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王都からの無礼な召喚状

獣潮スタンピードの壊滅から二週間が経過した白銀砦は、かつての閉塞感が嘘のように活気に満ちあふれていた。


工匠長のバルボア率いる職人集団によって、魔導オンドルの敷設は城下町の一般家屋へと急速に拡大。


討伐された氷殻巨獣の結晶装甲は、セリアの設計した粉砕プラントで均一な粉末へと加工され、建材の超断熱コーティング材や新型防壁の複合装甲板として活用され始めていた。


街を行き交う領民たちの顔からは飢えと凍えへの怯えが消え、厳しい冬の最中でありながら、市場には湯気と笑い声が満ちていた。


そして、白銀砦の主領主執務室では――。


「セリア、口を開けろ。今朝焼き上がったばかりの林檎のタルトだ。シナモンを少し多めに効かせてある」


執務机で設計図を広げていた私の目の前に、銀のフォークに刺さった一口大のタルトが差し出された。


フォークを握っているのは、漆黒の軍服を着崩し、氷藍色の瞳を蕩けるように細めたヴィルフリートである。


「……閣下。あのですね」


私は額を押さえ、深いため息を吐いた。


「私は現在、新型魔導炉の排熱配管図面を精査している最中なのです。食事は先ほど十分にとりましたし、そもそも二十八歳の帝国元帥閣下が、一介の技術顧問の口に自らお菓子を運ぶなど、職務怠慢にも程があります」


「怠慢ではない。重要軍事拠点の最高責任者が、領地の頭脳たる最重要人物の血糖値と精神的安寧を維持するための、極めて正当な軍事防衛行動だ」


至極真面目な顔で、とんでもない詭弁を平然と言ってのける。


戦場では一撃で古代巨獣を両断した「白銀の死神」が、二人きりの執務室ではこの有り様だった。


私を膝の上に乗せて執務を執ろうとするのを押し問答の末に阻止したと思えば、今度は小鳥に餌をやるように四六時中甘い菓子を運んでくる。


(外見は十八歳の少女だからって、甘やかし方が完全に過保護な大型犬なのよ……!)


精神年齢三十二歳の社畜エンジニアとしては、この至れり尽くせりの待遇に身悶えするほどの気恥ずかしさを覚える。


だが同時に、彼の大きな身体から放たれる温もりと、向けられる無条件の慈愛が、長年一人で戦ってきた乾いた心にじんわりと染み渡るのを拒めないでいた。


『マスターの生体バイタルを報告。心拍数毎分八十八。微弱な照れと、極めて高い幸福度指数を検出。……マスター、抵抗は無意味です。おとなしく糖分を補給してください』


(アリア、あなた最近ヴィルフリート様に買収されてない?)


『私は純粋な工学的計算に基づき、マスターの幸福を最大化する選択肢を推奨しているだけです』


「ほら、セリア」


ヴィルフリートの麗しい眉が、少しだけ困ったように下がる。


あの鋭敏な武人が、私に拒絶されることを心底恐れるように見つめてくるのだ。この顔に弱いことを、彼は無意識に理解しているに違いない。


「……いただきます」


観念して口を開くと、サクリと香ばしいパイ生地の食感と、甘酸っぱい林檎の風味が口いっぱいに広がった。


「美味しいか?」


「……はい、とても」


私が小さく頷くと、ヴィルフリートは満足そうに口元を綻ばせ、私の唇の端に微かについた粉糖を、躊躇いなく親指でそっと拭った。


そして、その指を自らの唇へと運ぶ。


「――っ!?」


私の顔が一瞬で沸騰した。


「な、何を……っ!」


「お前の甘さを分けてもらっただけだ」


大人の男の余裕を漂わせた妖艶な笑みを浮かべるヴィルフリート。


十歳年上の男の色気というものをこれ見よがしに見せつけられ、私は椅子から転がり落ちそうになるのを必死に堪えた。


だが、その甘やかな空気を切り裂くように、執務室の扉が激しくノックされた。


「閣下! 至急の案件でございます!」


副官の切迫した声に、ヴィルフリートの表情が一瞬で冷徹な元帥のそれへと戻る。


「入れ」


入室してきた副官は、青ざめた顔で直立不動の敬礼を捧げた。


「王都より、第二王子ルーファス殿下直属の特使節団が到着いたしました! 近衛兵二十騎を伴い、現在第一城門を通過。至急、大広間での引見を求めております!」


「……ルーファスの使いだと?」


ヴィルフリートの氷藍色の瞳に、冷たい殺気がスッと宿った。


部屋の温度が物理的に数度下がったかのような錯覚を覚える。


『王都からの使節団を外部スキャン』


アリアが即座に私の視覚野へデータを投影した。


『随行員二十二名。馬車内に高位貴族用の紋章旗を確認。特使の生体データ:肥満体型、高血圧、極度の傲慢な情動パターンを検出。……マスター、極めて質の悪いトラブルの匂いがします』


