは小さく息を吐いた。
「私の家系、少し特殊なの」
「……特殊?」
「現状から未来を読むことができるのよ。かなり高精度で」
「なんかAIみたいな?もしくはフェルミ推定的な?」
「うーん、かなり近いけどもう少しオカルトよりかもしれないわ」
少しオカルトなんだ。
「あなたが好きそうな話題で言うと文豪ストレイドッグスの江戸川乱歩の『超推理』みたいな感じかしら。我が家では昔から“時詠み”って呼んでるけど」
時詠み。
なんかめちゃくちゃ厨二っぽい単語が出てきた。
「今、厨二病っぽいって思ったでしょう」
「思ってません」
「思った顔してるわ。……あと、下手な口笛はやめなさいな」
くっ、鋭い!!
笠音さんは少しむっとしたあと、続けた。
「例えば、“風が吹けば桶屋が儲かる”ってあるでしょう?」
「急に落語でも始まりました?」
「あれって実際には、いろんな因果が積み重なった結果なのはご存じ?」
笠音さんは指を折りながら説明する。
「まず風が吹くでしょ?すると土埃が舞ってそれが目に入って目を悪くする人が増えて、目の悪い人が三味線弾きになるから三味線弾器が増えて、その三味線を増産するのに猫皮が必要になる。乱獲されるので猫が減って、猫が減ると餌であるネズミが増える。増えたネズミは桶をかじる。だから桶屋が儲かる」
「長いな」
「でも時詠みは、その流れを断片的な事実から読めるの」
「……つまり?」
「強い風が吹いた瞬間、“あ、桶屋儲かるわね”って分かる感じ」
「なるほど」
わからん。
「顔に出てるわよ」
「いや、言いたいことは何となく分かるんですけど、理解が追いつかないというか」
わかったような、わからないような。
とにかく、わからないことがわかった。まさに無知の知、ソクラテス先生もニッコリだね♪
「まあ、実際に見た方が早いわね」
笠音さんはそう言って立ち上がった。
◇
下駄箱前。
外では運動部が片付けを始めていた。
時刻は十九時前。空はもうかなり暗い。
「例えば」
笠音さんが地面を指差す。
「そこに小石があるでしょう?」
視線の先。アスファルトの端に、小さな石ころが転がっていた。
「ありますね」
「あれをどかすと、世界が滅びるわ」
「急にスケールがデカすぎる」
「嘘よ」
ですよね。
「でも、あれを放置すると陸上部の稲垣くんが転ぶわ」
「誰ですか稲垣くん」
「陸上部の男子」
「うーん雑情報」
うーんこの……。
笠音さんはじっとグラウンドを見る。
「左足を捻りそうね、しかも、結構痛そう……」
「……」
真顔で言われると反応に困る。
でも、やっぱり信じられなかった。
未来予知? 時詠み? そんなものが現実にあるならもう少し知名度があってしかるべきだと思う。
僕の表情を見て察したのか、笠音さんは小さく肩をすくめた。
「いいわ、今日はもう解散にしましょう」
「……え?」
「明日から本格的に探すわ」
そう言い残して、彼女は帰っていった。
残された僕は、しばらく石ころを見つめる。
……いや。
さすがに気になるだろこんなの。
◇
そして数分後。
運動部の生徒たちが校舎へ戻ってきた。
笑い声。疲れた足音。
その中の一人が――
「あっ」
ガッ、と嫌な音がした。
男子生徒の足が、小石に乗り上げる。
身体が大きく傾く。
考えるより先に身体が動いていた。
「危なっ!」
とっさに腕を掴む。
倒れかけた男子生徒が、ぎりぎりで体勢を立て直した。
「っぶねぇ……! サンキュー!」
息を切らしながら、男子生徒が笑う。
「誰か知らんけど、マジ助かったわ!ありがとな!」
「……ドーモ」
「いやー、危うく派手に転ぶとこだった」
その時、友達らしき男子が呼んだ。
「おーい稲垣! 大丈夫かー?」
――稲垣。
僕は思わず、さっきの石ころを見る。
背筋が少し寒くなった。
◇
夜。
駅前のマクドナルド。
昨日と同じ席に、笠音琴子はいた。
「待ってたわ」
「……やっぱり、というかわかっててそこに座ってるんですか?」
「だって、来ると知っていたんだもの」
さらっと未来視みたいなことを言う。
怖い。でも、僕も直感でここに来たから他人のこと言えないんだよな……。
「あの後、僕が助けるところまで読んでたんですか?」
「ええ。あなた、目の前の他人の不幸を放っておけないタイプでしょう?」
「そんな善人じゃないですよ」
「でも助けた」
「……」
否定できない。
笠音さんは少しだけ笑った。
「それで?」
「僕は模範的男の子なので知的好奇心には勝てませんでした」
「そうでしょうね」
「あと」
僕は肩をすくめる。
「困ってるなら、まあ、できる範囲では手伝います」
義務教育の道徳くらいは、ちゃんと履修している。こちとら、困っている人を見かけたら手伝いましょうとしっかり洗脳教育されてきたんだ。
すると笠音さんは、どこか嬉しそうに目を細めた。
「ええ。よろしくね、郁先くん」
「こちらこそ。ってそれ僕のラスイチポテト!」
「フフ、これも時詠みよ、知らんけど」
……知らんのかよ
◇
……まあ、本来なら稲垣くんは捻挫するはずだったのに、あのとき郁先くんが関わったことで、少しだけ、予見が変わってしまった。
全く、笑わせてくれる。
時詠みの予見は余程のことでは外れない。少なくとも今までは。
郁先幸多は面白い。
……もしかしたら、あなたが関わると私の予見も少しは変わってくるのかもね。
可愛い子に耳元で囁かれたい人生だった……。




