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勇者の残光

第8話 勇者の残光


『――遅かったな、ベラトリクス』

「……レグルス」

五百年。

それだけの時間を越えて。

勇者レグルスは、魔王ベラトリクスの名を呼んだ。

もちろん。

そこに立っているのは、本物の人間じゃない。

身体は薄く透けている。

向こう側の壁が見えるほど。

魔力。

記憶。

人格。

五百年前のレグルスが残した、残響。

分かっている。

分かっているのに。

「……」

隣にいるベラトリクスは。

何も言えずにいた。

レグルスが笑う。

『なんだよ、その顔』

「……」

『五百年ぶりに会った相手に、もう少し言うことないのか?』

「……貴様」

ようやく。

ベラトリクスの口が動く。

「遅いのは、貴様の方じゃ」

『……』

笑っていたレグルスの表情が。

ほんの少しだけ変わった。

「妾が」

声が震える。

「妾がどれだけ待ったと思っておる」

『ベラトリクス』

「数年じゃと思っておった」

一歩。

ベラトリクスが前へ出る。

「長くとも十年」

また一歩。

「貴様が来ると」

拳が握られる。

「迎えに来ると、そう申したではないか!」

『……ああ』

「それが!」

声が。

地下室へ響く。

「五百年じゃぞ!」

レグルスは何も言わなかった。

ベラトリクスの前。

手を伸ばせば届きそうな距離。

でも。

届かない。

「……妾は」

小さくなる。

「一人で五百年も寝ておったのじゃぞ」

『……悪い』

「謝るな」

『でも』

「謝るな!」

レグルスの言葉を遮る。

「今さら……」

ベラトリクスが顔を伏せる。

「今さら謝られても、妾は貴様を殴れぬではないか」

『ははっ』

「何がおかしい!」

『いや』

レグルスは笑う。

どこか。

寂しそうに。

『変わってないなと思って』

「貴様もじゃ!」

『そうか?』

「その腹立たしい笑い方も!」

『それは悪かった』

「だから謝るな!」

僕は。

何も言えなかった。

二人の間にあるもの。

五百年。

僕には想像することすらできない。

ただ。

一つだけ分かる。

ベラトリクスは。

ずっと。

この人に会いたかったんだ。

レグルスが少しだけ目を伏せる。

『ベラトリクス』

「何じゃ」

『先に言っとく』

声が変わった。

『俺は、本物のレグルスじゃない』

「……分かっておる」

『ここに残した魔力と記憶。それを使って、俺の人格を再現してるだけだ』

「分かっておると言っておる」

『だから』

レグルスが自分の胸を見る。

『俺が知ってるのは、これを残した時までだ』

「……」

『この後、俺自身がどうなったのかも知らない』

僕はレグルスを見る。

「本人の記憶が全部あるわけじゃないの?」

『ない』

「じゃあ五百年間、この中にいたわけでも?」

『それも違う』

レグルスが笑う。

『君が起こしたんだ』

「……僕が?」

『そう』

僕を見た。

そして。

少し首を傾げる。

『というか』

「何?」

『さっきから気になってたんだけど』

レグルスが僕を指差した。

『君、誰?』

「……」

「……」

地下室。

少しだけ。

空気が止まった。

「今?」

『今』

「この流れで?」

『気になるだろ』

「もっとベラトリクスと話すことあるんじゃない?」

『ある』

「じゃあそっち先に」

『でも君も気になる』

「自由だなあ……」

横を見る。

ベラトリクスが額を押さえていた。

「……間違いなくレグルスじゃ」

『だろ?』

「褒めておらぬ」

レグルスが僕へ近づく。

『それで?』

「僕?」

『うん』

「ソル」

『ソル』

僕の名前を繰り返す。

『姓は?』

「ないよ。フィル村のソル」

『フィル村?』

「知らない?」

『俺の時代には聞いたことないな』

「五百年後だから」

『……五百年』

一瞬。

レグルスの表情が止まる。

