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「父親を殺すためにね。かわいそうに」
アトリがハーリキン市警でエナガから聞いた話をヒクイに話した。ヒクイは言葉とは裏腹に、同情はなかった。ニオの部屋は昨夜アトリがいっていた通り、壁に雨が叩きつける音でうるさかった。まるでトタン屋根の下にいるかのようだった。
「努力の方向性が間違っていることは否めないよね」
ヒクイはそこまでいってしまった。エナガはふたりの話を片耳にホットサンドをかじる。まだなかを開いていない紙になにがあるのか。その不安で長い咀嚼をしなければうまく飲み込めなかったし、そもそもホットサンドの味もせっかくのできたてなのに、味がよくわからなかった。
「こいつずっと落ち込んでんだよ」
エナガが暗いのがタイムの話だけのせいだと思っているアトリに、エナガはほっとしつつも、とてつもなく心細くもあった。
「それならもっとおいしいもの食べさせてあげる気遣いをしなさい」
ヒクイが叱る。
「しょうがないだろう、ニオがすぐに仕事戻るとかいうし、エナを連れてうろちょろするわけにもいかないし。お前は外に出て大丈夫だったのか?」
「大丈夫だったよ。けどこの場所はばれてるみたい。気がつかなかったか?」
エナガが顔をあげる。もしかしてヒクイはオークロにここがばれているのを知っているのか。
「不良君たちが忙しくなく周りをうろちょろしてるよ」
エナガの予想ははずれた。
「バン達か?」
アトリは呆れる。
「本当にあの子たちの情報網は恐れ入るね。この件が終わったら提携依頼でもしようかな」
「大人の金で動くタマじゃねぇだろ、ああいう仲間同盟元気少年団は」
「それもそうか。でも早く終わらせてマヒワの飯を食べにいきたいね」
「マヒワさんの料理、そんなにおいしいんですか?」
エナガは興味があった。
「俺らにとっては実家の味みたいなものだからな。マヒワはヒガラのレシピを受け継いでいる。舌が慣れてる」
アトリは急に自分が食べている玉子のホットサンドが味気なく感じた。
「素直においしいっていえばいいのに」
ヒクイが上げ足をとる。アトリは鼻を鳴らして、照れ隠しをごまかした。
「全部終わったら、エナちゃんもお昼に連れていってあげる。朝か昼しかやってないんだ。夜の七時には閉まるんだ」
「じゃあ、お昼に。楽しみにしてます」
エナガは自然と笑えた。そして紙の中身を確かめようと、食べかけのホットサンドを持った手を膝に置いた。
「もういらないのか?」
半分も食べられていないホットサンドを見てアトリが心配する。
「今はちょっと。夜に温め直して食べます」
包み紙に戻すとエナガはソファから立ち上がった。
「ちょっと手を洗いに」
エナガはそそくさと洗面所に向かった。
洗面所のドアを意識して静かに閉めた。そして蛇口をひねるが、水は出ない。七分かかることを忘れていた。それは、本当は手を洗うつもりのなかったエナガの心を見透かしているようであった。エナガはワンピースのポケットに手を入れる。指先に固い紙が触れ、握りしめると出して、手のひらの上で眺めた。鼓動の音が頭、耳の中で響く。破れないように慎重に広げた。そこには、几帳面なきれいな字が並んでいた。
今夜八時まで喫茶ヤドリギで待つ。ヒガラ兄弟には内密に。こなければ女主人の命はない。
エナガは息を飲み、へたり込んだ。エナガはもう一度読もうとするが、手が震えて読めなかった。手紙をスカートの上に離し、冷えていく手をこすり合わせた。それがアトリに教えてもらったおまじないを想起させた。エナガは強くこすり合わせ、手がほんのりと温もりを持つと、人差し指に息を吹きかける。息を吸う。吹きかける。繰り返すたびに、呼吸は深くなっていく。エナガは落ち着け、落ち着いて考えるんだと念じ、そのまま人差し指を口に当てる。まだ夜まで時間はある。考えよう。エナガは水が出るまでそのまま動かず、結局手は洗わずに水を止めた。ドアの前で深呼吸をすると洗面所から出た。
アトリとヒクイは、ヒクイが買い直してきた雑誌を片手に、テーブルに広げた地図を眺めていた。エナガはアトリの隣に座って同じように地図を見た。
「こうやって眺めていればが何かに気づくかもしれないと思って」
ヒクイがいった。エナガは頷きながらさりげなく喫茶ヤドリギを捜してみたが、見つからない。意識しないように意識して、聞いた。。
「喫茶ヤドリギはどこにあるんですか?」
「ん?ああ、ここだよ」
アトリがとんっと指で喫茶ヤドリギの場所を指で叩いた。十時通りのちょうど真ん中あたり。ここ、ニオのマンションは、三時通りのどちらかといえば、三時のレリーフに近い、街の端の方だ。ここから喫茶ヤドリギまでは結構距離があった。歩いて、三十分と少し。エナガの考える時間のタイムリミットは夜の七時半まで。
「そんなに行きたい?」
ヒクイの底の見えない青い瞳で覗かれ、エナガは動揺してしまった。
「ごめんなさい、気になって。入口を捜さないと」
