影からの強襲
時速五百キロメートルで雪原を滑走する『白銀号』の先頭車両。
緊迫した空気が、一瞬にして操縦室を満たした。
「敵襲予測地点まで、残り十五キロメートル。……アリア、敵のスペクトラム解析を継続。識別信号のデータベース照合を急いで」
セリアの涼やかな声が響く。
その双眸の奥では、怜悧な青い演算光が高速でグリッドを描き出していた。
先ほどまでヴィルフリートの腕の中で蕩けるように赤面していた十八歳の可憐な少女の姿はそこにはない。
数千人の命を預かる大規模システムのトラブルに対し、冷徹に障害切り分けを行う三十二歳の主任アーキテクトの貌だった。
『照合完了。敵の装備する特殊マナ迷彩マント、および携行型質量投射火器の波形を識別しました』
脳内でアリアが告げる。
『所属:大陸東方の軍事神権国家「ルミナス神聖皇国」特務異端審問機甲大隊。……過激派の教義に基づき、旧文明の科学技術を「神の奇跡」と偽って独占してきた宗教国家です。ヴェルク領の独立と、マスターがもたらした新技術の拡散を「神聖冒涜」と認定。マスターの暗殺、ならびにリニア制御コアの強奪を目的とした越境潜入部隊と推計されます』
「神聖皇国の狂信者どもめ……!」
操縦席の傍らに立つヴィルフリートの喉から、氷塊が軋むような怒声が漏れた。
漆黒の軍服に身を包んだその長身から放たれる濃密な殺気が、客室の空気を物理的に凍りつかせる。
大剣『白狼丸』の柄にかけられた彼の大きな手は、怒りのあまり血管が青く浮き上がっていた。
彼が見つめているのは、眼前に迫る敵の存在ではない。
その敵が、世界で誰よりも愛するセリアの命を奪おうとしているという、その耐え難い現実だった。
「セリア、直ちに列車を反転させろ。俺が単身で奴らの元へ突撃し、骨の一片すら残さず微塵に切り刻んでくる」
低く、狂気を孕んだ声。
愛する少女に指一本触れさせまいとするあまり、二十八歳の百戦錬磨の元帥が、自制心をかなぐり捨てて敵陣へ単騎特攻しようとしているのだ。
セリアはヴィルフリートの逞しい腕に、自らの小さな手をそっと重ねた。
手袋越しに伝わるセリアの温もりに、ヴィルフリートの肩がピクリと跳ねる。
「落ち着いてくださいませ、私の過保護な元帥閣下。時速五百キロで走るリニアは急反転などできませんし、そんな無謀な単騎特攻を私が許可するはずがありませんでしょう?」
「だが……!」
「信じてください、ヴィルフリート様」
セリアは微笑み、彼の氷藍色の瞳を真正面から見つめ返した。
その瞳には、恐怖も動揺も欠片もなかった。
絶対の勝算を握る者だけが宿す、揺るぎない知性の光。
「貴方は私の盾であり、最後に敵の息の根を止める絶対の切っ先です。……敵の奇襲のシナリオなど、すでに私の頭の中でデバッグ済みですわ。まずは私の手で、あの不法侵入者たちを完璧な袋の小鼠へと追い込んで差し上げます」
その凛とした言葉に、ヴィルフリートの瞳が揺らぎ、やがて悔しげに唇を噛み締めながらも、彼はセリアの腰を強く引き寄せて自らの胸へと抱きすくめた。
「……分かった。お前の言う通りにする。だが、お前が傷つくようなことがあれば、俺は世界を焼き尽くすぞ」
重く甘い独占欲の籠もった囁き。
セリアはヴィルフリートの胸元で小さく笑い、「心得ております」と応えた。
セリアは操縦コンソールへ向き直り、凛とした声でアリアへ指示を飛ばした。
「迎撃シーケンス、フェーズ・ワン。列車屋根部の防衛ウェポンベイを開放! 自律索敵防衛ドローン『フギン』『ムニン』、全機射出!」
『コマンド承認。防衛ハッチ展開』
ガコンッ!という重厚なラッチ解除音とともに、『白銀号』の先頭車両および中間車両の天板がスライドした。
