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未来人博物館は一階建てで、特別広さもない。速足で一周すれば三十分もかからない。アトリは慣れたようにフロアの明かりをつけた。
「館長にちゃんと許可とってんだろうな」
アトリは兄を怪しむ。ヒクイは博物館のリーフパンフレットを広げ、フロアマップを眺める。
「ヨシキリに聞いてくれるように頼んだんだ。今朝の郵便配達ときに鍵を持って来てもらった」
「ぬかりがない便利屋なことで」
足音が静かに響く。ふたりだけの博物館は外の喧騒から遠く離された無機質な孤島みたいだった。助けの船は永遠に来ない、そんな静けさだった。ヒクイが足を止める。そこは「日常生活フロア」だった。アトリはここの警備担当だった。「ジソウ」が入っていた空っぽのガラスケースがある。
「ぼくさ、博物館に来るのすごい久しぶりだ。ヒガラに引き取られてすぐに、一度連れてこられただろう」
ヒクイがいった。
「ああ、そうだな」
アトリは慣れた職場であるはずだが、今日は居心地が悪く、胸がざわざわした。ヒクイは空っぽのガラスケースの隣にある二個並んだマグカップを見た。片方はミニチュアダックスフンドの絵柄で、もう片方は雪だるまだった。ミニチュアダックスフンドの方はコーヒーを注ぎ、雪だるまの方はミルクを注ぐと理想の色がつく。
「アトリはずっと、この博物館で働くっていっていたな。それで夢を叶えた」
ヒクイはとつとつと語る。アトリはなにもいわず、ガラスケースを眺める兄の背中を見つめた。ヒクイは腕時計の展示物を見る。ベルトはボロボロだが、チャボの愛用している腕時計と似ていた。横の解説のプレートを読む。裏には「9-22」という番号が彫られているとあった。それは、腕時計の持ち主のハーリキン市での住所だと説明してあった。ヒクイは腕時計を眺めながらいった。
「不思議に思ってることがあってな」
「なんだよ」
「エナの父親はどうやって自分が未来人の子孫だと知ったんだろうな」
「さあ。先祖代々の言い伝えじゃねぇの」
「それか過去から直接きたか」
「なにいってんだ?」
「お前と同じように」
ヒクイがふり返る。アトリは動けなかった。
「一昨日さ、チャービルさんがぼくに会いにきた。四日前ぐらいにブルーベルという男が逮捕された。悪質な時間マニアが主催してる、闇オークションの出品物を調達してくる仕事をしていた。窃盗だ。ブルーベルはいままでの共犯者の名前を白状したらしい。そのなかに、マガモ・ジュニパーという名前があった。ブルーベルは息子の名前も覚えていた。ヒクイ」
ヒクイはやわらかな顔をした。
「ぼくの名前だ」
「そうだな」
アトリは悲しくつぶやいた。確かめたいことを、すぐに聞けなかった。
「父親の名前を聞いてびっくりしたよ。心臓が止まるんじゃないかってぐらい脳みそが、ぐるんぐるんしてさ。思い出したよ」
アトリはため息まじりの笑いをこぼし、しゃがみこんだ。どうしたものかと下を向いて、わしゃわしゃと頭をかく。
「ダイサ・スカーレットピンパーネル。アトリのおじいさんの名前。アトリのお父さんの名前はマシコ」
「それも思い出したのか?」
「なんで名前を半分だけ隠した?隠すなら、全部隠さないと。別名にするとか」
「子どもだったからな。全部隠すと自分が消えてしまいそうでさ。でも、本名はやばいかなって。いまだったら全部隠してたよ」
沈黙に、アトリは顔を上げた。
「ごめん」
「記憶がなかったのは、俺だけか」
「ごめん」
アトリは繰り返した。
「安心して。アトリ。どうしてなんていう資格はぼくにはない」
アトリは恐ろしかった。けれどヒクイの記憶が事実だからしょうがなかった。
「ぼくの父親がアトリのお父さんとおじいさんを殺した」
沖に小さな船が大きく揺れている。男がふたりつかみ合い、どちらとも落ちた。船は空っぽのまま揺れる。そのまま、遠くに流れていく。アトリは海に向かって叫んだ。隣にはヒクイがいた。
「ぼくの父親はろくでなしだった。母親はとっくに逃げた。家はなくて、流れるままに歩いて、悪事で腹を満たした。ぼくの腹も。その流れのなかで偶然、アトリの家族達と出会った」
「しばらく一緒に暮らした」
アトリが心細さの声に懐かしさを含ませた。
「毎日、遊んだ」
ヒクイがいった。
「かくれんぼもしたな」
「アトリは下手だった。それにふたりでかくれんぼはあまり、楽しくない」
ふたりは笑い合った。けれどすぐに、ヒクイは目を伏せた。
「うちの父親からすれば幸運だった。とてつもない幸運だ。タイムマシンで暮らす家族と出会えた。金になる。クソ親父は打ち解けたあと、アトリのじいさんを刺した。お父さんの方は、海に落とそうとして自滅だ。情けないことに、俺はその光景にショックを受けて記憶を失くした。都合がいいな」
ヒクイは乾いた笑いをこぼしながら、目元を手でおおった。そして聞いた。
「なんで俺をハーリキンまで一緒に連れて行ったんだ?」
「ひとりで行くには遠すぎたからだ」
アトリは恥ずかしそうに白状した。ヒクイはゆっくりと、顔から手を滑らせた。
「俺は未来人だ。過去から、小型のタイムマシンできた。過去のハーリキンに行った母さんを追いかけて。けど、目的の時代も場所も間違えた。過去に行くつもりが未来に行った。じいちゃんも父さんもドジで、タイムマシンを海上に着陸して、ジソウを海の底に落としたんだ。本当にバカ。だから、母さんは助けに行けなかった。それが成功していたら、パラドックスの答えを知れたかもしれない」