「ベラトリクスから聞いてないの?」

『俺は今起きたばかりだからな』

「ああ」

レグルスがベラトリクスを見る。

『本当に五百年なのか?』

「そうじゃ」

『……参ったな』

頭を掻こうとして。

自分の手が透けているのを見る。

『ずいぶん寝かせたな』

「妾が好きで寝ておったように言うな」

『悪い悪い』

「貴様は謝ってばかりじゃな」

『昔からだろ』

「開き直るな」

レグルスはもう一度僕を見る。

『ソル、か』

「何?」

『その名前の意味は知ってる?』

「あ」

少し前なら。

知らなかった。

でも。

今は知っている。

「太陽」

レグルスの目が僅かに大きくなる。

『知ってるのか』

「ベラトリクスに教えてもらった」

『ベラトリクスが?』

レグルスが隣を見る。

「何じゃ、その顔は」

『いや』

「申せ」

『ちゃんと人に物を教えられるようになったんだなって』

「焼くぞ」

『それだよそれ』

「何じゃ!」

『五百年経っても変わってないな』

「貴様もな!」

また喧嘩が始まりそうだ。

僕は慌てて口を挟む。

「それより」

『ん?』

「レグルスも意味知ってるんだ」

『ああ』

レグルス。

その名前も。

確か。

「星の名前なんだよね?」

『そう』

レグルスが笑う。

『俺たちは、みんな空から名前を取られてる』

「みんな?」

『シリウス』

剣聖。

『アルデバラン』

守護騎士。

『アークトゥルス』

賢者。

『ベラトリクス』

魔王。

『それからルナ』

聖女。

『ルナだけ月だけどな』

「確かに」

『そして』

レグルスが僕を見る。

『ソル』

「……」

『太陽』

不思議そうに。

僕を見る。

『君も、俺たちと同じ空の名を持ってるんだな』

その言葉に。

胸の奥が。

少しだけ。

ざわついた。

レグルス。

シリウス。

アルデバラン。

アークトゥルス。

ルナ。

ベラトリクス。

そして。

ソル。

僕だけ。

五百年後。

何の関係もない。

ただの村の少年。

「……偶然だよ」

『だろうな』

「即答?」

『名前なんてそんなものだろ』

「さっき意味深に言ったのに!」

『ははっ』

レグルスが笑う。

その横で。

ベラトリクスだけは笑っていなかった。

ソル。

太陽。

古代帝国で使われていた言葉。

そして。

魔力の残滓へ触れ。

その中に残された記憶を引き出す力。

――古代魔法。

偶然。

そう考えるのが自然。

だが。

また一つ。

引っかかるものが増えた。

「……」

「ベラトリクス?」

「何じゃ」

「また怖い顔してる」

「元からじゃ」

「最近それ便利に使ってない?」

「気のせいじゃ」

レグルスが僕たちを見る。

『仲いいな』

「よくない」

「よくない」

声が重なる。

『仲いいじゃん』

「違う!」

また重なった。

レグルスが笑う。

『五百年後でも友達作れたんだな』

ベラトリクスの顔が。

少しだけ変わった。

「……友ではない」

「そこまで強く否定しなくても」

「まだ四日じゃぞ」

『四日!?』

レグルスが驚く。

『四日でその距離なのか?』

「どの距離?」

『いや。ベラトリクスが四日でここまで人間と話すなんて』

「妾を何だと思っておる!」

『魔王』

「貴様!」

『事実だろ!』

五百年前も。

きっと。

こんな感じだったんだろう。

草原で見た記憶。

あの時と。

何も変わらない。

レグルスがひとしきり笑った後。

ふと。

僕を見る。

『でも』

「?」

『やっぱり変だな』

急に。

表情が変わった。

「何が?」

『君』

「僕?」

『どうやって俺を起こした?』

「それが分からないんだよ」

『分からない?』

「塔を見たら声が聞こえて」

僕は順番に話す。

祠。

ベラトリクスへ触れた時に見えた記憶。

地下の魔法陣。

残っていた声。

そして。

この塔。

「壁に触ったら開いた」

『……』

レグルスが僕を見る。