(ええ、間違いなくろくでもない案件ね。せっかくの美味しいタルトの後味が台無しだわ)


私は乱れた呼吸を整え、凛と背筋を伸ばした。


十八歳の淑女の仮面と、三十二歳の歴戦のプロフェッショナルとしての思考を同期させる。


「閣下、参りましょう。逃げる理由など、こちらには欠片もございません」


私の言葉に、ヴィルフリートは深く頷き、漆黒のマントを鋭く翻した。



白銀砦の大広間。


極寒の地特有の質素ながらも重厚な石造りの空間に、場違いな芳香が漂っていた。


香水を過剰につけた絹の豪奢な衣装をまとった小太りの男――王都の特使バルトロ男爵が、顎を反らし、傲慢な視線で居並ぶ北方の軍人たちを見下ろしていた。


「ふん、相変わらず野蛮で埃っぽい砦だな。このような流刑同然の僻地に長居するなど反吐が出る」


吐き捨てるバルトロの前に、ヴィルフリートと私が姿を現した。


大広間の空気が一瞬で凍りつく。


ヴィルフリートが放つ冷厳な威圧感に、バルトロの背後に控えていた王都の近衛兵たちが、無意識に腰の柄に手を伸ばしかけて硬直した。


「ヴェルク辺境伯。出迎えが遅いぞ」


バルトロは怯えを隠すように声を張り上げ、懐から金糸の刺繍が施された羊皮紙を取り出した。


「第二王子ルーファス殿下より、直々の勅命状を預かってまいった! 辺境伯、ならびにそこにいる罪人セリア、平伏して拝聴せよ!」


平伏を要求するバルトロに対し、ヴィルフリートは眉一つ動かさず、立ったまま氷の眼光で男を見据えた。


「用件を言え。北方の軍務は貴族の茶会ほど暇ではない」


「なっ……! 無礼な! まあよい、後で殿下に泣きつくがよいわ!」


バルトロは羊皮紙をこれ見よがしに広げ、唾を飛ばしながら読み上げ始めた。


「『ヴェルク辺境領における先の魔獣防衛戦の報告、王都へ届いた。――調査の結果、今般の大規模な獣潮は、追放されし悪役令嬢セリアが、王宮より盗み出した禁呪の魔導具を用い、意図的に魔獣を扇動して引き起こした自作自演の反逆劇であるとの疑いが濃厚となった』!」


大広間にいた北方の将校や兵士たちから、怒りのどよめきが上がった。


命がけで戦ったあの死線を「自作自演」と切り捨てられたのだ。


「静かに」


セリアが制すると、兵士たちは瞬時に口を閉じた。


彼女の統率力はすでに砦の全員に浸透していた。


バルトロは勝ち誇ったように宣言を続ける。


「『よって王家は、セリア・フォン・アルトハイムの身柄を直ちに拘束し、王都の異端審問所へ連行することを命ずる! また、セリアが領内で制作したとされる未知の魔導兵器、ならびに新型暖房技術を含むすべての技術資産・資材を、国家反逆の証拠品として王家直轄領へ無償で引き渡すべし』! ……以上である!」


バルトロは下卑た笑みを浮かべ、セリアを指差した。


「さあ、罪人セリア! 速やかに縄を受けよ! 殿下は寛大にも、技術のすべてを差し出し、殿下とエレナ様へ足元に額づいて謝罪するならば、命だけは助けてやると仰せだぞ!」


あまりにも見え透いた、醜悪な略奪宣言だった。


『ルーファス王子の意図をプロファイリング完了』


アリアが冷徹な音声で分析を告げる。


『先の防衛戦の奇跡的戦果と、ヴェルク領の急速な経済的・軍事的発展の情報を得たルーファス派閥が、その手柄と新技術を横取りするために捏造した口実です。王都の現政権は放漫財政により資金難に陥っており、ヴェルク領の「オンドル」や「新兵器」の独占権を狙っています。法的根拠は皆無です』


(ええ、絵に描いたような無能上司の横領ね)


