13 お隣さんはサキュバス!?
丘を駆け上がってきた風が純白の髪を長くたなびかせる。
薄褐色の肌にヤギの角。
そして、長い尻尾の先で揺れるスペード型の尾針。
なにより、この濃密なまでのエロス……。
間違いない。
姫級淫魔にして魔王四天王の一人。
『淫姫』の異名を持つ女。
エロナルーナ、その人である。
「なぜ、お前がここに……」
「どうして勇者が……」
エロナルーナも俺に負けず劣らず驚いているようだった。
だが、赤い瞳をカッと見開き、低く構えた。
俺も後ろに飛び退って拳を固く握る。
「おのれ勇者め! ここで会ったが100年目! 今こそ、その首討ち取って魔王様に捧げてくれるわ!」
「悪巧みはそこまでだ、魔王四天王エロナルーナ! 勇者クレス、推して参る!」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……」
「……」
ヒューー。
長い沈黙をあざ笑うかのように北風が吹き抜けていった。
何やってんだ俺は。
勇者なんて、とっくに辞めたってのに。
なんだか知らないが、向かい立つエロナルーナも同じような表情をしていた。
俺たちは示し合わせるでもなく互いに少しだけ拳を下げた。
そこに、たくさんの足音がトットット、と近寄ってくる。
「エロナママ、お客さぁん?」
「このおじさん、だぁれ?」
子供たちだった。
エロナルーナの顔からサッ、と血の気が引く。
赤い瞳が俺を見て震えていた。
まるで、恐怖しているみたいに。
――ズバッ!!
これは、俺が油断して刺された音とかではない。
でも、刺されたくらいに俺は驚いた。
エロナルーナが地に伏していたからだ。
ぬかるんだ地面にダイブして、必死に額をこすりつけている。
「わ、私はどうなっても構わないわ……! なんでもします。あんたの奴隷になってもいいです。だから、この子たちだけは殺さないで。お願いですから!」
全力土下座だった。
土魔法の奥義でもぶっぱなす勢いで何もかも投げ打ったフルスロットル土下座だった。
あの魔王軍いちプライドの高いエロナルーナが命乞いしている。
凍えた猫みたいに震えながら。
「ぉ……」
俺は思いっきり面食らってファイティング・ポーズを解除した。
これが戦場なら、俺はこのわずかな隙で命を落としていたことだろう。
「ママが泥遊びしてるー」
「泥パックなんてしなくてもエロナママは綺麗だよ?」
「ママー、お腹すいたぁー!」
丸まった背中を小さな手がペタペタ叩いている。
俺はそれを呆気にとられて見ていた。
よく見れば、この子たち、みんな魔族だ。
頭や額から動物の角が生えているからわかる。
つまり、どういうことだ?
んー、わからん。
こんなときは状況を整理だ。
えーっと、とんかつ届けに来たら、お隣さんは魔王四天王で、なぜか修道服を着ていて、土下座で命乞いして、子供たちは魔族で、お腹ペコペコで……。
あー、うん。
……うん?
ダメだ。
やっぱりわからん。
でも、子供たちに切迫した様子はない。
エロナルーナにも戦意はないらしい。
俺も命懸けのバトルとか今更したくない。
話し合いで解決できるならそれに越したことはないな。
「とりあえず、事情を説明してくれるか?」
「こ、殺さないでくれるなら、な、なんでも言うことに従うわ……」
ということなので、教会の懺悔室に場所を移す。
本来、お祈りを捧げるはずの講堂は子供たちの遊び場になっていた。
ざっと10人くらいだろうか。
追いかけっこしたり、お絵描きしたり。
まるで、幼稚園だな。
エロナルーナはひとつ息をついて居住まいを正すと、静かに語り始めた。
「魔王様亡き後、魔王国は無残にも瓦解したわ。栄光ある魔王四天王も混乱の中で散り散りになった。私も人族側の追撃を逃れる形で、魔王国から逃げ出したの。そんな折よ、あの子たちと出会ったのは」
エロナルーナは駆け回る子供たちに柔らかな眼差しを送り、乱れた白い髪を耳にかき上げた。
その何気ない仕草で、色香が匂い立つ。
首筋から覗く肌の生々しさに、俺はゴクリと喉を鳴らした。
「あの子たちは戦争で親を失ったの。魔王様の庇護がなくなった後は悲惨だったわ。人族の兵士たちにさんざんな目に遭わされたの」
戦争と略奪はセットだからな。
残念ながら、そこに善意や思いやりが入り込む余地はない。
魔王と同じ『魔族』の子供ともなれば尚更だ。
殴り倒されて泣き喚く子供たちの痛々しい姿が脳裏をよぎって、俺は思わず顔をしかめた。
「それをお前が助けたわけか。そして、この北の果てに隠れ住んでいる、と」
俺の問いかけに、エロナルーナはこくりと頷いた。
すると、耳にかかっていた髪がさらりと流れて、胸の上で止まった。
俺の視線も胸で止まる。
め、めっちゃめちゃ柔らかそう……。
「だが、お前に子供を助けるような良心があるとは思わなかったな」
「私も初めは自分好みに育ててから精気を吸い尽くすつもりだったわ」
クソ野郎、と怒鳴ってやろうかと思ったが、エロナルーナは「でも」と言葉を繋げた。
「芽生えてしまったのよ」
何がだ!?
