2-5
アトリたちが戻ってくると、マヒワはヒクイの別宅をあとにした。夜、ヒクイが作った野菜たっぷりの鶏団子スープと、クルミのベーグルを食べ終え、一休みすると、アトリが先にシャワーを浴びにいった。エナガとヒクイは、雑誌を片手に操縦室の入り口のヒントになりそうなものを、メモしていた。
「ついでに風呂ためといたからエナ入れー」
アトリが出てくると、エナは見ていた雑誌を片づける。
「ヒックさん、先に入りますね」
「気にせずゆっくりしておいで」
ヒクイは手を振る。
洗面所に入ると、エナガは服を脱ぎ、たたみ、カゴに入れた。デニムのポケットにいれた腕時計を確かめ、眺める。さっき壁に掛けてあった時計でみた時間より、数分だけれど遅れていた。けれど、これはお守りだ。気にすることではない。
上半身に何も着ず、バスタオルで髪をごしごし拭き回しながら歩くアトリをヒクイは注意した。
「あのね、思春期な女の子の前で裸でうろうろするのはやめなさい。鍛えてるからだを見せびらかせたいのはわかるけど」
「そんなつもりはありません。そういうよけいなこというの直したほうががいいと思いますが」
「覚えるだけ覚えておきます」
アトリは冷蔵庫から水をとり、ベッドに置いてあった白い銃を背中にさすと、さっきまでエナガがいた席に座った。ボトルの蓋をあけ唇を触れると、ベランダに影が落ちたのを捕えた。アトリはボトルを置き、立ち上がる。
「誰かきた」
「え」
ヒクイが振り返ったと同時にベランダの窓ガラスが割られ、手榴弾がふたつ投げ込まれ転がった。アトリがテーブルを倒し、その内側にアトリとヒクイが入った瞬間に爆発した。
尋常ではない轟き音が聞こえ、湯船の湯は跳ねて揺れた。シャンプーとリンスも倒れ、石けんは滑って壁にぶつかった。エナガは湯船から出るか迷ったが、からだがうまく動かなかった。音を立てないように、息をひそめてじっと耐えた。
「こんにちは。いや、こんばんはの時間か。エナガ・モックオレンジはどこにいる?」
煙の中出てきた夜の客は、挨拶と要件を端的に述べた。黒髪に褐色の肌。がたいのいい長身そして、青灰色の揺れるピアス。オークロの仲間の男だった。アトリは立ち上がり、テーブルを蹴り倒すと褐色の男を見据えた。
「非常識な時間に、非常識な訪問してきて名前ぐらい名乗れよ」
「俺、結構有名人なんだけど。ヤマガラっていうんだ。聞いたことないか?結構前から警察から逃げてる」
ヤマガラは遊びに呼ばれたかのような気楽さで名乗った。
「残念、知らない」
「エナガ・モックオレンジは?俺も主人のお使いできているんだよ。早く帰らないといけない。教えろ」
ヤマガラはアトリの挑発には乗らず、目的だけを繰り返す。アトリは表情をこわばらせる。
「張り切ってきたところ悪いけど、あの子はもう知り合いの警察に保護してもらってるよ」
ヒクイが涼しい顔ではったりをかます。ヤマガラは目を細めた。そして鼻を利かす。そして洗面所の方に視線を流した。
「女のにおいがする」
「変態かよ」
アトリがヤマガラに向かって駆け出すと、ヤマガラは犬に骨を投げるように、腰にさしていた柄付手榴弾を投げた。
「アトリ!」
形相を変えたヒクイが、アトリの赤髪を掴む。
さっきよりも大きな爆発音が轟いた。その音でエナガは我に返り、からだが動くようになった。急いで湯船に手を置くが、すりガラスのドアの向こうに人影が見えた。アトリかヒクイか。そう信じたかったが、目に映る影はどちらかにしては大きすぎた。ドアが開く。
