大陸横断・魔導リニア鉄道構想
白銀砦の地下大講堂には、かつてないほどの熱気と、それを真っ向から否定する冷笑が渦巻いていた。
円形劇場の構造を持つ講堂の中央、巨大な黒板とホログラム投影機の前に立っていたのは、濃紺の作業用コートに身を包んだセリアだった。
その黒板には、アリアの並列演算によって弾き出された緻密な構造計算書と、流線型の未知の車両――「超電導魔導リニア車両」の全体図面が白亜のチョークで克明に描き出されていた。
そして、客席の最前列で腕を組み、顎を反らして嘲笑を浮かべていたのは、王都から第一王子ユリウスに随行してきた筆頭宮廷土木技官の老人たちだった。
「……呆れて物も言えん。八百五十キロメートルの永久凍土の上に、鉄の道を敷くじゃと?」
銀髪の髭を震わせ、金縁の眼鏡を押し上げた筆頭技官バルトアンが、吐き捨てるように鼻を鳴らした。
「セリア嬢、貴女が先の防衛戦で奇跡を起こしたのは認めよう。だが、土木工学と国家インフラの建設を舐めてもらっては困る! 極寒の永久凍土は、季節によって表層が泥濘化し、地盤が不等沈下を起こす。たった十キロの街道を整備するだけでも、王国の総力を挙げて十年を要するのだ! 八百五十キロなど、工期はどれだけ短く見積もっても三百年、国家予算の百年分を注ぎ込んでも完成せんわ!」
「その通りだ!」
「常識を知らぬ温室育ちの机上の空論だ!」
随行してきた技官たちが口々に同調し、講堂に嘲笑のざわめきが満ちる。
彼らにとって、十八歳の小娘が語る「時速五百キロで走る鉄の龍」など、おとぎ話の幻獣を呼び出すと嘯く狂気の発言にしか聞こえなかった。
だが、セリアは眉一つ動かさなかった。
前世のシステムアーキテクト時代、前時代的なレガシーシステムに固執し、「新しいクラウド基盤など信用できん、移行には十年かかる」と喚き散らしていた頑迷なベテラン技術者たちの顔が脳裏をよぎる。
(まったく、どの世界でも古い常識にしがみつく頭の固い管理職のセリフは同じね……)
セリアがチョークを指先で回し、反論のための工学的エビデンスを提示しようとした、その刹那だった。
ドォォォォォンッ!!
講堂の石造りの演壇が、雷鳴のような轟音とともに粉々に砕け散った。
飛び散る破片。
技官たちの嘲笑が一瞬で喉元で凍りつき、悲鳴となって掻き消える。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
演壇を素手で叩き割ったのは、セリアの真後ろに控えていたヴィルフリートだった。
漆黒の軍服の上に純白のマントを羽織ったその姿は、夜の帳を纏った死神そのものだった。
冷厳な美貌には一切の感情がなく、氷藍色の双眸から放たれる凍てつく殺気が、講堂の空気を一瞬で氷点下まで引き下げていた。
ヴィルフリートは砕けた石屑を軍靴で踏み潰しながら、一歩前へと進み出た。
「……貴様ら、誰に向かって口を利いている」
地獄の底から這い上がってきたような重低音。
二十八歳の帝国元帥が放つ絶対的な覇気に、最前列の老技官たちは腰を抜かして椅子から転がり落ちた。
「セリアの知恵は、このヴェルクの命そのものだ。貴様らのような、王都のぬるま湯で過去の遺物にしがみつく無能どもが、彼女の知性を愚弄することなど欠片も許さん。……その腐りきった舌が二度と動かぬよう、根元から引き抜いてやろうか」
本気だった。
大剣の柄に置かれたヴィルフリートの指先に、青白いマナの陽炎がギラギラと揺らめいている。
「ヴィルフリート様、そこまでですわ」
セリアがそっとヴィルフリートの逞しい腕に触れた。
その瞬間、部屋を満たしていた凶暴な殺気が、嘘のように霧散した。
ヴィルフリートはセリアへ振り返ると、先ほどの鬼神のような貌を瞬時に消し去り、心配そうに眉を下げて彼女の肩を抱き寄せた。
