魔王の謝罪
第92話 魔王の謝罪
セレフィア神聖国。
大聖堂に隣接する、普段は各国使節との外交に使われる大会議場。
その日。
そこには、世界を代表する者たちが集まっていた。
アステリア王国。
カグラ皇国。
ヴァルガルド。
アルカディア。
セレフィア神聖国。
そして、五百年近く人間世界から姿を消していた魔族領。
六つの勢力。
それぞれの代表者たちが、巨大な円卓を囲んでいる。
僕はアンの少し後ろに用意された席から、その光景を眺めていた。
「……」
落ち着かない。
分かってはいた。
でも実際に来てみると、想像していた以上だった。
各国の頂点に立つ人たち。
その側近。
軍の代表。
学者。
聖職者。
僕なんかが本当にここにいていいのかと思う。
腰にある《明星》へ、無意識に手が触れた。
「ソル」
隣から小さな声。
ベラだった。
「何?」
「落ち着け」
「ベラに言われたくないよ」
「妾は落ち着いておる」
「さっきから三回くらい足組み直してるけど」
「座り心地が悪いだけじゃ」
「本当に?」
「本当じゃ」
そう答えるベラの視線も、円卓へ向いたままだった。
多分。
ベラも緊張している。
当然だ。
ここにいる人たちの大半にとって。
ベラトリクスという名は、歴史上の魔王。
五百年前、人類を滅亡寸前まで追い込んだ存在。
勇者レグルスたち五英雄によって討伐されたとされる敵。
その本人が。
今。
同じ部屋に座っている。
視線。
感じる。
アステリア側から。
カグラ側から。
ヴァルガルド側から。
アルカディア側から。
何度も。
何度も。
ベラへ向けられている。
警戒。
疑念。
好奇心。
そして。
中には、明らかな敵意もあった。
ベラは。
全部。
気づいている。
でも。
何も言わなかった。
アンも同じ。
深紅を基調とした正装。
現魔王として。
背筋を伸ばして座っている。
その後ろにはセラ。
僕が魔族領で見ていた「アン」とは違う。
魔族領の代表。
魔王アンタレス。
五百年近く一つの国を背負ってきた者の顔をしていた。
そして。
円卓の最奥。
教皇が座っている。
その右側に。
一人の男が立っていた。
教皇の側近。
今回の世界会談で進行を担う人物。
落ち着いた雰囲気の男だった。
白を基調とした聖職者の衣。
手元には何枚もの資料。
会場全体を見渡してから。
静かに。
口を開いた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
ざわめきが止まる。
「これより、セレフィア神聖国主催による六勢力世界会談を開始いたします」
声が。
大会議場へ響く。
「本日の議題は、五百年前に発生した災厄に関する歴史の再検証。そして、現在再び確認されている天使と呼ばれる存在への対応についてです」
誰も。
動かない。
「今回の会談では、これまで各国が保有してきた資料に加え、セレフィア神聖国が教皇のみへ継承してきた秘密記録、アルカディアが保有する古代文献、そして魔族領側に残されていた記録を照合します」
少し。
空気が重くなる。
「その前に」
男が。
ベラを見る。
「五百年前の当事者である、先代魔王ベラトリクス殿より発言の申し出がございます」
一斉に。
視線。
ベラへ。
「……」
ベラは。
一度。
目を閉じた。
そして。
ゆっくり。
立ち上がった。
誰も。
声を出さない。
僕も。
見ている。
アンも。
教皇も。
各国の代表たちも。
五百年前。
人間たちから。
恐れられた魔王。
そのベラが。
人間の国々の代表を前に。
一人。
立つ。
「まず」
声は。
いつもより。
静かだった。
「謝らせてほしい」
空気が。
止まった。
本当に。
一瞬。
全員が。
聞き間違えたと思ったのかもしれない。
僕だって。
少し驚いた。
ざわっ。
小さな声。
広がる。
「謝罪……?」
「魔王が?」
「ベラトリクスが……?」
ベラは。
動かない。
ただ。
円卓に座る人間たちを。
一人ずつ。
見る。
「五百年前」
一拍。
「妾は」
「……」
「人間と戦った」
ざわめきが。
消える。