さっきまでの軽い表情が消えている。

『記憶も見たのか?』

「うん」

『俺たちの?』

「草原を歩いてた六人」

『……何してた?』

「道に迷ってた」

『忘れろ』

「レグルスが地図逆さまに持ってた」

『忘れろ!』

「ベラトリクスが岩が動いたって」

『あいつのせいだろ!』

「何じゃと!?」

ベラトリクスが怒る。

『絶対あの日お前が岩を動かしたんだ!』

「証拠があるのか!」

『進んでも進んでも同じ場所に戻っただろ!』

「知らぬ!」

「そこはどうでもいいよ!」

五百年越しの喧嘩を止める。

「僕の力の話でしょ?」

『ああ』

レグルスが咳払いする。

『その記憶』

「うん」

『魔力に残ってたものを見たんだよな?』

「多分」

『……普通じゃない』

やっぱり。

そう言われた。

「ベラトリクスにも似たような顔された」

「妾は何も申しておらぬ」

「顔が言ってた」

『俺も、そんな術は知らない』

レグルスが僕へ手を伸ばす。

当然。

触れられない。

指先が。

僕の胸をすり抜ける。

でも。

その瞬間。

僅かに。

金色の光が揺れた。

『……やっぱり』

「何?」

『繋がってる』

「何と?」

『俺の魔力と、君の魔力』

「え?」

僕には。

何も分からない。

レグルスが自分の手を見る。

『正確には、俺の残響を作ってる魔力に、君の何かが触れてる』

「僕の魔力?」

『分からない』

レグルスが首を振る。

『量だけなら普通だ』

「ギルドでもそう言われた」

『でも、これは量の話じゃない』

「じゃあ?」

『性質……とも少し違うな』

レグルスが考える。

『アークトゥルスなら分かったかもしれない』

「賢者だから?」

『あの爺はこういう訳の分からないものを見ると、一週間くらい寝なくなる』

「ベラトリクスも似たようなこと言ってた」

「そして珈琲だけで生きようとする」

『そうそう』

「五百年経っても評価同じなんだ……」

レグルスが笑う。

でも。

ベラトリクスは。

黙ったままだった。

レグルスにも。

分からない。

それならば。

やはり。

古代魔法なのか。

だが。

ベラトリクスは。

まだ。

その言葉を口にしなかった。

『それにしても』

レグルスが僕を見る。

『不思議な奴だな、君』

「最近よく言われる」

『ベラトリクスを起こして』

「うん」

『俺の声を聞いて』

「うん」

『俺の残響まで起こした』

「僕がやりたくてやったわけじゃないけど」

『でも、やった』

「……」

『しかも太陽の名を持ってる』

「それは関係ないでしょ」

『どうだろうな』

「急に意味深にしないでよ」

『ははっ』

レグルスが笑う。

そして。

ベラトリクスへ向き直った。

『さて』

空気が変わる。

『そろそろ本題だ』

「ようやくか」

『悪いな』

「だから謝るな」

『癖なんだよ』

「直せ」

『五百年後に言われてもな』

「貴様は本当に……」

ベラトリクスがため息をつく。

レグルスが。

六人の彫刻を見る。

『この塔は』

「うん」

『俺一人で作ったものじゃない』

「知っておる」

『アークトゥルスが術式を組んだ』

「やはりな」

『アルデバランが基礎を作って』

「力仕事を全部押しつけたのか」

『本人がやるって言ったんだよ』

「想像できる」

『シリウスは』

少し黙る。

『途中で飽きた』

「やはりか」

「剣聖何してるの!?」

『石を切るのは上手かったぞ』

「そういう問題?」

『ルナはずっと俺たちに休めって怒ってた』

ベラトリクスの表情が。

少しだけ柔らかくなる。

『そして』

レグルスが彼女を見る。

『お前が残した設計を使った』

「……」

『六人で作った塔だ』

「完成させたのは五人じゃ」

『始めたのは六人だろ』

「……」

『勝手に自分を外すな』

ベラトリクスが黙る。

レグルスは。

それ以上言わなかった。

代わりに。

部屋の奥を見る。

青い光。

床。

そこに刻まれていた魔法陣が。