「セリア……。あのような下種どもの戯言に耳を傾けるな。お前の心が痛むなら、今すぐあの者どもを雪原へ放逐するが」
「痛んでなどおりませんわ。業務上の要件定義において、技術的な無知から生じる反発など日常茶飯事ですから」
セリアは苦笑しながら、ヴィルフリートの分厚い胸板をポンと軽く叩いた。
外見は十歳も年下の十八歳の可憐な少女。
しかし、その内面に宿る三十二歳の大人のプロフェッショナルとしての貫禄が、ヴィルフリートを穏やかに宥めていく。
ヴィルフリートは依然として不満そうに喉を鳴らしながらも、セリアの腰を自らの腕の中に引き寄せ、客席の全員へ見せつけるように彼女の隣にぴったりと密着した。
セリアは姿勢を正し、震え上がっている王都の技官たちを見下ろした。
「バルトアン殿。貴方方の『常識』が通用するのは、手作業でツルハシを振るい、馬車で石材を運ぶ中世の土木作業においてのみです。……工期三百年? 莫大な予算? そんなものは、技術革新によってゼロベースで覆すのが工学というものですわ」
セリアは指先をパチンと鳴らした。
講堂の中央に、アリアの立体ホログラムが鮮やかに展開する。
「まず、不等沈下対策。永久凍土をそのまま掘り起こすような非効率な真似はいたしません。軌道の基礎杭には、先の戦いで回収した氷殻巨獣の結晶装甲を粉砕・焼結した『超低温マナ硬化パイル』を打ち込みます。マイナス五十度以下で分子結合が強固になるこの素材を使えば、凍土そのものが岩盤以上の強度で基礎と一体化します」
青い光の設計図が、地盤の応力分布を克明に描き出す。
技官たちの目が釘付けになった。
「そして、最も重要な掘削と敷設の工期。……人間の手など使いません」
セリアは空中に、巨大な円筒形の機械の図面を投影した。
先端に無数の回転刃と、中心部に眩い光を放つレンズを備えた、未知の巨大掘削重機――。
「静止軌道上の防衛軍事衛星『ヘイムダル』から地上へ照射される、テラワット級のマイクロ波エネルギー。これを白銀砦の中央ジェネレーターで励起マナへ変換し、この『超高熱マナレーザー掘削シールドマシン』へダイレクト供給します。岩山も氷河も、超高熱レーザーでバターのように融解・蒸発させ、掘削と同時に後方からプレハブ成型された超電導軌道ブロックを自動敷設していく」
『工程シミュレーション結果を提示』
アリアの機械的な声が響いた。
『自動建設重機四基による並列掘削および自動軌道敷設を実施した場合、一日の進捗速度は最大六十キロメートル。……白銀砦から極北海溝タワー01までの八百五十キロメートル、全行程の軌道貫通に要する想定日数は――わずか十五日です』
「じ、じゅう……十五日だと……!?」
バルトアンが泡を吹いてその場にへたり込んだ。
三百年かかると豪語した国家事業が、わずか半月で終わるという絶対の論理的根拠。
その時だった。
「――がははははっ! 面白え! 最高だぜ、セリアのお嬢ちゃんよぉ!」
講堂の扉を蹴り開けて入ってきたのは、巨大な金槌を肩に担いだ工匠長バルボアだった。
後ろには、煤にまみれた屈強なドワーフや人間の職人たちが数十人、ぎらついた瞳で連なっている。
「おいおい、王都のへなちょこ学者ども! 腰を抜かしてんじゃねえぞ!」
バルボアは豪快に笑い飛ばし、セリアの設計図を指差した。
「要するに、防壁に据え付けたあの『レールガン』の砲身を、地面にずらりと並べて列車を走らせるって寸法だろ!? 理屈は完璧に頭に入ったぜ! 俺たち工匠区画の野郎どもは、すでに徹夜でシールドマシンのフレームを組み始めてる! 資材の調達も、捕虜の王都兵たちから志願者を募って二千人の作業大隊を編成済みだ!」
「頼もしいですわ、バルボア工匠長」
