#002
七月一日午後五時二十分。
現在、私は部下と三人で福岡県のとある市に来ている。上層部からの命令でしかたなく訪れた。ただ一つ、内貴憧也を捕えろ、と。
☆
「ちょっととうや、聞いてるのー?」
俺の様子を見に、母さんがドタドタと階段を登ってくる音が聞こえてくる。
気持ち悪い。頭が痛い。
胃が雑巾のように絞り上げられ、食道を通って熱い塊が逆流してきた。
「うぅ、ぐぷっ……おえぇぇぇ!」
口を覆う手隙間から、黄色く濁った液体がどろりと溢れ出し、堪えきれなかった吐瀉物は布団の上に注がれた。涙と鼻水で視界がぐしゃぐしゃに歪み、焦点が合わず今にも気を失いそうな感覚を覚える。
そこに、母さんがやってきた。
「ちょっと早く学校行かないと……とうや!」
目の前の惨状を見るとすぐに、俺に寄り添い背中をさすってくれた。
「ちょっとどうしたの!」
「……大丈夫、ちょっと気分悪……っ、お゛ぇ……ッ!」
こみ上げるシャックリのような激しい収縮とともに、胃の中の残液が吐き出され、喉の粘膜をガリガリと削っていく。
「学校には連絡しといてあげるから今日は休みなさい!」
母さんは俺の身を案じてくれているが、俺は確認しないといけない。
本当に一日前に戻ってきたのか。
典子が、俺を殺したのか。
「ほんとに……大丈夫だから。じゃあ、学校行ってくる」
「そう……気をつけてよ? 何かあったら連絡して」
俺はふらつく足を必死に抑えながら、着替えて、鞄を手に取った。
行ってきます、と母さんに告げるとすぐに、いつのも場所、典子とエンカウントする場所まで、全力で走った。
あぁくそっ、お守りを忘れた。いや、もういい。今はそれどころじゃない。
いた!
いつも通りパンを咥えて走っている姿が案の定カーブミラーに映っていた。
話を聞いて、もし地雷を踏んだらまた殺されるか? いや、でも何か手がかりを掴まないと……かりにループしているなら、今日はいつも通り振舞えば死なないはず……よし。
場合によっては殴ってでも情報を吐かせてやる。
俺は拳を握りしめ、大きく息をはいてから、あいつの進路に一歩踏み出し、両手を広げて立ち塞がった。
「さあ、こいよ化け物……」
冷や汗が止まらない。ついさっき俺を殺した犯人、そして明らかに人智を超えた力を使う。そんなやつを目の前にして俺の足はガクガクと震えていた。
視界にはパンを咥えて走っている典子がバッチリうつっている。
タッタッタッタッ。
典子が走る音が徐々に大きく、近くなっていく。
だが典子の走るスピードは緩まない。
タッタッタッタッ。
そして、典子は俺のことなどまったく見えていないかのようにそのまま走り続ける。
……え?
ドンッ!
手を広げていた俺の胸に、典子は頭から激突した。
いや止まれよ!
どういう思考したら、MAXスピードで人に突っ込もうと思うんだよ!
ぶつかった衝撃で倒れそうになったが、体に力を入れていたおかげで、俺はよろめいただけで済んだ。
が、典子は衝突した衝撃で盛大に転び、膝から血を流していた。
……これ俺が悪いの?
例えどんな事情があろうとこういうのって男が悪いの? 今すぐにでもあの出来事について問い詰めたいがまだ我慢だ。冷静さを失うな内貴憧也。
本当にどうしよう。とりあえず早く立ち上がって欲しいんだけど。そして「テッテレー、ドッキリ大成功! 私は大丈夫だよ! また学校でね!」とか言って走りさって欲しいんだけど。
やだ、こいつめっちゃこっち見てる。とりあえず救急車? 保健室? 唾でもはいて塗ってやるか? いや、最後のはなしだ今日はゲロを吐いた挙句歯磨きもせずに家出たんだった、最悪の口内コンディションだ。
その時、焼けたパンの香ばしい香りが再び鼻腔をくすぐった。
そうだ、典子がパンを焼いたのは一度だけ、それも七月一日。
「今日はパン、焼いたんだな」
「え?」
ミスったー! なんて言えばいいかわかんなくて変こと言っちゃった!