ゆっくりと輝き始める。

「これは?」

僕が聞く。

『塔の核だ』

「核?」

『五つの塔は、それぞれの土地から魔力を集めてる』

「ベラトリクスへ送るため?」

『そうだ』

レグルスが頷く。

『正確には、ベラトリクスの中に封じた災厄を抑えるため』

「……」

『それと』

ベラトリクスを見る。

『こいつを生かすため』

「余計なことを申すな」

『大事だろ』

「……」

レグルスが魔法陣を見る。

『本当なら』

少し。

表情が曇る。

『この塔は今も動いてるはずだった』

「やっぱり?」

『ああ』

「じゃあ」

僕も魔法陣を見る。

「壊れてる?」

『完全には壊れてない』

「え?」

『止められてる』

ベラトリクスの表情が変わった。

「……何じゃと」

『俺が残した術式と、今動いてる術式が違う』

「誰かが弄ったのか?」

『多分な』

「誰が?」

『分からない』

レグルスは首を振る。

『俺の記憶は、塔を完成させた頃までしかない』

「……」

『その後、誰が何をしたのかは俺には分からない』

五百年。

誰かが。

塔へ手を加えた。

そのせいで。

ベラトリクスへ送られるはずだった魔力が止まった。

だから。

彼女の魔力は。

五百年間。

減り続けた。

「……誰が」

僕が呟く。

レグルスは答えない。

ベラトリクスも。

ただ。

赤い瞳で魔法陣を睨んでいた。

『でも』

レグルスが言う。

『直せる』

「本当?」

『そのために、ここまで来てもらった』

「僕たちを?」

『正確には』

レグルスが僕を見る。

『ベラトリクスと、この部屋を開けられる誰か』

「……僕?」

『そういうことになるな』

「なんで僕なら開けられたの?」

『それが分からないから困ってる』

「勇者でも分からないことあるんだ」

『山ほどあるぞ』

「意外」

『勇者を何だと思ってるんだ』

「何でもできる人」

『それはアークトゥルスに言え』

「また賢者」

『あの爺に分からないなら諦めろ』

「そんなに?」

ベラトリクスが鼻を鳴らす。

「分からぬと言われると三日寝込むぞ」

『それで四日目に答え出してくる』

「面倒な爺じゃ」

『優秀なんだけどな』

二人が同時に笑った。

そして。

レグルスの身体が。

僅かに。

揺れた。

「……?」

僕は目を凝らす。

さっきより。

薄い。

「レグルス?」

『ん?』

「なんか」

言いたくなかった。

でも。

確実に。

『ああ』

レグルスは自分の身体を見る。

『そろそろか』

「そろそろ?」

ベラトリクスの表情が変わる。

「待て」

『無理だ』

「何がじゃ」

『俺は残響だって言っただろ』

「それがどうした」

『魔力で出来てる』

「……」

『起きてるだけで減っていく』

「なら眠れ」

『ベラトリクス』

「また眠ればよい!」

『無理だ』

「何故じゃ!」

レグルスは。

笑っていた。

「妾たちは五百年ぶりに会ったばかりじゃぞ」

『ああ』

「まだ何も話しておらぬ!」

『そうだな』

「シリウスがどうなったかも!」

『俺は知らない』

「アルデバランも!」

『知らない』

「アークトゥルスも!」

『知らない』

「ルナも……!」

声が。

止まった。

『……悪い』

「謝るなと」

声が震える。

「何度言わせる」

レグルスは少しだけ。

困ったように笑った。

『最後くらい許せよ』

「嫌じゃ」

『相変わらず我儘だな』

「妾は魔王じゃぞ」

『知ってる』

「ならば妾の命令を聞け」

『それだけは昔から聞いてない』

「レグルス」

『ベラトリクス』

二人。

見つめ合う。

『俺は』

少し間。

『お前を迎えに行くって約束した』

「……」

『これを残した時の俺は、まだそのつもりだった』

「……」

『だから』

レグルスが自分を指差す。

『この俺には、その後のことは分からない』

「……」

『本物の俺が約束を守れたのか』

「……」

『守れなかったのか』

ベラトリクスが拳を握る。