車内から射出されたのは、六角錐の幾何学的フォルムを持つ十二機の小型飛行端末――テラヘルツ帯マナ共鳴エンジンを搭載した自律防衛ドローン群だった。
ドローン群は青白いプラズマの光跡を曳きながら、猛吹雪の暗雲の中へと一斉に散開していった。
◇
『白銀号』が突入しようとしている前方の地形は、切り立った氷壁に挟まれた狭隘な天然の要害「霜枯れの峡谷」だった。
両岸の絶壁、標高三百メートルの岩棚の上で、純白の熱源遮蔽マントを纏った四十名の男たちが、冷たい雪の中に身を潜めていた。
ルミナス神聖皇国の特務工作員たちである。
「来たぞ……! あれが噂の『鉄の龍』か……!」
隊長を務める男が、魔導照準器越しに谷底を見下ろして唾を飲み込んだ。
猛吹雪の白銀の雪原を切り裂き、信じられない速度で接近してくる流線型の巨大な白銀の車体。
地響きすら立てず、風そのものとなって疾走するその姿は、教皇庁が隠蔽してきた「神の失われし遺産」そのものだった。
「愚かなる悪役令嬢め。神に仇なす禁呪の兵器を弄び、あまつさえ下賤な辺境貴族に差し出すとは……! あの列車ごと粉微塵にしてやる!」
隊長が掲げた手には、神聖皇国が古代遺跡から発掘し、極秘裏に修復した禁断の対戦車魔導砲――「崩壊重粒子砲」が構えられていた。
高密度の励起マナを亜光速まで加速し、いかなる城壁をも分子レベルで崩壊させる、中世の常識を覆す古代の質量破壊兵器である。
「全門、谷底の線路を狙え! 前方のレールを破壊して脱線させ、身動きの取れなくなった車両へ崩壊弾を撃ち込め! 女は生け捕りにし、首謀者の辺境伯は首を刎ねて神殿へ捧げるのだ!」
「「「御意!」」」
四十名の工作員が一斉に引き金に指をかけた、その瞬間だった。
キィィィィィィン……ッ!
吹雪の虚空を引き裂き、耳障りな超高周波音が峡谷全体に木霊した。
「な、何だこの音は……!?」
隊長が空を見上げた瞬間、猛吹雪の暗雲を突き破って、十二の青い光点が急降下してきた。
六角錐の小型機が、時速四百キロメートルを超える超音速機動で峡谷の上空を旋回する。
ドローンの中央に埋め込まれた青いカメラアイが、冷徹な光を放ちながら工作員たちの潜伏地点を一瞬にしてスキャンしていった。
『敵潜伏ユニット、四十名を完全捕捉』
セリアの網膜に、敵の位置座標、体温分布、携行火器の出力パラメータが、立体ワイヤーフレームとして鮮やかに重なり合って表示された。
神聖皇国が誇る「熱源遮蔽ステルスマント」など、アリアのテラヘルツ帯ミリ波レーダーの前には、薄いガラス細工同然だった。
敵の一挙手一投足、呼吸の乱れ、筋肉の収縮までもが、セリアの脳内チェス盤の上に丸裸にされていた。
「アリア、敵の初弾発射タイミングを予測」
『了解。崩壊重粒子砲のマナ蓄積率、九十八パーセント。……発射まで、あと三秒』
「全ドローン、空間偏向シールドを格子状にリンク展開! 指向性エネルギー反射角、上方六十五度!」
ドガァァァァァンッ!!
峡谷の断崖から、目も眩むような真紅の閃光が放たれた。
空間そのものを軋ませながら、三条の崩壊重粒子ビームが、疾走する『白銀号』の直前――線路の路盤へと一直線に殺到する。
直撃すれば、レールは蒸発し、時速五百キロの列車は峡谷の壁へ激突して木っ端微塵になるはずだった。
だが――。
カシィィィィィンッ!!
虚空に突如として、巨大なエメラルドグリーンの蜂の巣状バリアが展開した。
十二機のドローンが放出したナノマシン力場が空中で幾何学的に結合し、厚さ数メートルの多層偏向シールドを瞬時に形成したのだ。
激突した真紅の崩壊ビームは、六角形の光の壁の上で激しい火花を散らしながら、セリアの計算通りに上方六十五度――直上の氷壁へと綺麗に屈折・反射された。
ズドドドォォォォンッ!!