セリアが微笑むと、職人たちから地鳴りのような歓声が上がった。
「「「セリア様のために! 俺たちの手で鉄の龍を走らせるぞおおおっ!!」」」
現場の熱気。
職人たちの誇り。
旧態依然とした権威を、圧倒的な知性と現場の技術が木っ端微塵に粉砕していく。
王都の技官たちは、もはや一言も発することができず、蒼白な顔で震えることしかできなかった。
◇
その日から、白銀砦の北側荒野は、不夜城の如き超巨大建設現場へと変貌した。
昼夜を問わず、軌道上から降り注ぐ不可視のマイクロ波送電が、砦の変換炉をエメラルドグリーンに輝かせる。
セリアの設計した四基のシールドマシンが、地響きを上げて永久凍土を穿ち始めた。
先端のマナレーザーが氷壁を一瞬で蒸発させ、粉砕された岩石は即座に路盤材へと転用される。
後方からは、バルボア率いる職人集団と自動重機が、氷殻巨獣の結晶装甲を焼き付けた漆黒の超電導レールを、寸分の狂いもなく敷設していく。
アリアの戦術C4Iシステムが全自動で工程を最適化し、資材の搬入遅延や作業員の疲労度をミリ秒単位で管理。
前世のどの国家プロジェクトよりも、無駄がなく、安全で、驚異的な速度で鉄路が極北の荒野へと伸びていった。
そして――工事開始から十四日目の夕暮れ。
白銀砦の北側ステーションには、息を呑むほど美しい「奇跡」が鎮座していた。
全長百二十メートル。
氷殻巨獣の白銀結晶と漆黒の複合装甲で覆われた、流線型の鋭利な車体。
先頭車両の側面には、ヴェルク家の象徴たる銀狼と双剣のエンブレムが誇らしげに刻まれている。
車輪はない。
超電導磁気浮上によって、レールからわずか十センチメートル宙に浮いたまま、微かな励起マナのハミング音を響かせていた。
大陸横断・超電導魔導リニア試作編成――『白銀号』。
「ほ、本当に……本当に二週間で、百キロを超える試験軌道と、この化け物を完成させただと……」
見学に訪れていた第一王子ユリウスが、眼鏡を外して呆然と呟いた。
その後ろでは、筆頭技官バルトアンが膝をつき、自らの無知と敗北を認めて頭を抱えていた。
「試験軌道、第一中継基地までの百二十キロメートル。敷設完了です」
ホームに立つセリアが、手元の携帯端末から顔を上げ、凛とした声で宣言した。
そのセリアの肩には、ふわりと温かな毛皮のマントが掛けられた。
背後からセリアをすっぽりと抱き寄せたのは、ヴィルフリートだった。
彼の大きな手が、セリアの手袋の上からそっと重ねられる。
「よくやった、セリア。……お前が世界を変える瞬間を、こうして隣で見届けられることが、俺の生涯の誇りだ」
低く甘い囁き。
周囲の将兵や職人たちが大勢見守っているというのに、ヴィルフリートは人目など欠片も気にせず、セリアの防寒帽の上から額に深く口づけを落とした。
「ひゃ……っ、ヴィルフリート様! 皆が見ています!」
セリアが顔を真っ赤にして抗議するが、周囲の兵士や職人たちは「いつものことだ」「ごちそうさまです!」と温かい口笛と拍手を鳴らすだけだった。
「気にするな。これより、俺とお前で『白銀号』の最初の試運転を行う。……乗れ、我が愛する軍師殿」
ヴィルフリートはセリアを軽々と抱き上げると、そのまま先頭車両の乗降デッキへと足を踏み入れた。
◇
『白銀号』の最前部、パノラマ展望席を備えた特別操縦室。
セリアがメインコンソールに手をかざし、アリアの認証コードを流し込むと、車内全体に柔らかなLED照明が灯り、ホログラフィック・ダッシュボードが展開した。
『軌道給電同期完了。超電導リニアモーター、励起マナ充填率百パーセント。磁気浮上システム、安定。……マスター、いつでも発車可能です』
「リニア推進システム、テラヘルツ加速シーケンス開始!」
セリアが操縦レバーを滑らかに前へと倒した。
キィィィィィィン……ッ!
