19 金くれ
「で、エロナ、今日は何の用できたんだ?」
ルノンの視線が痛い。
早いとこ用件を教えてくれ、と俺。
「よ、用件はね、その……ええっと」
エロナは目を伏せたり、赤らんだり、深呼吸したりと落ち着きなく表情を七変化させた。
さんざん俺を焦らした後、ようやく覚悟が決まったか決然と俺に言い放った。
「体を売りに来たのよ」
――と。
そうか。
体をな。
「……えぁ?」
困惑のあまり俺は冷水をぶっかけられたニワトリみたいな声を上げた。
「手っ取り早くまとまった金が欲しいのよ。私が持っている一番高いものは私の体だもの。それを金に換えようってわけ」
そんなことを言われても、どうリアクションしてよいやら俺はおたおたするばかりだ。
「あんたに見せたいものがあるわ。ついてきなさい」
それは、裸体だったりするのだろうか。
俺は鼻の穴が広がるのを自覚しながらエロナの後を追った。
目の前で左右に揺れるスペード型の尻尾。
尻も揺れているし、イマイチよく見えないが胸はもっと揺れているはず。
たまらん。
動くものに飛びつきたがる猫の気持ちが今の俺には痛いほどよくわかる。
だが、そこは腐っても元・勇者だ。
これが俺を惑わし、謀殺するための作戦という線も考えられる。
しっかりしろ、クレス。
予期せぬ再会から数日――。
あれ以来、俺はエロナの様子を折に触れて監視してきた。
(断じて、揺れる尻や弾む胸を追いかけていたわけではないと注釈を入れておこう)
しかし、エロナに怪しい動きはなかった。
怪しいどころか模範的なお母さんだった。
朝起きてから寝るまで子供にかかりきりで、俺に後ろを取られたことにも気づかないくらいだからな。
忙しく飛び回る元・魔王四天王エロナルーナ。
そのひたむきな姿に、俺は思わず応援したくなったね。
とんかつも毎日のように差し入れたぞ。
ルノンにはいい顔されなかったがな。
などと考えているうちに、俺はお隣の教会にやってきた。
今日も子供たちの元気な声が響いている。
しかし、エロナは陰鬱な面持ちだった。
「貧相な教会でしょ」
「……まあ、そうだな」
褪色したレンガの壁を見上げて、俺は控えめに頷いた。
雨どいが朽ちて屋根にぶら下がっている。
壁はビール腹のように膨れ上がって今にも崩れ落ちそうだ。
割れた窓は板で塞がれ、立て付けの悪い玄関扉は風もないのにギイギイうるさい。
屋根の上には草が生えている。
でも、決して屋上庭園というわけではないだろう。
要するに、あれだな。
「ボロ教会だ」
俺がちょっと手で押せば、それだけで倒れてしまいそう。
「はっきり言ってくれるじゃないの。でも、そうよ。私たちが置かれている状況があんたにもわかったかしら?」
「エロナ教会の経営は火の車なんだな」
「そうよ。情けないでしょ。笑うがいいわ」
勇者時代なら笑っていたかもしれない。
だが、お隣さんの窮地だ。
笑えるものか。
「金が欲しいって話だが、改修費用に当てるのか?」
「そうしたいのは山々だけど、実は借金もあってね」
げっそりした顔でエロナは丘の下を見た。
「これから、借金取りが来る予定なの。私も頑張ったわ。でも、返済額にはとても届きそうもないのよ」
「苦労しているんだな。屋根の修理くらいなら手伝ってやるぞ? 力仕事は俺に任せろ」
「いらないわ。抱きなさい」
「子供たちをか? 高い高いでいいか?」
「私をよ。今なら借金を全額肩代わりしてくれるだけで私はあんたのものになるわ」
「それは、あー。おお……おー」
キッパリ断ろうと思った。
が、できなかった。
だって、すごくいい話な気がするから。
この際だ、はっきり言おう。
エロナはいい女だ。
いくら積んででも手に入れたいって奴は王国中にごまんといるだろう。
