32 氷神様
「兄貴いいいい! 兄貴いいいいいい……!」
家の外でバルスルがうるさい。
「クレスさん、出てあげたらどうですか?」
ルノンは窓の向こうに可哀想なものを見る目を向けている。
「気乗りしないな……」
大変だああああ、とか言われるとな。
間違いなく面倒事だろう。
進んで首を突っ込むやつがあるか。
「ところで、クレスさん」
ルノンの声が急に硬くなったので、俺は少しビクリとした。
「お風呂場で白くて長い髪を見つけたんですけど、誰のですか?」
「待ってろ、バルスル! 今行くぞ!」
俺はクロを引っ掴んで、家の外に飛び出した。
窓を突き破る勢いでな。
「我輩を巻き込まんでくだされ、あるじ殿!」
「うるさい。俺とお前は一心同体だ」
もがく黒猫をヘッドロックで拘束しつつ、俺はバルスルを睨んだ。
「話を聞いてやろうじゃないか。言ってみろ。なるべく遠慮がちにな」
「兄貴いいいいい……! 引き受けてくれて自分嬉しいっすうう!」
アホ毛の青年が涙目で抱きついてくるので、俺はその頭をがっしり押さえてそれ以上近づかせない。
「引き受けるとは言っていないぞ。というか、泣くほどのことなのか?」
「そうっす。一大事なんすよ。――ほらあぁ!」
バルスルは北のほうを指差している。
あっちにあるのはノーデンベルク山脈と黒の森くらいのものだが。
「黒の森が白くなってんすよぉ!」
「……ふむ」
言われてみれば、たしかに。
闇を落とし込んだような黒い森がいつの間にか白ずんでいる。
「あれは、雪か?」
最近急に寒くなったと思ったら、もうそんな季節か。
王都はまだ夏の真っ只中だろう。
ここは、だいぶ北だから冬の到来も早いようだ。
風呂の次はこたつを作らないとな。
「ノーデンは北限の村っすけど、雪の季節には早すぎなんす」
バルスルは青ざめたまま頭を抱えた。
「自分、農家なんすよ。このままじゃウチの野菜は冷害で全滅っす。ヤバイんすよ、兄貴ぃ……」
「大変だなー。だが、俺は素人だ。相槌くらいしか打ってやれんぞ」
「なんで、そんなにのんきなんすか。他人事みたいに」
現に他人事だからな。
「言っておくっすけど、ノーデン村は食料自給率100パーセントなんすよ?」
「すごいな。それで?」
「全滅したら、冬の間の食料はナシってことっす」
「おい、大変じゃないか……!」
「だから、そう言っているじゃないっすか!」
俺も頭を抱えた。
なんたって俺は常人の5倍は食う。
大量の魔力と強大な筋肉は燃費が最悪なのだ。
このままじゃ俺が真っ先に餓死するな。
なんとかしないと。
「おぉーい、クレス殿ぉ……!!」
丘の小道をひいひい言いながら老人が登ってくる。
ラオサ老だ。
バルスルが「村長、遅いっすよぉ!」とか言っているから、始めから二人でくる予定だったのだろう。
「ひいひい、この坂は老体には堪えますわい」
ウォーキングの成果どこよ。
呆れる俺の前で息を落ち着けてからラオサ老は黒の森を見やった。
「ふた月も早い積雪。このようなこと、わしが生まれてから一度もありませんでしたぞ。村存亡の危機ですじゃ」
「村長殿、何か対策がおありか?」
「畑が全滅しては打つ手がありませぬ。村を捨て、最寄りの町に身を寄せるほかありますまい」
それは困るぞ。
ようやく手に入れた平穏な暮らしを捨てるだなんて。
「クロ、俺やだ!」
「あるじ殿、もう少し年齢にふさわしい言動を心がけたほうがよろしいかと」
「クロも嫌だろう? ポエさんを食うのは」
「もちろん嫌に決まっております!」
ロックされたままクロはジタバタしている。
俺もだ。
しゃべる豚なんて食べたくもない。
「あるいは、氷神様の祟りやもしれませんな」
ラオサ老は山脈を振り仰ぎ、遠い目をしている。
「氷神さま……?」
「この地を治める山の神様ですじゃ」
山の神か。
雲すら低く見えるほどの巨大な山々を前にすると、神の1柱や2柱くらい実在しそうな気がしてくる。
「氷神様は冬を司る神なのですじゃ。昔から猛吹雪に見舞われると、村の住民は寝食も忘れて山に祈りを捧げておりました。しかし、昨今は信仰も廃れ、今日では皆、勇者様を崇めておりまする。バチが当たったのやもしれませんな……」
なに?
もしかして、俺のせいだったりする?
違うよね?
俺のせいで祟られてないよね、この村。
「クレス殿」
ラオサ老はしわだらけの手で俺の手を取った。
「黒の森を調べてきてはくださらぬか。わしはこの村の長として、重要な判断を迫られる身ゆえ。事態をより正確に把握しておきたいのですじゃ」
そういうことなら俺に任せろ。
「村長殿、きっと朗報を持って帰ろう」
俺はラオサ老の手を強く握り返した。
黒の森、それに、氷神様か。
先日の氷漬けにされたダンジョンが思い返される。
これは何かあるな……。
「頼みましたぞ、クレス殿」
「兄貴いい! 氷神なんか軽くひねっちゃってくださいよ兄貴いい……!」
「頼まれた!」
これも、のんびりとスローライフを送るためだ。
ちょっとくらいなら、やる気を出してやるとしよう。
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