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「オークロの希望を、あなたの好奇心のために利用するんですか」
エナガにしたら強気な言葉だった。もしかしたらタイムの世界に意識が飲まれているのかもしれない。エナガはある意味、恐怖と未知に酔わされていた。
「救いですよ。タイムパラドックスの証明はわたくしと彼の心の救いです。すべてを救えるとはさすがのわたくしも思ってはいません。失われたほんの僅かな切れ端でも救うことができたらいいのです。僅かだけでもこの命で手助けできるのが嬉しいのです」
「……なぜそんなにも、タイムパラドックスの証明にこだわるんですか?」
とり憑かれ、命をかけて狂っているのか。救いや希望はそんなものなのか。エナガには純粋な疑問だった。
「うぬぼれからの恐怖で過去の人間たちは未来人たちを殺しました。その未来人たちが地球を破滅寸前へと追いつめました。過去の人間たちが今のわたくしたちに人間の愚かさを植えつけています。そのために世界統合機構はタイムトラベルを禁止にしてしまったのです。今の人間の尊厳を未来人たち過去の人間に奪われてしまったのです。人間の心は愚かでも人間の知識は愚かではありません。この上なく美しく眩い希望なのです。美しいものを欲しがるのに理由なんているのでしょうか。美しいものの理由なんて美しい以外ありません。だからわたくしは知りたいのです。これがわたくしの思想です。禁じられてしまった美しい知識。そのひとつがタイムトラベルなのです」
「あなたはこの先を生きていく人間に、自分は愚かではないと、証明ができるんですか。それもうぬぼれではないのですか」
エナガは故意につくられた隙だとわかっていたのに飛び込んでしまった。けれどやりかえすことはできなくとも、無知だとしても、抵抗と反抗をせずにはいられなかった。
「この世に矛盾がないものなどありません。世の中身はすべて点と線で繋がっているのです。矛盾は真実なのです」
タイムは飛び込んできたエナガの正義を捕まえる。
「うぬぼれなければ先へは選べない。愚かになる覚悟がない者より何も選べない者の方がずっと愚かです」
エナガは自分が愚かと責められた気分だった。これで終わりだろうか。けれど、大事な目的はまだ果たせていない。エナガは操縦室の入り口について、さぐりを入れようか迷った。チュウヒがそばにいたからだ。けれどこのまま帰れば、入り口探しは前進しない。ここまできたのに手ぶらで戻るのは心苦しい。聞こう。そう決めたときだった。タイムのからだが揺れた。それは咳き込むのを我慢する動きだった。タイムはエナガを瞳に閉じ込めるかのように凝視し、口端から血を一筋流した。エナガは目を見開き、椅子を倒して立ち上がると後退りする。タイムは唇を開く。歯は血で生々しく濡れ染まっていた。
「最後にあなたに会えてよかったです。憧れと暗愚の血を引いているあなたに。なにも知らないあなたに。覚えておいてください。わたくしの命が死んでも思想は死なない」
タイムは支えるものを失くした杖のように、瞬きもせず、震えもせず、倒れた。
「不治の病ってやつだな。相当辛かったはずなのに、こちらに一切悟らせなかった。まさに畏怖だよ」
チュウヒは降参させられた気分だった。タイムは病院へと運ばれた。またここに戻れるか、グラフ刑務所に移送されるかはわからない。もうそのまま帰ってこない確率の方が高いという。
「人生の終わりをハーリキンで飾りたかったのか、あの男は」
チュウヒがしみじみ呟く声が市警のロビーに響く。エナガは、タイムとシジューを重ねてしまった。エナガは慌ててその思考を払拭する。絶対に繋げてはいけない。父と時間教は別人だ。チュウヒがエナガの横にきた。
「オークロの話は君が気に病むことではないからね」