『俺には分からない』

「……そうか」

『でも』

レグルスが笑う。

『もし守れなかったなら』

少しだけ。

頭を下げた。

『ごめん』

「……」

ベラトリクスは。

怒らなかった。

ただ。

顔を伏せた。

「……馬鹿者」

小さな声。

「本当に」

『知ってる』

「大馬鹿者じゃ」

『それも知ってる』

「妾は」

顔を上げる。

「まだ許しておらぬからな」

『うん』

「勝手に消えるな」

『……』

「いつか」

声が。

少しだけ掠れる。

「本物の貴様を見つけたら」

五百年前の人間。

もう。

どこにもいない。

それでも。

「一発殴る」

レグルスが。

大きく笑った。

『ははっ!』

その笑い声。

僕が記憶の中で見た。

あのままだった。

『楽しみにしてる』

「死んでおるくせに」

『細かいことは気にするな』

「細かくないわ!」

レグルスの身体が。

また薄くなる。

その時。

『ソル』

突然。

呼ばれた。

「僕?」

『こっち来て』

「え?」

『早く』

言われるまま。

一歩。

近づく。

レグルスが僕を見る。

じっと。

「何?」

『……やっぱり』

「?」

『君、不思議だな』

「今それ?」

『最後だからもう一回言っとこうと思って』

「いらないよ」

『ははっ』

レグルスが笑う。

そして。

右手を出した。

透けた手。

『ソル』

「うん」

『君が何者なのか』

表情が。

少し真剣になる。

『俺には分からない』

「……」

『どうして俺たちの残した魔力に触れられるのか』

『どうして記憶が見えるのか』

『どうして俺の声が届いたのか』

『何一つ分からない』

「うん」

『でも』

レグルスが僕を見る。

『俺の声が、君には届いた』

「……」

『それだけで十分だ』

「何が?」

『君に』

レグルスの胸。

その中心。

金色の光が灯る。

「……?」

『俺の残った力を預けよう』

「……え?」

ベラトリクスが顔を上げる。

「レグルス」

『大丈夫だ』

「何をするつもりじゃ」

『大したものじゃない』

「貴様がそう言う時は大抵大したことじゃ!」

『これは塔の核じゃない』

レグルスが言う。

『ベラトリクスへ送るための魔力には手をつけない』

「では?」

『俺自身が、この残響を残すために使った魔力』

「……」

『もう消えるなら、残しておく意味もないだろ』

「ソルへ渡す気か?」

『うん』

「何故じゃ」

『勘』

「ふざけるな!」

『冗談だ』

「貴様!」

レグルスは笑う。

でも。

すぐ。

僕を見る。

『半分は本当だけどな』

「え?」

『君なら受け取れる気がする』

「僕、普通の村人だよ?」

『知ってる』

「冒険者も昨日登録したばっかりで」

『ランクは?』

「F」

『ははっ!』

「笑うなよ!」

『いや、悪い』

「ベラトリクスもFだからね」

『何!?』

「ソル!」

『ベラトリクスがF!?』

レグルスが腹を抱えるように笑う。

『駄目だ、消える前に一番面白いこと聞いた』

「殺すぞ、レグルス」

『もう死んでる』

「貴様ぁ!」

「話進めようよ!」

レグルスはしばらく笑っていた。

やがて。

落ち着く。

『悪い悪い』

「で」

僕は聞く。

「力を預けるって何?」

『そのままの意味』

「僕が強くなる?」

『少しは』

「少し?」

『いきなり勇者みたいに強くなると思った?』

「ちょっと」

『無理無理』

「即答……」

『俺の魔力をそのまま使えるほど、人の身体は単純じゃない』

レグルスが自分の胸の光を見る。

『多分、最初は身体が少し強くなる程度だ』

「それだけ?」

『あとは君次第』

「僕次第?」

『俺の魔力が君の中でどう変わるかは、俺にも分からない』

「怖いんだけど」

『嫌なら断っていい』

「え?」

意外だった。

レグルスが。

真っ直ぐ僕を見る。

『これは、俺たちの問題だ』

「……」

『五百年前に始まったことだ』