殺意か?
小児性愛か?
「――母性が」
「ぼ、せい?」
初めて聞いた言葉のごとくオウム返しする俺である。
そんな言葉が悪逆非道の限りを尽くしたあの魔王四天王の口から出てこようとは。
エロナルーナは身悶えつつ頬を朱に染めた。
「仕方ないじゃない。だって、可愛いんだもの」
「まあ、子供は可愛いものだが……」
「そ、そうよね! 可愛いわよね! あのぷにぷにの頬っ! 私の手を必死に握り返すちっちゃな手! 無垢な寝顔とか不意に見せる大人びた横顔とか、たまんないのよ! 思いっきり泣いて思いっきり笑って、そのすべてが愛おしいわ!」
懺悔室の机に半ば乗り上げる形で、瞳のキラキラを浴びせかけてくるエロナルーナ。
鼻の穴をまんまるにしてフンフン言っている。
「私は愛を知ったわ。そして、守るべきものができたの。だから、あんたに無謀な戦いを挑んで命を落とすわけにはいかないのよ」
使命に燃える女騎士みたいな顔でそう言うと、エロナルーナは俺のそばにひざまずいた。
目尻いっぱいに涙をためて、一心に見つめてくる。
「お願いよ、クレス。……いいえ、クレス様、お願いです。どうか私たちを見逃してください。見逃してくれるなら、私、あなたのために、なんでもします。どんなご奉仕でもしますから。お願いです。殺さないで」
頬を滑り落ちた涙が胸の上に点を作った。
えっろ……。
でも、大丈夫だ。
こいつは、男をたぶらかすサキュバス。
それも、上位種族の姫級淫魔だ。
わかってる、わかってる。
これは、俺をたぶらかす作戦だってことはな。
「お願い、クレス様……」
泣きすがるエロナルーナ。
押し当てられた胸が窮屈そうに潰れていく。
俺の心臓が抑えようもなくペースアップしていった。
ごくり……。
肌、近くで見ると、むちゃくちゃキメ細かいな。
肩なんて、触れれば壊れてしまいそうなほど小さい。
そして、ほのかに香る花の香り。
こいつ、こんなに可愛かったのか。
戦場だとかなりの強敵だったから、無意識のうちにエロいゴリラかなにかだと思っていた。
でも、大丈夫。
わかっている。
俺は鼻の下を伸ばして、手心を加えたりしない。
勇者は何者にも屈しないのだ。
「あー、反省しているか?」
「してます。ごめんなさい」
「じゃあ、許す感じだな」
「ありがと、クレス様!」
……うんまあ、そもそも俺、もう勇者じゃないからな。
だいたい、こんなもんだろう。
別に悪さしている様子もないし、子供たちも楽しそうにしている。
世界の端の、この平和な村でわざわざ血煙をまき上げる必要もないだろうさ。
ま、油断はしないけどな。
何かあったら誰よりも早く駆けつけてやる。
お隣さんだし。
そういうことにしておくか。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、
『ブクマ登録』と下の★★★★★から『評価』をしていただけると嬉しいです!
よろしくお願いします!




