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バンの仲間が「警察だ!」と叫ぶ。バンは舌打ちをすると、アトリから手を離した。
「これで終わりじゃないからな」
そうバンが吐き捨てるとバイクに飛び乗り、不良たちはちりちりに逃げていった。アトリは掴まれたところをはたく。
「ああ、のびちゃったよ。新品なのに」
のんびりぼやいていると、アトリたちのそばにパトカーが一台停止した。そして、ニオとチュウヒが降りてくる。
「まだ二日あるだろう」
「不良が暴れていると通報があった」
ニオの眉間には今日も皺が刻まれている。不機嫌のせいか、暑さのせいか。いつものことか。
「いやあ、暑い暑い。こんな暑い外でよく喧嘩する気力と元気があるなぁ」
チュウヒはハンカチで額の汗を拭う。ネクタイとベストを着用してるニオとは違い、チュウヒはシャツだけで、腕まくりをしている。チュウヒは四十を過ぎた今でもネクタイが結べず、愛妻に毎朝頼んでいるが、暑がりのせいで夏は午前中の内にはずしてしまうのだった。
「そろそろ落ち着いたらどうだ?」
「あいつらが勝手に絡んできただけだ」
アトリがふてぶてしく反論する。
「それをかわすのが年上だ。それに、ニオから話は聞いとる」
そういってチュウヒが口角を上げれば、アトリは叱られた子どものようにそっぽを向いた。
「タイムを捕まえ、ハーリキンに教徒が入り込んでいる。問題を大きくするなよ。あと、お前」
チュウヒはヒクイの恰好をまじまじと見る。
「どうした、ヒック。暑さで頭が陽気になりすぎたか?似合ってないし、センスが悪いぞ」
「チャービルさんにセンスを否定されるのは傷つくね」
「色男に毒を吐かれると、おじさんのガラスのハートは割れちまうよ。それにしてもそのけったいな格好はなんだ?変装のつもりか?そこまでして、なんでうろうろしてるんだ?」
「タイムマシンの操縦室を捜してるんだ」
アトリは投げやりにいった。ヒクイは澄ました顔で、エナガは俯いた。
「なんだ?記憶でも取り戻しにいくのか?」
チュウヒは冗談まじりに流した。エナガは洗面所から盗み聞きした昨日のアトリとヒクイの会話を思い出す。あれからエナガはふたりに操縦室を捜させるのは、とても悪いことをさせているような罪悪感を抱いていた。
「やめてくれよ。時間教とか時間犯もうんざりだ。大人しく家に帰れよ」
チュウヒはパトカーに戻った。ドアを開けようとしたニオをアトリは呼び止めた。
「なんだ?」
「昨日いった、オークロと行動してる褐色の男」
アトリは昨日と同じように、耳たぶをつまむと伸ばして揺らした。
「ああ、そいつか」
「あのバンって不良の話じゃ国際指名手配らしい」
「そうか」
ニオはパトカーに乗り込むと、中央広場から去っていく。
「ヒック、あいつ調べたら名前教えてくるかな」
「さあね、ニオはむっつりだからね。さて、エナちゃん。午後からは別行動だ」
「別行動?」
エナガは心配そうにいった。
「ごめんね。ぼくらはちょっと貸し切りを楽しんでくるよ」
ヒクイはポケットからチャボのキーケースを出して見せた。
「未来人は見立てや、洒落をよく好んでいたという。洒落って、華麗なるカレーとか?」
「それはダジャレではないでしょうか、マヒワさん」
アトリたちに送られて、エナガがヒクイの別宅に戻るとマヒワが出迎えた。マヒワにエナガを頼むと、アトリとヒクイは博物館へと向かった。何かひらめくことがあるかもしれないと、帰る途中にヒクイが買ってきたハーリキン市の観光雑誌をマヒワはめくる。エナガはハーリキン市の地図を眺めていた。
「そうか、なるほどね。見立ては、この街そのものだもんね。街を時計に見立ててるだもんね」
ソファの隣で甘くほほえむマヒワにエナガなんだか照れてしまい、思わず地図で顔を隠した。
「あら、愛らしい。ヒックから仕事で館長の娘さんを預かることになったって聞いていたから、気になっていたの。なにかつらいことはない?」
エナガは首を振った。
「突然なことなのによくしてもらっています」
「ふふ、ならよかった。なにかあったらヤドリギにおいで。おいしホットケーキ作ってあげる。あ、そうそう。レモンソーダを作ろうと思って材料持ってきたの。たいしたものではないんだけれど。好き?」
「好きです」
マヒワはレモンソーダを手早く作ると、エナガと並んで飲んだ。
「エナちゃん、チャボ館長とふたり暮らしよね。あのおうち大きいから掃除大変でしょう?」
「掃除はおじさんがしてくれるので。その代わり料理はだいたい、わたしが」
「分担できてるのね。どっちも、えらいえらい」
ふたりは笑いあう。
「けど料理はいまだに死んだ父にはかないません」
「どんなお父さんだったの?」
マヒワは優しくたずねる。
「父は、図書館で働いていました。聡明で、優しくて。料理も上手でした。沢山、レシピを教えてくれて。どんなに忙しくても、わたしと遊んでくれてめんどうな顔なんて見せたことはありませんでした。そのときはそれが当たり前だと思っていましたが、今思うと無理をした日もあったのだと思います。わたしが九歳のときに、心臓を悪くして、余命宣告を受けました。それで、ハーリキンの病院で」