チュウヒはオークロの悲しい過去の話にエナガが複雑になっているだろうと心配した。
「寂しさは人格を蝕むものさ。この人のために人生がどうなってもいい、死んでもいいと思う人間なんて他人から見たら理解なんてできないしね。すべてを受け入れられる人間なんていない。だからわからないところも愛せる人と出会えるといいんだけどな。これは君が大人になるときの参考にしてくれ。今日は本当にありがとう。時間教が出頭した理由も君のおかげでわかった」
「本当にわかったのか?」
アトリが眉をひそめる。
「そりゃあ、命が終わるからだろう」
「死ぬから償う、そんなタマかよ、あの男は。世界機構の前で宣言するような男だぞ」
「命の終わりを知って、心を変えた人間を俺は何人も知ってるよ。これで遅めのランチを二人で食べな」
チュウヒはアトリに金を握らせる。
「ニオ送ってやれ。あと、」
チュウヒは声を小さくした。
「ブルーベルの件」
「アカンサスから聞いています。帰りに寄ってきます」
チュウヒは安心したように何度か頷いた。
「任せたよ。今日、夜勤なのに悪かったな。ヒックにもよろしく」
手をひらひらさせながら、チュウヒはロビーを去っていった。
「悪いが、お前らを送ったらすぐに戻ってこないといけない。飯は俺の部屋にあるものを適当に食べろ」
「お前の家、インスタントコーヒーとカップラーメンしかないじゃんか。それより、今夜もいていいのか?」
ニオは横目でエナガを見る。
「お前らふたりだけなら放り出すがな」
「そうですか。じゃあコーヒー屋でおろしてくれ。チャービルさんがくれた小遣い使うから」
「お前が使い道決めるなよ」
ハーリキン市警を出るともうすでに雨は降り出しており、コーヒー屋の前で降りるときニオはエナガに自分の黒い傘を渡した。
「一本しかない。アトリは濡れろ」
「ふたりで入るので大丈夫です」
「いいよ、別に。俺、雨に濡れてもいい男だから」
「どういう意味ですか?」
「ジョークの説明をするほど恥ずかしいことはないんだよ」
アトリとエナガは車を降りる前にキャップで髪を隠した。アトリは車を降りるとそのままコーヒー屋に飛び込んだが、雨脚はとても強く、数秒でかなり濡れてしまった。エナガは傘をさして降り、ニオの車を少しだけ見送った。
「エナ、お前、ハムとチーズのホットサンドとでいいんだよな?」
「はい」
「飲み物は?コーヒー苦手ってさっきいったよな」
エナガは看板のメニューを見る。
「アップルジュースで」
「あいよ。えっと、俺は」
アトリが注文している間エナガは道路の方を向いていた。するろ、スカートを引っ張られ、見ると、黄色いカッパに長靴を履いた、六歳ぐらいの男の子がいた。
「ごめんね、邪魔だった?」
男の子はエナガに小さく折りたたんだ白い紙を差し出した。エナガは不思議に思いながら受け取ると、今度は手招きされた。エナガが男の子に合わせてしゃがむと、口に手をやり耳打ちした。
「ひとりでみてねおおくろ」
エナガは目を見開き、男の子を見る。男の子は首を傾げた。どうやら頼まれただけでなにもわかってないようだった。
「どうした?」
エナガはとっさに紙をワンピースのポケットに隠して立った。
「ちょっとぶつかちゃって、ごめんね。ありがとう」
男の子は頷くと来た道を引き返していく。
「走るとこけるぞ」
アトリが小さい背中に注意する。けれどちょうど、友達らしき子たちと合流し、歩いていった。
「ホットサンド時間がかかるって。お前濡れるし、先に戻ってろ」
「待ってます」
エナガはひとりで帰るのを嫌がった。
「一緒に待ってていいですか?」
エナガは自分でも驚くほど静かで落ち着いた声だった。黒い傘のせいでアトリからエナガの顔は見えなかった。
「まあ、いいけど。濡れないようにしろよ」
「はい」
それでも雨は横から傘の中に入り込み、エナガのスカートを濡らしていた。