外に出て捜索したのは、昨日の未来人歴史ツアーだけだった。
「別にヒックは怒ってないぜ。おどおどするなよ」
アトリがつい口を出す。ヒクイは温厚な笑みを見せた。
「ごめんね。嫌味でいったわけじゃないよ。ちょっと嬉しかっただけ」
エナガは唇を細くし、照れた素振りを見せたふりをして俯いた。隠しごとをしているせいか、ヒクイの優しさが心苦しかった。ポケットの中のオークロの手紙に意識がゆく。
「まあそれは置いといて、アトリたちが警察に行っている間、俺なりに考えたんだ」
嘘を吐き通すのか、やめるのか。ひとりでどうにかするべきなのか、助けを求めるべきなのか。エナガは葛藤を押し隠し、ヒクイの話を聞いた。
「何度も繰り返していることだけど、日時計かレリーフ、またはその両方が入り口を開く鍵になることは、もう間違いないとして考えるべきだと思う」
ヒクイはペンで十二時通りの街の端を指した。
「それでね、方角の方面から考えてみたんだ。十二時のレリーフがちょうど東にあるんだ。必然的に、六時のレリーフが西にある。だから三時は南で、」
「九時は北」
アトリはヒクイの丁寧過ぎる説明にせっかちになり、早口でいった。
「そう。それで太陽は東から昇って、西に沈むだろう」
けれどヒクイの丁寧過ぎる説明はまだ先があった。
「日時計は太陽と密接なものだ。だからさ、太陽を使って操縦室の入り口を開けるんじゃないか、と考えてはみたんだけど」
「じゃあ、今日みたいな雨の日には開けられないってことになるぞ」
アトリはすぐさま欠点をついた。ヒクイは降参というようにペンを置いて、両手を上げた。そしていった。
「寝るか」
「は?」
ヒクイの提案にアトリは呆気にとられた。
「今はそれが最善で最速かもしれない。寝たうちに夜船が着いたようって言葉もある」
「そうですね、おやすみなさい」
エナガは同意した。ひとりで考える時間が欲しかった。逃げるようにベッドに潜る。
「おやすみなさい」
ヒクイがいった。アトリはソファに倒れ、背もたれの方に顏を向ける。
「寝るか」
そういったアトリは目を閉じなかった。エナガも目を閉じなかった。エナガは、オークロの手紙のことをいうべきか否かの迷いから逃げたかった。時間をごまかしているだけだった。エナガは頭までタオルケットをかぶった。ヒクイは天上を見上げ、ソファに寝そべった。全員が違うところを向いて、全員、眠ることはなかった。
グースベリーは急な来客であるニオをすんなり、地下の城に招きいれた。紙と本の森を見て、木を隠すというのはブルーベルの洒落だったのかもしれない、と考えた。グースベリーは食卓の上にくたびれた封筒を置いた。ニオはそれに不機嫌な顔を向ける。封筒の宛先はブルーベルになっていた。手紙だった
「これは?」
「お巡りさんが望むものだよ。ブルーベルに半分無理矢理に押し付けられた。中身は見なかった。わたしが小心者でよかったな。こうやって素直に出した。それにブルーベルはいいかげんで、あまい男だ。遅かれ早かれここに警察が来るとわかっていた」
ニオは封筒を裏返した。差出人はマガモ・ジュニパーだった。
「見なかったといったが、聞きもしなかったのか」
「聞いたさ。タイムマシンの場所が書いてある地図が入っている」
押し込めきれない未練がグースベリーの視線に漂った。
「もう捕まるとブルーベルは焦ったんだろう。そしてわたしに預ければ、警察にいわないと思ったんだろうな。なんせ元反秘史党の時間マニアさ。あいつは出所したら一緒にその地図の場所に行って、オークションで大金を儲けようと誘ってきたわたしは心のなかで怒った。けど、捜しに行きたくないかと問われれば、行きたいと望む」
ニオは黙って、老人の話に耳を傾きつづける。
「妄想の外側に触れられる。わたしの外側にある、触れられる夢だ。けれどそれは、壊れた方がいい夢なんだろう?」
ニオは頷く必要も、首を振る必要もないと思った。ニオはまた、封筒の表を見た。
「消印が十年以上前だ。なぜさっさとタイムマシンを見つけに行かなかったんだろうな」
「ブルーベルはその地図の場所に行ったらしい。そしたら、死体がひとつあったらし。それで飛んで逃げた。手紙の差出人もいまだに行方不明。ひとりでもう一度行く度胸がなかったのさ。だからこんなモグラでも金のために必要とした。あいつも小心者だ。わたしも捕まるか?本が読めるなら、もう牢屋でもいい」
「匿名の情報提供者にしておきますよ」
ニオは情に背を見せることができなかった。手紙を食卓から取った。それを奪い返さないように、グースベリーは両手を震えるぐらいに握りしめた。
「わたしに、時間教ほどの心の強さと、おおきな度胸があれば、この内で育てた狂気をこの世の世界にできたかな、お巡りさん」
「どうでしょうね。わたしに未来も、もしもの過去もわからない」
ニオはしばし考え、付け加えた。
「でも、誰しも叶わない夢を胸に秘めてるものですよ。あなたは夢を秘密にしなかった。それだけです」
ニオは手紙をポケットにしまった。