記憶の黄色い花が揺れる。
「何か心残りでも?」
言葉の途切れたエナガにマヒワはいった。エナガは唇を薄くすると、ぎごちなく笑った。
「たぶん、話すとそんなことっていう話です。わたしが、うじうじしているだけで」
「人の未練にケチつけたりしないわ」
エナガはそういわれなんとなくほっとした。そして、チャボ以外誰にも話していなかった後悔を話した。
「父が危篤状態のとき、一回意識が戻ったんです。目を開けて、わたしを見て。わたしは窓側にいました。父は窓の向こうを見て、花が咲いていると呟きました。それは嬉しそうな声で」
ああ、綺麗な黄色い花だ。綺麗だな。黄色は懐かしい。震える、穏やかな父親の声がエナガの頭の中に響く。この響きに何度もエナガは夜に泣いた。
「わたし、父を最後に喜ばせようと、父の傍らに花を置こうと、病室を飛び出して花を摘みにいったんです。そうした方がいいと思い込んで。走って戻ってきたけれど、父はその間に亡くなりました。最後にわたしの名前を呟いたそうです。後悔しました。花なんて摘みいかずに、最後までずっと父の手を握っていればよかったって。わたし、間違えちゃいけないところで、間違えちゃったんです」
その日からエナガが選ぶということが苦手になった。自分が選ぶものは間違っている、だから選んではいけない。けれど、同時に選べない自分に情けなさと煩わしさを感じているのも事実だった。エナガは後悔と葛藤の折り合いを今日までつけられずにいた。
「そっか」
マヒワはいった。
「お父様は最後にエナちゃんの手を握りたかったと思うわ」
マヒワはエナガの後悔を肯定した。
「けど、自分のために必死に花を摘みにいった、最後に間に合うように、て駆け出して行ったエナちゃんを愛おしくて、いい娘だったって、安心してエナちゃんの名を口にしたのかもしれない。親子だろうが、生きていようが、死んでいようが、自分じゃない誰かの心なんて、想像しかできないんだよ。エナちゃんが語る口ぶりじゃあ、エナちゃんにとっていい父親だったんだろうね。だったらお父さんにとっても、あなたはいい娘だったのよ」
マヒワの慰めは強く柔らかく、エナガを包み込んだ。
「わたしはね反省か後悔だったら、後悔の方がずっといいと思ってるの。後悔するなら、反省しろっていう人いるじゃない?わたしそれいわれたら、一発殴るわね。いや、三発殴って、二回蹴る。結局、反省しても後悔するの。してしまうの。だってどうやったって、生きてたことから逃れられないんだから。だから、あれだね。悲しい想像はあまりしない方がいいわ」
エナガは笑みをこぼした。
「はい」
エナガは少し迷い、たずねた。
「アトリさんたちは、」
「アトリ?」
「アトリさんとヒックさんは記憶がないと聞きました。その、本人たちから直接聞いたわけではないですけど」
「ああ、そのこと」
マヒワはたいしたことのないよにいった。
「街のひとは結構知っているからね。秘密にすることでもないわ。アトリが九歳、ヒクイが十二歳のとき、ヒガラっていう前の喫茶ヤドリギの主人が市外で拾ってきたの。ふたりは不思議なことに自分の名前と年齢はちゃんと覚えていたの。都合がいいってアトリは自分でいっていたけど」
マヒワは懐かしさに目を細めた。
「昔、アトリが自分の覚えている記憶の話をしてたことがある。ヒックと一緒にハーリキンに向かって歩いてたって。なんでか根拠はないけれど、ハーリキンが希望の場所だって信じてたんだって。あの頃は、ヒクイより自分の方がしっかりしていたって、アトリはいっていた。ハーリキン市を目指して歩くときのヒックの顔は、不安げで、いつも泣きそうだった。ずっとアトリは、ヒックの先を歩いていたつもりだったのに、気がついたら本当の兄のようになっていたってね。絶対ヒックにはいわないでしょうけどね」
マヒワがグラスを傾けると、氷がグラスにあたって涼やかな音を鳴らした。
「アトリさんたちはタイムマシンがあったら乗りたいですかね」
口にしてからしまった、とエナガは焦った。
「すいません、無神経なことを」
「大丈夫よ。たぶん、乗る必要ないでしょう。特にヒックは」
「え?」
「アトリには内緒よ。ヒック、実はね、記憶を取り戻したみたい。しかも昨日教えてもらったの。秘密だけどね」
その秘密をマヒワは愉快に暴露した。
「元々覚えてた記憶もあったのよ。アトリには言わなかったらしいけど。森みたいなところで、幼いアトリが岩の上に座って、誰もいないところに向かってずっとアトリが喋っている。母さん。頭なでて。抱きしめて。そこはどこ。すぐに行く。生意気な口ぶりで甘えてるアトリは覚えていたって」
「それをヒックさんは、なぜアトリさんにはいわなかったんですか」
「誰もいない、どこかにむかってアトリはひとりで甘えている。これをぼくは見てはいけなかったんだ、声をかけるには切なすぎるって。アトリに伝えるのも切なくて、悲しいってことらしい。失くした記憶の話はそれだけしか聞いたことないわ。でも、あれね」
「あれ?」
「思いやり過ぎると、すれ違うのよ」