俺は張り出した胸とくびれた腰、そして、柔らかそうな尻が作り出す魅惑の曲線をなぞって、妄想を掻き立てた。
しかし、その胸と尻が俺の見ている前で急速にしぼんでいく。
まるで、風船から空気が抜けるみたいに。
「あんたには、こっちのほうがいいのかしら?」
エロナがニヤリと笑うと、ヤギの角が狼っぽい耳に変わった。
白かった髪も銀に変わり、顔つきは心なしかルノンっぽくなる。
サキュバスの異能、『へんげの魔法』だ。
「あんたの好みに化けてやったわよ?」
「馬鹿を言うな」
俺にそんな幻惑が効くか。
意識を集中させると、ケモ耳が角に変わった。
しぼんでいた胸も元の大きさにぐふふ、戻ったフフフ……。
表情には出さないようにニヤついていると、エロナは俺の首に腕を回してきた。
柔らかい部分を全部押しつけ、ほのかに赤くした頬を俺に見せつける。
で、言う。
「私、こう見えてヴァージンなの」
「え、さすがにないだろ……」
男の精が三度の飯より大好物。
それが、サキュバスってものだ。
「私が気安く抱かれる女に見えるかしら?」
「なるほど。プライドが許さないのか。不憫な性格だな」
「うるさいってのよ。……でも」
でも?
「あの勇者クレスに抱かれるなら本望だわ」
さらに密着度を増し、息がかかる距離で挑発的に微笑みかけてくるエロナ。
その唇が白くなっているのを見逃す俺ではない。
強がってはいるが、血の気が引いている。
指も震えているじゃないか。
気づかないとでも思ったのか?
俺は抑えようもなく湧き上がってくる情欲と死に物狂いで格闘しながら、エロナを引き剥がした。
「俺に媚びずとも、お前なら借金取りを追い払うくらいお茶の子さいさいだろ」
「荒事はだめよ。子供たちを狙われたら怖いもの。それに、村にいられなくなるのも困るの」
それもそうだな。
魔王の係累たる魔族への風当たりは強い。
サキュバスとセットだと尚のことだ。
村に置いてもらえるだけでも奇跡と思うべきだろう。
泣く子も黙る恐怖の四天王も、借金取りには形無しか。
「それでも、最初は少し鎖骨を見せただけで簡単に支配下におけていたわ。でも、連中、女の取立て人を寄越すようになったのよ」
「ま、そうなるよな。で、どうなったんだ?」
「前のときは泣き土下座で待ってもらったわ……」
「お前、苦労してんだな……」
俺はルノンにそうするようにエロナの頭をなでてやった。
さらさらだった。
すごい。
なでなきゃよかったと思うくらい俺の心臓はドキドキしている。
「…………」
赤らんだ顔がぼーっと見上げてきた。
「クレス、あんた、近くで見るといい男ね」
細い指が俺の胸をなぞった。
心臓の鼓動が外に漏れないよう俺は必死で胸筋を硬くした。
「私の400年の人生で一番ナイスガイかもしれないわ」
お前、そんなに生きていたのか。
長寿の秘訣があったら、ぜひともご教授願いたいものだ。
「私はただ子供たちとここで平和に暮らしたいだけなの」
エロナが目を細めた。
背伸びして唇から近づいてくる。
「きて、クレス。私のすべてをあげる。だから、お金ちょうだい」
うんまあ、もう少しロマンチックに誘ってくれ。
それから、気づいていないようだが、あー、
「子供たちが見てるぞー」
窓ガラスに頬を貼り付けるようにして子供たちがこちらを見守っている。
興味津々の無垢な瞳はサキュバスの弱点だったらしい。
エロナは軽く悲鳴を上げつつバッタのように俺から飛び退った。
「もっとマシな方法がないか考えてみないか。子供が真似したら嫌だろう?」
「そ、そうね……」
「俺もアイデアを出す」
「助かるわ、クレス」
そういうことになった。
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