怪我そっちのけでパンの心配しちゃった。どうにか挽回しないと……そうだ! カバンの中に絆創膏があったはず、確か母さんに何かの時のためにもっとけって渡されたんだった。
「ちょっと失礼」
俺は絆創膏を手に取り、倒れている典子に近寄って、傷口に貼った。傷口は水で一度洗った方がいいとか消毒すべきとか諸説あるけどそんなことは知らん。こういうのは事実が大事なんだ。治ったかじゃない治そうとしてくれたか、だ。
「ごめん俺の不注意でぶつかっちゃって」
くぅー完璧っ!
自分を褒めたい。女の子と喧嘩したときはどんな理由があっても男が先に謝った方がいいって新約聖書にも書いてあったしな!
すると、典子は表情を変えず、徐に立ち上がった。
「私、もういく」
そういうと、再び学校へと走り出していった。
「え、ちょっと」
開いた口が塞がらなかった。
最善は尽くしたはずだ……よな?
スマホをタップし画面に表示された時間をみる。時刻は八時二十九分。諦めよう。学校にはどう足掻いても間に合わない。
俺は今の状況(主に口内環境)を整理するべくコンビニに立ち寄ることにした。
☆
ピロピロピロと、俺の入店を歓迎する音色が店内に響いた。
しばらく店内を見て回ったあと、俺の毒ガスをも滅ぼせそうな『ミンティア史上最強』と書いてある物を購入した。
そしてイートインスペースに向かい、安っぽい丸椅子に腰を下ろした。
ぼーっと今からどうすればいいのか、つかみどころのない難問に頭を悩ませ、ミンティアを一粒口にした。
「辛っ!」
ミンティアという可愛い名前からは想像もつかないミントの刺激が顔全体を巡り涙を催す。これもお守りをもってないからかなあ。そんなことはどうでもいい。
とにかく今は状況を整理したい。おそらく俺は七月一日に戻ってきている。所謂、タイムループってやつか。焼けたパンとスマホの日付がそれを証明している。
どうしてだ? なぜループできるんだ?
というか俺は生きているのか? 幽霊的な存在になって死んだことにも気づけていないとか。考えたって分からない。明らかに人間の範疇を超えている。
これからすべきことは典子と話すこと。生きること。今は情報が少なすぎる。
結局まだなに一つ解決していない現状を億劫に感じ、ため息をつきながらテーブルに突っ伏した。
とりあえず学校行くか……
その時、ポンポンと誰かに肩を叩かれた。
「トウヤ! 久しぶりだな!」
声がした方を見ると俺の背丈の半分くらいしかない少年が立っていた。
誰だこいつ。あとなんでこんな平日の朝にガキがほっつき歩いてるんだよ。学校いけよ(ブーメランである)。
「たぶん人違いじゃないかな?」
「知らないフリすんなよ! やっちまうぞ?」
よし、一発殴ろう。今はストレスもたまってるし、ちょうど発散したかったところだ。
店員は色黒で強面のいかにもな人だ。暴力には寛容なはずだ。
「リョウだよ! リョウ!」
……!
聞いたことがある気がする。それも大切な。
俺は小学四年生以前の記憶がない。
もしやそのときの記憶か?
なにかの手掛かりになると俺の第六感が訴えかけてくる。
よし、ちょっと喋ってみるか。
俺は体をその少年にむけると、柔らかい口調で話しかけた。
「ねえ、僕は今いくつなんだい?」
ここはまず優しいお兄さんを演じて心を通わせよう。
やはり、言語によるコミュニケーションは唯一、人間のみができる素晴らしい手段だな。
「はあ? 俺たちタメだろ。僕とか言ってるとぶっとばすぞ」
ふぅ。一度目を閉じ冷静に……
「そいっ」
バチンッ!
強烈な平手打ちをかましてやった。




