動き出した二人の未来
消えた。
聖女が。
タナカハナコが。
それは転生前。
花嫁のすげ替えなどと言う有り得ない事が起こった。
あまりにも理不尽な事に、グレーゼ家としては婚約破棄を申し出たが。
それを許されずに迎えたレイモンドと聖女の結婚式。
目の前で見たレイモンドと聖女の誓いのキス。
信じて欲しいと言ったレイモンドの嘘。
勝ち誇ったような聖女の顔を見た瞬間。
ずっと堪え忍んでいたアリスティアの心は壊れた。
そして激しい嫉妬の心は彼女を魔女にしてしまった。
暴走する魔力。
大罪を犯し、愛する男に胸を剣で貫かれ、満足しながら幕を下ろした一度目の人生。
そこには……
取り返しの付かない事をしたアリスティアに、国宝である時戻りの剣を使い、やり直しの機会を与えてくれたレイモンドの深い愛があった。
そして二度目の人生もまた、異世界から聖女は現れた。
覚悟はしていたが。
やはり、魔女になった原因である彼女の姿を見る事は辛かった。
またもや同じ未来になるかも知れないと言う恐怖の中。
兄達の存在がアリスティアを前に進ませてくれた。
転生前には知らなかった皇宮での出来事で、あの時「信じて欲しい」と言ったレイモンドの言葉が、嘘ではなかったと知る事が出来た。
愛する人を信じる事の出来る喜び。
アリスティアの二度目の人生は、レイモンドの揺らぎのない愛に包まれる事になった。
そして……
天のお告げ通りに出現した魔物。
今までの出来事がアリスティアの頭を過って行った。
それは走馬灯のように。
「 ティア。降りておいで 」
「 ……レイ 」
箒の上から地上を見れば、レイモンドが両手を上げていた。
空に浮かんでいるアリスティアに向かって。
ギデオンへの報告を終えたレイモンドが、いつの間にかやって来ていたのだ。
アリスティアは箒から飛び降りた。
箒は落下して地面にコンと音を立て、アリスティアはフワリフワリとレイモンドに向かって降りて行く。
その僅かな時間ももどかしくて。
早く抱き締めたい想いが、レイモンドを泣きそうにする。
「 ティア…… 」
「 レイ 」
差し出されたレイモンドの腕の中にアリスティアがフワリと入ると、レイモンドはギュッと抱き止めた。
「 魔力切れは起こしてない?10分間、よく頑張ったね 」
「 ええ。大丈夫よ。サラは?……タナカハナコに憑依したままに異世界に行ったの? 」
「 みたいだな 」
「 じゃあ。もう……終わった? 」
「 ああ……終わった 」
「 ……そう……良かった 」
その大きな瞳から大粒の涙が溢れ落ちて行く。
ポロポロと止めどなく。
アリスティアをそっと地面に下ろすと、レイモンドは自分の両の手をアリスティアの頬に添えた。
その美しい顔を覗き込むようにして。
アリスティアの瞳は魔女の証である赤い瞳から、綺麗なヘーゼルナッツ色の瞳になっていた。
フワフワと宙に浮いていたミルクティー色の髪も元に戻っている。
魔女のアリスティアは妖艶だが。
普通のアリスティア自身も本当に美しい顔をしている。
色々と辛い事があり過ぎたからか、少し大人びた顔になって来たが。
このプニプニとした頬は、まだまだ幼さが残っていて可愛らしい。
レイモンドはアリスティアの額にそっと自分の額を寄せた。
「 直ぐに僕達の結婚式の準備をしよう 」
「 ……は……い 」
ヒックと嗚咽しながらアリスティアが返事をすると、レイモンドは溢れる涙を指先でそっと拭った。
アリスティアの頬に手を添えたままに。
レイモンドはアリスティアの唇にそっと唇を落とした。
魔物も聖女も居なくなり、やっと二人の未来が元通りになった。
もう……
二人の悲しい未来は無くなったのだ。
抱き合う二人を他所に。
演習場では、魔物がいなくなった事で喜びを爆発させた騎士達の雄叫びを上げる声が、何時までも響いていた。
***
「 オスカーお兄様!邪魔ですわ 」
この幸せな余韻にずっと浸っていたいアリスティアだったが。
オスカーが二人の側にやって来た。
「 イチャコラは後でしろ! レイ!騎士達に解散を伝えてくれ! 」
オスカーが手を上げて半円を描いた。