『五百年後に生まれた君が背負う義務はない』

「……」

『世界を救えとも言わない』

「勇者なのに?」

『勇者だからだよ』

「?」

『世界を救うなんて』

レグルスが笑う。

『他人に命令されてやるものじゃない』

その言葉。

不思議と。

胸に残った。

『俺は君を選ばない』

「え?」

『選ばれた勇者だとか、運命の少年だとか』

手を振る。

『そういうのは面倒だ』

「勇者が言う?」

『俺は聖剣に選ばれたせいで散々だったからな』

「……夢壊れるなあ」

『だから』

レグルスが手を差し出す。

『預けるだけだ』

「……」

『どう使うか』

『何に使うか』

『使わないか』

『全部、君が決めればいい』

「……」

『嫌なら断れ』

僕は。

差し出された手を見る。

触れることはできない。

でも。

金色の光は。

確かにそこにある。

「……ベラトリクス」

横を見る。

彼女は。

僕を見ていた。

「妾に聞くな」

「え?」

「お主が決めよ」

「……」

珍しい。

命令しない。

「危なくない?」

レグルスに聞く。

『多分』

「多分!?」

『絶対安全なんて言ったら嘘になるだろ』

「そうだけど!」

『でも俺の魔力に、君の力が反応してる』

「……」

『だから』

レグルスが笑う。

『多分、大丈夫』

「その多分怖いなあ……」

考える。

僕は。

強くなりたいと思って王都へ来たわけじゃない。

冒険者になりたかったわけでもない。

世界を救おうなんて。

一度も思ったことはない。

仕事を探して。

お金を稼いで。

家族へ手紙を書いて。

それだけのはずだった。

でも。

祠を見つけた。

ベラトリクスと出会った。

五百年前の記憶を見た。

そして。

今。

五百年前の勇者が。

僕へ手を差し出している。

「……預かるだけ?」

『うん』

「返せって言われても、返し方知らないよ」

『その時考えろ』

「適当だなあ」

『昔からだ』

「ベラトリクス」

「何じゃ」

「本当にこの人が勇者だったの?」

「残念ながらな」

『残念って何だ!』

少し。

笑った。

そして。

僕は手を伸ばす。

レグルスの。

透けた手へ。

触れる。

はずがない。

そう思った。

でも。

指先。

何かに。

触れた。

「……え?」

温かい。

光。

『じゃあ』

レグルスが笑う。

『預けた』

次の瞬間。

金色。

視界が埋まった。

「っ!」

身体の中へ。

何かが流れ込んでくる。

熱い。

でも。

痛くない。

胸。

腕。

脚。

全身。

魔力。

今まで自分の中にあったものとは。

全く違う。

強い。

真っ直ぐ。

燃えるようなのに。

不思議と。

優しい。

「ソル!」

ベラトリクスの声。

「大丈夫!」

答える。

本当に。

大丈夫だった。

金色の光が。

僕の右腕を伝う。

手の甲。

一瞬。

剣のような紋様が浮かぶ。

そして。

消えた。

光も。

少しずつ収まる。

「……」

僕は自分の手を見る。

「何か」

握る。

開く。

「変わった?」

『今すぐ分かるほどじゃない』

レグルスの声。

さっきより。

遠い。

顔を上げる。

「……」

薄い。

ほとんど。

消えかけている。

「レグルス」

『渡したからな』

「それ渡したら消えるの?」

『どのみち消える』

「でも」

『ソル』

レグルスが笑う。

『大事なのは、力の強さじゃない』

「……」

『誰の力だったかでもない』

「じゃあ?」

『何のために使うかだ』

勇者らしい。

そう思った。

初めて。

少しだけ。

「……勇者っぽい」

『今まで何だと思ってたんだよ』

「地図を逆さまに持つ人」

『ベラトリクス!余計な記憶見せるな!』

「妾のせいではない!」

『くそ……最後にそれが残るのか』

レグルスが笑う。

身体が。

光へ変わっていく。

足。

腕。

少しずつ。

「レグルス」

ベラトリクスが呼ぶ。

