3-2
「やっぱり無理なんじゃないか?頼んどいてこんなこというのもなんだが、可哀想で見てられないよ」
チュウヒが心配でたまらないとエナガを見る。取調室の前の廊下でエナガは首を振った。
「大丈夫です。行けます」
そういうにはあまりにもエナガの声の抑揚は弱々しかった。顔も血の気を引いている。チュウヒは迷った表情でニオを見た。ニオはリレーのバトンのようにアトリの顔を見る。アトリはエナガの肩を掴み、自分の方を向かせた。そして頬に触れた。エナガの頬は真夏の体温とは思えないほどに冷え切っていた。アトリはエナガの左手首を掴むと、ズボンのポケットから腕時計を出した。エナガが声を漏らしておどろいた。
「置いてきたと思ったのに」
「いるだろうから持ってきた」
アトリはエナガの手首に腕時計を巻いてやった。市警にきてはじめてエナガの表情は柔らかくなった。
「エナ、真似しろ」
「え?」
アトリは両手を合わせ、こすり合わせる。
「早く」
エナガはアトリに急かされ、ぎこちなく真似をした。
「なんとなく温まったら、こするのをやめる」
アトリはそれを自分の口元にもっていく。
「こうやって、人差し指に息を吹きかけるんだ」
エナはいわれた通りにする。吹きかけた息の音が耳の中に響く。
「吸って、吹きかけて。気持ちが落ち着くまで」
エナガは五回繰り返すと、、気のせいかもしれないが緊張がさっきよりも和らいだ気がした。
「ヒガラが教えてくれたまじないだ。恐怖に打ち勝つためのまじないだとよ。俺、ガキのころ、こう見えて臆病者だったんだ。よく効いたよ。ガキにはよく効くみたいだ」
最後の一言はアトリの照れ隠しだった。エナガはそれがちゃんとわかった。
「ありがとう」
エナガは重ねた人差し指を唇につけた。アトリは包み込むようにエナガの頭に手を置いた。
「怖くなったらすぐに出てこい。ここで待ってる」
エナガはしっかりと頷いた。そしてチュウヒの方を見る。チュウヒは部屋のドアをノックする。そしてエナガの背中に手を添えると、部屋に入れた。ドア閉まる音がアトリとニオのいる廊下に静かに響いた。アトリはなにも見えず、聞こえないドアの向こうを意識し続ける。ニオはドアの横にあるベンチに腰かける。ニオはアトリの成長に感慨深くなっていた。
「お前もあんな風に女の子をあやせるようになったんだな。さすがヒクイの弟だな」
「単純に俺を褒めろよ。それにあやすとかいうな。そんなんじゃない」
ニオはドアの前から動かないアトリを興味深そうに眺めながら、足を組み壁にもたれた。
「なぜあの子と?」
「ヒックがいっただろう?便利屋の依頼だ」
「お前は便利屋じゃないだろう?ああ、クビになったんだったな?身内を頼って、転職か」
「館長に頼まれた。エナをオークロたちから守ったら、クビを取り消しになる」
アトリの言葉以上の理由をニオはおしはかってはいたが、いい性分をからかうのはやめておいた。
「取り引きか。それでそのうちに情が移ったか」
「変な探りいれるなよ」
アトリが不愉快そうにふてくされる。
「いっとくが、サンシ橋を炎上させたのを見逃したわけじゃないからな」
「だから俺らが車を爆発させたわけじゃないって」
アトリはしらばっくれ続ける。
「さっさとオークロ捕まえろ。そしたら全部終わる」
「さっさとそれができたら十六のいたいけな女の子に凶悪犯との面会なんて頼まないさ」
「かわいそうな刑事さん」
アトリは口先だけで慰めた。
「どうも」
ニオはうわべだけでも慰められておいた。
空気の色が違う。エナガはタイムがいる部屋に入ってそう肌で感じた。緊張で息苦しいわけではない。部屋からはかすかな音がする。チュウヒの足音。服が擦れる音。自分の吐息。けれどタイムは無音であった。存在が無音であった。そんなはずはないのだが、いるのにいないような、それなのに目に入れば捕らえられてしまう。いうならば生きている人間らしさがない。無機質なものに例えるにしては穏やか過ぎた。日常世界でもあの世でもない。タイムはいるだけで自分にだけしかそぐわない世界をつくりあげる。それが空気の色をエナガに変えて見せた。
「お越しいただきありがとうございます。はじめまして。時間教と呼ばれる者です」
タイムの声は優美な響きで、心がなかった。エナガは声が出せず、ただタイムをあやぶみつつ見つめた。チュウヒは椅子を引いて、エナガの肩に手をおくとゆっくりと座らせた。エナガは椅子を前に引き、何度か座り直してやっとタイムと向き直った。