澄み切った高周波音が響き、次の瞬間、重力を感じさせない滑らかな加速が始まった。
車輪の摩擦音も、ガタつきもない。
白銀号は滑るようにステーションを抜け出し、雪原の上へと滑り出していった。
十キロ、百キロ、三百キロ――。
速度計のホログラムが瞬く間に跳ね上がっていく。
外の猛吹雪の景色が、流れるような光の帯となって後方へと飛び去っていく。
秒速百四十メートル――時速五百キロメートルに達してもなお、車内は信じられないほどの静寂を保ち、テーブルの上に置かれた水のグラスは、波紋一つ立てていなかった。
「……信じられん」
操縦席の隣で外を見つめていたヴィルフリートが、息を呑んで感嘆を漏らした。
「吹雪の中を、まるで風そのものになって駆け抜けている……。かつて数日を要した前哨基地までの道のりが、わずか十分足らずで視界に入ってきたぞ」
「これが、工学と技術の力ですわ、ヴィルフリート様」
セリアは誇らしげに微笑み、操縦桿から手を離して振り返った。
その瞬間、強い力で彼女の華奢な身体が引き寄せられた。
ドサリと、座席の上でヴィルフリートの逞しい胸板に抱きすくめられる。
「きゃっ……!?」
驚くセリアの唇に、熱く、奪うような口づけが容赦なく落とされた。
「ん……っ、ふ……っ」
時速五百キロで疾走する最先端の列車の中。
激しい加速の快感と、ヴィルフリートの舌が絡みつく甘美な熱気に、セリアの頭の芯がトロトロと痺れていく。
ヴィルフリートの大きな掌が、セリアの腰を強く抱き寄せ、もう一方の手が彼女の黒髪を愛おしそうに梳き上げていく。
どれほど長く唇を貪り合っていただろうか。
ようやく吐息を漏らしながら唇が離れた時、ヴィルフリートの氷藍色の瞳は、蕩けるような情熱で満ちていた。
「お前は本当に……俺にどれだけの奇跡を見せれば気が済むのだ」
ヴィルフリートはセリアの額に自らの額を押し当て、熱い吐息を交わした。
「この鉄の龍があれば、極北のタワーなど瞬く間に手の届く場所になる。……だが、どれほど世界が便利になろうと、俺がお前を抱きしめるこの腕の温もりだけは、絶対に変わらん」
「……当たり前ですわ」
セリアは息を整えながら、甘えるようにヴィルフリートの首筋に腕を回した。
「この温もりを手放すくらいなら、私、技術者なんてとっくに廃業しています」
二人が甘やかな笑みを交わし合った、その時だった。
ピピピピッ!
アリアの緊急空間走査アラートが、鋭い電子音を鳴り響かせた。
『警告。軌道前方二十キロメートル、凍結峡谷の断崖上において、正体不明の高エネルギー高周波反応を多数検知』
アリアの声が、一瞬で緊迫感を帯びる。
『生体反応:約四十。熱源遮蔽ステルスマントを着用。……王国軍の魔導兵器ではありません。極めて高密度な「古代の禁呪マナ反応」および重質量対戦車徹甲弾の気配を確認。――マスター、正体不明の特殊部隊による、本列車への待ち伏せ迎撃です!』
セリアの瞳の奥で、青い演算光が瞬時に鋭利な光を放った。
そして、セリアを抱きしめていたヴィルフリートの表情が、一瞬にして獲物を八つ裂きにする肉食獣の冷酷な貌へと変貌した。
「……虫けらどもが」
ヴィルフリートの氷のような声が大気を震わせる。
新たな時代の象徴たる鉄路を、そして何よりも最愛のセリアの命を脅かそうとする黒い影が、極北の闇の中から牙を剥き出しにしていた。