『ん?』

「……」

何か。

言おうとしている。

でも。

言葉が出ない。

レグルスは。

待った。

急かさず。

ただ。

昔と同じように。

笑って。

「……妾は」

ベラトリクスが言う。

「五つの塔を回る」

『うん』

「何が起きておるのか確かめる」

『うん』

「災厄がまだ生きておるなら」

赤い瞳。

「今度こそ」

『ベラトリクス』

レグルスの声が。

優しくなる。

『一人でやるな』

「……」

『それだけは』

笑みが消える。

『五百年前と同じことをするな』

ベラトリクスが。

何も言えなくなる。

『俺たちは』

シリウス。

アルデバラン。

アークトゥルス。

ルナ。

そして。

レグルス。

『お前一人に世界を背負わせるために戦ったんじゃない』

「……」

『今度は』

レグルスの目が。

僕へ向く。

『誰かを頼れ』

「こやつを?」

ベラトリクスが僕を指差す。

「なんでそこで不満そうなの」

『いいじゃん』

レグルスが笑う。

『面白そうだぞ、ソル』

「評価そこ?」

『それに』

少し。

目を細める。

『太陽なんだろ?』

「名前だけね」

『なら』

レグルス。

星の名を持つ勇者が。

笑った。

『俺たち星より、明るくなってみろよ』

「……」

言葉が。

胸へ落ちる。

ベラトリクスも。

何も言わなかった。

『じゃあな』

光が。

さらに薄くなる。

『ソル』

「うん」

『俺の力、頼んだ』

「……預かるだけだからね」

『それでいい』

そして。

最後。

レグルスが。

ベラトリクスを見る。

『ベラトリクス』

「……何じゃ」

一瞬。

五百年前の。

ただの青年みたいな顔で。

笑った。

『またな』

「……」

ベラトリクスの目が。

大きくなる。

「待――」

光。

レグルスの姿が。

消えた。

音もなく。

そこには。

何も残らなかった。

「……」

静寂。

地下室。

青い炎だけが揺れている。

「……レグルス」

返事はない。

ベラトリクスが。

しばらく。

消えた場所を見ていた。

そして。

「……馬鹿者」

小さく呟く。

「またな、などと」

声が。

震える。

「もう会えぬくせに」

僕は。

何も言わなかった。

代わりに。

右手を見る。

そこには。

何もない。

紋様も。

光も。

でも。

分かる。

自分の中に。

今までなかった何かがある。

勇者レグルス。

五百年前の英雄。

その残った力。

僕に。

預けられたもの。

「……ソル」

「何?」

ベラトリクスが僕を見る。

いつもの顔に戻ろうとしている。

でも。

目元が。

少しだけ赤い。

僕は。

気づかないふりをした。

「その力」

「うん」

「調子に乗るでないぞ」

「乗らないよ」

「レグルスの魔力が入った程度で、お主が勇者になったわけではない」

「分かってる」

「今のお主なら妾が指一本で」

「今のベラトリクス、ギルドで平均以下だったよね」

「……」

「しかもF級」

「ソル」

「何?」

「表へ出たら覚えておれ」

「なんで!?」

少しだけ。

いつものベラトリクスに戻った。

僕は笑う。

その時。

――ドクン。

床。

魔法陣。

光。

「……何?」

レグルスが消えたことで。

何かが解放された。

部屋の中央。

巨大な魔法陣が。

青から。

金色へ変わっていく。

ベラトリクスの表情が変わる。

「始まったか」

「何が?」

「塔の核じゃ」

五百年間。

止められていた。

勇者の塔。

その奥深く。

今。

再び。

動き始めようとしている。

そして。

僕の胸の奥。

勇者レグルスから預かった小さな光が。

それに応えるように。

一度だけ。

強く脈打った。

五百年前の星が残した光は。

確かに。

太陽の名を持つ僕の中へ。

受け継がれていた。


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