周りを見ろとばかりに。
かなり遠巻きにだが。
騎士達が跪いてレイモンドからの命令を待っていた。
先程までの興奮はすっかり収まって。
皇太子レイモンドは、魔物討伐に関する全ての権限を皇帝陛下から与えられている。
なので、皇帝ギデオンは既に皇宮に戻っていた。
ハロルドや国防相と共に。
「 そうだな。もう深夜に近い時刻だ 」
レイモンドはアリスティアの頬にチュッとキスをすると、騎士達の前に進み出た。
アリスティアが産まれた時から婚約者同士の二人は、騎士達だけでなく侍従や侍女達にイチャイチャ場面を見られても平気だ。
それはレイモンドだけでなくアリスティアも然り。
特に騎士達は常にレイモンドの側にいる事から、石みたいなものである。
流石にイチャイチャを身内に見られるのはちょっと嫌だが。
跪く騎士達の前で騎士達を労い、次々に命を下して行く。
暗闇の中でもキラキラと輝く黄金の髪。
髪に揺らめくマント。
立っている姿だけでも美しい男なのである。
好き。
その勇ましい姿に、アリスティアはうっとりと見惚れていた。
よく通る低くて澄んだ声も素敵で。
そんなアリスティアを、横目で見ながらオスカーがニヤリと笑った。
何かを熱心にする妹を、からかいたくなるのは昔から。
「 今回もお前の嫉妬が一役買ったぞ 」
「 ? わたくしの嫉妬?ですか? 」
オスカーは、アリスティアが自分に突っ込んで行く隙を見て、サラがタナカハナコに憑依した事。
その時にスマホが作動して、タナカハナコが異世界に戻った事を説明した。
ジョセフから聞いた話を。
それは奇跡のようなタイミングだったと言って。
「 そうだったのね 」
「 それにしても、嫉妬の相手が自分だと気付いた時のお前の顔は傑作だった 」
ゲラゲラと笑うオスカーにアリスティアは口を尖らせた。
「 あれは……レイに抱き付いたからですわ 」
時と場所を考えない無礼な女には、容赦しないのが公爵令嬢としての務め。
まあ、時と場所を考えたとしても、レイモンドに触れる女は、喩え婆さんだとしても容赦はしないが。
妖精であるリタ達は別なだけで。
「 リタ様はどうしてわたくしに変身したのかしら? 」
直接リタに聞きたいが、婆さん達はタナカハナコが消えた時に直ぐに姿を消していた。
婆さん達の寝る時間はとっくに過ぎていたので。
「 いや、お前に変身したのはリタじゃない。リタは……サラに変身したと言ってたぞ 」
「 サラ?……ですって? 」
あの場にいたのはセドリック王とわたくしと……
みすぼらしい男でしたわ。
そのみすぼらしい男がサラ?
アリスティアは愕然とした。
当然ながらサラは美しい女性だと思っていたので。
自分に自信たっぷりな様で、堂々とレイモンドに迫るサラにはライバルを感じていたのだ。
みすぼらしい男の髪は刈り上げていて、着ている服も生なりのヨレヨレの薄汚れたシャツとズボン。
目はパッチリと大きいが、眉毛は太い。
当時は太い眉毛が主流だったかも知れないか。
とてもじゃないが美人とは言い難い顔。
背の高さはセドリック王と同じ位だった。
王の背はそんなに高くはないが、当時の女性として考えればかなり高い。
オスカーの話では、婆さん達には「 ティアが嫉妬する女に変身してくれ 」と言ったのだと。
それは魔力切れが起きる前に、魔力を回復させようとして。
アリスティアの魔力の根元が、嫉妬なのは分かっていた事なので。
婆さん達の変身する人物は、かつて自分が見た事のある人物である。
リタはアリスティアが嫉妬をするのはサラだと思った。
そう。
リタは千年前のサラの姿を知っていたのだ。
それは凱旋して来た時のサラ。
戦争に勝ったセドリック王を見に行った時に見たサラだ。
サラが男のような姿であった事も、戦いの場に女がいれば、拐われたり犯される危険があるからで。
そのせいで戦いが不利になる事もあるのだ。
しかし。
顔はタナカハナコとどっこいどっこいのブス。
ヒラメ顔のタナカハナコと、濃い顔のサラの違いはあるが。
因みにアリスティアに変身したのはマヤ。
アリスティアが嫉妬する女は、やはり美しいアリスティアだとマヤは思ったのだ。