「みーつけた」
エナガは目を見開き、恐怖に震え、息ができなくなった。昨日の朝、一瞬だけ窓から見た褐色の男。敵だ。逃げなきゃ。思考は働くが、それは自分の考えではないんじゃないかと、ありえない考えをするほどエナガはパニックになっていた。湯船のふちに置いたエナガの手の上にヤマガラは自分の手を重ね、握った。そしてエナガに顔を近づけ、舐め回すかのようにぎょろぎょろと瞳を動かした。エナガは恐怖のなかに違和感がちらついた。ヤマガラの顔だ。もっといえば、右目の下に傷ができていた。傷というより、穴だった。大怪我のはずなのに、そこから血が出ていない。不気味な傷だった。
「あなたの、顔、なに?」
震える声で聞いたヤマガラが顔を傾ける。
「顔?」
ヤマガラはエナガの視線の先をたぐるように、右手の人差し指を自分の頬に滑らせた。そしてその指が傷の穴にたどりつくと、眉をさげた。
「あーあ、破れちゃった。最近つけっぱなしだったからね。強度が下がってたのね」
「破れる?」
ヤマガラは白い歯を見せた。ヤマガラは表情をひとつひとつ変えるたびに、別人のように声も雰囲気も変わった。
「運がいいね、君。せっかくだから驚かせてあげよう」
ヤマガラは傷の穴の中に指を突っ込んだ。エナガは声にならない悲鳴を上げる。ヤマガラは内側から皮膚を持ち上げ動かす。エナガがうしろに離れようとすると、掴んでいた左手で引き寄せた。
「遊びはここまで。あとは一緒に帰ってからね」
「帰るのはてめぇひとりだ」
アトリはヤマガラの後頭部を掴むと、湯船の中に突っ込んだ。そこでやっと、エナガはでかい悲鳴を上げた。アトリはヤマガラの足を持ち上げて逆さまにすると、裸のエナガを湯船から引っ張り出す。
「恨むなよ」
アトリは顔を赤くして、裸のエナガを担いで風呂を出る。アトリの目の端に腕時計が入る。それを掴むと玄関へと走る。ヒクイはアトリが髪を拭いていたバスタオルを広げて待っていた。
「あとだ!先に逃げるぞ!」
アトリはヒクイの横をすり抜け、部屋を出る。
「いや、おい、お前少しは考えてやれよ」
そう叫びながら、ヒクイも部屋から逃げ出しだ。
五分後、エナガは顔を両手で隠し、しゃがみ込んでいた。エナガは上にヒクイのアロハシャツを着て、下にバスタオルを巻いていた。そのため、ヒクイも上半身裸になってしまった。上半身裸の男が二人と、下にタオルを巻いた女の子がひとり。しかも下着を身につけてはいない。そんな三人が、路地裏に隠れている。ヒクイがまじまじと自分たちの状況を考えた。
「なんか、派手な情事の最中に奥さんが帰って来て、逃げ出してきたみたいじゃないか、俺ら?」
「ヒック、さっきのデリカシーを取り戻せ。あと、」
アトリは腕を組んで、エナガに背を向けた。素肌が触れ合った感触はまだ残っていた。アトリは自称だが、純情である。恥ずかしさと、罪悪感で心拍数は上がっていた。
「悪かったよ、忘れるから、落ち込むな、ごめんなさい!」
頭を抱えエナガに謝る。エナガは首を振る。
「違うんです。わたしがノロマなのが悪いんです。仕方がないってわかってるんですけど、恥ずかしくって。わたしの方がごめんなさい」
声が裏返り、エナガはさらにうずくまる。
「今、前の道に誰か通ったらあきらかに俺ら変態だよね。ヤマガラのこといえないよね。通報されるよね」
「ヒック、事実だけどデリカシー。デリカシーの意味は正論から目をそむけることだ」
「じゃあ海水浴から帰ってきて、浮かれ気分が抜けない若者たちってことで」