「人間の兵を殺した」
「……」
「街を焼いたこともある」
「……」
「家族を奪った」
ベラの声。
低い。
「それは」
一拍。
「歴史がどう書き換えられようと」
「……」
「消えぬ」
アステリア側。
一人の王。
じっと。
ベラを見ている。
カグラ皇国の代表も。
ヴァルガルドも。
誰も。
口を挟まない。
「人間には」
ベラが続ける。
「人間の理由があった」
「……」
「魔族には」
「……」
「魔族の理由があった」
拳。
僅かに。
握る。
「妾にも」
「……」
「戦う理由があった」
少し。
間。
「じゃが」
ベラが。
顔を上げる。
「理由があれば」
「……」
「死者が帰ってくるわけではない」
誰かが。
息を呑む。
「正しかった」
「……」
「仕方なかった」
「……」
「そう言って」
ベラが。
首を振る。
「失われた命を」
「……」
「無かったことにはできぬ」
声。
ほんの少し。
震える。
「妾を」
一拍。
「憎む者がおるなら」
「……」
「それでよい」
僕は。
ベラを見る。
「許せとも言わぬ」
「……」
「忘れろとも言わぬ」
「……」
「五百年前」
「……」
「妾によって」
「……」
「大切な者を失った血が」
今。
この場にも。
いるかもしれない。
「今も妾を憎むなら」
ベラが。
静かに。
言う。
「その憎しみは」
「……」
「お主らのものじゃ」
誰も。
否定しない。
「妾には」
「……」
「それを捨てろと言う権利はない」
そして。
ベラは。
ゆっくりと。
頭を下げた。
「……」
会場。
完全な。
静寂。
先代魔王。
ベラトリクス。
人類史では。
最悪の敵として。
語られてきた存在が。
人間たちへ。
頭を下げている。
「五百年前」
一拍。
「妾が奪った命」
「……」
「妾の戦いによって」
「……」
「傷ついた者たちへ」
さらに。
頭を下げる。
「すまなかった」
僕は。
息をすることさえ。
忘れていた。
長い。
沈黙。
誰も。
拍手しない。
誰も。
許すとも言わない。
それでいいんだと思う。
そんな。
簡単なことじゃない。
五百年。
歴史。
戦争。
殺し合い。
今ここで。
一度謝ったから。
全部終わり。
そんなわけがない。
やがて。
ベラが。
ゆっくり。
顔を上げた。
最初に。
口を開いたのは。
アステリア王国の代表だった。
「……謝罪を」
低い声。
「受け入れるか否かを」
「……」
「今」
一拍。
「私一人が決めることはできぬ」
ベラが。
頷く。
「それでよい」
「我が国にも」
王が続ける。
「五百年前」
「……」
「魔族との戦いで命を落とした者たちの子孫がいる」
「……」
「今も」
「……」
「魔王ベラトリクスを」
一拍。
「憎む者もいるだろう」
「当然じゃ」
「だから」
王が。
ベラを見る。
「その謝罪を」
「……」
「我が国が受け入れたとは」
「……」
「今は言えぬ」
ベラ。
真っ直ぐ。
王を見る。
「構わぬ」
一拍。
「妾も」
「……」
「許されるために」
「……」
「謝ったのではない」
王の眉。
僅かに。
動く。
「では」
「言わねばならぬと思った」
ベラが。
答える。
「それだけじゃ」
「……」
「妾が」
一拍。
「この先」
「……」
「真実を話す前に」
ベラが。
自分の胸へ手を置く。
「まず」
「……」
「妾自身がしたことを」
「……」
「認めねばならぬと思った」
アステリア王は。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
「……分かった」
それだけ。
答えた。
ベラも。
小さく。
頷いた。
教皇の側近が。
ベラを見る。
「ベラトリクス殿」
「なんじゃ」
「続けてください」
「ああ」
ベラは。
もう一度。
円卓を見る。
「謝罪は」
一拍。
「ここまでじゃ」
声。
少しだけ。
変わった。
魔王。
五百年前を生きた。
当事者の声。
「ここから」
「……」
「妾は」
「……」
「五百年前」
一拍。
「本当に何があったのかを話す」
空気。
張り詰める。
「まず」
ベラが。