「な……っ!? 弾道が曲げられただと……!?」
工作員の隊長が目を剥いた。
反射されたビームが直上の氷壁を粉砕し、凄まじい雪崩となって工作員たちの退路を塞ぎ始める。
「怯むな、第二射を撃て! 撃ち続けろぉぉっ!」
狂乱した工作員たちが次々と魔導弾を乱射する。
しかし、その攻撃のすべてが、アリアの精密な弾道計算によって先回りした偏向シールドの前に、ただの眩い光屑となって弾き飛ばされていった。
そして――『白銀号』は減速することすらなく、峡谷の雪煙を突き破り、その先の広大な開けた氷原平原へと滑り出した。
「馬鹿め、開けた場所へ逃げたつもりか! 追え! 囲んで仕留めるのだ!」
隊長は雪崩を脱出した工作員たちを率い、崖から氷上バイク型の魔導騎乗具を繰り出して雪原へと雪崩れ込んだ。
だが、それこそが――セリアの敷いた「完全なる罠」だった。
操縦室のセリアの唇に、冷徹な笑みが浮かぶ。
「狭い峡谷での戦闘は、落石によるレールの損傷リスクが高すぎます。……障害物のないこの平原こそが、貴方たちのための最適な処分場ですわ」
セリアは操縦コンソールの補助レバーを引き上げた。
『白銀号』の車輪部から電磁気ブレーキが作動し、列車は雪原の中央で、美しいドリフトを描きながら横向きに停止した。
流線型の頑丈な車体が、巨大な要塞の防壁となって氷原に立ちはだかる。
追撃してきた四十名の工作員たちが、獲物を追い詰めたと信じ込んで、列車の周囲を半円状に包囲した。
「観念しろ、悪役令嬢! 貴様の奇術もここまでだ!」
バイクから降りた隊長が、重粒子砲の銃口を停止した列車へと向ける。
だが、セリアは車内から一歩も出ることなく、手元のコンソールを流れるようにタップした。
「迎撃フェーズ・ツー。ドローン群、キルゾーン・フォーメーションを展開。――目標の武装および駆動機関のみを無力化。非致死性高周波パルス、照射!」
『オールグリーン。射撃管制リンク、同期完了』
上空を滞空していた十二機のドローンが、円環を描いて急降下した。
ドローンの先端から放たれたのは、目に見えない不可視の高周波マナレーザーだった。
ピピピピピピッ!
不可視の光線が、寸分の狂いもなく四十名の工作員たちの手元を撃ち抜いた。
「ぎゃあぁぁっ!?」
「あ、熱い!? 砲身が……溶ける!?」
工作員たちが悲鳴を上げて武器を取り落とした。
彼らが手にしていた重粒子砲や魔導銃の精密回路だけが、超音波振動と誘導加熱によってピンポイントで焼き切られ、ただの焼けた鉄屑へと変貌したのだ。
さらに、彼らが乗ってきた魔導バイクの燃料タンクも瞬時に不活性化され、すべての機動力と火力が、一瞬にして奪い去られた。
わずか数秒。
誰一人として血を流すことなく、神聖皇国の誇る精鋭暗殺部隊は、極寒の雪原のど真ん中で完全な丸腰へと追い込まれていた。
「ば、化け物か……!? 姿も見せずに、これほどの芸当を……!」
隊長が震える手を押さえながら、雪の上にへたり込んだ。
その時だった。
『白銀号』の重厚な乗降ハッチが、プシューッという減圧音とともに、ゆっくりと左右に開いた。
吐き出された冷気の中から、ゆっくりと姿を現したのは――。
抜刀された白銀の大剣を右手に提げ、全身から漆黒の劫火のような殺気を吹き荒れさせる、一人の男だった。
「……セリア。お前の見事な手並み、感服した」
ヴィルフリートの冷え切った声が、凍てつく雪原に響き渡った。
彼はセリアの方を振り返ることなく、階段を一段ずつ降りて雪を踏みしめた。
その氷藍色の瞳には、人間を相手にしている色など微塵もなかった。
ただ、自らの最愛の伴侶を害そうとした害虫を、この世から完全に抹殺するための、絶対的な死神の眼光だった。
「ここからは、俺の役目だ。……我が妻に銃口を向けた罪の重さを、その身を以て刻み込んでやる」
ヴィルフリートの大剣が、静かに虚空へと掲げられた。
雪原の気温が、物理的な限界を超えて急速に凍りつき始めた。