私は冷めた目でバルトロを見つめた。


あの夜会の場でルーファスに署名させた「処罰決定書」には、連座の禁止と、私に対する一切の不干渉・追放処分が玉璽付きで明記されている。


法的手続きを踏めば、この勅命書など一瞬で無効化できる。


私が論理的な反論を口にしようと、一歩前へ踏み出しかけた――その時だった。


「――茶番は終わりか?」


地獄の底から響いてくるような、低く、冷たい声が大広間を支配した。


ヴィルフリートだった。


彼の全身から放たれた濃密な殺気が、目に見える青白いマナの陽炎となって揺らめいている。


その氷藍色の瞳には、冷酷な笑み――獲物を解体する直前の肉食獣のような、狂気すら孕んだ氷の微笑が浮かんでいた。


「ひ……っ!?」


バルトロが息を詰まらせ、数歩後ずさる。


「ヴェルクの防壁を血で守り抜いた我が軍の戦果を自作自演と侮辱し、民の凍死を救った知恵を盗品と呼び……あまつさえ、俺の客人を罪人として縛首に処すと?」


ヴィルフリートが一歩、足を踏み出す。


ドォン、と重力が増加したかのような圧力がバルトロの肩にのしかかる。


近衛兵たちは恐怖のあまり金縛りに遭い、抜刀することすらできない。


「べ、辺境伯、貴様……殿下の勅命に逆らう気か! 反逆だぞ!」


「反逆? 笑わせるな」


ヴィルフリートの右手が、腰の大剣の柄に触れた。


「セリアは、理不尽に追放された無実の身だ。そして今や、この過酷なヴェルク領を救い、民の命を繋いだ、我が領の魂そのものだ。――そして何より」

ヴィルフリートの視線が、わずかにセリアへと向けられた。


その瞳に宿ったのは、狂気的なまでの熱い独占欲と、揺るぎない誓約。


「彼女は、俺がこの命に代えても守ると誓った、我がヴェルク領の至宝。……俺の、たった一人の女だ」


「――っ!?」


セリアの心臓が、跳ね上がった。


次の瞬間――。


シャアァァァンッ!!


誰も、その太刀筋を視認できなかった。


大剣が鞘から抜かれた気配すらなく、ただ白銀の閃光が大広間を横一線に薙ぎ払った。


パサリ……。


バルトロが高々と掲げていた王家の勅命書が、寸分の狂いもなく中央から真っ二つに両断され、床へと舞い落ちた。


バルトロの額から、恐怖の脂汗が滝のように流れ落ちる。


切っ先は、彼の鼻先わずか数ミリをかすめていた。


「ひ、ぎゃあぁぁぁっ!?」


腰を抜かして床にへたり込むバルトロ。


ヴィルフリートは冷ややかに大剣を鞘へ滑り込ませると、両断された羊皮紙を踏みにじり、見下ろした。


「持ち帰れ、豚め。ルーファスに伝えろ。『貴様らの戯言に従う法も道理も、このヴェルクには存在しない。セリアの髪一本、技術の欠片一つたりとも貴様らには渡さん。文句があるなら、貴様自身が全軍を率いてこの雪原へ奪いに来い。首を刎ねて城門に晒してやる』とな」


「ひ、狂っている……! 後悔するぞ、辺境の野蛮人がぁぁっ!」


バルトロは泣き叫びながら、近衛兵たちに担ぎ上げられるようにして、転がるように大広間から逃げ出していった。


静寂が戻った大広間。


将校や兵士たちから、歓声の代わりに地鳴りのような抜刀の音が響いた。


誰一人として動揺していない。


主君の決断に従い、中央政府との全面対決をも辞さないという、鉄の結束だった。


「全軍に通達! 防衛体制を第二種戦闘配備へ移行! 王都からのあらゆる干渉を物理的に拒絶する!」


ヴィルフリートの峻烈な号令が下り、将校たちが一斉に持ち場へと駆けていく。


広間に二人きりになった瞬間、ヴィルフリートは先ほどの鬼神のような表情を消し、静かにセリアへと向き直った。


その顔には、先ほどまでの冷徹さはなく、どこか怯えるような、捨て犬のような不安が滲んでいた。


「……セリア。勝手な真似をして、すまなかった」


大股で近づいてきた彼が、セリアの小さな手を両手で包み込む。


「俺の独断で、王都との退路を断ってしまった。……だが、あのような下種共にお前を渡すことなど、天地が裂けてもできなかった。お前を縛り付けるような真似をして……怒っているか?」


見上げるほどの大男が、十歳も年下の少女の機嫌を伺うように、恐る恐る見つめてくる。


先ほど大広間で「俺の女だ」と豪語した男と同一人物とは思えないギャップだった。


セリアは深く息を吐き、それからフッと、悪戯っぽく微笑んだ。


「怒るわけがありませんでしょう? ……むしろ、最高に合理的で痛快なトラブルシューティングでしたわ」


「セリア……?」


「もとより、中央のあの無能な上司たちと妥協する道など存在しませんでした。あの方々は、自分たちで破綻させたプロジェクトの赤字を、優秀な拠点の成果を奪うことで穴埋めしようとしただけです。……突っぱねるのは、当然の経営判断です」


セリアはヴィルフリートの手を、ギュッと握り返した。


三十代のプロフェッショナルとしての不敵な笑みと、十八歳の少女の瑞々しい輝きが、その瞳に宿っている。


「受けて立ちましょう、ヴィルフリート様。理不尽な横領など、この私が工学と戦術のすべてを以て、完膚なきまでに叩き潰して差し上げます」


その力強い言葉に、ヴィルフリートは息を呑み、次いで感極まったようにセリアを抱きしめた。


「ああ……! 愛している、セリア……!」


二人を包む熱い抱擁の中、セリアの脳内でアリアが静かに新たな演算シークエンスを開始していた。


王都との全面戦争――それは、旧態依然とした世界を塗り替える、新たな時代の幕開けだった。

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