アステリア王を見る。
「一つ」
「……」
「訂正せねばならぬ」
「何をだ」
「勇者レグルスは」
ベラが。
言う。
「妾を倒しておらぬ」
会議場。
ざわつく。
アステリア王の表情。
僅かに。
険しくなる。
「……何?」
「そして」
ベラは続ける。
「妾も」
「……」
「レグルスを殺しておらぬ」
「……」
「五百年前」
「……」
「妾と」
一拍。
「レグルスは」
ベラの目。
少しだけ。
懐かしそうになる。
「最後には」
「……」
「同じ敵を前に」
「……」
「並んで立っておった」
ざわめき。
大きくなる。
「同じ敵?」
「魔王と勇者が?」
「あり得るのか?」
「記録と違う」
教皇側近が。
片手を上げる。
「静粛に」
徐々に。
静まる。
アステリア王だけは。
ベラから。
目を逸らさない。
「ベラトリクス」
「なんじゃ」
「我が国では」
王が。
はっきりと言う。
「五百年間」
「……」
「勇者レグルスは」
「……」
「魔王ベラトリクスを討伐し」
「……」
「世界を救った英雄として」
一拍。
「語り継がれてきた」
ベラ。
静かに。
聞く。
「それを」
「……」
「今さら」
「……」
「全て違ったと」
王の声。
少しだけ。
強くなる。
「そう言うのか?」
誰も。
動かない。
ベラは。
少しだけ。
目を細める。
そして。
「違う」
アステリア王の眉が。
動く。
「何?」
「全てではない」
「……」
ベラは。
静かに笑った。
「レグルスは」
一拍。
「英雄じゃった」
会場。
静かになる。
「そこだけは」
ベラの声。
真っ直ぐ。
「お主らの歴史は」
「……」
「間違っておらぬ」
アステリア王の目が。
僅かに。
見開かれる。
「勇者レグルスは」
「……」
「強かった」
「……」
「馬鹿で」
「……」
「真っ直ぐで」
少し。
笑う。
「妾が何度」
「……」
「話を聞けと言うても」
「……」
「剣を向けてきた」
僕。
少しだけ。
口元。
緩む。
レグルス。
なんとなく。
想像できる。
「じゃが」
ベラが。
続ける。
「最後には」
「……」
「あやつは」
一拍。
「人間だけではなく」
「……」
「魔族も」
「……」
「世界も」
「……」
「全てを守ろうとした」
アステリア王。
何も言わない。
「だから」
ベラが。
少しだけ。
誇らしそうに言う。
「勇者レグルスが英雄だという歴史を」
一拍。
「妾は」
「……」
「否定せぬ」
そして。
表情。
変わる。
「ただし」
空気。
重くなる。
「一つだけ」
「……」
「間違っておる」
ベラの声。
低く。
響く。
「レグルスが」
「……」
「最後に剣を向けた相手は」
一拍。
「妾ではない」
沈黙。
長い。
「なら」
アステリア王が。
聞く。
「誰だ」
ベラが。
答える。
「天使じゃ」
その言葉。
世界会談の。
中心へ。
落ちた。
ざわっ。
今度は。
抑えられない。
「天使……」
「本当に?」
「五百年前の記録には」
「セレフィアからの資料と同じだ」
「だが」
「魔王本人が」
「静粛に!」
教皇側近の声。
会議場。
再び。
静まっていく。
ベラは。
待つ。
そして。
五人の名前を。
一人ずつ。
呼んだ。
「勇者レグルス」
アステリア。
「剣聖シリウス」
カグラ。
「守護騎士アルデバラン」
ヴァルガルド。
「聖女ルナ」
セレフィア。
「賢者アークトゥルス」
アルカディア。
そして。
一拍。
「魔王」
自分の胸へ。
手。
「ベラトリクス」
六人。
「五百年前」
ベラが。
言う。
「最後に戦場へ残ったのは」
「……」
「この六人じゃ」
各国代表。
自分たちの。
英雄の名を。
聞いている。
「勇者と魔王」
「……」
「人間と魔族」
「……」
「そんなものは」
ベラが。
首を振る。
「最後には」
「……」
「何の意味もなかった」
目。
鋭くなる。
「目の前に」
一拍。
「世界そのものを」
「……」
「滅ぼそうとするものが」
「……」
「おったからじゃ」
僕は。
あの光景を。
思い出す。
天使。
ゼファリエル。
そして。
裂け目。
「妾たちは」
