12 とんかつ
翌朝。
俺はエプロン姿でキッチンに立っていた。
隣にはフリフリのリボン付きエプロンを可愛く着こなしたルノンがいて、平たく切った豚肉を真剣な面持ちで睨んでいた。
なぜ、朝っぱらから本格料理モードなのかというと、あれだ。
昨日、胃袋を掴むうんぬんの話をしたのがきかっけだ。
二人して料理熱に目覚めたわけである。
「パン粉をつけたら、油の中にドボンだ。油ハネには気をつけるんだぞ」
「どっぼーん!」
言い終わらぬうちに豚肉を投げ込むルノンである。
高温の油スプラッシュが盛大に飛び散って大惨事だ。
「ドボンとか言った俺が悪かったな」
「そうですよ。反省してください、クレスさん」
腰に手を当てて頬を膨らませるルノンの愛くるしさに癒やされているうちに、香ばしい匂いが漂ってきた。
鍋の中で小麦色のいかだが揺れている。
頃合だな。
「余分な油を切れば完成だ」
「これが、トンカチですか?」
「とんかつな。熱いうちに食べてみろ」
「じゃあ、ルノン行きます……!」
ふーふーしてから、ひとつ間を置き、ルノンは意を決した様子でとんかつにかぶり付いた。
がぶっ。
サックサクの衣が美味しそうな音を立てて噛みちぎられる。
そして、ルノンは双眸をカッと見開いた。
「ほ、ほいひーれすっ!!」
そうだろう。
俺的豚料理ランキング堂々の1位がとんかつだからな。
異論は認めない。
これより上はなく、至高にして絶対超極の食べ物。
それが、とんかつなのだ。
ああ、ちなみに、豚の角煮も俺の大好物だ。
噛まなくても肉がとけるアレな。
インチキじみた美味しさだ。
同率首位ってことにしておこう。
「こんなにほいひー豚肉料理は初めてれふっ! これ、ふレスさんの故郷の料理なんれすか!?」
「食べ終わってからにしなさい」
「ごくんっ!」
「よろしい」
三角耳の間をガシガシとなでてやると、ルノンは、えへへ、とハニかんだ笑みを見せた。
「とんかつは俺の故郷じゃ豚肉料理の定番なんだ」
「ですよね! 覇権です! 豚肉を一番おいしく食べられるのは、とんかつ様をおいて他にありません!」
耳と尻尾をびーんと立てるルノン。
俺はチッチッ、と指を振った。
「いいや、お前はわかっていない。わかっていないぞ、ルノン」
「な、何がですか!?」
「とんかつの真価はソースをかけることによって初めて発揮されるのだ」
でも、悲しいかな、この世界にとんかつ用ソースなんてものはない。
これでは、カレーを欠いたライス。
翼のない鳳凰だ。
俺の求める真のとんかつには遠く及ばない。
「塩コショウを多めにして誤魔化してみたが、やっぱりソースが肝だよなぁ」
「じゃあ、わたしがソースを作ってあげますね! クレスさんのためと、それから、豚肉振興の一貫です!」
そりゃあいい。
だが、豚舎のほうから豚さんたちの悲鳴が聞こえたような気がする。
食われる側は大変だ。
「でも、油がもったいないような」
鍋いっぱいに張られた油を見て、ルノンはむず痒そうな顔をしている。
この世界じゃ貴重品だからな。
「俺が狩りでたんまり稼いでやる。気にするな」
言ってから後悔した。
身を粉にして働きます宣言じゃないか。
でも、美味しいとんかつのためなら苦ではない気がする。
「ありがとうございます! でも、わたしは居候の身。クレスさんに甘えてばかりもいられません」
「どうするつもりだ?」
「とんかつをあと100枚揚げます! それを村の皆さんに配って回って美味しさを啓蒙します! で、豚肉を買ってもらうんです!」
それはなんとも豪快な。
半分呆れて見ているうちに、ルノンは本当に100枚のとんかつを作り上げてしまった。
「あったかいうちに、配ってきますね!」
この働き者めぇ。
重そうにとんかつ山盛りバスケットを抱える姿を見せつけられては俺も何もしないわけにはいかない。
「手伝おう」
ということで、俺はホクホクのとんかつを山ほど抱えて家を出た。
「そういえば、お隣さんにまだご挨拶をしていなかったな」
豚舎の隣にたたずむ石造りの古びた教会を見上げて、俺は襟を正した。
とんかつの宣伝ついでに挨拶をしておくか。
教会の敷地に入る。
すると、中から子供たちの声が聞こえてきた。
教会が孤児院を兼ねているのは珍しくない。
魔王軍との戦争で親を失う子も多かったからな。
俺は複雑な心境を抱えたまま、天使を模したドアノッカーを打ち鳴らした。
ほどなくして、立て付けの悪い扉がギゴゴゴゴ、と嫌な音を立てて開いた。
中から出てきたのは修道服の女だった。
その嘘みたいに整った顔立ちには見覚えがあった。
だが、俺の視線はなぜか女の顔ではなく肌に吸い寄せられた。
露出の少ない修道服から覗くわずかな柔肌。
それが重力でも持っているみたいに目を引きつけるのだ。
清楚で純真なはずの修道服の下から、とてつもなく淫靡な香りが湧き立っている。
衣服を持ち上げる豊満な胸の膨らみに、俺の心臓がドクンドクンと早鐘を打った。
……いや、打つな!
静まれ。
むしろ心停止しろ。
お隣さんに、それも修道女によこしまな劣情を催すなんて、どうかしている。
最低だ。
俺は顔をぶるんと振って、改めて女の顔を見た。
「……」
「……」
思っクソ目が合った。
そして、お互い氷像のように凍りついた。
うん、やっぱり見覚えがあるな。
この香り立つエロスにも覚えがある。
「ゆ、勇者クレス……」
「淫姫エロナルーナ……」
俺たちは同時に互いの名を呼んだ。
忘れようにも忘れられない。
15年の旅の中でさんざん苦しめられた難敵中の難敵。
『淫姫』エロナルーナ。
魔王四天王が、そこにいた。
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