「知らないのか?未来人なのに」
ヒクイは素直に驚いてしまった。
「まだ実験段階だった。それでダメになったけど。あとたぶん、エナの父親と俺は違う。エナの父は簡単にいえば、異星人だ」
さすがのヒクイも異星人という単語は予想の範疇を越えていた。
「俺もガキだったからさ、一からすべては説明できない。なんとなくだ」
「それでいい。教えて欲しい」
アトリはヒクイを見た。その顔は変わらず優しい兄の顔だった。
「俺が生まれたのはいまからどれくらい前かは確認する術はない。わかるのは、百四十年より前だ。さっきもいったけど、だれでもタイムトラベルができたわけじゃない。特別な訓練をして、免許を取得した人間だけだ。宇宙飛行は併用して免許が発行された。俺のじいさんのダイサはそれで免許を持っていた。とっくに引退して久しぶりの運転だったせいか、妨害されたかはわからないけど、到着地は目指したのと違う時代で、場所だった」
「行きたかったのは、今から約二百七十年前のハーリキン市」
アトリは頷いた。
「俺の母さんはそこへ悪魔の実験止めにいった。ひとりで。そして失敗して、たぶん死んだ」
間をあけてヒクイはたずねた。
「悪魔の実験はなにか教えられるか?」
「グースベリーのじじいがいっていただろう?タイムトラベルするのは思考時空から行くって」
「ああ」
「俺らが生まれた時代は環境問題にうるさくてさ。本当に厳しかった。けどそれと同時に生活していくエネルギー不足も問題になった。人間の技術にエネルギーが追いつかなくなったんだ。それでお偉いさんたちは考えた。発電所を何億光年離れた星に建てて、思考時空にパイプを繋げて地球に送ろうと」
「壮大な計画だな。うまくいったのか?」
「いかなかったんだと思う。その計画が実行される前に、俺はこの時代に来たからな。思考世界でなんらかの問題が生じて、人間が沢山死んだから巨大小惑星が落ちたとかいう歴史をつくってごまかしたじゃないか。あの、反秘史党のじじいはたぶん、すげえよ」
「それが悪魔の実験か?」
「違う」
アトリはいった。
「発電所を異星に建てるとしても数人は管理者として人間を置きたい。だから建てるなら地球と似てるだけでは不安が大きい。人間が住んでいなくてはならない。そしてそんな理想の星を見つけた。だが、その星に住んでいる人間が邪魔だ。だからその人たちを過去の地球に送った。それがハーリキン市の最初の人々だ。しかもその星に地球の人間はJEなんて名前をつけた」
「JE?」
「ジャンクアースだ」
軽蔑にアトリは鼻を鳴らした。
「けど、その異星人たちは食糧不足でハーリキンの移住を喜んだそうだ。けどそれで終わらさなかった。うちの母親の上司が、タイムマシンを使って洗脳ができないかって考えた。異星人を人間によく似たモルモットだ、便利が良いって考えてた悪魔でな。まあ、じいちゃんから聞いた話だけど。思考世界のなかでタイムマシンを使って、同じ方向を向かせ同じ思想、その実験では殺意を抱かせる。たぶんその実験でハーリキン大虐殺が起きた。母さんはそれを止めにタイムトラベルした。誰も助けられなかったと思っていた」
「エナちゃんのお父さん」
アトリは少しだけ泣きそうだった。
「自分が乗ってきたタイムマシンに乗せて、未来に逃がしたんだ。ひとりだけは助けられてたみたいだ。」
「かっこいい母親だな」
「母親はな。エナの父親はさすがに異星人とは言えずに、未来人って嘘をついたんだろう。死ぬ前にならないと、ハーリキンに来れなかったんだろうな。俺の話は終わりだ。」
アトリは手を叩いた。ヒクイはもうひとつ、といった。
「なんでお前まで記憶喪失のふりを?」
「俺だけ覚えてるっていったら色々都合が悪いだろう」
ヒクイは空っぽのショーケースを見た。
「いつか戻ろうと思う」
アトリの言葉にヒクイの腹の中心はしめつけられた。
「じいさんのところに。それで、遺体だけでも俺らのいた時代に返したいんだ。もう骨しかないだろうけど。だから、ジソウの近くに入れるこの仕事を選んだ」
「お前は自分の生まれた時代に帰らなくていいのか」
アトリはものすごく不愉快に顔をゆがめた。
「なんだよ、その顔」
「いや、帰るわけねえだろ。帰りたくねえし」
「アトリ」
「なんだよ」
「ごめん」
「それ、いわれるのが嫌だったから、記憶ないふりしてたんだよ」
アトリは立ち上がると、ヒクイ肩を軽く叩いた。
「俺は、いまの兄弟がいい」
ヒクイはアトリの首に腕をまわし引き寄せると、もみくちゃに髪をなでまわした。アトリがやめろよ、と笑いながらまた背中を叩いた。アトリを離したヒクイは心底安堵した。心苦しさが消えない、離れがたい安堵。ヒクイはふと思った。
「けど、アトリ。お前ジソウを盗もうと思えばいつでも盗めただろう?」
アトリはまた、不愉快に顔をゆがめた。
「泥棒はよくねえだろう」
「真面目って不便ね」
ヒクイは呆れつつ、感心した。
「操縦室を壊せたら、チャボさんに頼んで、ジソウを貸してもらって、おじいさんの弔いに一緒に行こう」
ヒクイがいった。アトリは嬉しさをあふれださせた。
「おう」
「手つないで行くか?」
「勘弁してくれよ」