「エナガ・モックオレンジです」
タイムに名乗るのは抵抗があった。相手はとっくに自分の名前なんて知ってるはずだが、タイムの前で名を口にしてしまえば思考も心も支配されてしまうのではないか、そんなありえないことを思い込んでしまう。
「あなたが聞きたいこと。なんでもかまいません。おっしゃってください」
聞きやすい声色と速さでタイムはエナガを促した。長くタイムと話し続けてはいけない、とエナガの本能が念を押した。
「オークロとヤマガラについて教えてください」
だから単刀直入に聞いた。タイムの返事は早かった。
「ヤマガラは会ったことがありません。オークロが雇った戦闘員ってところでしょう」
チュウヒはタイムがヤマガラと面識がないといったのにかすかに片眉を動かした。ヤマガラは時間犯に匿ってもらえる、そう証言したチンピラ風情の窃盗犯が嘘をついている可能性はないことはないが、低いとチュウヒの考えだった。窃盗犯が嘘をいっていないと仮定すれば、タイムがエナガを呼びつけたあげく、嘘をついていることになる。それは腹立たしくあり、不可解だった。ここでヤマガラとの関係を否定するメリットがタイムにあるということか。チュウヒの頭の中は渦巻きつつも、タイムから目を離さなかった。
「オークロは献身的にわたくしに尽くし、働いてくれました。かわいく、健気な子です」
「じゃあ、オークロは、あなたを助けにハーリキンへきたのではないんですか?」
「そうかもしれませんね」
タイムはどこまでも曖昧だった。こちらが輪郭を整えようと線を引けば、早々と滲ませ、ゆがませる。
「自分の望みのためだとわたくしは思います」
かと思えばほんの少しだけ、線を残しこちらの反応を伺ってくる。それは慈悲のような遊びのような、けして素直に入り込めない隙だった。
「望み?」
隙に飛び込まず、エナガは短くたずねた。
「時間教徒たちは皆何か棄てたいものを持っています。過去と未来。そして今。わたくしは名を棄てました。シンプルで美しいと思ったからです。オークロは家の名を棄てました。父が憎かったからです」
「父が?」
「あの子の家は複雑でしてね。オークロの母とオークロの祖父は血が繋がっていません。オークロの母にとって二人目の父でした。オークロの母は血の繋がっていない父を男として愛してしまった。そして生まれたのがオークロです」
エナガはなんて返したらいいかわからず、黙って通した。
「けれどオークロの祖母はそれがわかってしまった。世間にばれることを恐れたオークロの祖母はオークロの母とオークロを追い出した。けれどなによりオークロの祖母は女としてオークロの母を憎んだ。オークロの祖父であり父である男もオークロ親子共々突き放した。オークロの母は絶望した。オークロを産んだら愛してもらえると思い込んでいたからです。それでもオークロの母は息子を愛そうとした。愛していた時間もあったでしょう。けれど悲しいことに年を重ねるごとに産んだ後悔が膨らんでいってしまったのです。オークロが大きくになるにつれて父親に似てきたのもまた不幸だったのです。母は我に返って自分の甘さと愚かさを知ったのです。けれど認めたくなかったのでしょう。自分の責任をすべてオークロのせいと思い込んでしまいました。そしてついにオークロの首をナイフで切ったそうです。けれど力が足らずオークロは死ななかった。その弱さが最後の母性だったのでしょう。結局オークロの母すべてから逃げ出すために命を自ら絶ちました。オークロが十三のときです」
長い語りを終えるとタイムが俯き目を閉じた。そのままタイムはエナガに問いかけた。
「その数年後オークロはまだ小さかった我が時間教に入りました。彼の望みがわかりますか?」
エナガは答えを導き出さなかった。タイムは顔を上げ、背筋をゆっくりと伸ばした。
「オークロは母を愛しています。だから幸せになって欲しい。そのために父を殺したい。母と愛し合う前の父を」
答えは考えずとも無意識にエナガの口から落ちた。
「親殺しのタイムパラドックス」
過去に戻り、自分の父を殺すためにハーリキンを使ってタイムスリップする。それがオークロの健気な望み。
「彼の望みがもし叶えばタイムパラドックスの答えを知ることができるかもしれません」