ベラが。
続ける。
「最初から」
「……」
「仲間だったわけではない」
「……」
「むしろ」
少し。
笑う。
「互いに」
「……」
「何度も殺しかけた」
「……」
「じゃが」
一拍。
「最後には」
「……」
「背中を」
「……」
「預けた」
ベラの目が。
少しだけ。
揺れる。
「妾は」
「……」
「あやつらを」
一拍。
「仲間だったと思っておる」
誰も。
声を出さない。
「そして」
ベラが。
円卓を見渡す。
「今日」
「……」
「妾が」
「……」
「ここへ来た理由も」
一拍。
「同じじゃ」
空気。
変わる。
「人間と魔族が」
「……」
「過去に何をしたのか」
「……」
「それを」
「……」
「忘れろとは言わぬ」
「……」
「許し合えとも」
「……」
「言わぬ」
ベラの手。
ゆっくり。
机へ。
「じゃが」
一拍。
「天使は」
「……」
「戻ってきた」
全員。
ベラを見る。
「五百年前」
「……」
「妾たち六人が」
「……」
「命を懸けて」
「……」
「ようやく封じた敵が」
声。
強くなる。
「もう一度」
「……」
「この世界へ」
「……」
「手を伸ばしておる」
ベラが。
はっきり。
言う。
「ならば」
「……」
「また」
一拍。
「同じことをするだけじゃ」
アステリア。
カグラ。
ヴァルガルド。
アルカディア。
セレフィア。
魔族領。
全員。
見る。
「人間だから」
「……」
「魔族だから」
「……」
「そんな理由で」
一拍。
「殺し合っておる場合ではない」
静寂。
「妾は」
ベラが。
言う。
「お主らに」
「……」
「妾を信じろとは言わぬ」
「……」
「魔族を」
「……」
「今すぐ信じろとも言わぬ」
アンが。
ベラを見る。
「ただ」
ベラの声。
大会議場へ。
響く。
「今日だけは」
一拍。
「妾たちの話を」
「……」
「聞いてほしい」
頭を下げない。
今度は。
真っ直ぐ。
全員を見る。
「その上で」
「……」
「お主ら自身が」
「……」
「決めよ」
一拍。
「誰が」
「……」
「本当の敵なのかを」
静かだった。
長い。
長い。
沈黙。
最初に動いたのは。
教皇だった。
「私は」
全員。
教皇を見る。
「ベラトリクスの証言を」
一拍。
「支持します」
ざわめき。
「我がセレフィア神聖国には」
「……」
「五百年前」
「……」
「聖女ルナが」
一拍。
「初代教皇へ託した記録が残されています」
教皇側近が。
一冊の。
古い文書を。
円卓中央へ運ぶ。
「そこには」
教皇が続ける。
「今」
「……」
「ベラトリクスが語ったものと」
「……」
「ほぼ同じ内容が」
一拍。
「記されています」
各国代表。
文書を見る。
「さらに」
教皇。
僕を見る。
「ここには」
一拍。
「五英雄の意志を」
「……」
「直接」
「……」
「受け取ってきた者もいます」
視線。
一斉。
僕へ。
「……」
やっぱり。
来た。
僕は。
緊張。
する。
ベラが。
僕を見る。
「ソル」
「うん」
「次は」
少し。
笑う。
「お主じゃ」
「簡単に言うなぁ……」
小さく。
呟く。
でも。
立つ。
僕は。
椅子から。
ゆっくり。
立ち上がる。
円卓。
全員。
僕を見る。
勇者レグルス。
剣聖シリウス。
守護騎士アルデバラン。
聖女ルナ。
賢者アークトゥルス。
みんな。
ここにはいない。
でも。
僕は。
会った。
言葉を。
聞いた。
力を。
受け取った。
だったら。
僕が。
話す。
五百年前。
彼らが。
本当に。
何を守ろうとしたのかを。
教皇側近が。
静かに。
告げた。
「では」
一拍。
「続いて」
「……」
「五英雄の意志を受け継ぐ者」
「……」
「ソル殿より」
全員の視線。
集まる。
「証言を」
「……」
「お願いいたします」
僕は。
一度。
息を吸った。
そして。
口を開いた。
「僕は――」
五百年間。
偽りの歴史の中で。
英雄として語られてきた五人。
そして。
悪として語られてきた一人。
その六人が。
本当は。
何をしたのか。
世界が。
初めて。
その真実を聞く時が。
来た。