変身しないで若きセドリック王のままでいたロキは、アリスティアが嫉妬する程の女を思い付かなかっただけで。
彼女が今まで見て来た女は、大した女はいなかったと言う事になる。
オスカーと話をしていると、騎士達に解散の命を下してレイモンドが戻って来た。
「 サラともっと話をしたかったな 」
魔物だったからじっくりと話す事が出来なかったと言って。
「 まあ、ブス専のレイとしては捨てがたい人材だったよな 」
「 なっ!? オスカー! お前…… 」
「 レイはやっぱりブス専だったのね 」
オスカーはニヤニヤとし、アリスティアは深い溜め息を吐いた。
「 わたくしが美し過ぎてごめんなさい 」と言って。
この言葉は誰彼でも言えるものではない。
自分に自信たっぷりなアリスティアだからこそ言える言葉。
そこはオスカーも否定はしない。
我が妹が美しい事は間違いない。
「 違う! 僕は断じてブス専ではない! 」
千年前の我が国の事を聞きたかっただけだと言って、レイモンドは慌ててアリスティアの手を掬い上げ、その細い指先にキスをした。
「 僕は君しか興味はない。それは君も知ってるだろ? 」
アリスティアの指先を握ったままに、レイモンドはアリスティアの耳元で小さく囁いた。
何時もは落ち着いた所為で堂々としているレイモンドの、滅多に見れない慌てっぷりに、アリスティアは満足そうな顔をした。
***
騎士達が演習場の後片付けをしている中。
レイモンドとアリスティアは皇太子宮に向かって歩いていた。
松明の灯りが照らすだけの暗闇の道を、仲良く二人で手を繋いで。
オスカーはやる事があるからと、先に皇太子宮に戻っていた。
二人に気を利かす事もたまにはある。
「 あのね 」
歩みを止めたアリスティアは、レイモンドの手を引っ張りながら、少しモジモジとした。
アリスティアのこんな仕草も珍しいものだ。
何時も自分に自信たっぷりな堂々とした公爵令嬢なので。
「 何? 」と言って顔を傾けるレイモンドが好きだった。
アリスティアがレイモンドに話をしようとすると、何時もこうして話を聞いてくれていた。
小さなアリスティアの、他愛のないお喋りを楽し気に。
「 二人の部屋にはね……小さなキッチンを設けて欲しいの 」
「 ? 僕達の部屋に? 」
「 わたくしね。料理を作るのが好きなの 」
だからレイに作ってあげたいのだと言って。
それは魔女の森での修行で、料理作りに目覚めたからで。
魔女の森に向かう行かなければ、公爵令嬢であるアリスティアが料理などする筈もないのだから。
「 うん。嬉しいよ。急いで造らせよう 」
アリスティアを抱き寄せたレイモンドの胸がチクリと痛んだ。
全てを知った今。
あの時、魔女の森に行ったアリスティアが、どんな気持ちで自分から離れる事の決心をしたのかと思うとたまらない。
「 他に希望は? 」
望む事は何でも叶えるよと言って。
転生前。
天のお告げがあった日は結婚式の3ヶ月前。
既に皇太子夫婦の部屋はリフォームされていた。
結婚式の日取りを発表する記者会見が終わると直ぐに、一年もかけて入念に準備をして来たのだから。
転生前に消えてしまった二人の未来が、こうして動き出した事が嬉しくて。
「 それからね。カーテンの色は…… えっ!? 誰? 」
アリスティアは誰かに呼ばれ、両の手で自分の両耳を塞いだ。
刹那!!
アリスティアの身体が空中に浮かび上がった。
瞳の色はヘーゼルナッツ色。
髪はストレートのサラサラとした髪のまま。
魔女にはなっていない。
なのにだ。
アリスティアは宙に浮かんでいるのだ。
「 ティアっ!何があった!? 」
浮いたアリスティアを掴もうと、レイモンドは必死で手を伸ばした。
「 レイっ! 」
レイモンドに両手を伸ばして助けを求めたが。
そのまま手を伸ばしたままに、アリスティアは後ろ向きで飛んで行った。
強い力で腰を引っ張られるようにして。
飛んで行く先は離宮のある方角。
離宮の建物に入ろうとするジョセフの上空を通過し、庭園の上空も通り過ぎて行く。
そして……
その奥深くに消えた。