「その思い込みでメンタルがもつならな。エナ、どうだ?」
「無理です」
エナガは半泣きになりながらも即否定した。
「とりあえず、近くの知り合いに助け求めてみるよ。アトリとエナちゃんはここにいて」
ヒクイがそういって六時通りに出ると、車が一台通り過ぎ、少し先で止まった。ヒクイはおっと声をあげた。
「運に見放されてなかったみたいだ。そういえばここ、市警の近くだったね」
ヒクイは車に手招きする。アトリは路地から顔を出す。不満が顔ににじみ出る。
「まあ、仕方ないか」
アトリは諦める。車はバックで戻ってきて、ヒクイたちの前で停車した。そして、運転席の窓が下がる。そこから顔を出したのはニオだった。
「なにしている、お前ら」
「仕事お疲れさま。悪いんだけど、お願いがあるんだ」
ニオは服を着ていないヒクイを怪しんだ。そして、同じく上半身裸のアトリを訝しんだ。そしてその足元で震えてうずくまり、泣いていて、しかも腰にバスタオルを巻いた少女を見てしまった。
「いいぞ、お前らを逮捕すればいいんだな。ちょうどいい、無期懲役にしよう」
「話せばわかります。とりあえず切実に説明させて欲しい。最初に伝えたいのは、俺たちは変態ではありません」
久しぶりに滑稽な兄を見たなとアトリは思った。
鏡を見る、ヤマガラ。右目の下にあった傷の穴は消えていた。口笛を吹きながら、廊下を歩く。奥の部屋のドアをノックする。返事はないが、ドアを開けた。
そこには男がいた。椅子に座った男が鉄格子のついた窓から、夜空を見上げていた。男はひどく華奢で、季節に関わらず、黒いタートルネックを着ていた。
「あいつらもまだなんにもわかってないみたいだぞ」
ヤマガラはオークロの足元にヒクイの隠れ家から持ってきた、地図、観光雑誌、メモを投げた。オークロはそれらを一瞥し、足でよけた。
「だからといってみすみす逃がしたのか?」
やつあたりだと、ヤマガラはわかっていた。それでも、不機嫌になるよりかはと弁解をする。
「おいおい、今日は脅しだけでもいいっていったのは、あんたじゃねぇか。まあ、失敗したのは認めるけど。それに操縦室の入り口を開けるときに、あのヒガラ兄弟とかいう目立つ奴らはいない方がいいんだろう?」
「もう、隠れても意味はない。ただ、やられっぱなしというのは気分が悪い。最後に出し抜いてやりたい」
「それは同感だ。まあ、俺は現代から逃げられればそれでいい。追われるのにはすこし疲れたからな」
オークロは三本数えて指をたてると、月光に透かせて見せた。
「まさかこんなに逃げられるとはね。これなら、ジソウを盗んだ夜の内にあの子を捕まえておけばよかった」
「あの館長さん、たぶんジソウについて知っていたんだろう。まあ、いいんじゃないの?せっかく、時間教祖さまが念のために捕まってくれたんだから、役に立ってもらえば」
オークロはヤマガラを睨みつけた。ヤマガラは両手をあげた。
「あんたの師匠を愚弄したわけじゃない。ただ、無駄骨よりいいじゃないかって話だ」
「お前にはわからないだろうが、手を煩わせたくなかった。だから昨日も、ついムキになって追いかけてしまった。お前とよく気が合いそうな派手な兄弟だ」
「お茶してくればよかったか?」
ヤマガラのジョークにオークロは笑うことはない。三つの夜を数えた手を広げると、オークロは目を覆った。
「僕が父を殺し、この世界にもう一度タイムパラドックスの答えを出すんだ」
覚悟を決め直すオークロを、ヤマガラはほくそ笑んだ。オークロはヤマガラの下の顔を、知らない。




